毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 眞珠・アコヤガイ / アコヤガイ
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。一部をマスキングした。標題は一部が縦に並ぶが、概ね改行した。なお、本図にはクレジットがない。]
「多識扁(たしきへん)」
眞珠【「かいの玉」。「あこやの玉」。】
【異名。】蠙珠(ヒンシユ)【「禹貢(うこう)」。】
珍珠【「間寶」。】 蚌珠(バウシユ)【「南方志」。】
珠牡【「をやがい」。】
胎貝(あこやがい)
珠母(しゆぼ) 銀母蠃(ぎんぼら)【「廣東新語(カントンしんご)」。】
眞珠貝【肥前。】 そで貝
老いたるを「厚貝(あつがひ)」と云ふ。
[やぶちゃん字注:底本の「蠙」の(つくり)は「濵」の(つくり)である。表記出来ないのでこれに代えた。]
時珍曰はく、「龍の珠は領(うなじ)に在り、蛇の珠は口に在り、魚の珠は目に在り、鮫の珠は皮に在り、鼈(べつ)の珠は足に在り、蚌(ばう)の珠は腹に在る。皆、蚌の珠に及ばず。」と。
按ずるに、眞珠は、貝の珠、各(おのおの)、數種あり。「石决明(あわび)」、「淺利貝」、「蜆」、「蚌(どぶがい)」など、皆、眞珠、有り。伊勢・尾張より出だす眞珠、上品なり。番客、髙價(かうぢき)を以つて、之れを求め、藥に入るる。目を明(あきらか)にすること、此の珠の明功(めいこう)なり。本朝、珍珠の一つとす。
「山家集」
あこや取る淡菜(いがい)の殻をつみ置きて
西行
寶(たから)の跡を見するなりけり
[やぶちゃん注:これは言わずと知れた、
斧足綱ウグイスガイ目ウグイスガイ科アコヤガイ属ベニコチョウガイ亜種アコヤガイ Pinctada fucata martensii
である。詳しくは、私の『「大和本草卷之三」の「金玉土石」より「眞珠」』、或いは、サイトの「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「あこやがひ」の項を見られたい。因みに、後者の「あこやがひ」の項には、先のタイラギの項で出た、「𧍧䗯」が標題漢字として、掲げられてある(同リンク先はユニコード以前の古い電子化であるので、「𧍧䗯」の漢字が表示されていない。検索は「あこやがひ」でお願いする)。なお、和名の「阿古屋貝」の阿古屋は現在の愛知県阿久比町(あぐいちょう:グーグル・マップ・データ)周辺の古い地名で、この辺りで採れた真珠を阿古屋珠(あこやだま)と呼んだことから、真珠を阿古屋と呼ぶようになったとも言うが、現行の行政町域は全く海に面していない。
「多識扁」林羅山道春が書いた辞書「多識編」。慶安二(一六四九)年の刊本があり、それが早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらにあったので、調べたところ、「卷四」(合冊の「2」)のこちらに(HTML単独画像。左丁最終行)、以下のようにあった。太字は底本では黒字白抜き字。
*
真珠【加伊乃多末。】異名蠙珠【「禹貢」。】。
*
なお、「蠙」の(つくり)は同じく「濵」の(つくり)であるが、同前でこれに代えた。
「禹貢」は「書経」の中の一編で、古代中国の政治書・地理書。著者や成立年代は未詳。伝説上の聖王禹が全国を九つの州に分け、各地の山脈・水系・地理・物産を調査し、貢賦 の制度を定めた事跡を記したもの。
「開寶」北宋の九七三年に国士監から刊行された本草書「開宝新詳定本草」、或いは、その翌年に改訂された「開宝重定本草」か。
「南方志」不詳。但し、出典は判明している。李時珍の「本草綱目」の巻四十六「介之二」の「眞珠」(「漢籍リポジトリ」のこちらの[108-9a]影印本画像を参照)の「釋名」で、実際には、ここの「異名」三種は実は全部、それぞれの出典を見たのではなく、そこからの孫引きである。頭の「釋名」を割注式にするという不審が、また解けた。ここで梅園は時珍が『珍珠【開寶】蚌珠【南山志】蠙珠【禹貢】』(「蠙」は同前)としているのを、わざと順序を変えている。前に言った彼の小賢しい偽装である。なお、この「南山志」は「漢籍リポジトリ」で文字列検索しても、六つの書物にしか載らないことが判った。恐らくは佚書で、現存しないものと思われる。
