[やぶちゃん注:「雨女」は昭和三七(一九六二)年十一月号『小説新潮』に、その完全な続編である「雨男」は、同誌の翌昭和三十八年の一月号と、三月号に「(続)」として連載発表された。既刊本には収録されていない。
底本は「梅崎春生全集」第四巻(昭和五九(一九八四)年九月沖積舎刊)に拠った。「雨男」は以上の通り、二回連載であるが、底本では一本に纏められているため、どこで切れたのかは判らない。
文中に注を添えた。なお、本篇に登場する「山名」という姓のエキセントリックな副主人公は、梅崎春生の他の小説にもたびたび登場するのだが、そのモデルは彼の友人の画家秋野卓美(大正一一(一九二二)年~平成一三(二〇〇一)年)である。「立軌会」同人(元「自由美術協会」会員)で、春生(大正四(一九一五)年生)より七つ年下である。エッセイに近い実録市井物の「カロ三代」に実名フル・ネームで登場している。
なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが本日、つい先ほど、1,790,000アクセスを突破した記念として公開する。【藪野直史】]
雨 女
縁側に腰をおろして、ぼんやりと庭の秋草を眺めていると、裏木戸の方角から瓶のようなものをぶら下げて、山名君が入って来た。彼は玄関から堂々と入って来ることもあるし、時には勝手口から、また時には裏木戸を押してスイスイと、その時の気分で入って来るのである。つまり私の家を自分の家同然に考えているらしい。ちょいと頭を下げた。
「御免下さい。長いこと御無沙汰しました」
「うん。久しぶりだねえ。まあ掛けなさい」
私は座蒲団を押しやった。
「すこし瘦せたようだね。どこかに旅行でもしていたのか」
いつもはふくらんだような顔をしているのに、今日見ると妙にしなびている。山名君は腰をおろして、自分の頰を撫でた。
「そうですか。やはり瘦せましたか。そう言えばいろいろ苦労したからなあ」
「夏瘦せでバテたのか?」
「いいえ。別荘に行ってたんですよ」
「別荘に? 君が?」
私は思わず声を大きくした。
「なにか悪いことでもしたのかい?」
「え? 悪いこととは、何です?」
「別荘というのは、刑務所のことだろう。つまりムショ帰り――」
「冗談じゃないですよ、ムショ帰りだなんて!」
彼は憤然と首をこちらへねじ向けた。
「僕が刑務所に入れられるような、そんな悪人だと思っているのですか? 善良な市民をつかまえて、刑務所などと――」
「ごめん。ごめん」
私はあやまった。
「でもね、君が別荘を持っているような裕福な身分じゃないことを、僕はよく知っている。そこでついかん違いをしたんだ。あやまるよ。君は悪事を働けるような、そんな肝(きも)っ玉の大きな人柄じゃない」
「それ、ほめてるんですか。それとも――」
「勿論ほめてんだよ」
「それならいいですがね」
山名君は機嫌を直した。
「もっとも別荘と言っても、友達の別荘です」
「ああ。別荘の居候(いそうろう)か」
「またそういうことを言う」
また眼が三角になり始めた。
「一夏の主人は、僕ですよ」
「そうか。それは失言だった。つまり一夏借りたというわけだね。うらやましいな。それで借り賃は、いくらだった?」
「それがその、ちょっと複雑な事情がありましてね。僕の絵の仲間に、木村というのがいて、そいつの告別式、いや、ある酒場で送別会を二人でやりました」
山名君の話によると、その木村という男は金持の伜(せがれ)で、絵はあまり上手ではない。素人(しろうと)に毛の生えた程度で、道楽に絵を描きながら、のらくらと人生を送っているのだそうだ。
ところがこの度一念発起して、パリに修業に行くことになった。山名君に言わせると、修業とは称しているが、実は遊びに行くんだとのことだが、それはどちらでもよろしい。この物語とはあまり関係がない。
で、その酒場で、
「パリとはうらやましいねえ」
と山名君は木村に言った。
「おれなんか、パリどころか、当分東京ばかりで、山や海にも行けそうにないよ」
「それは気の毒だなあ」
木村は酔眼を宙に浮かせて、しばらく考えていたが、やがて、
「君は海が好きか。それとも山の方かね」
「うん。海もいいが、夏は山の方がいいねえ。いろんな草花が咲いているし、それに静かだしね」
山名の家の近くの土地で、近頃家の新築が始まり、電気ノコギリやハンマーの音が、毎日遠慮なく飛び込んで来る。それで彼はすっかり参り、切に静寂を求めていた。
「うん。山か。実は僕は山に別荘を持っている。帽子高原というところだ。今はニッコウキスゲの花盛りだろう。いいとこだよ」
木村はぐっとグラスを乾した。
「そこを君に貸してやろう。どうせ僕はパリ行きで、空いている」
「貸すって、そりゃありがたいが、貸賃の方は――」
「もちろんタダだよ。自由に使いなさい」
山名君はしめたと思った。金持とつき合っていて、損することはない。
「そりゃありがたいね。是非使わせていただこう」
「そうだ。タダと言ってもね」
木村は膝をたたいた。
「あそこは村有地で、つまり借地なんだ。今年分の地代は、君が払って呉れ」
「地代って、いくらだね」
「たしか一年間で、坪当り十二円だったかな。安いもんだよ」
「うん。その位なら僕にも払える。それだけかね?」
「ああ。それに電燈代だ。この二つを君に頼む」
よろしい、というわけで、タダ借りの約束が成立した。そして木村は。ペンで別荘地の略図を書いた。
「戦争前に建てた家だから、相当古ぼけているが、なかなか眺めのいい場所だよ。ただガスがないんでね、飯盒(はんごう)を持って行くといい」
「夜具のたぐいは?」
「東京からチッキで送ってもいいし、村に貸蒲団屋もある。絵の道具さえ持って行けば、その日から仕事にかかれるよ」
山名君はすっかり嬉しくなって、無理してその日の勘定を支払ったそうである。そしてそれから一週間後、リュックを背にして、東京から旅立った。ごみごみと暑い東京を離れるのはいい気分だったが、汽車はやたらに混んでいた。リュック姿が多いのは、夏山登りの若者たちだろう。なぜ近頃の若い者たちは、ネコもシャクシも、苦労して山登りしたがるんだろう。山名君は思った。
「おれはキャンプ族ではないぞ。れっきとした別荘族だぞ」
いい気なものだが、そうでも思って気分を高揚させていなきゃ、通路に立ちん坊は出来ないほど、混雑していたとのことだ。急行ではなく、鈍行である。急行券を惜しんだのではなく、鈍行でないとその駅にとまらないのだ。
[やぶちゃん注:「帽子高原」は不詳。「ニッコウキスゲの花盛りだろう」とあり(標準和名は「ゼンテイカ」(禅庭花)で単子葉植物綱キジカクシ目ススキノキ科キスゲ亜科ワスレグサ属ゼンテイカ Hemerocallis dumortieri var. esculenta 。群落が有名な日光に因んでそれを冠した「ニッコウキスゲ」の異名の方が遙かに全国的に通用してしまっているが、誤解のないように言っておくと、日光の固有種ではなく、本州以北から北海道まで日本各地に分布し、原産地も中国と日本である)、後で、「帽子山」と出るが、そうした条件に似たものならば、栃木県日光市川俣にある大王帽子山(さんのうぼうしさん:グーグル・マップ・データ航空写真)があるものの、どうも近くの駅に急行が止まらないという辺りは甚だ不審であり、このロケーションは春生が適当に仮想したものと思われる。]
駅に降り立つと、さすがに東京と違って空気が澄明で、パクパク吸うと非常においしい。下車したのは二十人そこそこで、あまり喧伝されずにひなびているというのが、木村の説明であった。
駅前はちょいとした商店街になっている。帽子高原はここから更にバスで一時間の行程だ。バスを待つ間、リュック姿の女三人連れに、彼は話しかけた。
「どちらに行くんだね?」
「あたし達、大帽子山に登る予定なの」
「キャンプする予定なのかい?」
「そうだけど、初めてのコースで、どこでキャンプしていいのか、見当がつかないのよ。小父さん、ここらに委しいの?」
「いや。それほど」
女たちが気軽に応じるのも、旅の解放感からだろう。三人ともそれほど美人じゃなかった。一人は軽いすが眼だし、次のは色が黒く、もう一人はちんちくりんであった。山名君のことを小父さんと呼んだのは、そのちんちくりんで、彼は多少げっそりした。山名君は四十に垂々(なんなん)としているが、まだ自分では青年のつもりなのである。
