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2022/08/31

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 磬―鰐口―荼吉尼天 (その7)・附「追補」 / 磬―鰐口―荼吉尼天~了

 

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。注は各段落末に配した。彼の読点欠や読点連続には、流石にそろそろ生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、句読点を私が勝手に変更したり、入れたりする。今回は分割する。

 なお、本篇はこの「追加」で終わっているが、「選集」では更に「追補」(大正六(一九一七)年四月発行の『考古学雑誌』第七巻第八号所収)がある。呈補にはないので、最後に注で「選集」を底本として追加した。そのため、新字正仮名で、さらに表記表現に有意な手が加えられてある。「選集」の最後の編者注記に『『考古学雑誌』七巻ハ号に「荼吉尼天について追補」と題して掲載、冒頭に「本誌六ノ二ノ四七および六ノ五ノ二八〇の追補とす」と著者注記があるので、これを収載した。』とある。

 

追 加 (大正五年一月『考古學雜誌』六卷五號)

 J.Theodore Bentの ‘The Cyclades,1885, p.279 に曰く、「希臘のセマントラは妙な發音器也。寺每に、大抵、木製と鐵製の此物各一を備ふ。甲は平削りの木片、多くは「もみぢ」木にて作り、凡そ三呎長、二吋幅なるを、堂の外に懸け、木槌もて打ち鳴す。通例、曉に木の者のみを敲く。然し、「レント」等の式日は、乙、卽ち、鐵製の物を打つ。是は半圓形の箍[やぶちゃん注:「たが」。]樣にて、其音、ひゞ目入たる銅鐸の如し。聞く、土耳其[やぶちゃん注:「トルコ」。]人、此邊を制伏して基督敎徒に鐘擣く事を禁ぜしより、セマントラ行はるゝに及べり」と。前囘引たるべロンが十六世紀に目擊せる者と記載稍々[やぶちゃん注:「やや」。]異なれど、大槪同じく、其稍々異なるは十六世紀より十九世紀の間に多少の改良を經たるならん。

[やぶちゃん注:「J.Theodore Bentの ‘The Cyclades, 1885, p.279」イギリスの探検家・考古学者・作家ジェームス・セオドア・ベント(James Theodore Bent 一八五二年~一八九七年)の「キクラデス諸島又は島内のギリシャ人たちの生活」(The Cyclades; or, Life among the Insular Greeks)。「Internet archive」で調べると、当該ページはここ

「セマントラ」上記リンク先で綴りは‘ semadra ’。ネットで調べたが、画像は見当たらない。

「三呎長、二吋幅」底本は前者が「三尺」となっているが、「呎」(フィート)に変えた。長さ九十一・四四センチ、幅五・〇八センチ。

「レント」上記原本では、‘a great  Lenten’とある。これは四旬斎(しじゅんさい:Great Lent)で、キリスト教(正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・プロテスタント)に於て、「復活祭を準備する期間」を言う。

「前囘引たるべロンが十六世紀に目擊せる者」「磬―鰐口―荼吉尼天 (その1)」の本文及び私の注を参照。]

 野干と狐と別獸なるは(同號四九頁末より三行目)、羅什譯妙法蓮華經二に、野干狐狼鵰鷲鴟梟と連ねたるにて知べし。野干(ジャッカル)は、その相貌、狼に近く、猾智、狐に類せり。

[やぶちゃん注:底本の「野干」のルビは「ジャ カル」であるが、不自然に字空けがあることから、「選集」で「ッ」を補った。

「野干と狐と別獸なるは(同號四九頁末より三行目)」は「磬―鰐口―荼吉尼天 (その4)」の「荼吉尼の事は、余、……」以下の段落を指すものと思う。

「羅什譯妙法蓮華經二に、野干、狐、狼、鵰、鷲、鴟梟と連ねたる」神奈川県横浜市保土ケ谷の「日蓮宗妙福寺」公式サイト内の「姚秦三蔵法師鳩摩羅什」「譯」「妙法蓮華經」とある電子データを見るに、「野干狐狗 鵰鷲鵄梟」とあった。「鵰鷲」は「てうしう(ちょうしゅう)」でワシタカ類の中で大型の種を総称する語。「鵄梟」は「しけう(しきょう)」で「鴟梟」「鴟鴞」などとも書き、フクロウ類の別名である。「鵰鷲鵄梟」獰猛な猛禽類を指す。一部の「法華経」の現代語訳では「鵰(わしたか)・鷲(わし)・鵄(とび)・梟(ふくろう)」とも分離する。]

