「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 磬―鰐口―荼吉尼天 (その6)
[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。
以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから(左の後ろから三行目下方から)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。注は各段落末に配した。彼の読点欠や読点連続には、流石にそろそろ生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、句読点を私が勝手に変更したり、入れたりする。今回は分割する。
太字は底本では傍点「○」。]
序に言ふ。趙末、西天三藏法賢譯佛說瑜伽大敎王經卷五に、復次辟除法、持誦者用獯狐翅、上書眞言及所降人名、以淨行婆羅門髮纒之、卽誦眞言加持、密埋地中、復想二大明王於彼打之、次想吽字、化成微小金剛杵、入所降人身、變成羯磨杵、有大熾焔、打彼降人、身分肢節悉令乾枯、又想諸金剛拏枳儞、悉來唼所降人身血、如是作法、速得辟除、誦此眞言曰、唵引嚩日囉二合拏引枳儞一阿目割寫囉訖多二合阿引羯哩沙二合野吽引發吒半音二、誦此眞言已、依法相應、彼降伏人、速得身分乾枯、乃至除滅。拏枳儞の荼吉尼に同じきは言を俟たず。囉訖多は其一名と見え、元魏婆羅門瞿曇菩提流志が譯せる正法念處經十六に多を吒に作る。言く、囉訖吒(魏にて血食を言ふ)餓鬼、本爲人時、愛樂貪嗜血肉之食、其心慳嫉、戲笑作惡、殺生血食、不施妻子、如是惡人云々、墮惡道中、貪嗜云々、人皆名之、以爲夜叉。供養奉事。以血塗泥、 而祭祀之。既噉血已、恐怖加之、數求禱祀、人皆說之、以爲靈神、如是次第、得自活命壽命長遠云々。上に引る眞言は、此血食鬼を役使して仇人の血を吸ひ、身體枯槁して死に至らしむる者なり。其作法中に獯狐翅を用ると有るは、惟ふに、訓狐と同字にて梟の異名なるべし(法賢が譯せる金剛薩埵說頻那夜迦天成就儀軌經三にも、童女をして他人を好まず自分をのみ愛敬せしむる法を修するに、獯狐と鳥肉を食ふ[やぶちゃん注:「くらふ」。]事有り)。翅を用ると有るにて其然るを知る。狐の字あるを見て、猝に[やぶちゃん注:「にわかに」。]荼吉尼に狐を係る[やぶちゃん注:「かくる」。関係付ける。]事、印度既に有りし、と斷ずべからず。(八月十七日)
[やぶちゃん注:以上の経典は「大蔵経データベース」で校合した。孰れも中略があり、前者はそれがひどいので、一部は復元した。「選集」の一部を参考に手を加えた(具体的には熊楠の割注『(魏にて血食を言ふ)』は底本では、ただ、『(血食)』である)。
「趙末」不審。「選集」もそのままだが、百七十五年続いた趙は紀元前二二八年に秦に滅ぼされており、未だ仏教は伝来しておらず、中国への伝来はずっと後の一世紀である。以下の「西天三藏法賢」(?~一〇〇〇年)の訳になる「佛說瑜伽大敎王經」の成立は北宋末期であるから、「宋末」の誤りである。北宋の王は趙氏であるから、それで誤ったものだろう。以下、「復次辟除法、……」以下を訓読する。
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復(ま)た次に、辟除の法は、持誦する者、獯狐(くんこ)の翅を用ふ。上に眞言及び降(くだ)す所の人名を書き、淨行婆羅門の髮を以つて之れを纏ひ、卽ち、眞言を誦して加持し、密かに地中に埋む。復た、想ふ、『二大明王、彼(かしこ)に於いて之れを打つ』と。次に想ふ、『「吽」(うん)の字、化して微小なる金剛杵(こんがうしよ)と成り、降す所の人身に入り、變じて羯磨杵(かつましよ)と成り、大いに熾(も)ゆる焔(ほのほ)有りて、彼(か)の降す人を打ち、身分・肢節を悉く乾(かは)き枯らしむ。』と。又、想ふ、『諸(もろもろ)の金剛の拏枳儞(だきに)、悉く來たりて、降す所の人の身血を唼(すす)る。』と。是(かく)のごとく、法を作(な)せば、速やかに辟除するを得。此の眞言を誦するに曰はく、「唵引嚩日囉二合拏引枳儞一阿目割寫囉訖多二合阿引羯哩沙二合野吽引發吒半音二。」[やぶちゃん注:多分発音(「引」は長音、「二合」は繰り返すことか)を表わすのであろう傍注を除いて漢字だけの読みを試みると、「アン バジラ ヌ シニ アモクカツシヤラキツタ ア カツリサ ヤウン ハツタ」か。]と。此の眞言を誦し已(をは)れば、法に依つて相ひ應じ、彼(か)の降伏する人、速やかに身分の乾き枯れ、乃至(ないし)は除滅するに至る。
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「元魏婆羅門瞿曇菩提流志」(げんぎ ばらもん ぐどん ぼだいるし)で、北インド出身の訳経僧「菩提流支」(ぼだいるし)のことであろう。北魏の都であった洛陽で訳経に従事し、大乗経論を三十部余り翻訳している。漢訳名を「道希」とも称した。訓読する。熊楠の割注も推定で書き換えた。
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囉訖吒(らきつた)(魏にて「血を食らふこと」を言ふ)餓鬼、本(もと)、人たりし時、愛樂して、血肉の食を貪-嗜(むさぼ)れり。其の心、慳嫉(けんしつ)にして、戲笑(ぎしやう)しては惡を作(な)し、殺生して血を食らひ、妻子に施さず。是(かく)のごとき惡人は云々、惡道の中に墮ち、血を貪-嗜る云々、人、皆、之れを名づくるに、以つて「夜叉」と爲(な)し、供養奉事するに、血を以つて塗泥(でいと)し、 而して之を祭祀す。既に血を噉(くら)ひ已(をは)れば、恐怖を人の加へ、數(しばしば)、禱(いの)ろ祀(まつ)ることを求む。人、皆、之れを說(よろこ)び、以つて靈神(れいしん)と爲(な)す。是(かく)のごとくに次第して、自(みづか)ら活命することを得、壽命は長遠なり云々。
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「慳嫉」物惜しみをし、嫉妬深いこと。「塗泥」本来は「泥濘(ぬかるみ)」の意だが、その邪神の身体に塗りたくることであろう。
「訓狐」これは、「夜、キツネを訓育(調教)する者」の謂いで、鳥の名であり、狐ではない。現行では、フクロウ目フクロウ科コノハズク属コノハズク Otus scopsに比定されている。最後の熊楠の注意喚起はすこぶる正しい。「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鴞(ふくろふ) (フクロウ類)」の私の「訓狐」の注を参照されたい。
「金剛薩埵說頻那夜迦天成就儀軌經三にも、童女をして他人を好まず自分をのみ愛敬せしむる法を修するに、獯狐と鳥肉を食ふ事有り」「大蔵経データベース」で確認したところ、『食獯狐及烏肉已。稱童女名顧視十方心作觀想。從夜至旦法得成就。彼之童女不欲事於他人。』とあるのが確認出来た。
「八月十七日」大正四(一九一五)年。]
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