「珠牡【「をやがい」。】」「を」はママ。「牡(をす)」に真珠の「親(おや)」を掛け合わせたものか。但し、梅園は今まで見てきた通り、歴史的仮名遣の誤りが甚だ多いから、「親」を「をや」と訓じているのかも知れず、真珠の「親貝」はすこぶる腑に落ちる異名ではある。なお、アコヤガイは雌雄同体で牝牡の区別はない。「牡蠣」のマガキなどと同じ民俗的伝承があったものと思われる。
「銀母蠃」「蠃」はしかし、漢籍にして意外な用法で、相応しくない。これは漢語ではカタツムリや巻貝を示す語だからである。まあ、巻貝に見えない巻貝のアワビも真珠を作るから、細かいことは言うのはよそう。
「廣東新語」は明末清初明清末期の詩人で、「嶺南三大家」の一人である屈大均(一六三〇年~一六九五年)の生地広東の地方風俗誌的随筆。彼は強い反清思想を持っていた。五言律詩を得意とする典雅な詩風で、明の遺民として詩名が高かった。晩年を広東で送り、本書はその時期の代表作である。
「眞珠貝【肥前。】」真珠の名の発祥は肥前と言われて奇異に思う方もいようが、ウィキの「真珠」によれば、『日本は古くから真珠の産地として有名であった。北海道や岩手県にある縄文時代の遺跡からは、糸を通したとみられる穴が空いた淡水真珠が出土している』。「魏志倭人伝」にも『邪馬台国の台与が曹魏に白珠(真珠)』五千粒を『送ったことが記されて』おり、「古事記」・「日本書紀」・「万葉集」にも、『真珠の記述が見られ』、「万葉集」には『真珠を詠み込んだ歌が』五十六『首含まれる。当時は「たま」「まだま」「しらたま(白玉)」などと呼ばれた。とくに』(☞)『肥前国の大村湾は肥前国風土記にも記されているように、天然真珠などの一大産地であった。景行天皇は湾の北岸地域に住んでいた速来津姫・健津三間・箆簗らから、白玉・石上神木蓮子玉(いそのかみいたびだま)・美しき玉の』三『色の玉を奪い取った。天皇は「この国は豊富に玉が備わった国であるから具足玉国(そないだまのくに)と呼ぶように」と命じ、それが訛って彼杵(そのぎ)』(大村湾東北の沿岸の旧古名・旧郡名。この附近(グーグル・マップ・データ))『という地名になったともいわれる。それら』三『色の玉は石上神宮』(いそのかみじんぐう:奈良の知られたそれ)『の神宝となった』とあることで納得されるであろう。
「そで貝」底本では「ソテ貝」だが、恐らくはアコヤガイの形状からのミミクリーで「袖貝」で腑に落ちる。
「厚貝」読みを調べるてみると、漆工芸の螺鈿細工の世界で「あつがい」として生きている加工貝類材の用語にあった。「文化財遺産オンライン」の「螺鈿」、及び、京都の「鹿田喜造(よしぞう)漆店」公式サイト内の「ショッピング 厚貝(あつがい)」を見られたい。
『時珍曰はく、「龍の珠は領(うなじ)に在り、……」「本草綱目」の「眞珠」は巻四十六「介之二」にある。「漢籍リポジトリ」のこちらの[108-9a]から始まるが、当該部は「集解」中の終りの部分にある。[108-10a]の影印本画像を見られたいが、実は梅園は大きな誤りをしでかしている。これは李時珍の言ではなく、陸佃の記載である。
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陸佃云、『蚌蛤無隂陽牝牡。須雀蛤化成。故能生珠、專一於隂精也。龍珠、在頷、蛇珠、在口、魚珠在眼、𩸥珠在皮、鼈珠在足、蛛珠在腹。皆不及蚌珠也。
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梅園はこの不詳の漢字「𩸥」を「鮫」としているが、国立国会図書館デジタルコレクションの本邦の寛文版の同ヶ所(左丁最終行下方)では、確かに「鮫」となっている。さて、この「陸佃」(りくでん)は「埤雅」(ひが)の作者として知られる北宋の官人にして王安石の門人であった博物学者であり、これも「埤雅」の一節で、「中國哲學書電子化計劃」の影印本を見ると、巻一の「鮫」にあった。そこでは「𩸥」は「鮫」となっているから、これはよいだろう。梅園の記載を電子化しながら、私は『鮫皮のあのブツブツの下に珠がある考えたとして腑に落ちるな』と思ったからである。但し、「皆不及蚌珠也」は「埤雅」にはなく、思うに、この部分だけは時珍の添えたものと私は判断する。そこだけは、梅園先生の謂いは正しいと言えるようだ。
