毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 海蛇・ハマガヅラ・蛇貝(ジヤガイ) / オオヘビガイ
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。一部をマスキングした。]
海蛇【「はまかずら」。】
【「蛇貝(へびがい)」。鎌倉。】
【「へび貝」。江戸大森。】
魚に海蛇と云者は◦「ゑらぶ鰻鱺(うなぎ)」なり。又、「海蛇」を以つて、「水月(くらげ)」と為(な)すは、誤りなり。
丙申四月五日、大森より求め、眞寫す。
[やぶちゃん注:これは文句なしに、
腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目ムカデガイ科オオヘビガイSerpulorbis imbricatus
としていいだろう。私自身は、ここまで複数個体が積層している個体群を見たことがないのだが、「きしわだ自然友の会」公式サイト内の和歌山市大川(グーグル・マップ・データ)での「大川磯の観察会」のページの上から四枚目にそうした多数の個体群落が確認できた。
「海蛇」「カイジヤ」或いは「カイタ」「カイダ」と音で読んでいるか、「うみへび」と訓じているかは、確定できない。解説冒頭の「海蛇」は、一文の内容から「うみへび」でよいかと思うが、二文のクラゲの誤りとする「海蛇」は後注する通り、漢字の誤りがあり、その場合、「カイタ」「カイダ」と読んでいる可能性が頗る高いからである。
「はまかづら」「濱葛」で、この場合の「葛(かづら)」は陸の絡み着く蔓性植物の総称のそれである。
「江戸大森」現在は干拓と人口の運河となって、梅園が赴いた大森の本来の海辺は存在しないので、「今昔マップ」で示す。
「ゑらぶ鰻鱺(うなぎ)」梅園は「魚」と言っているが、れっきとした真正のヘビで猛毒(ハブ(爬虫綱有鱗目クサリヘビ科ハブ属ハブ Protobothrops flavoviridis )の七十~八十倍とされる神経毒エラブトキシン。但し、本種の性質がおとなしいことや、口が小さいことから、咬傷事故は思ったよりも少ない。例えば、『沖縄県公害衛生研究所報』(第二十四号・一九九〇年)の新城安哲・下地邦輝・富原靖博三氏の共同論文「沖縄県における海洋性有害生物による被害」(PDF)の一九二七年から一九八九年十二月まで六十余年間の内、筆者らが集計できたデータでは、105ページに載るが、確かなエラブウミヘビ属による咬症ケースは一例のみ(死亡)である)を持つ、
有鱗目コブラ科エラブウミヘビ属エラブウミヘビ Laticauda semifasciata
である。参照した当該ウィキによれば、『日本では南西諸島に分布』し、『池間島・石垣島・西表島・久高島・仲之神島・宮古島などで繁殖例があり、繁殖地の北限は硫黄島(鹿児島県三島村)』であるが、『黒潮に乗って、九州以北まで漂流することもある』とし、さらに、『最も寒い時期の海水表面温度が約』摂氏十九度『以上の海域が分布域とされる』。『本種は本来、南西諸島を分布の北限としていたが、近年では、九州や四国、本州の南岸でも生息が確認されている。これは地球の温暖化が影響していると見られている。まれに、海流に乗り』、『本来の生息海域よりも高緯度の海域で捕獲されることもあり』、一九二〇年代には『日本海で捕獲された記録も残っている』とある。
『「海蛇」を以つて、「水月(くらげ)」と為(な)すは、誤りなり』これは、例えば、私の
寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海䖳(くらげ)」の項
を見て貰うと真相が見えてくるはずである。そうである。
「海蛇」ではなく、「海䖳」が正しく、この「䖳」の字は正真正銘、クラゲを表わす古くからの漢語(字)
なのである。本邦の本草学のバイブルである明の李時珍の「本草綱目」では、クラゲについては、巻四十四の「鱗之三」(魚類)の中に入っている。私は、クラゲ・フリークなので、「漢籍リポジトリ」のこちらの[104-50b]の影印本を参考に、国立国会図書館デジタルコレクションの寛文九(一六六九)年板行の訓点本の当該部を見つつ、訓読して電子化しておくと、
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海䖳(かいた)【「拾遺」。】
釋名「水母(すいぼ)」【「拾遺」】・「樗蒲魚(ちよぼぎよ)」【「拾遺」】・「石鏡(せききやう)」【時珍曰はく、「䖳」、「宅」に作る。二音。南人、訛りて「海折」と爲(な)す。或いは、「蜡鮓(しよさく)」と作(な)す者は、並びに非なり。劉恂が云はく、『閩人(びんひと)、「䖳」と曰(い)ひ、廣人(かうひと)「水母」曰ふ。「異苑」に「石鏡」と名づくなり。』と。】
集解【藏器曰はく、『䖳、東海に生ず。狀(かたち)、血䘓(けつかん)[やぶちゃん注:「血の凝固した塊り」の意か。]の大なる者のごとし、牀(とこ)のごとし。小なる者は、斗(しやくし)のごとし。眼目・腹・胃、無し。蝦(えび)を以つて、目と爲(な)し、蝦、動けば、䖳、沈む。故に曰ふ、「水母の目の蝦」と。亦、猶ほ、蛩蛩(きやうきやう)の駏驉(きよろ)に與(くみ)するがごときなり。煠(ゆ)で出だして、薑醋(しやうがず)を以つて、之れを進む。海人、以つて常の味(あじはい)と爲す。』と、時珍曰はく、『水母、形、渾然として凝結す。其の色、紅紫なり。口・眼、無し。腹の下、物、有り、絮(わた)を懸くるがごとし。羣蝦(むれえび)、之れに附きて、其の涎-洙(よだれ)を咂(す)ふ。浮-汎(う)きて、飛ぶがごとし。潮(うしほ)の爲めに、擁(いだ)かれるときは、則ち、蝦、去りて、䖳、へることを得ず。人、因りて、割(さ)きて、之れを取る。浸(ひた)すに、石灰の礬水を以つて、其の血汁を去る。其の色、遂に白し。其の最も厚き者は、之れを「䖳頭(たとう)」と謂ふ。味、更に勝れり。生熟なるものは、皆、茄柴灰(かさいばい)に鹽水を和し、之れを淹(つけ)て、食ふべし。良なり。】
氣味鹹・溫、毒、無し。主治婦人の勞損・積血・帶下。小兒の風疾。丹毒。湯火傷【藏器。】。河魚の疾(やまひ)を療す【時珍、「異苑」に出づ。】
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「蛩蛩」は幻想地誌「山海経」(せんがいきょう)」の「海外北経」に出る、北海の水中に棲息し、白い馬の形をした獣とする。「駏驉」は♂の馬と♀の驢馬の交雑種。以上の共生関係を言っている。
さて、以上から判るように、日中の本草書では、概ね、クラゲを正しく「海蛇」ではなくして「海䖳」と記しているのであるが、それを転写するに、「蛇」の字と勘違いしている記載や人々が多かったのを、梅園は「違う」と言っているのである。
「丙申四月五日」天保七年。グレゴリオ暦一八三六年五月二十日。以下の「求」の下の字は「從」の崩し字と判じ、「より」と訓じた。]
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