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2022/08/23

多滿寸太禮卷第五 村上左衞門妻貞心の事

 

[やぶちゃん注:基礎底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこれPDF・第四巻一括版。挿絵は国書刊行会「江戸文庫」版の木越治校訂になる「浮世草子怪談集」のそれをトリミング補正して、適切と思われる箇所に挿入した。]

 

    村上左衞門《むらかみさゑもんが》妻貞心の事

 中比(なかごろ)の事にや、四海、波、靜(しづか)にして、都鄙、遠境、君(きみ)の德にたのしみ、尊貴高家(かうけ)には、笙歌夜月(せいか《やげつ》)を家々に翫(もてあそ)び、誠に、めでたき世中なり。

[やぶちゃん注:「中比」そう遠くない昔。本作の刊行された江戸中期(元禄一七(一七〇四)年正月)から考えれば、鎌倉時代の中期の安定期から室町前期辺りとなろうが、後の本文の「かせ奉公」(後注有り)という語から、後者と推定した。

「笙歌夜月(せいか《やげつ》)」月の夜に、笙(しょう)の笛を吹き、歌を歌って楽しむこと。これは「和漢朗詠集」の巻上の二十四番、菅原文時(昌泰二(八九九)年~天元四(九八一)年:道真の孫)の、

   *

笙歌(せいか)の夜(よる)の月の家々(いへいへ)の思(おもひ) 詞酒(しいしゆ)の春の風の處々(ところどころ)の情(こころ)   菅三品(くわんさんぼん)

  笙歌夜月家々思 詞酒春風處々情  菅三品

   *

に拠る。これに従えば、「夜月」は「よるのつき」であるが、作者は下方に読みを添えておらず、四字熟語として用いているので、音読みとした。]

  其の比しも、尊卑をいはずして、鬮(くじ)を取りて相手を定め、興を催《もよほ》し、遊びとし、引出ものを結講(けつかう)する事、すべて貴賤上下(じやうげ)は申《まをす》に及ばず、洛中より邊土に及《およべ》り。是によりて、坐敷を、かざり、時ならぬものを求め、種々(しゆしゆ)のたはむれに日を送る。

 或る臣の家に、此儀式を好みて、男女《なんによ》上下をいはず、くじにまかせて、相手をさだむるに、亭主の御相手に、此《この》三、四年以前に、始めて參りたる侍《さむらひ》に、村上左衞門國方とて、いまだ、むそくの奉公の者、とりあひたり。人こそ多《おほき》に、御相手に成《なり》ぬれば、あるじの御心《みこころ》にも、好ましからず思ひ給ひぬ。

 左衞門も、

『はうばい・外樣《とざま》の相手ならば、かたのごとく、いとなむ事も有べきに、是は思ひもよらぬ過分の御(おん)相手になり、いかゞせん。』

と案じ煩ひける。

[やぶちゃん注:「村上左衞門國方」不詳。

「むそく」「無足」。中世以降、家臣の内で知行領地を持たないことや、奉公や職務に対する相応の報酬給付がないこと、また、そのさまや、そうした者を指して言った。]

  扨も、家に歸りて、妻に語りけるは、

「日比(ひごろ)、互に、こゝろざしも淺からず。此《この》とし月、かせ奉公をもし侍る。なにさま、身をたつる品(しな)もあらば、一たびは報はめとこそ思ひつるに、思ひの外の事、侍りて、『出家發心して、山々寺々をも修行し、後世(ごぜ)をこそ祈りまいらせん。』と、思ひたち侍る。年比の名殘も、こよひ斗りと思ふに、爲方(せんかた)なし。」

とて、さめざめと泣きふしける。

[やぶちゃん注:「かせ奉公」「悴(かせ)奉公」。「悴者(かせもの)奉公」。中世後期の武家被官の一つで、配下の侍の最下位。中間(ちゅうげん)の上で、若党や殿原(地侍)に相応する身分。「かせにん」「かせきもの」とも呼んだ。参照した小学館「日本国語大辞典」の用例には、『常陸税所文書』を挙げ、『年未詳』としつつも宝徳四/享徳元(一四五二)年から寛七/文正元(一四六六)年頃とし、十月十四日附書状に『巨細者可加世者申候』とある。]

 妻、おどろき、

「何事にか、かゝる御心《みこころ》は、俄かにつきたるぞ。」

と問へば、

「まことは、道心のおこりたるにも、あらず。又は、奉公に私(わたくし)もなし。たゞ、身のありさまのかなしくて、思ひ立ちたる斗りなり。當世、おしなべてする事なる鬮取(くじとり)の、御所(ごしよ)にも御沙汰有《あり》て、日を定められつるに、運の究《きはめ》のかなしさは、上(うへ)樣の御相手(おんあいて)に成りて、『引出物、見ぐるしからん。』と、をそれあり[やぶちゃん注:ママ。]。又は、人の思ふ所も恥づかし。笑われぬ[やぶちゃん注:ママ。]程に、いとなむべき力も、なし。ひとへに、冥加のつくる所と思ふ故に、かくは思ひ立ちぬる。」

