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2022/08/03

多滿寸太禮卷第四 火車の說

 

[やぶちゃん注:この話、底本原本(早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同書、及び、国立国会図書館デジタルコレクションの画像のこちら。前者は後刷本と推定されている)の誤字と歴史的仮名遣の誤りが異様に多い(特に前者の表記は「鬼畜」を「鬼蓄」にするなど、見るに堪えない)。挿絵は国書刊行会の「江戸文庫」版の木越治校訂「浮世草子怪談集」(一九九四年刊)をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。前半と、後に出る登場人物の「周嚴長老」(しゅうごんちょうろう)の説教部が異様にかったるく(言っていることが、なんだか、結局、同じことを繰り返している感じが否めない)、前者の怪異シークエンスが決して悪くないにも拘わらず、読後が妙にすっきりしない(後の別話が、たいして面白くないのも影響している)。これは構成を間違えていると言わざるを得ない。しかも、結局、電子化し終えたところで「はた!」と気がついて、大いに呆れてしまったのは、この話の後の説教や、屍の襲撃シーン、さらに、冒頭の「火車」の解説に至っては、これ、実は、狗張子卷之六 杉田彥左衞門天狗に殺さる」の殆んど、いいとこ取りの、剽窃じゃねえか! アホンダラが! 「國道和尙」の最後の台詞を張り付けて、磔(はりつけ)にしたるわ!

   *

「そのかみは、關東がた、人、死すれば、火車(くわしや)の來りて、尸(かばね)を、うばひとり、ひき割(さき)て、大木の枝に懸置(かけおき)たる事もおほかりしを、今は、佛法のをしへ、ひろく、諸人、みな、後世(ごせ)をねがひ、佛神をたふとび、ふかく信心をおこし、正直正念に成たる世なれば、火車の妖怪も稀に成侍べり。只、おそるべきは、我らの惡行(あくぎやう)・まうねんなり。地ごく・鬼畜も餘所(よそ)よりは來らず、みづから、招く罪科(つみとが)なり。此たび、仕損じては、二たび返らぬ一大事ぞ。ふかく信じて、ねがひ、もとむべきは、佛果菩提の道なり。」

   *

お前さん! 因業深い剽窃地獄に落ちるで! というわけで、注する気が、全く失せた。必要最小限に留めた。悪しからず。なお、「火車」は、上記リンク先の私の最後の注を参照されたい。

 

  火車(くわしや)の說

 

 往古、東國方《がた》、人、死すれば、骸(かばね)をうばひ取、引さきて、木の枝にかけ、或は、首をぬき、手足(しゆそく)をもぎ、又は、屍を虛空(こくう)につかむで、失(うす)る事もあり。

 これを「火車(くわしや)」と名付て、往々にありしとぞ。すべて關東にも限らず、國々にも稀にはありける事也。

 今は、佛法、あまねく廣く、諸人、みな、佛道にたよりて、後生(ごしやう)を願ひ、佛神を貴(たつと)み、深く信心を發(はつ)し、專ら正直を先とし、正念に住(ぢう)せる世なれば、彼(かの)火車の妖恠(ようけ)もまれに成《なり》けるとぞ。

 只、恐るべきは、平生(へいぜい)の惡行、妄念(まうねん)なり。地獄・鬼畜も、よそよりは來《きた》るべからず。後生ならずして、百三拾六地獄も、皆、目前に、あり。天道・極樂も、皆、一心の迷悟にあり。されば、このたび、仕損じては、二度歸らぬ一大事なり。高位高官の家には、佛神に祈り、或は霊藥をもとめて、世繼を願ひ給へども、子、まれ也。唯、下賤には、うとましきほど、子も出來くる也。

 つらつら、これを思へば、人、死しても、善果(ぜんくわ)はまれに、惡業(あくごう)は多く、高位には生(むま)れがたく、下賤には生れやすしと、みえたり。况や、佛身に至らむ事をや。下賤といへども、生(しやう)を人中(にんちう)に更來(ふけきた)るは、心性(しんしやう)を失なはず。畜身異形(ちくしんゐぎやう)に生(むま)れん事は、かなしからずや。平世(へいぜい)、淺欲薄業(せんよくはくごう)なれば、物に恐るゝ心なく、心性、つねに靜かに、やすく、苦患(くげん)なければ、をのづから、佛心に、ちかし。信じて願ひもとむべきは、佛果菩提(ぶつくわぼだい)なり。たとへ、佛道にうすき人も、五常の道にそむかず、正直、正路(しやうろ)ならば、などか、罪業(ざいごう)あらん。心に恐れて愼むべきは、惱道邪欲(なうだうじやよく)なり。