 大正三年盂買[やぶちゃん注:「ボンベイ」。]板行 Jackson and Enthoven, ‘Gujarat Folk-lore Notes,’ ch.x 、妖巫術(ウヰチクラフト)の一章、全くダーカンのことのみを記す。前囘引いたるバルフォールの印度事彙其他、諸事、皆な、ダキニを妖巫と譯せるを參するに、ダーカンはダキニのグジャラチ名なるは、疑ひを容れず。其章の梗槪を抄せんに云く、ダーカンに二種有り、人類のと、鬼類のもの、是也。女子、特異の日に生まるゝ者、人類ダーカンたり。其夫、之が爲に死す。又、其邪視に中る[やぶちゃん注:「あたる」。]一切の人も物も、害を蒙らざる無し。產死、又、不慮の死、又、自殺で果たる婦女もダーカンと成る。或は、信ずらく、下等姓の女人、死してダーカンと成る、上等姓のダーカンは稀[やぶちゃん注:「まれなる」。]者也、と。是等の鬼類ダーカンは、美衣を著、其體を嚴飾す。然れども、背を被はず。其背、怖るべく、見る者、慄死せざるは無し。鬼類ダーカンは、止だ[やぶちゃん注:「ただ」。]、婦女のみを苦しめ、之に憑かれたる婦女は、痙攣を急發し、髮を亂して、譯も無く叫喚す。鬼類ダーカンは、男を夫とし、美食を齎し與ふれば、其男、漸次、枯瘁して、死するに、大抵、六月を出ず。又、犢[やぶちゃん注:「こうし」。]をして、乳、呑ず[やぶちゃん注:「のまず」。]、㹀[やぶちゃん注:「めうし」。]をして、乳汁を生ぜず、或は、乳の代りに血を出さしむ。ダーカンの食は人屍にして、能く天に登る。猫、水牛、山羊、其他、何獸の形にも成り、意に任せて其身を大小にす。其足は反踵也。好んで墓冢、廢池、鑛穴、荒蓼の所に居り、又、四辻に當たれる敗壚に出づ、と。此他、諸章にもダーカンの事、若干條、出たれど、今は抄せず。

[やぶちゃん注:「大正三年」一九一四年。

Jackson and Enthoven, ‘Gujarat Folk-lore Notes,’ ch.x」英国統治時代のインドのイギリス人公務員で、将校にして歴史家・インド学者でもあったアーサー・メイソン・ティペッツ・ジャクソン(一八六六 年~一九〇九年)と、同じインドの公務員でインド研究者であったレジナルド・エドワード・エントーベンReginald Edward Enthoven(一八六九年~一九五二年)の共著になるインド北西部に位置するグジャラート州(グーグル・マップ・データ)の民俗誌「グジャラートの民間伝承ノート」の第十章‘X. WITCHCRAFT.’。「Internet archive」のこちらから、当該原文が視認出来る。「ダーカン」は‘ Dākan ’と綴っている。

「枯瘁」「こすい」は痩せこけて憔悴すること。

「六月」「むつき」。

「犢」子牛。

「㹀」雌牛(めうし)。

「反踵」踵(かかと)が反り返っていること。或いは踵が逆さまについていること。

「墓冢」(ちようぼ(ちょうぼ))は墓場のこと。

「荒蓼」「選集」も同じだが、「荒寥」(くわれう(こうりょう))地の誤りだろう。]

 桃源遺事卷三に、「水戶御城下に心光寺と云寺有り。此寺は萬千代殿(信吉)の御菩提所なり。西山公、彼寺を久慈郡向山と云所へ御引せ成され、堂塔式の通りに仰せ付られ、法式等も御改正被成、且、鉦鼓は本式に非ず迚、鰐口を差し置かれ、鉦鼓の如く、撞木を以、打鳴し、念佛を可申由、是、空也上人の例也とぞ云々」と有る。例の上人が、鰐口を兩分して敲鉦[やぶちゃん注:「たたきがね」。]とせりてふ傳說に據られたるにや。(大正四年十二月二日)

[やぶちゃん注:「桃源遺事」かの徳川(水戸)家第二代水戸藩主徳川光圀に関する逸話などを集大成した書で、光圀の誕生に力を尽くした三木之次の孫三木之幹や、宮田清貞・牧野和高らによって元禄一四(一七〇一)年に編纂された。書名は「西山遺事」ともする。国立国会図書館デジタルコレクションの昭和一八(一九四三)年清水書房刊の稲垣国三郎註解「桃源遺事 水戸光圀正傳」のここで当該部が視認出来る。