「石决明(あわび)」目くるめく虹色の真珠光沢を殻の内側に持つアワビで真珠が出来ることは、古くから知られており、説話などにもよく出てくる。実物を見たことはないが、大阪ECO動物海洋専門学校の公式ブログ「大阪ECOブログ―エコびより―」の「アワビから真珠ができることを知っていますか?」でネットで蒐集したという画像があるので、是非、見られたい。そそるね! なお、中国では小さな仏像を生貝に押し込んで成形する仏像真珠があり、これは実際に何度も見たことがあるが、殆んどホラーの世界で醜く、私は大嫌いである。私の「想山著聞奇集 卷の五 鮑貝に觀世音菩薩現し居給ふ事」を見られたい。日中ともに、専ら、売僧(まいす)が高値(こうじき)で奇蹟として売り歩いたトンデモものである。
「淺利貝」私は若い頃、白い小指の頭ほどの珠を実際に食している最中に発見したことがある。現在も貧しい標本箱の中にあるはずである。
「蜆」同前。しかし、齧ってしまい、砂かと思って、吐き出したところが、球体の二片となりにけりであった。
「蚌(どぶがい)」これは超有名で、所謂、淡水産の大型の「ドブガイ」類(複数種で説明するのは面倒なので、私の「大和本草諸品圖下 アマリ貝・蚌(ドフカヒ)・カタカイ・鱟魚(ウンキウ) (アリソガイ或いはウチムラサキ・イケチョウガイ或いはカラスガイとメンカラスガイとヌマガイとタガイ・ベッコウガサとマツバガイとヨメガカサ・カブトガニ)」の「蚌(ドフカヒ)」の私の注を参照されたい)では、真珠ができることが、やはりよく知られていた。特にイシガイ科イケチョウガイ属イケチョウガイ Hyriopsis schlegelii では、アコヤガイの形成する真珠に匹敵する美しい真珠が採れるため、近年はそれを用いた真珠製造が行われている。私は嘗つて叔母にその鈍色の光りを放つブローチを買ってプレゼントしたことがあるが、何でもベトナムかタイ辺りで作っているらしい。告白すると、私は宝石に興味が全くないが、真珠だけは大好きだ。小学校六年生の時、疵物であったが、亡き母の誕生日にプレゼントした。藤沢のアクセサリー店に行って、これこれの目的で、「千円しかありません」と言ったら三人の女性店員が感激して、恐らく、遙かに高いブローチを千円で売ってくれたのを思い出す。
「伊勢」古くから知られ、現在ではこちらが専ら真珠の本家となったことはご存知の通り。私の『「日本山海名産図会」電子化注始動 / 第三巻 目録・伊勢鰒』も参考になろう。西行の同じ歌も引かれてある。
「目を明(あきらか)にすること、此の珠の明功(めいこう)なり」「石决(決)明」(せきけつめい/けつめいし)は真珠というより、貝粉で、中でもアワビやトコブシミなどのミガイ科 Haliotidaeの殻を粉末にしたものが、この名で漢方として使用された(カルシウム分が多いため、樟脳と合わせて、結膜炎などの眼病薬や強壮・強精剤としてもて囃された)のが元となったアワビの中国で古くからある異名である。
「あこや取る淡菜(いがい)の殻をつみ置きて寶(たから)の跡を見するなりけり」 西行の「山家集」の下巻にある(一三八七番)、
伊良胡(いらこ)へ渡りたりけるに、
「いがひ」と申(まをす)蛤(はまぐり)
に、「阿古屋」のむねと侍るなり。それを
取りたる殼を、高く積みおきたりけるを
見て
阿古屋とるいかひの殼を積みおきて
寶の跡を見するなりけり
*
「伊良胡」志摩の答志と対する伊良湖岬。「いがひ」「胎貝」で斧足綱翼形亜綱イガイ目イガイ科イガイ Mytilus coruscus であるが、ハマグリとは別種であるが、音数律から二枚貝のそれに代えたものであろう。「阿古屋」ここでは「阿古屋の珠」の略で、真珠を指す。「むねと」「主(むね)として」。「真珠の主人(あるじ)として」の意か。]
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