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2022/08/12

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類  蓼螺・小辛螺・辢螺・ニガニシ・カラニシ・長ニシ・ニシ・ヘタナリ・ツベタ・巻ニシ・夜ナキボラ/ ナガニシ

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングし、一部をマスキングした。これと次の「鶉貝(ウヅラガイ)」についての附記があるので、両方にそれを残した。電子化はこちらでのみする。]

 

蓼螺(れうら)【「綱目」。】 辢螺(らつら)【「寧波府志」。】

小辛螺(にし)【「和名抄」。「にがにし」・「からにし」・「長にし」・「にし」。】

 「へなたり」

 「つべた」

 「巻にし」【備後。】

 「夜なきぼら」

 

Henatari

 

按ずるに、「つべた」は「酥螺(そら)」にして、狀(かたち)、蝸牛(かたつむり)に似て、此の者に非(あら)ず。

 

二種、倉橋氏、藏。

乙未(きのとひつじ)八月廿四日、乞ひ借りて、眞寫す。

 

[やぶちゃん注:異名を十一も挙げているが、挙げておいて、否定するのは、どうかと思うね。どこの地方名かも示していないし。江戸かね? 閑話休題。これは、もう、『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 長螺 / ナガニシ或いはコナガニシ』の時のような虞れを抱くことなく、縦肋がしっかり肩で角張っていて、前管もにょっぽり出てるから、すっきりと、

腹足綱新腹足目エゾバイ上科イトマキボラ科ナガニシ亜科ナガニシ属ナガニシ Fusinus perplexus

としてよいだろう。

「蓼螺【「綱目」。】(現代仮名遣「りょうら」)は本邦の近世の絶対的博物書のチャンピオン、明の李時珍の「本草綱目」の巻四十六の「介之二」の「蓼蠃」の項(以下に見る通り、「螺」と「蠃」は同義字)。「漢籍リポジトリ」のこちらの、[108-33b]の影印本画像で見られたい。

   *

蓼蠃(れうら)【「拾遺」。】

集解【藏器曰はく、『蓼螺は永嘉(えいか)の海中に生ず。味、辛辣にして蓼(たで)のごとし。』と。時珍曰はく、『按ずるに、「韻㑹(いんくわい)」云はく、『蓼螺は紫色にして斑文(はんもん)有り。今、寧波より泥螺(でいら)を出だす。狀(かたち)、蠶豆(そらまめ)のごとし。海錯(かいさく)に代(か)へ充(あ)つべし。』と。』と。】

肉 氣味 辛・平にして、毒、無し。

主治 飛尸(ひし)・遊蠱(いうこ)。生(なま)にて之れを食ふとき、浸すに、薑醋(しやうがず)を以つてして、彌(いよいよ)佳なり【藏器。】。

   *

「永嘉」は浙江省温州市永嘉県(グーグル・マップ・データ)。「海錯」本来は「夥しい海産物」を指すが、ここは代表的海産(食)物の一つの意であろう。「飛尸」前触れなしの気絶・卒倒の症状を指す。「遊蠱」疾患名であるが、不詳。さても、ここでそろそろ提示した方がいいのが、「大和本草卷之十四 水蟲 介類 蓼蠃」である。そちらの注で述べた通り、この「蓼蠃」=「辛螺」=「にし」というのは、外套腔から浸出する粘液が辛味(苦味)を持っている腹足類のニシ類を指す語であるが、辛味を持たない種にも宛てられている科を越えた広汎通称で、

直腹足亜綱 Apogastropoda 下綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目新腹足下目アッキガイ上科アッキガイ科アカニシ(赤辛螺)Rapana venosa

吸腔目テングニシ科テングニシ(天狗辛螺)Hemifusus tuba

等を含むが、特に

腹足目イトマキボラ科 Fusinus 属ナガニシ(長辛螺)Fusinus perplexus

及び、実際に強い苦辛味を持つ

腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目新腹足下目アッキガイ上科アッキガイ科レイシガイ亜科レイシガイ属イボニシ(疣辛螺)Thais clavigera

を指すことが割合に多いように思われる、と述べたからである。

「辢螺」複数の「肉が辛い巻貝」を示す総称語である。

「寧波府志」明の張時徹らの撰になる浙江省寧波府の地誌。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の原本画像のPDFで当該巻を含む三巻分一冊の「卷之十二 物產」の「鱗之屬」の冒頭から58コマ目の左丁三行目に「辣螺」とある。字が違うが、意味は同じでる。

「小辛螺」「和名抄」源順(みなもとのしたごう)の「和名類聚抄」の巻第一九の「鱗介部第三十」「龜貝類第二百三十八」の「小辛螺(にし)」(「にし」は三字に対する読みとして振られてある)。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年板本の当該部で訓読する。