やがてバスが来た。数年前流行した『田舎のバスは……』云々という歌を連想させるようなボロ車で、皆はそれに乗り込んだ。これは揺れそうだと思ったら、果して大揺れで、道がてんでなっていない。穴だらけだ。穴にタイヤが入ると、がくんと腰にこたえたり、身体ごと飛び上ったりする。数時間の立ちん坊の揚句だから、彼はへとへとになったが、土地の人は平気だし、三人の女達はキャアキャアとはしゃいで、ジュースを飲んだり、菓子を食べたりしている。彼にもチューインガムを呉れたが、くちゃくちゃ食べていると舌を嚙みそうなので、辞退した。
やっと終点の帽子村に着いた。山名君はよろよろと降りた。帽子村は帽子高原の入口で、戸数五六十軒の村である。唐もろこしの葉末を渡って来る風は、さわやかで秋のような冷気を帯びている。彼は深呼吸をした。やっと到着したという安堵感からだ。そこへさっきのすが眼嬢が近づいて来た。
「小父さんはここに泊るの?」
「いや。僕はもう少し上に、別荘を持っているんだ」
「まあ。別荘を!」
すが眼はびっくりしたような表情になった。どう見てもくたびれた中年の薄汚れたようなのが、別荘を持っていようとは、彼女には意外だったらしい。山名君は得意げに胸を張って答えた。
「そうだよ。対山荘という名なんだ」
それから彼は、木村が借りて呉れた地図を取り出し、部落の店の位置を探した。〈何でも屋〉と言う屋号で、日用品や食料品、貨蒲団なども貸して呉れる、という木村の話であった。三人の女は向うで何かこそこそ相談しているようだったが、彼が〈何でも屋〉の方に歩き出すと、ぞろぞろと送り狼のようについて来る。
彼がそこで米や味噌や干魚などを買い求め、蒲団の交渉をし始めると、店の主人が、 「どちらにお住まいで?」
「対山荘だよ」
「対山荘?」
主人は眼をぎろりとさせた。
「あのバケ、いえ、木村先生の――」
「うん。あいつは一年の予定で、パリに行ったんだよ。そこでこの一夏、僕が借りることにしたんだ。今まで木村は毎夏来てたのかい?」
「へえ」
主人は困ったような顔をした。
「まあいらっしゃっても、一日か二日泊って、それでお帰りになるようですな。あの方は淋しいところが、あまりお好きじゃないようで――」
「一日か二日か。ぜいたくな奴だなあ、あいつも」
主人が貸蒲団を取りに立つと、向うでごそごそしていた三人女のすが眼が、皆を代表するといった恰好(かっこう)でつかつかと彼に近づいて来た。
「小父さん。ひとつ頼みがあるんだけれど」
「何だね?」
「あたしたち三人で、蒲団を運んだげるから、小父さんの別荘に泊めて呉れない?」
「え。うちに泊りたいと言うのか」
「そうよ。立派な別荘なんでしょ。キャンプするのが面倒くさくなったのよ」
「ふん」
山名君は考え込んだ。木村の話では三間か四間あるという話だったし、一部屋ぐらい泊らせたって、何と言っことはなかろう。かえってにぎやかで、愉しいかも知れない。
「そうだね。泊めて上げてもいいよ」
「わあ。うれしい」
「話の判る小父さんだわあ」
女達は口々に喜んで、飛び上った。そして貸蒲団をそれぞれ肩にかついだ。大きなリュックを背負った上に、貸蒲団をかつげるのだから、戦後女性の休力も強くなったものである。
山名君は三人の強力(ごうりき)を従えた侍(さむらい)大将みたいな気分になり、山荘の方向に意気揚々と歩き始めた。背後から女たちの会話が聞える。
「ねえ。おスガ。うまく行っただろう」
「何言ってんのさ。チビ。あたしの交渉がうまかったからよ。ねえ。黒助」
どうもおスガとはすが眼女のこと、チビとはちんちくりんのこと、黒助は色黒い女のことらしい。男同士であだ名をつけるのは普通だけれど、女同士でつけ合って、それをかげでこそこそ使用せず、おおっぴらに呼び合うなんて、戦前にはあまりなかったことだ。
山荘は村落から約千メートルほどの距離で、林間のだらだら坂を登る。うしろで話しているのが聞える。
「しかし、ポンと頼みを聞いて呉れるなんて、なかなかいかすおっさんだよ」
「どんな別荘だろうねえ。今日は一風呂浴びたいわ」
「物見遊山(ゆさん)に来たんじゃないよ。チビ。山登りが目的だぞ」
「知ってるよ。でも相手が別荘だろ。風呂ぐらいはありそうなもんじゃないか」
「何だね、二人とも。つまらんことで喧嘩するんじゃない」
[やぶちゃん注:「田舎のバスは……」三木鶏郎作詞作曲で、中村メイ子(旧芸名表記)が昭和三〇(一九五五)年に歌ってヒットした。YouTubeのsabo yobo氏のこちらで、蓄音機の演奏で聴け、歌詞は「J-Lyric.net」のこちらで総てが視認できる。]
山名君は語る。
『ニッコウキスゲの咲き乱れた草原を横切り、別荘に近づくにつれて、僕は期待と同時に、ある大きな不安が影のように、頭上にかぶさって来るのを感じました。だって小生も彼等と同じく、その山荘を見たことがないんですからねえ。どうぞ立派な山荘であって呉れるように。快適な風呂場がくっついていますようにと、内心祈りながら歩を進めていました。これは見栄じゃない。僕自身の一夏の生活にかかわって来るんですからな。
やがて落葉松(からまつ)や白樺や栗の木の彼方に、赤い屋根が見えて来ました。
「あっ。あれだ。あれが対山荘だ」
と僕は思わず叫びましたよ。折しも夕陽が屋根に照り映えて、きらきらと光る。僕らは元気を取り戻し、ほとんど走るようにしてその建物に近づいた。古ぼけた木柵があって、門柱が二つ立ち、ひとつには「木村」と、ひとつには「対山荘」と書いてある。そこを入って建物の前に立った時、僕は大げさに言えば、愕然としましたね。
「あ。こりゃ相当ガタが来てるなあ」
古ぼけていると木村は言っていたが、古ぼけているという程度のものではありません。今まで樹々に隠されてるから判らなかったけれど、ペンキは剝げ落ち、建物全休はピサの斜塔ほどじゃないが、東の方に傾いている。かなりがっしりした材木を使ってあるのですが、なにしろ戦前も戦前、三十年ぐらいは経っているらしく、それに年中ほとんど無人と来ていますから、ガタが来て傾くのも当然でしょう。屋根はトタンぶきで、ところどころサビが来て、さっききらきち光ったのも、夕陽がうまい具合に射したからで、屋根自身が光ったわけじゃありません。私はがっかり、また面目を失したような気分で、リュックを外して腰をおろすと、女の一人が呆れたように言いました。
「これが小父さんの別荘なの?」
「そうだよ」
「別荘と言うと、白樺林に取り囲まれた、もっとカッコ好い建物のことじゃない?」
「そうねえ。これ、まるで山賊小屋みたいね」
山賊小屋とはひどいことを言いやがる、と思ったんですが、当の僕ですらそんな感じがしたのだから、仕方がない。
「山賊小屋で悪かったねえ。それじゃキャンプにすればいいじゃないか」
「小父さま。怒ったの? ごめんなさい」
おスガがとりなしました。
「チビってあわてん坊でね、第一印象で直ぐ口をきくんだから」
「山賊小屋でもいいよ」
チビが恐縮しているのを見て、僕は若干気の毒になりました。
「どうせとれは僕の別荘じゃないんだからな。友達のを一夏借りたんだ」
まったく余計なことを言ったもんです。それからやっこらしょと立ち上り、木村から預った鍵で入口の扉をあけた。ぷんと古くさい空気のにおいが、そこらにただよいました。
家の中は割合よく片付けられていました。とっつきの部屋が板の間で、卓だの椅子だのが置いてあり、暖炉の如きものもついている。そこから廊下となり、右手に畳敷きの部屋がある。突き当りが台所で、そこから鉤(かぎ)の手に曲って、アトリエ風の部屋がくっついている。これはベッドつきです。早速僕はこのアトリエを自分の部屋ときめた。僕は貸布団をベッドに運ばせて、女どもに言いました。
「ここは僕が使う。君たちは畳敷きの部屋に泊れ」
それから窓を開くと、一望千里のすばらしい眺めで、左手に丸くそびえ立つのが大帽子山、右手になだらかに盛り上っているのが小帽子山です。庭は一面ニッコウキスゲや、名も知らぬ草花が点々と咲いています。あたりはしんと静かで、
「ああ。いいところに来たなあ。ここなら存分風景画が描けるぞ」
と思わず呟(つぶ)いたぐらいです。
すっかり満足して、あちこち見回していると、台所のすぐ裏手にドラム罐(かん)が立ててある。何だろうと思って、台所口から出て見ると、これがどうも風呂らしい。石を組んでドラム罐を持ち上げ、その空間が焚(た)き口で、黒くすすけています。僕は大声で女どもを呼びました。
「おおい。風呂場があるぞ。入りたきゃ自分たちで沸かせ」
