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2022/08/20

曲亭馬琴「兎園小説余禄」 奸賊彌左衞門紀事

 

[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。

 底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちらから載る正字正仮名版を用いる。

 本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない。稀に底本の誤判読或いは誤植と思われるものがあり、そこは特に注記して吉川弘文館版で特異的に訂した)。句読点は現在の読者に判り易いように、底本には従わず、自由に打った。鍵括弧や「・」も私が挿入して読みやすくした。踊り字「〱」「〲」は正字化した。ベタで長々と続くので、段落を成形し、会話その他も改行し、読み易くした。

 

   ○奸賊彌左衞門紀事

 文政五年冬十二月中旬、芝神明前の地本問屋和泉や何がしが妻、その宵の程より、產の氣つきたるが、いと難產にて、子は死して生れたるに、辛くして、母は恙なかりき。

 しかるに、その夜五ツ時ごろ、いづみやが見世へ、書札一封を、もて來て、

「これは注文の狀也。よく、うけおさめ給へ。」

といひながら、はるかに投入れて、去りしもの、あり。見世なる手代ども、

「何方よりの注文ならん。」

とて、その上がきを見るに、

「和泉屋市兵衞樣 松浦彌左衞門」

とあり。

 聞しらぬ名なれ共、その儘、封じをひらきて、よみて見るに、こは、注文にはあらで、浪人の、合力を乞ふよし也。

[やぶちゃん注:「文政五年冬十二月中旬」グレゴリオ暦では一八二三年一月下旬。

「芝神明前」「芝神明門前町(しばしんめいもんぜんちやう)」。現在の港区芝大門一丁目(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「地本問屋」(ぢほんどんや(どいや))とは寛文期(一六六一年~一六七三年)から江戸で始まった地本を企画・制作して販売した問屋。「地本」とは江戸で出版された大衆本の総称で、洒落本・草双紙(赤本・黒本・青本・黄表紙・合巻(ごうかん))・読本・滑稽本・人情本・咄本・狂歌本などがあった。また、浮世絵版画も企画・出版しており、「地本錦絵問屋」「地本草紙問屋」「絵草紙屋」などとも呼ばれ、「板元」「版元」などとも称した。

「夜五ツ時ごろ」不定時法で午後八時頃。

「合力」「かふりよく」。資金援助。]

 こゝろえぬ趣なれば、皆、うちよりて評議する折から、あるじの妻、やうやく、わらの上をはなれて、產所に着ければ、あるじも、やゝ、こゝろおちつきて、見世のかたへ出たるに、手代ども、

「かやうかやうの事こそ候ひつれ。」

といふ。あるじ聞て、まづ、其狀を取りて見るに、その文面に、

「拙者事 四 五年以前まで 御隣町に罷在り御世話に預り候處 其後 いよいよ不如意に罷成り候て 當時は必至と致難儀候 最 在所表は 身分相應のものどもに候間 右國許へ罷越し 金子才覺いたし度存候へ共 何分 路用に指支候 近頃 無心の至に候へ共、金子 二分 借用いたし度候 最 當大晦日迄には 無相違一返濟可ㇾ致候 右の趣 御承知被ㇾ下候はゞ二分也とも 小粒也共 この袋へ入れ 御見世の仲柱へ 地より三尺程揚て 御張置可ㇾ被ㇾ下候 今晚 深更に及び 猶又罷越候て可ㇾ致受納候 扨又 拙者事 何がし【この師匠の姓名等は、くはしく書付たり。】が門人にて 年來勵術柔術等修業いたし 松浦流と申一流を立候へども 諺にいふ生兵法大疵の基にて 先年爲修業諸國を歷巡り候節、於信州思はずも不覺をとり候事抔有ㇾ之候。乍ㇾ去右體の御恩に預り候儀に候へば 爲謝禮 素人衆にても時の間に合ひ 災難を迯ㇾ候こゝろへを傳授可ㇾ致候 別紙をつねづねよく御覽被ㇾ成候て、御工夫被ㇾ成候へば、夜中往來抔の時 災難を迯れやすく候云々」

