「和漢三才圖會」卷第六十「玉石類伊」の内の「寶石(つがるいし)」
[やぶちゃん注:〔→○○〕は、訓読が不完全で私がより良いと思う訓読、或いは送り仮名が全くないのを補填したものを指す。]
つがるいし
津輕石之類
寶石
パウ◦シツ
本綱出西番囬鶻雲南遼東有紅綠碧紫數色大者如指
頭小者如豆粒皆碾成珠狀其紅者名刺子碧者名靛子
翠者名馬價珠黃者名木難珠紫者名蠟子山海經云騩
山多玉凄水出焉西注於海中多采石采石卽寶石也
△按奥州津輕今邊地海濱有奇石大者如拳白質帶微
赤色碾成珠狀則精瑩玲瀧可愛小者如豆粒白色有
光澤以爲津輕舎利藏小塔頂禮恭敬而偶有殖生者
蓋此寳石之類矣
一種有淺黒色大小不均共肌理不濃石而小石數百散
生如米粒而光澤或時落焉是疑可母石乎希有之物
*
つがるいし
津輕(〔つ〕がる)石の類。
寶石
パウ◦シツ
「本綱」に、『西番〔せいばん〕・囬鶻〔くわいこつ〕・雲南・遼東に出づ。紅・綠・碧・紫の數色、有り。大なる者、指頭のごとく、小さき者は豆粒のごとし。皆、碾(き)りて、珠の狀〔かたち〕を〔→に〕成す。其の紅なる者を刺子〔しし〕と名づく。碧なる者を靛子〔ぢやうし〕と名づく。翠なる者を馬價珠〔ばかしゆ〕と名づく。黃なる者を木難珠〔ぼくなんしゆ〕と名づく。紫なる者を蠟子〔らうし〕と名づく。「山海經」に云はく、『騩山(きざん)、玉〔ぎよく〕多し。凄水〔せいすい〕は焉〔ここ〕を出でて、西の方[やぶちゃん注:訓点通り。]、海中に注(そそ)ぎ、采石〔さいせき〕、多し。』と。采石は、卽ち、寶石なり。』と。
△按ずるに、奥州津輕(つがる)今邊地(いまべち)の海濱に、奇石有り。大なる者、拳(こぶし)のごとく、白質〔しろぢ〕、微赤色を帶ぶ。碾(き)りて、珠の狀〔かたち〕に成せば、則ち、精瑩玲瀧(〔せいえいれいろう〕/すきとほり[やぶちゃん注:後者は右に振る。])として愛しつべし。小さき者、豆粒のごとく、白色、光澤有り。以つて「津輕舎利〔つがるしやり〕」と爲〔な〕す。小塔に藏〔をさ〕めて頂禮恭敬して、偶(たまたま)、殖-生(ふ)へる者有り。蓋し此れ、寳石の類か。
一種、淺黒色、大小、均(ひと)しからざる有り。共〔とも〕に、肌理(きめ)濃(こまや)なならざる石にして、小石、數百、散生〔さんせい〕して、米粒のごとくにして、光-澤〔つや〕あり。或る時に、落つ。是れ、疑ふらくは母石〔ぼせき〕なるべきか。希有〔けう〕の物なり。
[やぶちゃん注:「津輕石」「津輕舎利」はメノウ(瑪瑙。縞状の玉髄の一種で、オパール(蛋白石)・石英・玉髄が、火成岩或いは堆積岩の空洞中に層状に沈殿してできた、鉱物の変種)のこと。後者の「舎利」は本石が釈迦の遺骨の代わりとして、多くの寺院に祀られたことに由来し、「津輕」は、そのメノウが古くより多く現在の青森県東津軽郡今別町(いまべつまち:グーグル・マップ・データ本文の「今邊地(いまべち)」に同じ)の海岸で採れたことによる。グーグル画像検索「津軽舎利」をリンクさせておく。
「西番」「西蕃」に同じ。「吐蕃」とも書き、「本草綱目」を書いた李時珍の生きた明代には「西蔵」(現在のチベット)を、かく蔑視して呼んだ。
「囬鶻」ウイグル。]
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