毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 紫螺・岩辛螺(イワニシ) / イボニシ
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。一部をマスキングした。データとクレジットは左丁の左下に、「以上勢州二見浦産 所藏」「丙申年二月大生氏勢刕大神宮拜詣帰𨊫爲土産予送之眞寫」とある。最後の「砑螺・ツメタ貝」で考証・訓読して注をするが(「𨊫」は中文サイトで「乃」の異体字とあるのを漸く見つけた)、謂うところは、「この見開きに描いた個体群は、総て、伊勢の二見ヶ浦産で、現在は私自身の所蔵になるものであるが、もとは私の知人の大生氏(読みは現代仮名遣で「おおばえ」・「おおう」・「おおぶ」・「おおしょう」などがある)が、伊勢神宮を参詣して帰るに際し、土産として私に送って呉れたもので、それを写生した。」ということのようである。]
紫螺
岩辛螺(いわにし)【「百貝圖」。】
[やぶちゃん注:古くは貝紫(かいし)の原料の一種となり、また、肉が強い苦辛味を持つところの、
腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目新腹足下目アッキガイ上科アッキガイ科レイシガイ亜科レイシガイ属イボニシThais clavigera
「疣辛螺」である。私は小学生の頃、江ノ島の岩場で白いハンカチを紫に染めた記憶と、塩茹でにして食って美味かったことぐらいしか覚えがないが、ウィキの「イボニシ」は、生態の「繁殖」のパート、及び、和歌山県田辺湾での同種の個体群の二型(C型とP型)の、形態と食性が異なり、さらに二つの群が遺伝的にも異なること、しかも、日本各地に見られる同種の多くはこのC型やP型とは異なる別の型であることなど、非常に興味深い記載があり、思わず、食い入るように読んでしまった。
「百貝圖」寛保元(一七四一)年の序を持つ「貝藻塩草」という本に、「百介図」というのが含まれており、介百品の着色図が載る。小倉百人一首の歌人に貝を当てたものという(磯野直秀先生の論文「日本博物学史覚え書Ⅺ」に拠った)。]
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