「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 磬―鰐口―荼吉尼天 (その1)
[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。
以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。注は各段落末に配した。彼の読点欠や読点連続には、流石にそろそろ生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、句読点を私が勝手に変更したり、入れたりする。今回は分割する。]
磬―鰐口―荼吉尼天 (大正四年十月考古學雜誌第六卷第二號)
津田君の磬の硏究の參考まで申し上ぐるは、Pierre Beron du Mans, “Les observations de plusieurs singularités et choses mémorables, trouvées en Grèce, Asie, Judée, Egypte, Arabie, et autres pays etranges, ” à Paris, 1554, fol.38, a. に云く、「ヴェネチア人に服從せる希臘人は、土耳古人の奴隸たる希臘人よりも多く自由を享く。彼輩兩つながら寺の門上に釘もて一鐵片を懸く。その厚さ三指、長さ一臂、やや弧狀に曲れり。之を打てば、淸音、鐘に似たるを出す。アトス山寺に全く鐘無く、此鐵片のみを用ひ、勤行の都度、之を敲いて僧衆を招集す」と。是れ、東南歐、ギリシア敎の高野山とも云べきアトス大寺に鐵磬類似の物を鐘に代用したるなり。今日も然りやを知らず。序でに言ふ、石を樂器に使ふ例、和漢石磬の外に、鈴石とて石中の穴巢に小石を孕めるを、振り鳴らして兒戲とする事有り。雲根志等に其記載有りしと記憶す。西大陸發見前より印甸人[やぶちゃん注:「選集」はカタカナで『インジアン』とする。]瓢に小石を入れ、柄を付け、振り鳴して樂器とせり。古祕魯人[やぶちゃん注:「古ペルー人」。]は長凡そ一呎、幅一吋半の綠響石の扁片、脊、曲り、厚さ四分の一吋、其れより、漸次、兩尖端に向て薄く成る事、小刀の刄の如きを、樂器とす。脊の中央に小孔有り、絲を通して、之を懸け、堅き物もて、打つ時、奇異の樂音を發すと。是れ、西大陸にも古く石磬有りしなり(Carl Engel, “Musical Instruments, ”South Kensington Museum Art Handbook, 1875, pp.74, 76)。フムボルトが南米オリノコ邊で得たる天河石は、以前、土人、之を極て薄き板とし、中央に孔を穿ち、絲を通し、懸下して、堅き物もて打てば、金屬を打つ如き音を出せり。フ氏、歐州に還つて之をブロンニヤールに示せしに、ブ氏、支那の石磬を以て之に比せりと云ふ(Humboldt, “Personal Narratives of Travels to the Equinoctical Regions of America,” Bohn`s Library, vol.ii, p.397)。
[やぶちゃん注:「磬」(けい)は中国古代の体鳴楽器(弦や膜などを用いることなく、弾性体によって作られた本体が振動して音を出す楽器)で、「ヘ」の字形をした石、又は玉・銅製の板を吊り下げて、「ばち」で叩いて音を出す。一枚だけからなる「特磬」と、複数の磬を並べて旋律を鳴らすことができるようにした「編磬」があるが、後者が一般的である(以上は当該ウィキ他に拠った。リンク先に画像有り)。
「鰐口」(わにぐち)は当該ウィキによれば、『仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具の一種である』が、『神社の社殿で使われることもある。金口、金鼓とも呼ばれ』、『「鰐口」の初見は』正応六(一二九三)年の『銘をもつ宮城県柴田郡大河原町にある大高山神社のもの(東京国立博物館所蔵)』が表示名としては、現存するもので、最も古いとある。『金属製梵音具の一種で、鋳銅や鋳鉄製のものが多い。鐘鼓をふたつ合わせた形状で、鈴』『を扁平にしたような形をしている。上部に上から吊るすための耳状の取手がふたつあり、下側半分の縁に沿って細い開口部がある。金の緒と呼ばれる布施があり、これで鼓面を打ち』、『誓願成就を祈念した。鼓面中央は撞座と呼ばれ』、『圏線によって内側から撞座区、内区、外区に区分される』。物として『現存する最古のものは、長野県松本市宮渕出土の』長保三(一〇〇一)年の銘のもの、とある。辞書類を見ても、本邦で作られたものと推定されている。