  されば、上野(かうづけ)の國名古(なご)といへる所に、宗興寺(しうこうじ)とかや云《いへ》る禪宗の寺あり。此の寺の住持、そのかみより、一代、直(すぐ)にたもつことなく、血脈相承(けつみやくそうぜう)の規矩もたへ、牌(はい)をたつる禪師もなし。常は、をのづから無住なりしとかや。

[やぶちゃん注:「上野の國名古」「宗興寺」こんな地名も、こんな寺も、少なくとも現存しない模様である。]

 その故は、此の里、大座(おほざ)の村にて、家數《いえかず》、多く立ちならび、をしなべ、禪宗にて、此の寺の旦越(だんおつ)なれば、田畠(でんはた)金銀、多く寄附して、冨貴(ふうき)の境地也。

[やぶちゃん注:「大座の村」村落域が広いことを言っているようである。

「旦越」「檀越」に同じ。]

 當郡(たうぐん)の官主(くわんしゆ)、中(なか)にも、此の寺の大旦那(だいだんな)なり。

 此名主(なぬし)いかなる故(ゆへ)にや、代々、死して、葬禮におもむくといなや、晴天、かき曇り、黑雲(くろくも)おほひて、必ず、屍(かばね)を、つかむ。

[やぶちゃん注:「名主」宗興寺のある郷村の名主。]

 これによつて、あまたの知識、得《え》留(とめ)ずして、寺をひらく事、數人(すにん)なり。

[やぶちゃん注:「得」は呼応の不可能の副詞「え」への当て字。

「寺をひらく事、數人なり」名主が必ず火車に襲われるのを、手を拱いているしかなく、恥と怖さで、住持が去ってしまい、ちゃんとした住僧が居つかないために、半人前の修行僧や、半僧半俗の寺男のような者たちが、ようやっと寺を維持している有様であったのである。]

 爰(こゝ)に、周嚴長老(しうごんちやうろう)といへる廣學才智の活僧有しが、此の事を傳へ聞き、はるばる、こゝに來り、此の寺を望みけるに、諸(しよ)旦那、悅び、もてなし、則ち、住持職にすへて、渴仰(かつがう)しけるが、ほどなく、彼(かの)名主の禪門、大切(たいせつ)に惱み、既に、この比(ころ)、世をさらむとす。

[やぶちゃん注:「周嚴長老」太田道灌の叔父に鎌倉建長寺長老の周厳禅師(天文四(一五三五)年没)がいる。

「禪門」ここは禅宗(万一、この長老が前注の人物なら、臨済宗)の熱心な信者ということ。]

 一鄕(いちごう)の者ども、

「あはや、例(れい)の事にて、又、此の寺(てら)、無住にこそ、ならんずれ。」

と、なゝめならず、云ひふらしける。

 寺中(じちう)の僧徒も、うき事に思ひ、をのをの、ひそめきあへり。

 さるほどに、此の長老、

「已に禪門、けふあすを過ごさじ。」

と聞えければ、深く座禪觀法に入《いり》て、寢食をわすれ、妄想倒動(まうぞうてんどう)を拂ひて、蕭然(しやうぜん)として、座し給ふ。

  既に夜(よ)も深更におよび、燈火(ともしび)ほそき卓(しよく)の本《もと》に、數年(すねん)、此の寺に飼ひ置きたる、まだらの猫、住寺(ぢうぢ)のまへに、目をほそめていねぶり居(ゐ)たり。

 かゝる所に、いづくともなく、友猫(ともねこ)の聲して、呼び出《だ》しけるに、此猫、

「ねう」

と答へて、出でけるが、やり戶の、少しひらきたる所より、出でたり。

 前(まへ)の猫、板緣(いたゑん)についゐて、云ひけるは、

「名主の禪門、すでに、こよひ、身まかりぬ。例のごとく、云ひ合はせて、とる也。御邊(ごへん)も、いよいよ、出(いで)らるべし。明朝(みやうてう)、卯の尅(こく)[やぶちゃん注:午前六時前後。]、葬(そう)する也。とくとく、用意、有るべし。」