女たちは早速飛んで来ました。一目見ると、びっくり顔になって、三人で顔を見合わせています。チピが何か口を出そうとして、おスガに、
「しっ!」
とたしなめられた。おそらく第一印象を口走りたかったのでしょう。ざまあ見ろと思って、僕はそのままアトリエに引込みました。窓からそっとのぞいて見ていると、何かこそこそと相談しているようでした』
「で、その別荘には、水はあるのかい?」
「ええ。村営の水道の本管が、すぐ近くを通っていてね、水源池は大帽子山の麓(ふもと)にあるのです」
山名君は冷えた茶をがぶりと飲んだ。
「本管から水を引いて、蛇口から出ることになってるんです。つめたくていい水ですよ。東京のカルキ臭い水道の水とは、くらべものにならん」
「そりゃくらべものにならんだろう。それで風呂の方は、どうした?」
「沸かしましたよ、もちろん。それで僕が真先に入って――」
「でも、焚いたのは、女性たちだろう」
「そうですよ。しかし僕がその別荘の主ですからね。優先権がある」
山名君は鼻をうごめかした。
「それから庭に出て、飯盒で自炊しようとすると、女たちが今から入浴するんだから、見ちゃいけないと言う。冗談じゃない。僕はこれでも画家だから、女の裸なんか見飽きていると答えると、信用しないんですな。飯はつくって上げるからと、三人がかりで僕をアトリエに押し込んでしまいました。近頃の女と来たら、力が強いですねえ。それに多勢に無勢(ぶぜい)だし――」
「いくら多勢に無勢と言っても、だらしないじゃないか。たかが女の力で――」
「いえ。彼女らが入浴しているのを、窓のすき間から、こっそりのぞいて見たんですがね。その休格のいいこと、腕や股の太いこと、まるで女金時(きんとき)みたいでした。あんたみたいな瘦せっぽちなら、一対一でもかないっこありません」
「いやだね。君にはのぞき趣味があるのか」
「趣味じゃないですよ。参考までに観察しただけです」
「さあ。どうだかね。それで、その晩の飯はつくってもらったのか」
「もちろんですよ。約束ですからね。しかしなかなか飯が出来ない。僕は腹ぺこになって、いらいらしてアトリエをぐるぐる歩き回っていると、やがて黒助がやって来て、小父さま、食事が出来ましたから、どうぞおいで下さいと言う。もう外は暗くなっていました。そこで飯だけもらって、自分ひとりで食べりゃよかったんだけれど、ついのこのことついて行ったのが、運のつきでした」
『ついて行って見ると、食事場は暖炉のあるれいの居間で、ふと卓を見ると、罐詰が切ってあり、でんと安ウィスキーの大瓶が乗っている。さっきの〈何でも屋〉で買い求めたのでしょう。僕は呆れて言いました。
「何だ。君たちはウィスキーを飲むのか」
「ええ。飲みますよ。飲んじゃいけないんですか?」
とチビが言いました。
「いえ。小父さんに感謝の意味もあるのよ」
おスガがつけ加えました。
「小父さんはアルコール、おきらい?」
「いや。きらいじゃないが――」
僕は椅子に腰をおろした。
「君たちはあんまり飲むと、明日大帽子山に登れなくなるぞ」
「大丈夫ですよ。まあ、小父さん、一杯」
コップにごぼごぼと注がれでは、もう飲まないわけには行きません。すきっ腹だから用心のために、台所からつめたい水を運ばせて、水割りにして、クジラの罐詰なんかをつまんで飲んでいる中に、だんだん酔いが回って来ました。高原の別荘という静かなムードが、それに拍車をかけた傾向もあるようです。女たちもよく飲み、よく食べました。その時の会話によると、女たちはどこかの劇団の女優のタマゴみたいなもので、テレビにも時々出演すると言う。何だかそれを得意にしているような口ぶりなので、僕も対抗上自分の画歴について語り、あるいは仲間の話や、木村からこの別荘を借り受けたいきさつなども、しゃべったような気がします。チビがこう言ったのを、かすかに覚えています。
「タダでこんな立派な別荘が借りられるなんて、すばらしいわねえ」
何だい、さっきは山賊小屋みたいだと言ったくせに、などと思っている中に、僕はすっかり酔っぱらって、前後不覚になってしまったらしい。
ふっと眼が覚めたら、アトリエのベッドの上で、蒲団にしがみつくようにして寝ていました。宿酔で頭が重く、ふらふらと立ち上って台所に行き、つめたい水をがぶがぶと飲みました。女どもはどうしているかと、居間の方に行って見たら、卓の上ににぎり飯が三箇置いてあって、
「朝のオニギリをつくりました。召し上って下さい。わたしたちは今から大帽子山に登って来ます。午前七時」
やはり若さというのは強いものですねえ。昨夜彼女たちも酔っぱらって、ドジョウすくいやツイストを踊ったくらいなのに、今朝は早々と起き出て弁当をつくり、山登りに出かけた。乱暴なガラガラ女たちと思っていたのに、ニギリ飯を宿代に置いて行くなんて、割にしおらしいところもある。そう感心して、ニギリ飯を食べかけたが、宿酔のせいで一箇平らげるのがせいぜいでした。
また水を飲んで庭に出ると、いい天気で、彼方に大帽子小帽子の稜線が、くっきりと見える。僕は早速スケッチブックを取り出して、スケッチを始めました。一応スケッチに取り、二三日中に本式に画布に取組もうという心算(つもり)なのです。
そして午後二時頃でしたか、腹がへって来たので、居間に入って残りのニギリ飯を食べていると、
「ごめん」と言う声がして、若い男が扉をあけて入って来ました。
「電力会社の者ですがね、電燈代を徴収に来ました」
「ああ。そう」
私はアトリエから金を持って、戻って来ました。
「昨日ここに来たばかりなのに、もう電燈代を取るのかね?」
「いいえ。これは昨年の八月から、今年の七月分の代金です。別荘の方はそういう決めになってますんで」
「そう。いくら?」
男は伝票を差出しました。見ると七千八百円になっています。僕は驚いて反問しました。
「七千八百円とは、一休どういう計算だね? 木村君は一夏に一日か二日しか暮さないとう話じゃないか」
「あんた、木村さんじゃないんですか?」
「そうだよ。この夏だけ借りたんだ」
「ああ。道理で話が通じないと思った」
男はなめたような口をききました。
「電燈代というのはね、毎月の基本料金の上に、使っただけの料金が加算されるんですよ。だからこの七千八百円の大部分は、一年の基本料金です。お判りですか?」
「ああ、判ったよ。判ったよ」
電燈代はこちら持ちという約束なので、仕方がありません。数枚の千円紙幣が、かくして僕の手から離れて行きました。木村にとっては何でもない金だろうけれど、僕にとっては大金です。
「こりゃ倹約してやって行かねばならないぞ。地代のこともあるし」
徴収人が帰ってから、僕は思いました。
「ここでいい作品を仕上げて、モトを取らなくちゃ」
嚙みつくような勢いで、残りのニギリ飯を食べ終え、また庭に飛び出し、スケッチを再開しようとすると、山や空の色がもう変っていて、帽子連山の稜線がぼやけています。山や高原の気候の変化は、烈しいものですねえ。しばらく色鉛筆を置いて、雲の動きなどを眺めていると、白い雲は流れ去り、何だか黒っぽい雲が大帽子山の頂上にかかり、やがて山頂をすっぽりと包みかくすように垂れて来たですな。
「ははあ。山では雨が降り始めたんだな。だから山と言うやつは、用心しなくちゃいけない」
あの三人女のことが少々心配でしたが、朝の七時に出発したんだから、もう山を降りて、もしかすると今頃は町行きのバスに乗っているかも知れない。そう思ってスケッチはやめ、アトリエに戻り、ベッドに横になっていました。しばらくうとうとしていたようです。急に部屋の中がしめっぽくなって来たので、驚いて起き上り、窓の外を見ると、一面に霧がかかっていて、帽子連山はおろか、五十メートル先の樹の形さえさだかに見えないくらいで、むき出しにした二の腕がつめたい。あわててリュックからセーターを出し、それをまとめて、〈何でも屋〉の方に走り降りました。炭やタバコを買うためです。買ったあとで、
「昨日の三人女、今日ここを通らなかったかね?」
と主人に聞くと、今日は姿を見ないとの返答で、そんな世間話をしている中に、外は霧雨となりました。全くここらの気候は、予測し難いものです。やむなく番傘をひとつ買い求めた。実際別荘生活というものは、金がかかるものですねえ。何かあると、一々新規に買わなくちゃいけない。
ぶらぶらと対山荘に戻って、台所のコンロに炭火をおこし、飯をたいて干物(ひもの)を焼いていると、入口の方でがやがやと騒がしい声がする。飛んで行って見ると、あの三人女です。アノラックは着ているけれども、全身ずぶ濡れで、まるで水から引き上げられた犬みたいに、ぶるぶるっと雨滴を板の間に弾き飛ばしていました。