「荼吉尼天」(だきにてん)は、仏教で、元は死者の肉を食う「夜叉」(鬼神)の類を指す。サンスクリット語「ダーキニー」の漢音写。「荼吉尼」「陀祇尼」とも表記する。大黒天の眷属とされ、六ヶ月前から人の死を予知する能力を持ち、臨終を待って、その肉を食らうとされる。密教の「胎蔵現図曼荼羅」の外院(げいん)南辺に配置されている。「大日経疏」(だいにちきょうしょ)巻十及び「普通真言蔵品」(ふつうしんごんぞうほん)第四に説かれている。人体中の黄(おう:心肝)を食すると、総てを意のままに成就することができるとされている。なお、本邦では、稲荷神の本地仏とされ、愛知県の豊川稲荷(妙厳寺(みょうごんじ))に祀られている(小学館「日本大百科全書」拠った)。
「津田君の磬の硏究」宗教学者で帝室博物館宗敎部主任を務めた津田敬武(のりたけ 明治一六(一八八三)年~昭和三六(一九六一)年:兵庫生まれ)の大正四(一九一五)年八月発行『考古学雑誌』第五巻第十二号所収の「磬の研究」。
「Pierre Beron du Mans, “Les observations de plusieurs singularités et choses mémorables, trouvées en Grèce, Asie, Judée, Egypte, Arabie, et autres pays etranges, ” à Paris, 1554」フランスの博物学者で外交官でもあったピエール・ベロン・デュ・マン(Pierre Belon du Mans 一五一七年~一五六四年:ラテン語名Petrus Bellonius Cenomanus(ペトリュス・ベローニウス・セノマヌス))が一五五三年に刊行した“Les observations de plusieurs singularitez et choses memorables trouvées en Grèce, Asie, Judée, Egypte, Arabie et autres pays étrangèrs.” (「ギリシャ・アジア・ユダヤ・エジプト・アラビアその他の外国で発見された多くの特異点と記憶に残る対象の観察」)。
「アトス山寺」アトス山はギリシャ北東部のエーゲ海に突き出したアトス半島の先端に聳える標高二千三十三メートルの山で、その周辺はギリシャ正教会(東方正教会)の聖地となっており、「聖山」とも呼ばれる。寺は同正教会の修道院を指す。参照した当該ウィキによれば、『アトス山周辺には現在』も二十もの『修道院が所在し、東方正教の一大中心地である』とある。
「鈴石」(すずいし)は珍石の一種で、鳴石(rattle stone)と同類。球、乃至、楕円体の小さい土塊(結核体)で、振ると鈴のように音を立てる。本邦では、北海道名寄市郊外から産出するものが有名で、「名寄の鈴石」とよばれ、昭和一四(一九三九)年に天然記念物に指定された。これは径三~六センチメートルの中空の土塊で、粘土や砂が固まってできた鉄分の多い結核体が、その中心部で溶けだし(石灰分の多い中核が溶出するといわれる。ここで熊楠の言う「穴巢(けつさう)」がそれ)、周囲の砂などが、中に残ることによって形成された。第四紀更新世の河岸段丘層から産出する(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。
「雲根志等に其記載有りしと記憶す」本草学者で奇石収集家であった木内石亭が発刊した、私の遺愛する奇石書「雲根志」(安永二(一七七三)年前編・安永八(一七七九)年後編・享和元(一八〇一)年三編を刊行)の中の「前編巻之四」の掉尾にある「鈴石 卅一」。所持する現代思潮社復刻本『日本古典全集』で電子化する。句読点を打った。一部に濁点を打った。
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鈴石(すゞいし) 卅一
其色、薄(うす)白く、鷄卵(けいらん)のごとし。これを振るに、其こゑ、鈴に似たり。石中(せきちう)、空虛にして小石をふくむと見へたり[やぶちゃん注:ママ。]。何國(いづく)の產をしらず。實(まこと)に奇物(きぶつ)也。又、大和の生駒(いこま)山に鈴石(すゞいし)といふ物を出す。是は、「本草」の太乙餘量(たいいつよりやう)也。又、濃刕(のうしう)赤坂の驛、市橋(いちはし)村谷氏は、予が弄石の高弟也。近世、鈴石を見出せり。同國靑墓(あをばかの)近山の片山の奥にありと。最も奇品なり。又、鮓答(さくたう)の一種に鈴のごとく鳴ものあり。