と云ひければ、寺の猫、答へけるは、

「我(われ)は、此の度(たび)の連衆(れんじゆ)は、はづさるべし。其の故は、住持の心、れいのごとくに、とられず。何樣(なにさま)、樣子によるべし。」

と、慥(たしか)に答へて、別れけり。

  長老、此の事の始終を具さに聞き、いよいよ、觀念、おこたらず。

 此の猫、又、もとの所にかへりて、いねぶり、うかゞい[やぶちゃん注:ママ。]、ゐたり。

 其の時、住持、此の猫を、

「はつた」

と、にらまへ、

「をのれ、畜身(ちくしん)の形(かたち)を以《もつて》、萬物の霊(れい)たる、佛性同體(ぶつしやうどうたい)の人死(にんし)を妨(さまた)げつる奇恠(きくわい)さよ。彼(かの)禪門におゐては、我(わが)あらんかぎりは、障㝵(しやうげ)を入《いれ》じ。をのれ、速やかに追ひ出(だ)して、狼犬(らうけん)に、くらはすべし。」

と、叱(しつ)し給へば、ゆたかに伏居(ふしゐ)たる猫の、

「むくむく」

と起きて、飛び出《いで》て、逃げ去りぬ。

[やぶちゃん注:「障㝵」「障碍」に同じ。妨げ。]

 長老、

『さればこそ。』

と、思ふに、かの死人(しにん)の事を告げ來《きた》る。

 

Kasya

 夜(よ)、明けぬれば、一鄕(ごう)の者ども、

「すはや。」

と、をのゝきながら、をのをの、棺(くわん)をかきつらねて、野邊に出けるに、案のごとく、晴天、俄かに、かき曇り、黑雲(くろくも)一むら、此の棺の上に、おほひて、うずまきたり[やぶちゃん注:ママ。]。

  長老、少しも動じ給はず、卽ち、輿(こし)をかきすへさせ、引導は、さしをき、かの黑雲を、

「きつ」

と、にらみ、口に呪文を唱へ、大音(だいおん)を出(いだ)して云《いはく》、

「汝、畜身業報(ちくしんごうほう)の心(こゝろ)を以《もつて》、萬物(ばんもつ)の眞霊(しんれい)たる佛性(ぶつしやう)をとらば、忽ちに、護法に罸(ばつ)せらるべし。野良猫めら。」

と、叱(しつ)し給へば、其の體(てい)、顯はれける故か、忽ち、雲、きへ、空、晴れて、もとの晴天とぞ、成りにける。

  其後(そのゝち)、心靜かに引導し、葬禮の規式を取り行ひ給ひぬ。

 此の時こそ、諸人(しよにん)も、人心(ひとごゝ)ちつき、安堵の思ひをなし、禪門の子息も、罪業はれたる心ちして、いよいよ、尊(たうと)み、敬(うやま)ひける。

 扨こそ、近鄕近里の村々まで、猫をあつめて、遠鄕(えんきよう)へ捨てけるとぞ。

 此の後(のち)、永く絕《たえ》にける。

 長老、諸人(しよにん)をあつめ、高談(かうだん)の序《ついで》に此の事を述べられしが、

「凡そ、『妖は妖より起こる』といへり。邪氣、勝つ時は、正氣を奪ふ。我(わが)心(こゝろ)、則ち、邪氣の本(もと)となる故に、やがて眞性(しんしやう)を奪はれて、妖恠(ようけ)にあふ也。眼(まなこ)に一臀(ひとつのまけ)あれば、空花(くうくわ)、散乱す。塵空(ぢんくう)、もとより、花(はな)有りて、散るにあらず。眼(まなこ)に病ひありて、めぼしの花を見るがごとし。眞性正念(しんしやうしやうねん)に住(ぢう)する時は、なんぞ、外《そと》の妖邪(ようじや)、おかす事、あらんや。 抑(そもそも)、佛法に敎(をし)ゆる所の、五塵六欲の境界(きやうがい)に、此心法(しんほう)をうばゝれて、行方(ゆくかた)なく取り失ひ、常にまよふて、くるしみをなす。その心をとりもどし、留(とめ)ゑ[やぶちゃん注:ママ。]たるこそ、霊理(れいり)ふしぎの正見正智(しやうけんしやうち)は出生(しゆつしやう)する也。此正念を萬境(ばんきやう)にとられ、蟬(せみ)のもぬけの衣(ころも)となれば、もろもろの妖邪に犯さるゝ。たとへば、用心なく、家主《いへぬし》なき家には、盜人(ぬすびと)の入り易きがごとし。 凡そ、天地廣大の中には、奇特不思議の有るまじきにもあらず。人に魂魄あり、その精氣(せいき)、正心(しやうじん)なれば、本理(ほんり)に歸(き)して、非道、なし。德、をのづからそなはるを以《もつて》、魔障(ましやう)をしりぞく。是(これ)に叶はぬ愚人(ぐにん)は、神(かみ)に祈り、佛(ほとけ)をたのみて、信(しん)を生(しやう)ずれば、神力佛力(しんりきぶつりき)によつて、自《おのづから》正念に住する也。」