と。

 文言、甚、叮嚀に認め候て、やわら傳授の目錄を添たる事、凡、十餘條也。その大略は、「途中において、喧嘩をしかけられ、又は、馬鹿もの・醉興人に出あひ、無ㇾ據のがれがたき時、かやうかやうにして、早く相手の肩を如ㇾ此して打てば、その人、絕死す。」などいふ事、多く書、集たり。すべて、素人にもなりやすき趣にて、やわら免許の書ぶりにて、おくに

「和泉屋何がし殿 松浦彌左衞門」

と、わが名を大書して、書判あり。その手跡、拙からず、いか樣にも、武士めきたる手筋にて、商人の手風にあらず。

 本文の狀の内へは、二分判、一つ入るべき程の、ちひさなる袋を卷こめてあり。且、本文の尙々がきに、

「もし 此無心 聞濟無ㇾ之候はゞ 別封にいたし置候一通を 披見可ㇾ被ㇾ成候 御聞屆被ㇾ下候はゞ 右の別封は御開封に不ㇾ及 その儘 御返し可ㇾ被ㇾ下候」

と書そヘたり。

[やぶちゃん注:「わらの上をはなれて、產所に着ければ」血の穢れを嫌って、土間や庭の一画に産屋を作り、出産に際はさらにそこから離れて地面に藁を敷いて、そこで出産したものか。落ち着いて、家内に通じる産屋へ移動したということであろう。

「尙々がき」「なほなほがき」。追伸。]

 あるじ、讀終りて、

「げに、けしからぬ物乞ひかな。その別封には何事をか書たらん。それをも披きて見よ。」

といふに、手代ども、入興して、おしひらきて、主從みな、もろともに、ともし火のかたにうちつどひつゝ見るに、案の外なる文體にて、

「もし この無心を聞屆ざるにおいては 遠からず 思ひしらすべし あるじは勿論 家内の小者に至るまで 日くれて 門より外へ出なば 命はなきものと思ふべし それをおそれて夜中 一人も外へ出ずば 火をつけて燒拂ふべし」

などいふ、いとおそるべき事どもを、書つらねたり。

 手代どもは、この別封の趣に、興さめて、みなみな、舌をふるひつゝ、

「かくては、子どもたりとも【丁椎を「子ども」といふ也。】くれがたに錢湯にも遣しがたし。」

「どしてや、よけん。」

「かくや、すべき。」

などいふに、あるじは、左のみ、うちも騷がず。

「今宵、この取込中に、何事をか思案に及ぶベき。又、了簡もあるべきに、その書狀を、うしなふべからず。まづまづ、打捨ておけかし。」

と、いひさとしつゝ、產婦の事、こゝろもとなければ、あるじは、やがて、奧に赴きぬ。

 しかれども、手代等は、とにも、かくにも、心おちつかず、又、さまざまに談合するに、あるじの親類にて、芝邊より來あはせしものあり、その人も宵より見世に居て、事の趣をよく知りたれば、しばらく思案して、

「たとへ捨たりとも、わづかに、二分の事也。もし、その望みをかなへずば、いかなる意趣をふくみて、わざはひをなすべきか、揣り[やぶちゃん注:「はかり」。]がたし。まづ、こゝろみに、二分判一つ入れて、門の柱へ張おきて見よ。」

といふに、手代等一同に、

「しかるべく覺候。」

とて、件の小袋へ金を入れて、渠が望みのまゝに張置たり。

 さる程に、天明(よあけ)てければ、あるじ、見世に出て、件の事を問ふに、手代等こたへて、

「芝なる何がしどのゝ、『如ㇾ此(かく)々々』と、のたまふにより、我等、とりはからひて、かの袋へ、二分判ひとついれて、見世先なる柱へ張て候ひき。この事、その折告げ申すべく思ひしかども、御とりこみの折なれば、申すに及ばざりし。」