「何だ。今頃帰って来たのか」
僕はあきれて嘆息しました。
「朝七時から出かけて、今まで何をしてたんだい?」
「頂上近くのお花畑で、昼寝をしてたのよ」
アノラックを脱ぎながら、黒助が言いました。おスガもチビも不機嫌そうに、衣類の始末をしています。
「昼寝だなんて、のんきだなあ」
「チビのやつが言い出したのよ」
おスガがぷんぷんした口調で言いました。
「チビ助は雨女(あめおんな)のくせに、昼寝しようと言い出して――」
「何さ。雨女はお前じゃないか!」
チビが言い返しました。
「この間高尾山に登った時も、帰りはどしゃ降りじゃないか。もうおスガと一緒に山登りするのは、御免だよ」
「まあ、まあ、どちらが雨女か知らないが――」
僕は取りなしてやりました。
「早く着換えて、帰る準備をした方がいいよ。最終のバスは七時五十分だから」
「あら」
「そりゃ約束が違うわよ。おっさん」
小父さまからとたんに、おっさんに転落したんですから、面くらいましたな。陰でこそこそならともかく、正面切ってですからねえ。
「な、なにが約束が違うんだ」
僕はどもりました。
「そんな約束をした覚えはないぞ」
「昨夜したじゃないの」
とチビがまなじりを上げて言いました。
「どうせタダの別荘だから、ゆっくりして行きなさいと、そう言ったじゃないの。少し酔っぱらっていたけどさ」
「少しじゃないわよ。酔って動けなくなったのを、三人でアトリエにかついで行ったのよ」
アッと僕は内心驚きました。どうも記億にないと思ったら、この連中にかつぎ出されたとは、一代の不覚です。
「だからあたしたち、当分ゆっくりするわよ。そしてどちらがほんとの雨女か、はっきりさせてやる」
おスガがチビをにらみました。
「おい。チビ。〈何でも屋〉に一走りして、焼酎を買って来い」
「イヤだよ。飲みたきゃ自分で買って来な」
そこで一悶着ありそうでしたが、結局クジ引きということになって、買い番は黒助に当りました。黒助はうらめしそうに着換えをしながら、
「小父さん。淑女たちの着換えの場面は、男性は遠慮するのがエチケットよ」
「そうよ。そうよ。昨日も窓からのぞいてたわよ。卑怯ねえ」
こんなのが淑女と自称するのですから、驚き入ります。僕はさんざん言いまくられて、台所に戻って来ると、干魚は真黒に焦げて、反(そ)りくり返っていました。忌々(いまいま)しいったら、ありゃしません。仕方がないので、それをポイと窓の外に放り捨て、タクアンをせっせと刻んでいると、おスガがやって来て、コンロを貸して呉れと言う。何を焼くんだと訊ねると、肉を煮るんだと言う。
「肉があるのか。うらやましいなあ。少し分けて呉れないか。タクアンだけで飯を食うのは佗(わび)しい」
「そうね。他ならぬ小父さんのことだから、御馳走して上げるわ」
というわけで、やがて黒助が焼酎瓶やネギをぶら下げて戻って来て、コンロを居間に運び、スキヤキが始まりました。僕も飯盒(はんごう)を持ってそれに参加しましたが、また焼酎を飲まされて、飯なんかどうでもよくなりました。肉は硬くて筋があって、そのくせ脂肪があまりない。聞いてみると馬肉だそうで、焼酎を牛飲して馬肉を馬食するなんて、とんだ淑女もあればあったものです。
そこでまた雨女談義となり、結局おスガが大帽子山、チビが小帽子山に登り、どちらが雨に降られるか、それで決定しようと言うことになりました。その判定役として、僕と黒助が途中のイガグリ峠で待機するということになり、酔っていたもんですから、僕もうっかりとその役目を引受けた。
最初の夜のウィスキーと言い、その夜の焼酎と言い、僕を酔っぱらわせて、この別荘に居直ろうという謀略のにおいが感じられてなりません。うかうかとその手に乗ったのが、僕の不徳と言えば言えますが。――』
「そうだよ。君は酔っぱらうと、すぐだらしなくなるからな」
私は山名君をたしなめてやった。
「折角静寂を求めて高原に行ったのに、何にもならないじゃないか。そんな苦労をしたせいで、夏瘦せしたと言うのかい?」
「いえいえ。こんなのは序の口ですよ」
彼は口をとがらせた。
「ほんとの高原の災厄は、これから始まるんです」
山名君は忌々しげに私の庭に、ぺっと唾をはいた。
[やぶちゃん注:「唾」は底本では「睡」であるが、誤字と断じて訂した。]
雨 男
「そうか。それが災厄の序の口か」
私は縁側から腰を上げながら言った。
「そろそろ暗くなって来たし、続きは書斎で聞こう。まあ上りなさい」
風も少し冷えて来た。庭樹の葉がさらさらと鳴る。
「こちらは日の暮れ方が早いですなあ。帽子高原にいた時はこんなものじゃなかったです。七時になってもまだまだ明るかった」
「そりゃそうだよ。夏は一番日が長い季節だ。早く日が暮れるのは、東京の責任じゃない」
「そりゃそうですがね」
山名君も腰を浮かせた。
「しかし、それだけじゃないですよ。空気の澄み方が違う。あちらは澄んでいるから、光線がいつまでも透き通るが、東京は空気がきたないですからな。ガラスにたとえると、東京の空気はすりガラスです。てんでくらべものにならん」
何だ、一夏高原に過ごしたからと言って、東京をそんなに蔑(さげす)むことはなかろうと思いながら、私は書斎に入った。山名君もとことこ上って来て、私に向ってあぐらをかき、大切そうに風呂敷包みをそばに置いた。私は訊(たず)ねた。
「何だい、それは」
「酒瓶ですよ」
彼は得意そうに、ゴソゴソと風呂敷を解いた。中からうやうやしくウィスキーの瓶を取り出した。
「なるほど。久しぶりにウィスキーを一緒に酌(く)み交そうと言うわけか」
と私は頰をむずむずとほころばせた。彼は本来はケチなのに、それを押しての好意がうれしかったのである。
「『淋しさに宿を立ち出でて眺むれば、いづくも同じ秋の夕暮』だからな。飲みたくなるのも当然だ」
「いえ。一緒に酌み交そうというんじゃないんです」
山名君はあわててさえぎった。
「誰もそんなことは言わない。第一これはウィスキーじゃないですよ」
「何だい? するとそれはタダの井戸水か?」
「水じゃありませんよ。焼酎です。しかしタダの焼酎じゃない」
もったいをつけて私にその瓶を手渡した。
「中を透かして御覧なさい。何か入っているでしょう」
私は瓶をかざして、窓の外にむけ、眼を凝らした。中にはミミズ状のものが身をくねらして、うねうねと液休にひたっている。私は少々気味が悪くなって、瓶を机の上に戻した。
「何だね、これは。回虫か?」
「回虫だなんて、そんなものを漬けて、何になりますか。薬屋の広告見本じゃあるまいし」
憤然と口をとがらせた。
「マムシですよ。つまりマムシ酒というわけです。ホンモノですからねえ。高価なもんですよ」
「マムシ酒か。うん。水漬(みづ)くカバネでなく、酒漬くマムシか。それなら安心だ。話にはよく聞くが見るのはこれが初めてだ。なるほどねえ」
私はふたたび瓶を打ちかざした。よく見れば回虫などでは決してなく、まさしく蛇の形である。
「ずいぶん小さな、可愛らしいマムシだねえ。子供蛇だね。君がつかまえたのかね?」
「マムシというのは元来小さな蛇ですよ。可愛いなんてとんでもない。これでも猛毒があって、嚙まれると七転八倒の苦しみの後、数時間で死んでしまう」
彼は私の無知をせせら笑うようにして説明した。
「そんな猛毒の蛇を、素人(しろうと)がとらえられるとでも思ってんですか。帽子高原の人に貰ったんですよ」
「そうか。そうだろうと思った。しかし得をしたなあ。そんな大切な酒を僕に呉れるなんて、いつもの君にも似合わない――」
「いつ上げると言いました?」
机の上から山名君は瓶を取り戻した。
「盃(さかずき)に一杯だけ、飲ませて上げようと思って、はるばる持って来たんですよ」
「なんだ。やっぱりケチだなあ。盃一杯だなんて。せめてコップに一杯か二杯――」
「と、とんでもない」
彼はまた口をとがらせた。
「コップに一杯も飲めば、のぼせて鼻血が出ますよ。なにしろ精の強い蛇ですからねえ。あんたなんか、盃一杯でも多過ぎるくらいです。僕もこの間二杯飲んだら、身体中がカッカッなって、夜も眠れなかった。とにかく盃を持って来ます」
彼は立ち上って、勝手にわが家の台所におもむき、盃二つと清酒の一升瓶、コップを出し、それから棚や冷蔵庫の中からつまみ物数種を皿に入れ、書斎に戻って来た。彼は他人のくせに、わが家の台所については私以上にくわしく、どこに何がしまってあるか、手に取るように知っている。好奇心に富んでいるというか、図々しいというか、まことにふしぎな人物である。