   *

小辛螺(にし) 七巻「食經」に云はく、『小辛螺【和名「仁之」。】、「楊氏漢語抄」に云はく、『蓼螺子』と。』と。

   *

「にがにし」「苦螺」。実際、「辛み」に加えて「苦み」を感じるものも、ナガニシ及びその近縁種には、かなりある。その味の印象が強いために、辛くも苦くもない種も含めた広義のニシ類に対しても「辛螺」を当てて総称した歴史がある。但し、最近は貝を表わすのに漢字をめっきり見なくなったため、「辛螺」を「ニシ」と読める若者は激減したように思われる。

「へたなり」前回の「長螺」でも注したが、古え、数種の香料を練り合わせて作る練り香の素材の一つとして、一部の巻貝の蓋(蒂(へた))が好んで用いられ、それを一般名詞で「甲香(へなたり)」と呼んだが、ニシ類は特に好まれた。「大和本草卷之十四 水蟲 介類 甲貝(テングニシ)」の私の注を参照されたい。

「つべた」『按ずるに、「つべた」は「酥螺(そら)」にして、狀(かたち)、蝸牛(かたつむり)に似て、此の者に非(あら)ず』「つべた」は、腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目タマキビガイ下目タマガイ上科タマガイ科ツメタガイ属ツメタガイ Glossaulax didyma 及び、その近縁種を指す。私の『武蔵石寿「目八譜」 ツメタガイ類』を参照されたい。「酥螺」の「酥」は「バター」の意の他に、「食べ物などがぼろぼろに砕けやすい、さくさくとして柔らかい、口に入れるとすぐとける」という意があるが、ここは殻の色からバターの意味か。ツメタガイは熱を加えると、身は固く締まって、柔らかくない。私は小学二年生の夏の終わり、台風一過の由比ガ浜でバケツ二杯分の多量の貝を拾ったが、材木座に実家で、それを茹でて一族内揃って大食した。個人的には歯応えのある食べ物が好きな私は、ツメタガイを最も美味く感じ、あらかたを私一人で食べ尽くした。茹で身で、有に丼二杯はあったと思う。翌日、腹を壊した。それ以来、二十八年間、食べていない。そろそろ食べようかと思っている。

「巻にし」「備後」小野蘭山述の「重訂本草綱目啓蒙」の「巻之四十二」の「蓼螺」の項に(国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像の当該部で起こし、訓読した)、

   *

蓼螺 にし・ながにし・にがにし・からにし・まきにし【備後。】・よなき【「大和本草」。】・かうかひ【筑前肥前。】・うみとり【「本朝食鑑」。】・「よなき螺」【同上。】・うしがひ【防州。】。一名、「辣螺」【「蟹譜」・「寧波府志」。】。

海中に生ず。形、玉-螺(ばい)より大にして、その流(れう)[やぶちゃん注:殻高を言うか。]、更に長し。外(ほか)に、短き黑褐の毛、あり。肉は紅螺に似て、味、美なり。腸(わた)は至つて辛辣、厴(へた)は玉螺の厴の如し。藥舖(やくほ/くすりみせ)に、采(と)りて、甲香(かふかう)とす。その爛殼の毛、已に脫落し、淺黃紅色となる。此の物を「よなき介(がひ)」と云ふは、俗、稱して、『小兒の夜啼き、止まざれば、一箇を採り、兒(こ)の枕邊(まくらべ)に置き、誓ひて曰はく、「兒の夜啼き、治(をさ)まざれば、則ち、殻を破り、肉を抜拔き、野に棄つ。若(も)し、之れ、治まれば、則ち、江海に放つ、」と。是に於いて、夜啼き、必ず止む。』と。一種、形、小さく、流、短く、色、白くして、粗(あらあら)黑く、疣(いぼ)、相ひ連なる者を、「いわにし」と云ふ。一名、「いはかた」【防州。】、「ほうほうにし」【備前。】、「ほうじにし」【同上。】、「からにし」【土州。】、此の外、品類、多し。

   *

とある。「夜なきぼら」は以上で注の必要がなくなった。なお、所持する江戸前中期の医師で本草学者であった人見必大(ひとみひつだい 寛永一九(一六四二)年頃?~元禄一四(一七〇一)年:本姓は小野、名は正竹。父は四代将軍徳川家綱の幼少期の侍医を務めた人見元徳(玄徳)、兄友元も著名な儒学者であった)が元禄一〇(一六九七)年に刊行した本邦最初の本格的食物本草書「本朝食鑑」の「蓼螺」にも、「マキニシ【備後。】」とあったので、非常に古くからの呼称として知られていたことが判った。

「倉橋氏」既出既注であるが、再掲すると、本カテゴリで最初に電子化した『カテゴリ 毛利梅園「梅園介譜」 始動 / 鸚鵡螺』に出る、梅園にオウムガイの殻を見せて呉れた「倉橋尚勝」であるが、彼は梅園の同僚で幕臣(百俵・御書院番)である(国立国会図書館デジタルコレクションの磯野直秀先生の論文「『梅園図譜』とその周辺」PDF)を見られたい。

「乙未八月廿四日」天保六年で、グレゴリ曆一八三五年十月十五日。]

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