といふ。あるじ聞て、

「その金は、いかになりつる。今も、ありや、なしや。」

と問へば、手代等、こたへて、

「今朝、夜のあくると、やがて見世の戶をおしひらきて見候ひしに、金は、袋ともに、なかりき。おもふに、夜ふけて、とりに來て、もてゆきたるにこそ。」

といふ。

 あるじ聞て、

「さぞ、あらん、さぞ、あらん。世には、めづらしき强奪(おしとり)のくせものも、あれば、あるものかな。この事は、家主・名ぬしへ、耳うちしておくべし。」

と、いひながら、物に紛れて、その日、もはや已の時とおぼしきころ、同町なる繪草紙問屋の、わかさ屋何がしといふもの、町代のをとこと共に、あはたゞしげに、いづみ屋が見世に來て、若狹屋まづいふやう、

「いづみ屋ぬし、昨夜、ケ樣々々にての事は、なかりしか。」

と問ふに、あるじ驚きて、

「げにさることあり。」

と答ふ。

[やぶちゃん注:「已の時」午前十時頃。

「町代」(ちやうだい/まちだい)は町年寄や町名主を補佐するために彼らによって雇用され、町役人(ちょうやくにん)の下で町の運営上のさまざまな下級事務に携わった専業者。]

 わかさ屋、聞て、

「さればとよ。我が方にも、おなじすぢなる事、あり。しかるに、今朝未明に、御定まわり方の宅へめされて參りしに、

『いづみ屋も、來つるか。』

と問せ給ひしにより、

『いまだ參らず候。』

と申せしかば、

『罷かへりて、いづみやに、はやく來べしといへ。』

と、のたまふにより、はしりかへりて、告る也。この事、はやく訴奉らずば、後のおん咎も、はかりがたし。とくとく、し給へ。」

と、いはるゝに、あるじは、胸とゞろきて、そがまゝに、羽織うち着て、八町堀へおもむきければ、定まはりの衆よび入れて、

「汝が宿に、昨夜、ケ樣々々の事ありしか。」

と問るゝに、

「仰のごとく、さることの候ひき。」

と答へしかば、打うなづきて、

「その奸賊奴(かたりめ)は、はや、召捕れて[やぶちゃん注:「めしとられて」。]こゝにあり。よく、面を見よ。」

といはるゝに、和泉屋、ふたゝび驚きながら、急にかたへを見かへれば、年のころ、二十二、三歲とおぼしき町人體の男、いたく縛られて、をり。

[やぶちゃん注:「御定まわり方」「御定𢌞り方(おぢやうまはりかた)」町奉行所配下の同心で、江戸市中を巡回した者。「定町廻り」。]

 昨夜、松浦彌左衞門と似せ名[やぶちゃん注:「贋せ名」。]して、書狀を投おくりしには、似るべくも、あらず、いろ、うす白く、癖・かたち【◎脫字カ。】にて、世に小二才といふべき人がらなりければ、ふたゝび、心おどろきて、只あきれ果たるのみ。

 かくて宿所へ立かへりて、若狹屋とゝもに、件の事の趣を御番所へ訴奉りぬ【彼[やぶちゃん注:「かの」。]なげいれたる手紙も、そのまゝさし出せしなり。】。後にきくに、わかさ屋へ投人れたる封書も、おなじ文言にて、一字も、かはらず。しかれども、その人一人に、合力を乞ふやうに書なしたれば、合せ見ざる程は、いづれも、『われ一人に、つけられたるなめり。』と思はざるものは、なし。

