「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 磬―鰐口―荼吉尼天 (その5)
[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。
以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから(右の後ろから二行目中途から)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。注は各段落末に配した。彼の読点欠や読点連続には、流石にそろそろ生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、句読点を私が勝手に変更したり、入れたりする。今回は分割する。]
ダキニ(荼吉尼)は、バルフォールの印度事彙に、妖巫(ウヰツチ)、又、女魅(フイーメル・ゴブリン)、又、飮血者(ブラツド・ドリンカー)(アスラ・パス)と名く、女小鬼(フイーメル・イムプ)の一種、カリに侍し、人肉を噉ふと有り。カリはシヴア神の后にて、慈恩傳三に、玄奘三藏、阿踰陀國より阿耶穆國に往く途中、賊、出で來たり、玄奘を殺して、突伽天神に嘉福を祈らんとせしてふ突伽(ヅルガ)と同神異相なり。カリ、兇相、極めて怖るべく、死と破壞を司どり、隨て[やぶちゃん注:「したがつて」。]、墓所の女神たり。以前は、其祭日に男子を神廟に捧げしに、夜中、カリ、現はれて、其血を吸ひ、之を殺せりと云ふ。荼吉尼衆は、實にカリに隨從する女魅輩にて、人の血肉を飮食す。されば、密敎徒が尊奉する荼尼天は、荼吉尼衆の本主、元とカリ女神と同體異相の者なるべければ、野干と多少の類緣、無きに非じ。蓋し野干はヒエナと俱に、インドで最も普通に人屍を求め食ふ獸なればなり(印度事彙三板二卷三九四頁參看)。扨、本邦、此獸を產せず。經律所見の野干黠智に富める事、酷しく[やぶちゃん注:「はなはだしく」。]狐に似たれば、輙ち、狐を野干と混視して、荼吉尼天の使い物、又、荼吉尼衆と同體とせるならん。野干が荼吉尼衆と俱にカリ女神の使者たりてふ事、書き留めたる物、眼前に在り乍ら、其抄物、多册にて、一寸、見當て得ざるぞ、遺憾なる。
[やぶちゃん注:「バルフォールの印度事彙」スコットランドの外科医で東洋学者エドワード・グリーン・バルフォア(Edward Green Balfour 一八一三年~一八八九年:インドに於ける先駆的な環境保護論者で、マドラスとバンガロールに博物館を設立し、マドラスには動物園も創設し、インドの森林保護及び公衆衛生に寄与した)が書いたインドに関するCyclopaedia(百科全書)の幾つかの版は一八五七年以降に出版されている。「Internet archive」の“ The Cyclopaedia of India ” (一八八五年刊第一巻)の原本の「877」ページの右列の十五行に‘DAKINI’の当該項目が確認出来る。起こしておく。
*
DAKINI. HIND. A witch, a female goblin. In Hindu mythology also called Asra-pas, or blooddrinkers ; a kind of female imp, attendant on Kali, and feeding on human flesh.
*
この内、‘goblin’(ゴブリン)は、醜い小人の姿をしたいたずら好きの精霊。森や洞窟に住み、ドイツでコボルト、フランスではゴブランと呼ぶ。嘗て、映画で有名になったグレムリン gremlin もゴブリンの一種である。
「カリ」「カーリー」はヒンドゥー教の女神。当該ウィキによれば、『その名は「黒き者」あるいは「時」の意(「時間、黒色」を意味するカーラの女性形)』。『血と殺戮を好む戦いの女神。シヴァの妻の一柱であり、カーリー・マー(黒い母)とも呼ばれる。仏典における漢字による音写は迦利、迦哩』。『シヴァの神妃デーヴィー(マハーデーヴィー)の狂暴な相のひとつとされる。同じくデーヴィーの狂暴な相であるドゥルガーや、反対に柔和な恵み深い相であるパールヴァティーの別名とされるが、これらの女神は元はそれぞれ別個の神格であったと考えられている』。『全身青みがかった黒色で』三『つの目と』四『本の腕を持ち』、四『本の腕の内』、『一本には刀剣型の武器を、一本には斬り取った生首を持っており』、『チャクラを開き、牙をむき出しにした口からは』、『長い舌を垂らし、髑髏』乃至『生首をつないだ首飾りをつけ、切り取った手足で腰を飾った姿で表される。絵画などでは』十『の顔と』六『本から』十『本の腕を持った姿で描かれることもある』。『シャークタ派で聖典とされる』「デーヴィーマーハートミャ」に『よると、女神ドゥルガーがシュムバ、ニシュムバという兄弟のアスラの軍と戦ったとき、怒りによって黒く染まった女神の額から出現し、アスラを殺戮したとされる。自分の流血から分身を作るアスラのラクタヴィージャとの戦いでは、流血のみならず』、『その血液すべてを吸い尽くして倒した』。『勝利に酔ったカーリーが踊り始めると、そのあまりの激しさに大地が粉々に砕けそうだったので、夫のシヴァ神がその足元に横たわり、衝撃を弱めなければならなかった。その際にシヴァの腹を踏みつけてしまい』、『ペロリと長い舌を出したカーリーの姿が、多くの絵や像で表現されている』。『殺戮と破壊の象徴であり、南インドを中心とする土着の神の性質を習合してきたものと解される。インド全体で信仰されているポピュラーな神だが、特にベンガル地方での信仰が篤』い。『インドの宗教家、神秘家ラーマクリシュナも熱心なカーリーの信奉者だった』。『インドにおいて』十九『世紀半ばまで存在していたとされているタギーとは、カーリーを信奉する秘密結社で、殺した人間をカーリーへの供物としていた』とある。なお、インド神話には長音のない「カリ」という悪魔が別にいるが、カーリーとは無関係なので注意が必要。
