只野真葛 むかしばなし (55)
一、四郞左衞門樣師の澁川伴五郞は、男子兩人有しが、微力(びりき)にて、家業にうとく、昨今の弟子にも、自由に取(とり)まわさるゝ樣なりしとぞ。諸門弟も、下々、笑(わらひ)そしりて有(あり)しとぞ。
其子共、十四、十六ともいふ年の頃、伴五郞に至て懇意の友、來り、つくづくいけんせしは、
「扨、其許(そこもと)、如何思わるゝや。子息達、此如(かくのごと)く、かよわき生(しやう)にては、家業、繼(つぎ)がたかるべし。門弟の内より見ぬきて、業(わざ)をつがせ、子達は餘(ほか)の業を學ばせらるゝぞ、よからめ。」
と云出(いひいで)しに、兩人の子も其座に有しとぞ。
伴五郞、さしうつむき、
「困り入(いり)たる事。」
とばかり、こたへて、すゝめし事には從ざりしとなり。
諌めし人、いきどほりて、
「お爲《ため》と存(ぞんず)ればこそ、申出(まをしいで)し事なり。御用(おんもち)ひ、無(なき)に於ては、せんもなし。重(かさね)て御目にかゝり難し。かほど、かよわき子達を、さも有者(あるもの)と思わるゝは、親心とは申(まをし)ながら、氣の毒の事。」
とて、立(たち)たりしとぞ。
此諫(いさめ)を聞(きき)て、兩人の子供は、胸も摧くるばかりにて、落淚して有しとぞ。
それより、兩人いひ合せて、門人歸りし跡にて、晝夜、怠らず、やわら取(とり)て有しとぞ。夜も一ト時づゝ、外(ほか)は寢ざりしに、半年ほど、左樣に精出(せいいだ)して稽古したれば、弟の方は、餘程、上りしが、兄はうごかぬ事なりし、となり。
それにも屈せず、殊更、骨折(ほねをり)て有(あり)しかば、三年を經て、一度に上達し、兄の方、格別に强く成(あり)しとぞ。
はじめ、門人ども、壱人(ひとり)も勝(かつ)事、能わぬほどに成たり。
ワ、おぼへて、伴五郞とて來りし人は、此兄なり。小男にて有し。
父伴五郞、增上寺山門の明(あき)たる時、見物に登りしが、人込(ひとごみ)の上、女の見物、多く、
「めぐるに、はかどらぬ。」
とて、欄檻(らんくわん)を渡りて有しが、
「それも面倒。」
とて、下に人のすきたるを見て、とび下りしを、
「それ、とんだ人が有(あり)、誰だ、誰だ。」
と、人々、いふ。
「柔(やは)ら取(とり)の伴五郞よ、伴五郞よ。」
と、いひ合(あひ)しを、或禪憎、見て居(ゐ)たりしが、
「我も、とばれそふなもの。」
とて、行(ゆき)てみて、たゞ歸りしが、又の年も來りて見しが、
「未だし。」
とて、歸(かへり)しとなり。
三年めには、山門にのぼりて、欄檻を渡り、伴五郞がせし如く、人の中へとび下(お)りて有し、とぞ。
扨(さて)、いふ樣(やう)、
「伴五郞は柔(やはら)の術を極(きはめ)し故、山門より、とび、我は座禪をして、心を納(をさめ)し故、同じく、とぶ事を得たり。三年已前、伴五郞に及ざりしを、くやしく思ひし故、わざわざ年每(としごと)に爰(ここ)にいたりて試(こころみ)しなり。今、飛(とぶ)事を得て、おもゑ、晴(はれ)たり。」
とて、去(さり)しとぞ【此はなしは、今の四郞左衞門樣、よく御存じなりし。ワは、少しうろおぼいなり。[やぶちゃん注:底本に「原頭註」とある。]】。
[やぶちゃん注:いちいち指摘はしないが、この条、歴史的仮名遣の誤りや誤字が特異的に多い。
「四郞左衞門」先に何度も出た柔術に秀でた平助の長兄、真葛の伯父。
「澁川伴五郞」渋川伴五郎義方。「只野真葛 むかしばなし (21)」の私の注の冒頭「澁川流のやはら」参照。
「おもゑ」年来の悔しい「思ひ」。]