 しかるに、わかさ屋は、その夜、かのなげ入れたるてがみを見て、うち驚き、やがて家主の宅へゆきて、由をつげ、又、名主の宅へ赳きて、よしを告げ、

「この事、いかゞ仕るべき。」

と問ひしに、名主、こたへて、

「それは、その方の心にあるべき事也。この方より、金子を遣せとも、つかはすなとも、指圖はしがたし。」

と、いはれたり。

 これらの往來と、問答に、小夜ふけて、はや丑三つ過たれども、

「わづかに二分の金を惜みて、わざはひをうけんより、二分捨て[やぶちゃん注:「すてて」。]こそ、夜のめは、やすからめ。」

て、是もおなじやうなる袋へ入れて、門の柱へ張りおきしに、わかさ屋が張おし金は、夜あけて見しに、そのまゝありけり。

 是により、わかさ屋は、金をば、そのまゝ納めて、彼手がみの中へ卷こめて、おくりしふくろの御番所へさし出しけり。

『そは、何ゆゑに、わかさ屋が張りおきし金はとらざりし。』

とて、後に考合するに、わかさやは、かれ是に、ひまどりて、その夜八ツすぎて、柱へ金を張りしかば、件の賊は、それより少しはやく、神明まへに來て、まづ、いづみ屋の手代の張りし金をとり、又。わかさやが見世先へ來て、柱を撫て見しに、いまだ張らざる以前の事なれば、そのまゝにゆき過し也。

 その後、わかさ屋も、金子を、かのふくろに入れて、望のまゝに柱へ張りおきし故、とられずと也。

 さて又、

「件の賊は、いかにして、はやくも召捕られし。」

と問ふに、芝宇田川町なる桐山何がしなる藥種見世へも、おなじ文言なる封書を投入れしに、桐山、ふかく、いぶかり、にくみて、家主・町代等と相談しつゝ、抱の鳶のものゝ、腕立[やぶちゃん注:「うでたて」。腕力が強いのを自慢して争いを好むこと。]を好むものありければ、その鳶のものをかたらひて、その夜、ひそかに見世の軒下に跟置しかば[やぶちゃん注:「つけおかしかば」。]、件の賊は、神明前より、直ぐに宇田川町へ赳きて、桐山が見世先にしのびより、柱へ手をかけんとする處を、待ぶせしたる鳶のもの、うしろより抱とめたり。賊は、いたく驚きながら、懷に、眞鍮錢四百文もてるを、はやく、かいつかみ、ふり揚ざまに、鳶のものゝ眉間を、

「はた」

と打しかば、額やぶれて、血は流るれども、組たる兩手を、ちつとも、放さず、頻りに聲をぞ、立たりける。

[やぶちゃん注:「芝宇田川町」「芝神明町」の東北一区画向こうの直近。この附近。]

 かねて合圖を定めし事なれば、桐山が手代、小もの等は、見世をひらきて、走り出、又、自身番屋【宇田川町の自身番屋は、きり山が見世のすぢ向ふに有。】よりも、左右の隣家よりも、人、あまた、落かさなりて、終に、賊をば、ぐるくまきにしつゝ、急に人を走らせて、定まはり方に告しにより、すなはち、召捕られたり。

 但、途中、捕りの趣にて、

「捕らせ給へ。」

と願ひしかば、桐山が名は出されず、一旦、とらへて、つき放すところを、召捕られしとかや。

[やぶちゃん注:桐山方の鳶らによって、事実上、捕縛されていたが、定町廻り同心の面子を慮って、形式上、以上のような仕方で正規の捕縛としたということである。]

 かくて、賊は入牢の後も、

「同類ありや。」

と問れしに、

「外に同類は候はず。母一人あり。妻も子ども候也。淺草寺のほとりなる飾り師にて候ひしが、近ごろ、渡世のわざ、ことの外、ひまになりて、渴命にも及ぶべきていたらくになり候により、不圖、せし、出來ごゝろにて、『松浦彌左衞門』といふ、にせ姓名をもて、處々へ封書を投入れて、おどして合力を乞し也。外に舊惡とても候はず。」