つまりマムシ酒をダシにして、うちの酒を飲もうという魂胆が、これではっきり知れた。私は多少にが虫をかみつぶした表情になったのだろう。彼は盃を二つ机の上に置き、猫撫で声で私にすすめた。
「さあ、どうぞ。マムシ酒を一杯」
私は盃を手にした。山名君は大切そうに、薄茶色の液体をとくとくと注いだ。盃を口のあたりまで持って来ると、ぷんと生ぐさいにおいがした。
「へんなにおいがするな。これ、大丈夫か」
「大丈夫ですよ」
彼は自分の盃にもそれを充たした。
「マムシの精のにおいです。これはまだつくって三年しか経っていないので、においも味も薄いですが、十年酒ぐらいになると、蛇身がすっかりとろけて、酒にしみ込んで、水にでも割らなきゃ、とても飲めたものじゃありません。こうやって飲めばいいんですよ」
山名君は鼻をつまんで、ぐっとあおった。そして鼻から手を離して、深呼吸をした。
「なるほど」
私も真似をして、ぐっと飲み干した。鼻をつまんでも、生ぐさいものが口の中から食道に、パッとひろがるのが判った。私もあわてて深呼吸した。
「さあ。口直しにどうぞ」
すかさず彼はコップに清酒を注ぎ、私に差し出した。私は飛びつくようにして、ゴクゴクと飲んだ。においが少しは消えた。
「うまいでしょう。におい消しには覿面(てきめん)でしょう」
彼は得意そうに、また押しつけがましい口調で言い、自分のコップの分もうまそうにあおった。
「うまいでしょうたって、これはおれの酒だよ」
私は手荒く酒瓶を引き寄せて、自分のにまた注いだ。
「君からうまいのまずいのって、説教される覚えはない」
「そりゃあんたの酒ですよ。あんたの台所から持って来たんだもの」
頰をふくらませた。
「僕はお宅の酒の味をほめているんですよ。それなのに、何を怒っているんですか?」
うんざりして、何も言うことはなくなって来た。他人の言葉には敏感に反応するくせに、他人には実に図々しい発言をする。これが山名君の特徴なのである。私は南京豆をつまみながら言った。
「それで、帽子高原の方は、どうなったんだ。女どもは山に登り、君はイガグリ峠まで行ったのか?」
「行きましたとも」
もう一杯飲みたそうな風情だったが、私が酒瓶を握りしめて離さないので、未練げに視線をうつむけ、マムシ酒を風呂敷につつみ込んだ。
「これからが面白いんですがね、でも、お仕事の邪魔でしょう。これでおいとま致します」
「おいおい。待って呉れ。折角(せっかく)話が佳境に入って来たのに」
仕方がないから手を伸ばして、彼のコップにもこぼれるほど注いでやった。彼はにやりとして、口をコップに近づけ、チュウとすすった。
「とにかく大変でしたよ。イガグリ峠と言ってもね、そんじょそこらにあるようなラクな峠じゃない。なに、野猿峠くらいだって? あんなのとは、くらべものにならんです。標高千八百メートルぐらいはあるんですからね」
「おスガが大帽子、チビが小帽子だったね」
「そうです。それでその翌朝、朝五時に起きましてね――」
[やぶちゃん注:「淋しさに宿を立ち出でて眺むれば、いづくも同じ秋の夕暮」ご存知「小倉百人一首」七十番の良暹法師(りょうぜん 生没年不詳:比叡山の僧で、祇園別当となり、後には大原に隠棲した。歌人として活躍し、長暦二(一〇三八)年の「権大納言家歌合」など、多くの歌合にも出詠している。私撰集「良暹打聞」を編み、家集も存在したが、孰れも現存しない。勅撰集には三十一首が載る)の一首。出典は「後拾遺和歌集」巻第四「秋上」(三三三番)。
「野猿峠」(やえんとうげ)は東京都八王子市南東部の多摩丘陵西部にある峠。京王電鉄京王線とほぼ平行する標高百七十~二百メートルの尾根にあり、大栗川(おおくりがわ)流域を通る野猿街道が八王子市北野へ抜ける峠である。その名の如く、嘗つては、野生の猿の遊ぶ所であったが、第二次世界大戦後の急激な都市化によって、峠の周囲に住宅団地が形成されて地形をすっかり変えてしまい、昔の面影は全くない。僅かに峠の南の野鳥料理がその名残である(小学館「日本大百科全書」に拠った)。「今昔マップ」の戦前の地図の、この中央の「手ノ平松(鳶松)」とあって標高(200.9)とある当たりが、高度からもそれらしい。お疑いの向きは、グーグル・マップ・データのここをご覧あれ。交差点に「野猿峠」とある。]
『五時と言っても、今時の五時でなく、夏の高原の五時ですからねえ。もう外はすっかり明るい。庭に出て見ると、昨夜の雨はすっかりやんで、空は晴れ、空気がピンと澄み通っています。大、小の帽子山が手に取るように近くに見えます。急いで御飯をたいてオニギリをつくり、え? 僕がじゃありません。つくったのは女どもです。それから登山支度をととのえて、と言っても僕は判定役ですから、何も持たず、オニギリや雨具も一切女たちのリュックに入れてもらい、〈何でも屋〉におもむき、オカズやジュースその他を買いました。
僕はステッキ一本の軽装です。
おスガとチビはその店で、安帽子を一個ずつ買いました。それぞれ頂上に置いて来て、登頂の証拠にしようというわけなのです。別荘にとって返し、水筒に水を入れ、いよいよ出発ということになりました。
「いくら何でも手ぶらじゃおかしいわ。水筒くらい自分で持ったらどう?」という女たちの言葉を容れて、僕も水筒だけは肩にぶら下げることにしました。
別荘の裏手からだらだら坂の径(みち)となり、野原に出ると、ニッコウキスゲ、オミナエシ、月見草、ゲンノショーコなどが一面に咲き乱れています。女どもは植物については何の知識もないようで、
「あら。可愛い花」
などとゲンノショーコをほめたりするものですから、僕が教えてやりました。
「それはゲンノショーコと言ってね、その根を煎じてのむと、腹の薬になるんだよ」
「あら。そうなの。薬草なのねえ」
おスガが言いました。
「チビなんか、休が小さいくせに、大食いばかりして、しょっちゅうお腹をピーピーこわしてるじゃないの。帰りにたくさん取って帰って煎じてのんだらどう?」
「なにさ。大食いはおスガじゃないか。バカにしてるわ」
そんなおしゃべりをしている中に、道はだんだん林の中に入り、険しくなって来ました。渓流に沿い、ジグザグ道を登るのですが、そのジグザグがえんえんと続くものですから、先ず僕が顎(あご)を出し始めた。二日酔いの気もあるし齢も齢ですからねえ。咽喉(のど)がやたらに乾くので、水筒の水を飲み飲み、後に遅れじと脚にムチ打ってつづく。
女どもですか。やはり若さということは、元気なものですねえ。トットコトットコ、汗一粒も流さず、ぐんぐん登って行く。ついにたまりかねて、僕は大声を出しました。
「待って呉れえ。ここらで一休みしよう。水筒の水もなくなったよう」
三人は立ち止った。黒助が戻って来て、
「まあ汗だらけじゃないの。小父さん。今からへばっちゃ、後が思いやられるじゃないの」
「だって、つらいんだから仕様がない」
「大切な水筒をもうカラッポにするなんて、常識外(はず)れだわ」
黒助はつけつけと言いました。
「じゃ、あたいが汲んで来て上げるから、水筒をこちらにお寄越し?」
つけつけした口はきくけれど、割に黒助は親切気のある女なのです。そこで二人に追いついて、大休止ということになりました。黒助は身軽に渓流へ降りて行った。昨夜の雨のせいか、流れは岩をかみ、白いしぶきを立て、とうとうと流れています。もうここらは林相が一変して白樺がなくなり、赤樺の巨木がニョキュョキと立っていて、水の音、まれに鳥の声以外は、何も聞えません。
僕は苔(こけ)の上にぐったり横になっていましたが、女たちは全然消耗してなくて、じっとはしていません。林の中に入り込んで、花をつんだり、キノコを採ったりしていました。
「小父さん。このキノコ、食べられる?」
チピがにゅっと一本のキノコを突き出したが、キノコに関しては僕もあまり知識はない。
「さあ、よく知らないが、食べない方がいいんじゃないか。山荘で皆で食べて、ひっそりと死んでたりすると、山中湖事件じゃないが、大騒ぎになるぜ」
「そうねえ。でも、もったいないから、持って帰って、ジャンケンして負けたものが食べることにしない?」
チビは食い下りました。若さというものは、強いと同時に、無鉄砲なものですねえ。
「いっしょにゲンノショーコをのめば、食中(あた)りをしないですむんじゃない?」
「じゃ、そうすればいいだろ」
僕はつっぱなしました。