[やぶちゃん注:「一臀(ひとつのまけ)」こんな当て訓は見たことがないが、尻は人体の最も後ろで、攻められれば、弱点となるニュアンスがあるので、まあ腑には落ちる。

「めぼしの花」「目星の花が散る」という成句があり、「疲れたりして目がかすみ、星のようなものがちらついて見える」ことを言う。]

 又、近き比(ころ)、美濃國不破郡(ふわこほり[やぶちゃん注:ママ。])に、孫右衞門(まごうへもん)とかやいへる、うとくの農民あり。

[やぶちゃん注:「美濃國不破郡」現在、岐阜県不破郡(グーグル・マップ・データ)は残っている。関ケ原町が含まれることで知られる。]

 彼(か)が娘を、近き程の城下の商人(あきうど)に、緣を結びて送りしが、此の商人、心たゞしからずして、家も、又、貧なりければ、孫右衞門、うるさき事に思ひ、七才に成りける男子(なんし)一人を、夫《をつと》の方(かた)に殘して、此娘を取りもどしける。

 此の子は、母をしたひて、一里あまりの道をたどりて、度々(たびたび)母に逢ひに來《きた》るを、かの孫右衞門、情(なさけ)なきものにて、後(のち)は、母にも逢はせず、追ひ返しけるに、かの母、歎き、かなしみ、

「さりとも、子には逢ふほどの事は、ゆるし給へ。」

と侘ぶれども、更に耳にも聞《きき》いれず。

 これを、うきことに、恨み歎きけるが、いつとなく、煩ひて、終《つひ》に、かの母、身まかりぬ。

 扨、葬せむとて、一夜(いちや)とかくする程に、此死人(しびと)、よみがへりけり。

 上下(じやうげ)、悅びあへれど、更に、物いふ事もなく、食(しよく)も喰(くは)ざりける。

 只、このみ・菓物(くだ《もの》)なむど、折々、喰(くひ)て、茫然として居(ゐ)たり。

 かくて、日數(《ひ》かず)も過ぎけれど、更に、ものをも、いはねば、

「いかさまにも、樣子こそ、あるらめ。」

と、多くの神に祈り、神子(みこ)・山伏に賴みて、祈念を致しけれども、あえて、驗(しるし)なし。

 あまりの詮(せん)なさに、おなじほとりに、霊佛(れいぶつ)の藥師如來のおはしけるが、此別當を、ひたすら、たのみ、ねはんの理趣分(りしゆぶん)をくりたまひしに、三日に及びける朝(あした)、かの孫右衞門が家に、年比、飼ひける猫、かの病人(びやう《にん》)の前にて、只、一聲(《ひと》こゑ)、高く吠《ほえ》て、血を吐きて、忽ちに死(しに)けり。いまゝで、茫然として居たる病人、霜(しも)の消ゆるごとくに、

「しはしは」

と成りて、ねぶるがことくに、落ち入《いり》たり。

 其後《そののち》、屍(かばね)をとりをき、跡(あと)を弔(とむら)ひける。

 此猫の見入《みいり》て、三十日あまりを過ごしけるこそ、ふしぎなれ。

  世の中に、人を迷はし、あらゆる恠(あやしみ)をなす事、むかしより、きつね・狸といへども、多くは、猫の所爲(しよ《ゐ》)なり。

 おさなき[やぶちゃん注:ママ。]兒(ちご)の夜(よ)なきなんどゝいへるも、まゝ、猫のする事、とぞ。

 其性(しやう)、天然(てんねん)、執(しう)、ふかく、あくまで、ひがみ、眼(まなこ)に、二六時中の時節を顯はし、聲に律聲(りつせい)を出して、誠(まこと)に陰獸の長(ちやう)なり。

[やぶちゃん注:「二六時中の時節を顯はし」猫の瞳が一日の二十四時間に於いて変移するという話は、とある猫信者の教え子から聴いたことがある。]

 陰氣、陽を隱して、人氣(ひとのき)を奪ひ、化(け)して、人の、かひをなす。

 魔性(ましやう)の一名(いちめう)、

「ねこま。」

と、いへば、よろこぶとかや。

 「猫また」の事、書籍(しよじやく)にも多く云ひつたへたり。「徒然草」にも云ひをけり。飼ひもとめん人、心あるべき事也。

[やぶちゃん注:『「徒然草」にも云ひをけり』「古今百物語評判卷之三 第八 徒然草猫またよやの事附觀教法印の事」の私の注で電子化してある。]

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