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「本草」は明の李時珍の「本草綱目」であるが、正しくは「太乙餘糧」である。「石」の部では、巻十の「金石之四」の「代赭石」の「集解」に「太乙餘根」と出るのみだが、「太乙餘糧」ならば、巻三上の「百病主治藥上」に二ヶ所、巻四下の「百病主治藥下」に一ヶ所確認できる。これは、平凡社「世界大百科事典」の「鉄」の項の荒俣宏氏の記載の、『太一余糧は正倉院御物の中にあり』、『日本では子持石』、『〈いしだんご〉〈すずいし〉などと呼ばれる泥鉄鉱である』とあるものと同一物であろう。これらは所謂、漢方・民間薬として古くから知られていいたようである。「鮓答」は動物の体内に発生した結石様物質などを言う。私の「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 鮓荅(へいさらばさら・へいたらばさら) (獣類の体内の結石)」を参照されたい。
「一呎」一フート。三十・四八センチメートル。
「一吋半」一インチ半。三・八一センチメートル。
「綠響石」(りよくきやうせき)は緑色の「響岩」(きょうがん:phonolite)のこと。化学組成上は霞石閃長岩(かすみいしせんちょうがん)に当たる火山岩の一種。「フォノライト」とも呼ぶ。斑状を成し、暗緑或いは暗灰色で、有色鉱物は少ない。細粒の粗面岩状或いはガラス質の石基中に、ソーダ正長石・玻璃長石・霞石などの斑晶を有する。有色鉱物は、エジリン輝石・アルカリ角閃石など。薄い板状に割れやすく、その板を叩くと良い音がすることから命名された(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。
「四分の一吋」六・三五ミリメートル。
「Carl Engel, “Musical Instruments, ”South Kensington Museum Art Handbook, 1875, pp.74, 76)」ドイツの音楽家で楽器の蒐集家としても知られたカール・エンゲル(Karl Engel 一八一八 年 ~一八八二 年)の一八七五年の著作「楽器」。「Internet archive」のここと、ここが相当ページ。
「フムボルト」海流の名で知られるプロイセンの博物学者・探検家・地理学者で、近代地理学の祖とされるフリードリヒ・ハインリヒ・アレクサンダー・フォン・フンボルト(Friedrich Heinrich Alexander von Humboldt 一七六九年~一八五九年)。
「南米オリノコ邊」南アメリカ大陸で第三の大河であるオリノコ川(スペイン語:Río Orinoco)。長さは凡そ二千六十キロメートル、流域面積約九十二万平方キロ。「オリノコ」はカリブ族の言葉で「川」を意味する。当該ウィキによれば、『ベネズエラ南部のブラジル国境に近いパリマ山地に源を発し、トリニダード島の南側で大きな三角州をつくり大西洋に注ぐ。河川の約』五分の四は『ベネズエラ領で、残り『はコロンビア領に属する』。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「天河石」(てんがせき)は青緑色又は緑青色の微斜カリ長石。南米のアマゾンや、ロシアのウラル地方、インドのカシミール地方などで良石を産出する。現行では飾り石用とされる。「アマゾナイト」「アマゾン石」の名もある(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。
「ブロンニヤール」フランスの化学者・鉱物学者・地質学者で動物学者でもあったアレキサンドル・ブロンニャール(Alexandre Brongniart 一七七〇年~一八四七年)。
「Humboldt, “Personal Narratives of Travels to the Equinoctical Regions of America,” Bohn`s Library, vol.ii, p.397)」「Equinoctical」の綴りは「選集」でも同じだが、これは「Equinoctial」の誤り。「アメリカ大陸赤道地方への個人的な旅の物語」。一九〇七年版の同書と当該部が「Internet archive」で見られる。七行目に‘Amazon-stone’とある。]
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