「しかし、おれはジャンケンの仲間には入らないよ。君たちは毒キノコのこわさを知らないな。ゲンノショーコなどで追いつくものか」
これでチビもあきらめたようです。林に向って叫びました。
「おおい、おスガ。これ、毒キノコだってさ、採るのはやめにしなよ」
やがて黒助が渓流から崖を登って来て、僕に水筒を渡しました。見るとスラックスの裾がずぶ濡れになっています。
「ほんとに苦労させるよ」
黒助はこぼしました。
「岩はすべるし、流れは早いしさ。小父さん、もうあんまりがぶがぶ飲むんじゃないよ」
「そうよ、そうよ。口ばっかりが達者で力はないのよ。小父さん、齢はいくつ?」
さんざんいじめられて、僕はもう形なしです。それからまた出発。道はますます険しくなり、台風でもあったのか、道は倒木に埋められて、それを器械体操か軽業のように乗り越えて行かねばなりません。
僕はしばしば悲鳴を上げて、小休止を要求し、やっとのことでイガグリ峠に到着しました。
イガグリ峠は一面の草原で眺望がよくきくのです。大帽子山、小帽子山。またはるか下方にきれいな池が見えます。聞いてみると、黒髪池と言うのだそうで、それがしきりに僕の画欲をそそりました。
「僕はここで待ってるよ」
一本落葉松(からまつ)の下に腰をおろして、僕は言いました。
「僕の食糧や飲み物、スケッチブックその他を、出して呉れ。おスガにチビは登って来い」
「もちろん登るわよ。おスガ。帽子を置いて来ることを忘れるな」
「合点だ」
おスガは雲助のような言葉で言いました。
「黒助はどうする?」
「あたしゃ小父さんとここに一緒にいても仕様がないから、黒髪池に行って見るよ」
「そうだね。こんなとこに男性と一緒にいたら、あぶないからね。では」
いつもは男あつかいにはしないくせに、こんな時にだけ男性あつかいにするのですから、勝手気ままもはなはだしい。何か痛烈なことを言って返してやりたかったのですが、くたびれていて、そんな元気も出なかった。
「バイバイ」
「バイバイ」
と、僕を一本松の下に残して、女どもは三方に別れて出発。やがてその姿は小さくなり、僕の視野から消えました。
僕は芝草の上に長々と脚を投げ出し、弁当を開き、ウィスキーの小瓶の栓をあけました。ウィスキーは咽喉(のど)をやいて胃袋に落ち、やがてほのぼのと酔いが皮膚によみがえって来ました。
「ああ。静かにして孤独なる真昼の宴!」
と僕は心から思いました。真昼といっても、まだ十時半頃です。早起きして、相当に歩いたせいで、もう昼になったような錯覚を起したのでしょう。
「この世に女どもがいなくなると、かくまで平和に、また幸福になるものか」
小瓶一本を飲み干し、弁当をがつがつと食べました。朝はろくに食べてないから、まさにこれは天来の味でした。こんなうまい昼飯を、僕はこの数年来、食べたことがありません。あとはごろりと横になって、白雲の去来するさまを眺めていると、そのまま仙人にでもなったような気がしました』
[やぶちゃん注:「月見草」私の大好きな本当のそれは、六~九月頃に、夕方の咲き始めは白色で、翌朝の萎む頃には薄いピンク色となる、バラ亜綱フトモモ目アカバナ科マツヨイグサ属ツキミソウ Oenothera tetraptera (メキシコ原産。江戸時代に鑑賞用として渡来)であるが、恐らく梅崎春生の言っているのは、孰れも私の大嫌いな、主に黄色の花を咲かせる同属オオマツヨイグサ Oenothera erythrosepala(「大待宵草」。原産地不明だが、北アメリカ中部が措定されている)、丈の低い同属マツヨイグサ Oenothera stricta (「待宵草」。南アメリカ原産)、同属メマツヨイグサ Oenothera biennis(「雌待宵草」。北アメリカ原産)などと推定される。
「ゲンノショーコ」漢字表記は「現(験)の証拠」。フウロソウ目フウロソウ科フウロソウ属フウロソウ節ゲンノショウコ Geranium thunbergii 。当該ウィキによれば、『古来より、下痢止めや胃腸病に効能がある薬草として有名で、和名の由来は、煎じて飲むとその効果がすぐ現れるところからきている』とあり、本種は『白い花を付ける白色系と、ピンク色を付ける紅色系とがあり、日本では、富士川付近を境に東日本では白花が多く、西日本では淡紅、日本海側で紅色の花が多く分布している』とある。
「山中湖事件」ちょっと調べるのに手間取ったが、mitsuhide2007氏のブログ「最近の古いモノは!」の「山中湖の怪死事件」(三回分割なので、御自分で後の二回は読まれたい)で判った。昭和三七(一九六二)年九月十三日午前十時二十分頃、山中湖畔にあった別荘が出火、十一時には鎮火したが、別荘内から十人もの死体が発見され、孰れも仰向けで、頭や首に損傷があり、「助けてくれ」という声を聞いたという証言もあった事件を指す(後にこれは出火通報をした人物の発したものと判明する)。『死体は男女の区別もできないほど、損傷が激し』かったため、後に『司法解剖にかけられ』ている。当日の新聞夕刊には『焼跡に十人の死体。山中湖の別荘。戦後第二の大量殺人?』とし、翌日の記事では『内部からカギ。殺人放火か?心中の巻き添えか?』とあったという(「第二」とは毒物によって十二人が殺害された怪事件「帝銀事件」(昭和二三(一九四八)年一月二十六日に東京都豊島区長崎の帝国銀行椎名町支店で発生)の次の「大量殺人事件」の意)。ほどなく、死体の身元は金融業者(四十三)と、その愛人(四十五)、及び、『バー「リスボン」のホステスと従業員たちであった』(バーの位置は不詳)。九月十一日夜、『金融業者と愛人はバーで飲んで、その後』、『従業員たちと』タクシー二台で『出かけ』、翌十二日午前三時三十分に別荘に到着していた。なお、その『山荘は愛人が管理していた』とある。捜査は二転三転するが、結果だけを言うと、司法解剖によって、全員の死因が一酸化炭素中毒だった。則ち、つけっ放しにしていた『フロ場のプロパンガスが不完全燃焼し、一酸化炭素』が『発生』し、『それが山荘に充満して、中毒死』したのであった。そこに空焚きしていたフロ場から出火が発生、その火災による家屋損壊の際、既に死体となっていた彼らの遺骸が激しく損傷を受けたのであった。さて。悲惨な事故事件だが、一つ興味深いのは、この「雨男」の前篇が発表されたのが、昭和三十七年の十月号、続篇が翌年の三月号なのだが、以上はどう見ても、昭和三十七年十月号分である。今の雑誌もそうだが、十月号は十月一日或いはそれ以前に発行されるのが、普通である。この事件の捜査では、実は出火の再現実験なども行っており、短期に真相が明らかになったわけではないから、梅崎はまさに九月下旬の〆切までにこの原稿を書いたはずだから、まさにアップトゥデイトな「猟奇殺人事件」としてのニュアンスを持った台詞であったと言えるのである。]
『それからうとうとと、僕は二時間ばかり眠ったらしいのです。まぶしいので、ふっと眼が覚めた。僕をおおっていた一本松の影が、太陽の運行と共に移動して、僕の顔はむき出しの日光にさらされていたわけですな。僕は眼をぱちぱちさせながら、上半身を起した。
見上げると、大帽子山も小帽子山も、白い雲が流れているだけで、ほんとに気持のいい好天気です。下方に黒髪池もキラキラと光り、あたりの風物は動かず、耳がジーンとするほどの静かさでした。
「あいつら、雨女などと罪をなすりつけ合っていたが、この世に雨女なんてあるものかい。バカだなあ」
そう呟きながらスケッチブックを開き、帽子山の山容や池の形、高山植物の花の色などを、ゆっくりと写生し始めました。邪魔が入らないので、ゆっくりとスケッチが出来、二時間後に女たちが戻って来るまでに、かなりの枚数が完成しました。
最初に黒助が戻って来て、十分後にはおスガが、
「やっ、ほう。やっ、ほう」
などと、あらぬことをわめきながら、かけるようにして下山して来ました。いささかも疲れた様子は見えません。
「小父さん。待たせて悪かったわね。もう元気は回復したでしょう。チビはまだ?」
「まだだよ」
スケッチブックや色鉛筆を片付けながら、僕は答えました。
「あいつ、また昼寝してるんだな。仕様がないなあ。何かあると直ぐ昼寝をするんだから」
「そうよ。そうよ」
黒助が賛意を表しました。
「それで夜は夜で、大いびきをかいて、寝言なんかを言うんだからねえ」
三人車座になってジュースを飲んだりしていると、三十分ほど経ってチビが小帽子山の方から降りて来ました。おスガがきめつけました。