「慈恩傳三に、玄奘三藏、阿踰陀國より阿耶穆國に往く途中、賊、出で來たり、玄奘を殺して、突伽天神に嘉福を祈らんとせしてふ突伽(ヅルガ)と同神異相なり」「慈恩傳」は「大慈恩寺三藏法師傳」。三蔵法師として知られる唐の玄奘(六〇二年~六六四年)の伝記。全十巻。唐の慧立の編になる。「大蔵経データベース」で調べたところ、第三巻の以下のやや長い部分が当該部であると思われる。熊楠の訳と一致する箇所に下線(完全一致と思われ箇所は太字下線)にした。
*
法師自阿踰陀國禮聖跡。順殑伽河。與八十餘人同船東下欲向阿耶穆佉國。行可百餘里。其河兩岸皆是阿輸迦林非常深茂。於林中兩岸各有十餘船賊。鼓棹迎流一時而出。船中驚擾投河者數人。賊遂擁船向岸。令諸人解脱衣服搜求珍寶。然彼群賊素事突伽天神。毎於秋中覓一人質状端美。殺取肉血用以祠之。以祈嘉福。見法師儀容偉麗體骨當之。相顧而喜曰。我等祭神時欲將過不能得人。今此沙門形貌淑美。殺用祠之豈非吉也。法師報。以奘穢陋之身得充祠祭。實非敢惜。但以遠來意者欲禮菩提樹像耆闍崛山。并請問經法。此心未遂。檀越殺之恐非吉也。船上諸人皆共同請。亦有願以身代。賊皆不許。於是賊帥遣人取水。於花林中除地設壇和泥塗掃。令兩人拔刀牽法師上壇欲即揮刃。法師顏無有懼。賊皆驚異。既知不免。語賊。願賜少時莫相逼惱。使我安心歡喜取滅。法師乃專心覩史多宮念慈氏菩薩。願得生彼。恭敬供養受瑜伽師地論。聽聞妙法成就通慧。還來下生教化此人。令修勝行捨諸惡業。及廣宣諸法利安一切。於是禮十方佛正念而坐。注心慈氏無復異縁。於心想中若似登蘇迷盧山。越一二三天見覩史多宮慈氏菩薩處妙寶臺天衆圍繞。此時身心歡喜。亦不知在壇不憶有賊。同伴諸人發聲號哭。須臾之間黒風四起折樹飛沙。河流涌浪船舫漂覆。賊徒大駭。問同伴曰。沙門從何處來。名字何等。報曰。從支那國來求法者此也。諸君若殺得無量罪。且觀風波之状。天神已瞋。宜急懺悔。賊懼相率懺謝稽首歸依。時亦不覺。賊以手觸。爾乃開目謂賊曰。時至耶。賊曰。不敢害師。願受懺悔。法師受其禮謝。爲説殺盜邪祠諸不善業。未來當受無間之苦。何爲電光朝露少時之身。作阿僧企耶長時苦種。賊等叩頭謝曰。某等妄想顛倒爲所不應爲事所不應事。若不逢師福徳感動冥祇。何以得聞啓誨。請從今日已去即斷此業。願師證明。於是遞相勸告。收諸劫具總投河流。所奪衣資各還本主。並受五戒。風波還靜。賊衆歡喜頂禮辭別。同伴敬歎轉異於常。遠近聞者莫不嗟怪。非求法殷重何以致茲。從此東行三百餘里。渡殑伽河。北至阿耶穆佉國。
*
この「阿踰陀國」は「アユダこく」で、比定地としてインド・タイ・中国・日本などの説あるが、インドのアヨーディヤー(グーグル・マップ・データ)が最有力であると、ウィキの「首露王」にあった。インドの古都で、現在のウッタル・プラデーシュ州北部のファイザーバード県の内。「耶穆」佉「國」は「アヤムカこく」「アヨームカこく」「アヤボクキヤこく」で中インドの国らしい。「突伽(ヅルガ)」サンスクリット語「ドゥルガー」の漢音写。ヒンドゥー教の女神で、その名は「近づき難き者」の意。参照した当該ウィキによれば、『シヴァ神の神妃とされ』、『デーヴァ神族の要請によってアスラ神族と戦った』とし、『外見は優美で美しいが、実際は恐るべき戦いの女神で』、三『つの目を持っており、額の中央に』一『つの目がある』十『本あるいは』十八『本の腕に』、『それぞれ』、『神授の武器を持つ。虎もしくはライオンに乗る姿で描かれる』。『仏教においては准胝観音になったという説もあ』り、『突伽天女、突伽天神、塞天女とも呼ばれ』、『玄奘三蔵の伝記』「大慈恩寺三蔵法師伝(慈恩伝)」では『突伽という表記で登場する』。別名『チャームンダーを音写した遮文荼(しゃもんだ)という名前で七母天の一尊に数えられ』、『焔摩天の眷属にもなっている』とある。以上を見るに、玄奘はハンサムであったが故に、人身御供として狙われたが、その美男と仏徳故に、彼らを教化し、救われているのである。
「ヒエナ」英語‘hyena’で、哺乳綱食肉目ネコ亜目ハイエナ科 Hyaenidaeのハイエナ類。
「印度事彙三板二卷三九四頁」「Internet archive」の原本のここの「JACKAL」の項。左列の下から二行目に‘hyæna’の合成語表記でハイエナが出る。
「黠智」「かつち」で「悪知恵」の意。]
« 「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 磬―鰐口―荼吉尼天 (その4) | トップページ | 「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 磬―鰐口―荼吉尼天 (その6) »