と陳じたり。

 しかれども、

「手がみの文面といひ、すべてのはかりやう、汝一人の胸より出たる事とは、思はれず。外に同類あるべし。」

とて、きびしく責問ひ給ひしかども、終に同類をば申さゞりしとぞ。

 さて又、かの賊が、おなじ文言なる手がみを投人れしは、馬喰町より、芝宇田川町まで十餘軒あり。

 みな、一件のかゝりあひなるをもて、しばしば御番所へ召呼れて、問せ給ふ事あり。

 かくて、去年とくれ、今年とたちて、七月【文政六年。】」に至りて、賊は牢死せしにより、事、やうやくに落着せり。

 和泉屋は、その事を訴奉るといへども、

「賊がいふむねにまかせて、金子を遣せし事、不埓也。」

とて、叱らせ給ふ。

 その外、一件のものども、みな、訴へ奉らざりし越度によりて、叱りおかせ給ひしとぞ。

 その中に、金もとられず、はやく訴奉りしにより、事なかりしもの、只、一人ありしとぞ。

 金をとられしは和泉屋一人也。

「手代等がはからひやう、おろかなるに似たれども、捕へて、つき出せしも、又、出來過ぎたるわざにて、あき人には、似つかはしからず。」

など、いひしものもありとぞ。

「畢竟、かざり師にて、劔術・やはらも、しらぬ賊なればこそ、よけれ、もし腕に覺あるくせものならば、彼腕立を好みし鳶のものも、あぶなきわざならずや。」

なんどいふ、評判さへ聞えたり。

 げに、かの手がみに、やはら傳授の一書をそへたるは、柔術・劔術にすぐれたるものと、思はせん爲なるべし。されば、かさねて金をとりに來つるとき、下人のおそれて近づかぬやうにはかりしかども、そは小兒をこそおどすべけれ、かく十餘軒なる門々を、夜ふけといふとも、再びとりに來つるといふ案内をさへ書しるせしは、最、をろかの至り也。

 且、歷々の町人は、をのづから、法度をわきまへ、よろづ、了筒あるものなれば、そこらは、みな、のぞきて、只、見世繁昌して、日夜に、いそがしき商人をのみ、えらみて、手がみを投入れしは、心を用ひしに似たれども、金を張りおきしは、わづかに二軒のみ。

 又、わづかに金二分を乞ひしは、出しやすからん爲なり。もし、金一兩ともいはゞ、みだりに遣すもの、あるべからず。奸賊[やぶちゃん注:「かたり」。]の計る所、大かた、こゝらに過ぎず。

 いづみ屋が遣せし金は、宇田川町にてとらへられしとき、ふり落しやしけん、その金は終に返らざりしとぞ。もし、彼賊、存命に候はゞ、遠流せらるべかりしに、牢死せしにより、死骸はとり捨たるべきむね、一統へ仰わたされしと也。

 この一件、去年十二月より、今年七月八日に至れり。

「誠に、めづらしき賊なれば、公裁も先例まれなりし故にや、八ケ月に及べり。」

と、人のいひしを、

『げに。さも侍りけん。』

と思はざるものは、なしとぞ。

 又、世評には、

「彼賊がおどしの別封に、『火災の事』なからんには、「重追放」にもなるべきものか。けしからぬことさへ書つらねしにより、遠流に定めさせ給ひしなるべし。」

と、いへり。

 げに、めづらしき奸賊也。おそるべし、おそるべし。

[やぶちゃん注:「重追放」は江戸時代の追放刑の中で最も重いもので、「関所破り」・「強訴」を企てた者などに科した。田畑・家屋敷は没収、庶民は犯罪地・住国・江戸十里四方に住むことを禁じ、武士の場合は犯罪地・住国及び関八州・京都付近・東海道街道筋などにも立入禁止とされた。彼の場合、脅しの中に重罪極刑であった「火つけ」があったことが、結果して致命的(天馬町の牢の悪環境での島流し待機による衰弱病気)であったということである。

 以下は底本では全体が一字下げ。馬琴の附記。]

 右、祕說に御座候へ共、爲御慰認候て奉ㇾ入尊覽候。最、他見を憚り候得ば、何とぞ御覽後は、このまま御返し被成下候樣、被二仰上可ㇾ被ㇾ下候。

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