「また昼寝してたんだろう。全くお前みたいに昼寝の好きな女もめずらしいよ」
「昼寝なんかするもんですか。イイ、だ」
チビは顎(あご)を突き出しました。
「あたしゃね、高山植物の採取をしてたんだよ。もともと植物には趣味があるんでね」
見ると植物が根こそぎ引き抜かれて、チビの手に束になっています。僕は注意をしてやりました。
「おいおい。根こそぎは乱暴だよ。根さえあれば、また咲くじゃないか」
「だって、これ、対山荘に移植してやろうと思うのよ。それにこの根、食べられるかも知れないじゃないの。細いゴボウみたいでさ。少くとも酒のサカナぐらいにはなるわよ」
空には白雲があわただしく行き交(か)って、風も少々ひんやりとして来たようです。そこで出発と言うことになりました。おスガもチビも、自分が雨女でないという証しを立てたものですから、満足して、そういがみ合うこともなく、割に和やかにリュックをかつぎ上げました。
ところが山の天気というものは、判らないものですねえ。
イガグリ峠を出て倒木の道を経て、キノコを採ったあたりの赤樺の林にさしかかると、ポツリと上から垂れて来たものがある。ふり仰ぐと、入り組んだ梢のあわいに見える空が、おどろおどろと黝(くろず)んで、落ちて来たのは虫や鳥のオシッコではなく、まさしく雨の雫(しずく)と知れました。
「それっ。たいへんだ」
「小父さん。走るわよ」
と、三人の女族は呼び交しながら、素早く雨具を着用して、走り出しました。僕もビニールの雨具を着たが、御存じのように無器用なたちでしょう。ボタンをかけ終ってフードをかぶると、女たちの姿はすでになく、雨も次第に烈しくなって来るようです。直接に道には落ちて来ませんが、赤樺その他の樹々の葉にたまって、まとまって大粒になり、ぽたぽたと音を立て始めました。
そこで僕も走り出しました。
その時初めて発見したのですが、山道というのは、登るよりも降りる方がつらいものですねえ。前屈みになる関係上、足先が靴につまって痛いし、石ころや岩の根が足裏にひびくし、それに雨が先回りをしたらしく、つるつるとすべるのです。何度尻餅をついたわ、よろけたりしたか、判らないほどです。
「うば捨て山じゃあるまいし、このおれを放って逃げて行くなんて、何と薄情な女たちだろう」
僕は彼女らをのろいつつ、やっと一時間後に帽子高原に到着、草原を横切って、対山荘に戻って参りました。女たちはもちろん帰着していて、着換えをすまし、食事の準備に大わらわでした。
「おや。小父さん。ずいぶん早かったわねえ」
「すっかり濡れたわね。こちらはこんな小降りなのに」
対山荘付近はパラパラの小降りで、しかしイガグリ峠方面を眺めると、深い霧にとざされていて、つまり女たちは雨に先立って遁走(とんそう)し、僕だけが雨の中をよたよたと走っていたというわけですな。おスガが猫撫で声で言いました。
「ずいぶん冷えたでしょう。焼酎でも飲みましょうよ。でもワリカンよ」
何がワリカンかと、僕も少々腹立ちましたが、こんな女たちを相手に喧嘩するのも大人気ないので、
「ふん。ワリカンか。じゃおれの分、ここに置くよ」
と言い残して、アトリエに引込みました。着換えをしながら台所の方に耳を立てていると、黒助の声で、
「今日は馬肉のナマと行こうよ。サシミがうまいそうよ」
「でも、あのおっさんはナマで食べるかしら?」
「じゃ今日採って来た植物の根を、肉といっしょに煮て――」
これはチビの声です。
「おっさんにあてがっとけばいいよ」
着換えをすませて台所に出ると、チビがせっせと根を切っていたところでした。ゴツンと心にひっかかるところがあって、
「おい。その紫色の花、ちょっと貸して呉れないか。植物図鑑で調べるから」
アトリエに戻って図鑑で探し当てた時、僕は体中がゾーッとして、毛が逆立ちしましたねえ。何とそれはトリカブトの花だったからです。僕はあわてて台所に突進した。
「おい。君たち。これは何の花か知ってるか?」
僕は図鑑のその頁をぴたぴたとたたきました。
「何だか虫が知らせると思ったが、これ、トリカブトなんだぞ。こんなものを酒の肴にあてがわれて、たまるもんか」
「へえ。何なの。そのトリカブトって?」
「知らないのか。無知蒙昧(もうまい)な輩(やから)だなあ。猛毒があるんだぞ。アイヌの毒矢は皆、この毒を使ってるんだ」
「まあ、猛毒だって?」
三人の女は大あわてして手を洗い、各々部屋に戻って、それ赤チンを、それオキシフルをと、大騒ぎです。毒が皮膚から吸収されるものか。それよりもそれを食わされそうになったおれは、一体どうなるんだと、面白くない気持で台所に突っ立っていたら、やがてチビが顔をのぞかせて、
「小父さん。それ、どこかに捨てて来てよ。気色が悪いから」
何と勝手な言い草でしょうね。しかし言って聞かせても判る相手じゃないから、僕はそれらをひとまとめにして新聞紙にくるみ、山荘裏のくさむらにポイと捨てて来てやりました。
「あやうく毒殺されるところだったな。あぶない。あぶない」
飯盒(はんごう)で自分の飯をたきながら、僕は思いました。
「あんな危険な女たちのつくったおかずを、もう決して口にしないことにしよう」
アトリエに戻り、鮭罐(さけかん)をごりごり切っていると、扉をほとほとと叩いて、黒助が呼びに来ました。
「小父さん。焼酎飲みに来ない?」
僕は一瞬ためらいました。また何か食わせられはしないかと、心配したのです。
「うん。でも――」
「でももストもないわよ。ちゃんと割前を払ったんでしょう」
そう言えばそうであるし、〈何でも屋〉の焼酎に毒が入っている筈がない。おかずさえ食わなきゃいいんだと、ついにまた宴に参加する気持に踏み切ったのです』
「ずいぶんケチな動機で踏み切ったもんだなあ」
私はあきれて嘆息した。
「そんなケチな根性だから、女にもなめられるんだよ。そんな場合、毅然とした態度をとって、女どもを追い出す方向に踏み切るべきだよ」
「そう僕も思ったんですがねえ。相手が石臼みたいな女たちでしょう。これはムリに追い出すより、策略をもって追い返すべきだと――」
「え? 策略? どんな策略だい?」
「それを申せば長いことになりますが――」
山名君は浮かない表情となり、清酒瓶を耳のそばに持って行って、コトコトと振った。振らなくても、ガラス瓶だから、透けて見える。もう酒がなくなったというデモンストレーションなのである。
「あんたもお仕事があるでしょうから、今夜はここらで失礼して、続きは次回に――」
「おいおい。イヤな真似はよせよ。もう台所に酒はないのか?」
「ええ。これですっからかんです」
山名君は酒瓶を置いた。
「何なら買って参りましょうか」
「仕方がない。二級酒でいいよ、二級酒で」
「何ですか。僕の話が二級酒にしか価しないというわけですか」
彼は頰をふくらませた。
「折角面白い話だと思って参上したのに、それを二級品だとは――」
「いいよ。いいよ。君の好きなものを買っといで」
女に対しては弱いのに、私相手では彼は俄然(がぜん)強くなるのである。
「そうですか。では、そう言うことに」
やがて山名君は意気揚々として、一級酒を小脇にかかえて戻って来た。ポケットから牛罐を二つ取り出した。
「帽子高原ではね、ニクと言えば馬肉のことなんですよ。ブタは豚肉、鶏はトリ肉と言いますがね、肉屋に行ってニクを呉れと言うと、黙って馬肉を呉れるんです」
「ほう。牛は食わないのかね?」
「ほとんど食べないようですな。あそこらの牛は肉が固いからでしょう」
「で、その夜、君は馬肉の刺身を食ったのか?」
「食べるもんですか。馬の生肉なんて。あたったら、たいへんですからねえ。でも、東京に戻ってさる人に聞いたら、馬肉には寄生虫はいないそうですねえ。そうと知ってたら、食べればよかった」
山名君は続切りで牛罐をあけた。
「女たちはその刺身を食べたのかね」
「ええ。粉ワサビをといてね、まるでマグロの中トロみたいだなんて言いながら、うまがっていたようです。僕にも食えとすすめたが、こちらも意地ですからねえ、鮭罐専門と行きました」
『その中だんだん酔っぱらって来ると、またチビとおスガが口争いを始めました。どうもこの二人は、最初から口喧嘩ばかりしていて、そんなに気が合わなきゃ、一緒に旅行しなけりゃいいのに、と思うんですが、当人たちにしてみれば、やはり張合いがあって愉しいのでしょう。つまりお互いに粉ワサビみたいな役割を果しているんだと思います。
口争いの原因ですか。高山植物を引っこ抜いて来たという件で、