「心光寺」同前のこのページの頭注に、『水戶備前町』(ここ)『にあつた、淨土州、常照山、淨鑑院と稱し寺内表六十間裏六十六間あつた。』とあるので、現存しない。

「萬千代殿(信吉)」徳川家康の五男武田(松平)信吉(のぶよし 天正一一(一五八三)年~慶長八(一六〇三)年)。母は甲斐武田氏家臣秋山虎泰の娘於都摩。幼名は福松丸・武田万千代丸。正しくは松平信吉であるが、同名の松平信吉(藤井松平家)と区別するため、武田信吉と呼ばれる。慶長七(一六〇二)年に武田(松平)家藩主として常陸国水戸二十五万石に封ぜられ、旧家臣を中心とする武田遺臣を付せられて武田氏を再興している。但し、生来、病弱であったらしく、わずか二十一歳で死去している。参照した当該ウィキによれば、彼には『子女もいなかったので』、『武田氏は再び断絶した』。『水戸藩は異母弟の頼将(のちの頼宣)が入り、頼将が駿府に移封の後は、同じく異母弟の頼房が入部し、水戸徳川家の祖とな』った。『信吉の家臣の多くは水戸家に仕えることにな』ったとある。

「西山公」徳川光圀の尊号の一つ。彼はガチガチの排仏派であった。

「久慈郡向山」(むかうやま)延宝五(一六七七)年に心光寺は光圀の命で那珂郡向山村(現在の茨城県那珂市向山。グーグル・マップ・データ)に移されている。但し、そこにも現存はしない。

 以下、前注通り、「選集」に載る「追補」を添える。

   *

【追補】

 ドイツ人 A. F. L. M.Freiher von Haxthausen の‘Transcaucasia,Sketches of the Nations and Races between the Blak Sea and the Caspian,trans. Taylor, London, 1854, p.192 にいわく、ウトミシュ・アルテテム山に三百六十六谷あり。これについてアルメニア人伝えていわく、この国の一窟にむかし吸血鬼(ベムパヤール)棲み、その名をダクハナヴァール Dakhanavar という。この吸血鬼、きわめて人々がこの山の谷の数を知ることを忌み、山に入る者あれば、必ず夜中その足裏より血を吸って死に至らしむ。黠智に富める者二人、谷を数えんとて山に入るあり。日暮に及び、相謀って互いに両足を頭下に敷いて臥す。夜半に鬼来たり探るに、人体の両端に頭あって全く足なし。よって独語すらく、予かつてこの山の三百六十六谷を巡り人の血を吸い殺せしこと無数なるも、二頭あって足なき人に遇うはこれが始めなり。と言い終わりて逃げ去り、爾来また見えず。これより人初めてこの山の谷の数を知れり、と。ダクハナヴァールなる名も、血を吸って人を殺すことも、荼吉尼を飲血者(アスラ・パス)と呼ぶに似たれば、このアルメニアの鬼譚はもとインドの荼吉尼(グジャラチ名ダーカン)談と同根に出ずるものか。件(くだん)のハクストハウセンの書は本邦で多く読まれぬものらしきゆえ、見出ずるまま書きつけて荼吉尼天のことを調ぶる人の参考に供す。(一月二十日)

  (大正六年四月『考臺学雑誌』七巻八号)

   *

A. F. L. M.Freiher von Haxthausen の‘Transcaucasia,Sketches of the Nations and Races between the Blak Sea and the Caspian, trans. Taylor, London, 1854, p.192」ドイツの農学者・弁護士で作家のアウグスト・フォン・ハクストハウゼン(August Franz Haxthausen 一七九二年~一八六六年)。彼は一八四三年に六ヶ月間に亙ってロシアを旅した。ノヴゴロド・カザン・コーカサス・キーウを経てモスクワに至っている。翌年の春にドイツに戻って、印象を書き留めており、その体験の一部が後にこれ(「トランスコーカシア、黒海とカスピ海の間の国々と人種のスケッチ。」)となったもののようである。「トランスカウカシア」は「ザカフカス」(カフカスの彼方)に同じで、大カフカス山脈の南側の地域を指す呼称。現在のアゼルバイジャン・アルメニア・ジョージアの三共和国に相当する。他に「外カフカス」「南カフカス」とも称する。「Internet archive」のこちらで英訳である当該原本がここで読める(左ページから続いている)。

「ウトミシュ・アルテテム山」前の原本に‘Ultmish Altötem’とある。アルメニアはここ(グーグル・マップ・データ)だが、この山は現認出来ない。

「吸血鬼(ベムパヤール)」原文‘vampyre’。

「黠智」既出既注。「かつち」で「悪知恵」の意。]

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