曲亭馬琴「兎園小説余禄」 鼠小僧次郞吉略記
[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。
底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちらから載る正字正仮名版を用いる。
本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。句読点は現在の読者に判り易いように、底本には従わず、自由に打った。鍵括弧や「・」も私が挿入して読みやすくした。踊り字「〱」「〲」は正字化した。祭り番付など、一部を読み易くするために改行を施した。
ご存知、義賊として知られる「鼠小僧次郎吉」(寛政九(一七九七)年?~天保三年八月十九日(一八三二年九月十三日)の記事。彼については、当該ウィキが詳しいので参照されたい。]
○鼠小僧次郞吉略記
此もの、元來、木挽町の船宿某甲が子なりとぞ。いとはやくより、放蕩無賴なりけるにや。家を逐れて武家の足輕奉公など、しけり。文化中、箱館奉行より町奉行に轉役して、程なく死去せられし荒尾但馬守の供押を勤め、其後、荒尾家を退きて、處々の武家に渡り奉公したり。依ㇾ之、武家の案内に熟したるかといふ一說あり。寔に[やぶちゃん注:「まことに」。]稀有の夜盜にて、この十五ケ年の間、大名屋敷へのみしのび入て、或は長局、或は納戶金をぬすみたりしといふ。その夜盜に入りける大名屋敷、凡、七十六軒、しのび入て、得ぬすまざりける大名屋敷十二軒、ぬすみとりし金子、都合三千百八十三兩二分餘、【軒別・金別は「聞まゝの記」にあり。】是、「白狀の趣なり。」とぞ聞えける。
[やぶちゃん注:「木挽町の船宿某甲が子なりとぞ」当該ウィキでは、『歌舞伎小屋』『中村座の便利屋稼業を勤める貞次郎(定吉・定七とも)の息子として元吉原(現在の日本橋人形町)に生まれる』(注に『愛知県蒲郡市という説もあるが、日本橋説の方が有力である』とある)としており、以下の荒尾但馬守以下と合わせて、もう、この頃には、あることないことの「鼠小僧伝説」が始まっているようである。
「文化中」一八〇四年から一八一八年まで。徳川家斉の治世。
「荒尾但馬守」荒尾但馬守成章。詳細事績不詳。町奉行は文政三(一八二〇)年から文政四(一八二一)年一月まで務めてはいる。芥川龍之介「戯作三昧」(リンク先は私の古い電子化。注も別ページである)の「七」で、鼠小僧に言及した馬琴の話相手の本屋和泉屋市兵衛の台詞の中にも、この話が出るが、これは、現在、研究家によって「戯作三昧」 の典拠の一つとされる饗庭篁村の「馬琴日記紗」の「鼠小僧の事」がソースとされているので、ループしてしまっているので、原拠は不明である。
「供押」「ともおし」か(同前の「戯作三昧」の「七」で、市兵衛は『御供押し』と出る。中間(ちゅうげん)、或いは、その下の位か。
「長局」(ながつぼね)は、長く一棟に造って、幾つにも仕切った女房の住居。宮中・江戸城・諸藩の城中などに設けられていたとあるので、謂いとしては、相応しくない。]
かくて今茲[やぶちゃん注:「こんじ」。]【天保三壬辰年。】五月[やぶちゃん注:ここに底本では囲み字で『原本脫字』とある。]の夜、濱町なる松平宮内少輔屋敷へしのび入り、納戶金をぬすみとらんとて、主候の臥戶の襖戶をあけし折、宮内殿、目を覺して、頻に宿直の近習を呼覺して、「云々の事あり。そこらをよく見よ。」といはれしにより、みな、承りて見つるに、戶を引あけたる處、あり。「さては、盜人の入りたらん。」とて、是より、家中迄、さわぎ立て、殘す隈なく、あさりしかば、鼠小僧、庭に走出、屛[やぶちゃん注:塀(へい)。]を乘て、屋敷外へ「摚」[やぶちゃん注:「だう」。「支える・拒む・遮る」の意であるが、ここは、「ドン!」というオノマトペイアである。]と飛をりし折、町方定廻り役【榊原組同心大谷木七兵衞。】夜廻りの爲、はからずも、その處へ通りかゝりけり。深夜に武家の屛を乘て、飛おりたるものなれば、子細を問ふに及ばず、立地(たちどころ)[やぶちゃん注:吉川弘文館随筆大成版では漢字は『立処』。]に搦捕たり。扨、宮内殿屋敷へしのび入りしよし、白狀に及びしかば、留守居に屆けて掛合に及びしに、「途中捕りの趣に取計くれ候樣」賴[やぶちゃん注:「たのむ」。宮内殿の留守居が主語。]に付、右の趣に執行ひて[やぶちゃん注:「とりおこなひて」。]、向寄の町役人に預け、明朝、町奉行所へ聞えあげて、入牢せられ、度々、吟味の上、八月十九日、引廻しの上、鈴森に於て梟首せられけり。
このもの、惡黨ながら、人の難儀を救ひし事、しばしば也ければ、恩をうけたる惡黨、おのおの、牢見舞を遣したるも、いく度といふことを知らず。刑せらるゝ日は、紺の越後縮の帷子を着て、下には白練[やぶちゃん注:「しろねり」。]のひとへをかさね、襟に長總の珠數をかけたり。年は三十六、丸顏にて、小ぶとり也。馬にのせらるゝときも、役人中へ丁寧に時宜をして、惡びれざりしと、見つるものゝ話也。この日、見物の群集、堵[やぶちゃん注:「かき」。垣。]の如し。傳馬町より日本橋、京橋邊は、爪もたゝざりし程也しとぞ。鼠小僧の妹は、三絃の指南して、中橋邊にをり、召捕られし折まで、妹と同居也しといふ。虛實はしらねど、風聞のまゝを記すのみ。
[やぶちゃん注:「越後縮」(えちごちぢみ)は麻織物の一種。新潟県魚沼地方を主産とする。カラムシ(双子葉植物綱イラクサ目イラクサ科カラムシ属ナンバンカラムシ変種カラムシ Boehmeria nivea var. nipononivea )を用い、地の縦糸に強い撚りをかけて織り上げることで、ちじみしぼ(皺)をつけた主に夏用の織物のことを言う。
「帷子」「かたびら」。裏地を付けない一重のこと。
「白練のひとへ」「ひとへ」は「單衣」で、生糸で織った練られていない真っ白な絹で作った小袖(袖口の小さく縫いすぼまっている着流し風の上着)を言うかと思う。
「長總」「ながふさ」で、「小さなものが集まって垂れ下がっているもの」を言う。
「中橋」この附近(グーグル・マップ・データ)。]
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