「チビ。お前は小帽子山に登らずに、麓で昼寝して、申し訳に雑草を引き抜いて来たんだろ」
このおスガの言葉が、チビを刺戟したんですな。
「小帽子山には登りたくなかったんだろ」
「なによ、おスガ。何であたしが登りたくないわけがあるんだい」
「もし登って雨に降られりゃ、チビが雨女になってしまうからさ」
「冗談じゃないよ。おスガこそ大帽子山に登らなかったんだろ」
そういう言い争いが、十分ぐらいも続いたでしょうか。頃を見はからって、僕はけしかけるように言いました。
「君たちは二人とも、帽子を山頂に置いて来たんだろ」
「そうよ」
「じゃ二人で明日、別々に登って、確認し合えばいいじゃないか」
いくらタフな女たちでも、三日続けて山登りすれば、ヘばって帰京する気になるかも知れない。それが僕の策略でした。果して女たちはその餌に食いついて来た。
「そうよ。小父さんの言う通りだわ」
「よし。おスガは明日小帽子山に登れ。あたしゃ大帽子山に登るよ」
おスガもチビも、もう意地になったようです。意地にでもならなきゃ、同じ山道を三度も登り降り出来る筈がありません。
「じゃ検査役に、小父さんもイガグリ峠に来て呉れない?」
「イヤだよ。あんなとこ。おれの足はマメだらけなんだから、それだけはかんべんして呉れ」
結局僕は検査役を免除され、黒助がイガグリ峠で待機するということに決まりました。黒助はあんまり気が進まないらしく、
「同じとこばかりに行くのは、つまんねえなあ」
と、愚痴をこぼしつつ、やっと承諾しました。黒助は三人の中では一番年長らしく、どちらかと言うといつもたしなめ役に回っていました。
さて、宴果ててアトリエに引取り、僕はのうのうと眠りに入りました。明日は女どもはいない。ゆっくりと孤独が味わえると思うと、まことにのんびりした気分でしたねえ。
朝六時頃、
「小父さん。行って来るわよっ!」
という声に目覚めて、寝ぼけ眼をこすりながら庭に出て見ると、三人はもうリュック姿で、驚いたことには黒助が馬に乗っていました。馬と言っても毛並もよごれた、よぽよぼの駄馬でしたが。
「ど、どうしたんだ。その馬」
と訊ねると、村の青年に頼んで、今日一日タダで借りて来たとのこと。彼女たちも一応女優の卵ですから、色目か何かを使って借りて来たに違いありません。この辺の素朴なる青年は、東京の女優と聞いて、ついふらふらとタダ貸ししたのでしょう。
「君たち、一体馬に乗れるのかい?」
「乗れるのかいって、ちゃんとこうやって乗ってるじゃないの」
チピがつんけんと言い返しました。
「この馬はね、おとなしい馬だから、あばれたりすることは絶対にないってさ」
「そりゃそうかも知れないが、こんなよぼよぼ馬で、どうしてあの倒木地帯を通り抜けるつもりだね?」
「倒木? ああ、そうだったわね」
何かこそこそ相談しているようでしたが、
「倒木地帯の前のところにつないで置いて、あとはあたしたち、自分の足で登るわよ」
「そうかい。それならいいけれど――」
僕はチビに言ってやりました。
「頼むから毒キノコだのトリカブトだののお土産はおことわりだよ。まあせいぜいくたびれて戻っておいで」
「まあ。行けないもんだから、あんな厭がらせを言ってるよ。いい、だ」
そして彼女らは落葉松(からまつ)道を通って、やがてその姿は消えました。
ふり仰ぐと、今日も雲一つない好い天気です。これが夕方になるとザーッと来るんだからな、などと思いながら、顔を洗いに渓流の方に歩を踏み出すと、股やふくら脛(はぎ)がぎくぎくと痛む。昨日足を酷使したので、筋肉が凝ったのでしょう。仕様がないので台所で歯をみがき、まだ体全体の疲れが抜けていないようなので、ベッドに取って返して、昼頃までぐっすり眠りました。
起き出て、散歩がてらに〈何でも屋〉におもむき、食料品を買い求め、ついでにもぎ立ての唐モロコシを六本ほど分けてもらい、対山荘に戻って茄(ゆ)でて食べていると、玄関の方から、
「ごめん。ごめん」
という声が聞える。何事ならんと唐モロコシを横ぐわえにしたまま出て見ると、詰襟服の中年男が立っています。僕の姿を見ると、皮鞄をがちゃがちゃと開きながら、
「ええ。早速ですが、地代をいただきに来ました」
「え? すると、あんたは?」
「村の役場の者です」
詰襟をゆるめて、タオルで首筋をごしごしと拭きました。いくら高原でも、真昼の光線はかなり暑いのです。
「ああ。坪十二円のやつですね」
「そうです」
「暑いでしょう。つめたい水でも一杯、いかがですか」
僕はお世辞を言いました。僕は割かた役人には弱い方なのです。水をコップに入れて持って来て、
「で、総計おいくらですか?」
「ええと――」
役人はうまそうに水を飲み、あっさりと言いました。
「合計二万四千円です」
「え? 二万四千円?」
「そうです。木村さんは二千坪借りていらっしゃる」
「二千坪も?」
僕は思わず大声を立てました。せいぜい百坪か百五十坪借りていると思っていたのに、二千坪だなんて何と言うことでしょう。
「二万四千円、今すぐ払えと言うんですか?」
「そうです。契約は契約ですからねえ」
「払えないと言えば?」
「払えなきゃ、没収するだけです。立退(たちの)いていただくことになりますな」
「そりゃ弱ったな。せめて半額だけ今年収めて、あとは来年に――」
「そりゃダメですよ。二千坪だからこそ、坪十二円にしてあるんだ」
役人の口調は、ちょっと横柄になりました。
「来年に回すと言うなら、村会にかけて、地代値上げということになりますよ。それでよかったら、どうぞ」
悲憤の涙が胸にあふれて来るような気がしましたねえ。でも、地代はこちらで持つという、木村との約束は約束です。僕は足音も荒くアトリエに戻って、二万四千円という金をわし摑(づか)みにして、玄関に出て来た。
「では、払います。仕方がない」
「そうですか」
役人は鞄の中から受取証を出し、僕の手から札束をもぎ取るようにして、コップの残りの水を飲み干しながら言いました。
「お宅の水はつめたいですな」
僕は返事もしてやらなかった。コップを引ったくって、玄関に戻ると、もう役人の姿は見えませんでした。
僕は俄(にわ)かに食欲が喪失し、庭に出てスケッチなどやろうとしたが、心が乱れて鉛筆を手にする気にもなれません。猛獣のようにうなりながら、そこらを歩き回っていますと、また入口の方から、
「ごめん。木村さんはいませんかあ」
と呼ばわる声がする。行って見ると、開襟シャツを着た色の黒い青年で、これまた皮鞄を手に提(さ)げている。
「なんですか、あんたは。また役場の人ですか」
「そうです。よく判りましたな」
青年はにやにやして、皮鞄を開きました。
「水道代を徴収に来ました。お宅はたしか蛇口が三つでしたな」
「そうですよ。それがどうしたんです?」
「蛇口一箇で五百円、あとは一つ増す度に二百円ずつですから、合計九百円いただきます」
「役場じゃ水道代まで取るんですか?」
僕は嘆息しながら、ポケットから千円札を出しました。
「どうして思い合わせたように、今日取りに来るんですか?」
「いえ。この別荘の人は、来たかと思うとすぐ帰ってしまうんでね、情報が入り次第おうかがいするというわけなんですよ。本宅に一々連絡していては、通信費がかかるんでねえ」
なるほど役人どもが相次いで来訪するわけは判ったが、その度に金を取られるのは僕なんですからねえ。仏頂面をするのも当然でしょう。役人はおつりの百円玉を置き、
「では」
とか何とか、あいまいなあいさつをして、そそくさと門を出て行きました。
「ちくしょうめ!」
僕は後ろ姿をにらみつけ、家の中にかけ込み、あらゆる蛇口を開いて、水を出し放しにしてやりました。ここの水道はメーター制じゃなく、一箇いくらの計算ですから、使わなきゃ損だと言うわけです。水は僕の復讐心みたいに烈しく、飛沫を上げてほとばしりました。
それでいくらか気分が晴れたが、考えてみると水を出し放しにして、それがどうって言うことはありません。再び庭に飛び出して、ぐるぐる歩き回り、帽子連山の方を眺めると、今日はふしぎにいい天気で、まだ雨の気は少しもただよっていないようです。
「ほんとにあいつらと来たら――」
僕は鼻息荒くつぶやきました。
「おれが地代や電燈代やで、三万円以上払ってるというのに、タダでのうのうと山登りなんかしてやがって。一体おれを何と思ってるんだろう」
あんなにごっそり持って行かれては、とても一夏は持ちそうにもない。木村に手紙を出して、僕が使っているのは山荘とその周辺の土地だけだから、あとの雑木林の分の地代を至急送って呉れ、と書こう