と語れば、妻、これを聞《きき》て、

「誠に、左(さ)思ひとり給ふは、ことはりにてさふらふ。たゞし、この事ならば、など歎き給ふぞ。人の果報・幸ひといふ事も、心から、とこそ、いふめれ。已に御相手になりて、跡をくらまして失せなむも、上《うへ》の御爲《おんため》、しかるべからず。たとへ、此たび、世をのがれんと覺し給ふに付けて、尋常なる引出物、一つ。奉りて、その上にてこそ、出家もし給はゞ、道(みち)ならめ。ふかきえにしあればこそ、夫婦とも成《なり》ぬらん。歎きも、同じ歎き、悅《よろこび》も、同じく、よろこぶべきこそ、本意《ほい》ならめ。出家し給はゞ、吾とおなじく、さまをかへて、一筋に後(のち)の世をこそ、願はむずらめ。此の家も地も、親の代より、吾物《わがもの》にて侍れば、ともかくも、しか、へて、思ひ出《いだ》し給へ。一日も、かくて有《あり》ながら、いかにか、かなしみ給ふらん。」

といひければ、夫、云ふやう、

「かゝるつたなき身につれあひ給ひて、いつとなく心哀しき事斗りにて、此とし月、片腹いたくてぞ、おはすらん。我故《わがゆゑ》に、物ごとをさへ身を失はせまいらせん事、かへすがへす、あらざる事成《なる》べし。此事とては、思ひより、なき事なり。おことは、わかき人なれば、いかなる事をもして、世を送りなむ。わが身は、をどりありかむ事も易かるべし。年比の名殘こそ、かなしく覺ゆれ。」

とて、淚をながしけり。

[やぶちゃん注:「吾とおなじく、さまをかへて」「吾と」は副詞で「自分から」の意。「あなたが出家なされたら、私も自ら様を変えて出家致し、」の意。]

 妻は、

「猶、心をへだてゝ、かくは仰らるゝぞや。」

と、夜もすがら、いさめ、夜も明ければ、此いとなみの外、他事(たじ)なく、實に淺からず見へければ、

「さらば、ともかくも女房の斗《はから》ひにしたがはむ」

とて、屋地を、うりて、用途五十貫ほど、有けり。

 銀《しろがね》の折敷《をしき》に、金《こがね》の橘《たちばな》をつくらせて、ことごとしからぬやうにて、紙につゝみ、懷中して參りけり。

 かくて、傍輩も、をのをの、相手・相手に引出物して、はへばへしかりけり[やぶちゃん注:ママ。「はえばえし(映え映えし)」で「光栄である・晴れがましい」の意。]。

「何某は、上の御相手に參りて、その用意、有《ある》か。」

と、傍輩どもの問《とひ》ければ、

「いかでか用意仕らざらん。」

と、答へければ、

『いかほどの事か、仕《つかまつり》いたすべき。』

とて、目ひき、鼻ひき、貌(かほ)をそばめて、おかしげに思ひけり。

 上にも、片腹いたく思召《おぼしめし》たる氣色(けしき)なり。

 已に、ふところより、紙につゝみたる物を取り出だすをみて、

『させる事あらじ。』

と思ひて、あまりの笑止さに、諸人(しよにん)、面(おもて)をふせけり。

  扨、御前(ごぜん)に置きたる物をみれば、白銀(しろがね)の折敷に、金の橘を置《おき》たり。心も及ばれず、つくりたるにてぞ、有《あり》ける。

 これをみて、みな、目をおどろかし、上下男女、にがりきつてぞ、ゐたりける。

「抑(そもそも)、御恩もなきに、かゝるふしぎは、仕出したるぞ。」

と、御所中(ごしよちう)の人に尋ね仰せらるゝに、かのあらまし、委しく知りたる人、有《あり》しが、妻の心ざし、其身のありさま、ことごとく、申上《まをしあげ》ければ、大《おほい》に感じ下されて、返へり引出物には、かみ一枚(まい)をぞ、たびにける。

 

Murakamikunitaka

 

 是は、都ぢかき住吉郡(すみよしこほり)にて、大庄(だいしやう)一ヶ所永代(ゑいたい)押領(おうれう)すべき「御敎書(みげうしよ)」にてぞ、ありける。

 此の志(こゝろざし)を感じ思召《おぼしめし》て、五位尉(ゐのぜう)になされて、家の一臣にぞなされける。

 妻は、夫の爲に貞烈を顯はし、夫は、又、忠臣の本意(ほい)に叶ひて、子孫、ながく、榮花を究めしも、ひとへに、天のめぐみなるを、仰《そもそも》、夫婦とは、專ら五倫を兼たる物なり。

 故に、武王は、「吾に九臣あり。十人のみ。」と、妻を臣にたとへ給ひ、「小學」には、『夫婦禮順なるを、賓主のごとし。』といへり。

 かゝる、奧、ふかく、德、たかきものなるを、みだりに、亂行婬色《らんぎやういんしよく》にて、故なく家を破り、嫉妬にむねをこがして、夫婦の緣をも、ながく離別し、あまつさへ、故なき他人までも、うき名を、おほせぬる事、みな、婬欲のふたつに歸(き)す。

 いま、左衞門尉が妻は、ひとへに、わが身の欲を捨(すて)て、夫の爲に忠をなす。

 豈(あに)天の加護あらざらむや。

[やぶちゃん注:「武王」殷を滅ぼし、周を立てた初代の王(在位:紀元前一〇四六年?~紀元前一〇四三年)。

「小學」南宋の朱子学の創始者朱熹(一一三〇年~一二〇〇年)が朱子学を学ぶ基本書として五十代の頃に著したもの。「小學書」とも。

「賓主」賓客と家の主人。]

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