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2022/08/13

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類  𧍧䗯(カンシン)・タイラキ / タイラギ

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。]

 

𧍧䗯(カンシン)【「たいらぎ」。「水土記」。】 𧍧蛤(カンガフ) 生䗯(セイシン)【「嘉祐(かいう)」。】

  𧌊【「たいらぎ」。】 和名、出所不詳。

 

「江瑤玉珧(カウエウギヨクタウ)」を以つて、「たいらぎ」と訓ず。「玉珧」は「海月(かいげつ)」なり。「海鏡」を以つて爲(して)、「たいらぎ」とす。此の者、則ち、「日月貝(じつげつがひ)」なり。皆、別種なり。一種、別に「いたら貝」と云ふ者、之れ、有り。肉の柱(はしら)、同じくして、異(い)なり。

 

甲午十二月十三日、納眞寫(をさめしんしや)として筆(ひつ)す。

 

Tairagi

 

「宛委餘編(ゑんいよへん)」

   江瑤柱(カウエウチユウ)【「たいらぎ」。】

本邦、「瑊璡」或いは「𧌊(シヤ/セ)」を以つて「たいらぎ」とすは、誤りなるべし。「大和本草」に『たいらぎ、四つの肉柱、なし。』と。是れ、審らかに察せざるなり。『大肉柱(おほにくばしら)一つ、餘(よ)の三柱は、至つて小なり。』と松岡翁「介品」に載せたり。園曰はく、「タイラギ、大肉柱一つ、其の廻(まは)りは、鰒魚(あわび)の、膓筋(わたすぢ)を纏へるが如し。其の膓、兒(こ)を生ずるとき、色、赤し。

 

[やぶちゃん注:底本本文は総てに亙って「たいらぎ」の箇所は「タイラキ」の表記であるが、濁音化した。因みに、タイラギについては、私は、かなり多くの記載を今までしてきている。ここでは、一つ、面白い『武蔵石寿「目八譜」 タイラギ磯尻粘着ノモノ』をリンクさせておく。

 「たいらぎ」という和名については、無批判に「平」(たいら)な「貝」を語原と記す記事が多く、流通でも寿司屋でもその捌いてしまった貝柱のみを「平貝(たいらがい)」と呼ぶが、所持する相模貝類同好会一九九七年五月刊の岡本正豊・奥谷喬司著「貝の和名」(相模貝類同好会創立三十周年記念・会報『みたまき』特別号)の「タイラギ」によれば(コンマは読点に代えた)、『直角三角形に近い形の30㎝以上にもなる大型の食用貝。泥深い海底に尖った方を下にして立って生息しているので、漁師はタチガイといい、また貝柱は市場ではタイラガイ(平貝)と呼ばれている。このタイラガイこそ本来あるべきこの種の和名ではないかと思われる。「平ら」という理由は今一つはっきりしないが、この種の地方名にはターラゲー、タイラギャー、タイラゲェ、テェラゲェなどタイラガイの訛りが多い。従ってタイラギガイと言ってはギとガイの重複表現になる』とある。

 さて。これは言うまでもなく、

斧足綱翼形亜綱イガイ目ハボウキガイ科クロタイラギ属タイラギ

であるが、同種については、長く

タイラギ Atrina pectinata Linnaeus, 1758

を原種とし、本邦に棲息する

殻表面に細かい鱗片状突起のある有鱗型

と、

鱗片状突起がなく殻表面の平滑な無鱗型

を、

生息環境の違いによる単なる形態の個体変異

としたり、二種ともに、

Atrina pectinata の亜種

として扱ったりしてきたのであるが、一九九六年、アイソザイム分析の結果、

有鱗型と無鱗型は全くの別種である

ことが明らかとなった(現在、前者は一応、 Atrina lischkeana Clessin,1891に同定されているが、確定的ではない)。加えて、これら二種間の雑種も自然界には一〇%以上は存在することも明らかとなっている(以上は、所持する図鑑類やウィキの「タイラギ」その他を参照した)ため、日本産タイラギ数種(中国産では、現在、四つの型が存在することが判っている)の学名は早急な修正が迫られている。

「𧍧䗯(カンシン)」ネット最強の漢和辞典「漢字林」の「虫部」の「𧍧」には、『ハマグリ(蛤)やシオフキガイ(潮吹貝)などに似た二枚貝で平(ひら)たく毛があるという、「【康熙字典:申集中:虫部:𧍧】《𨻰藏器曰》生東海似蛤而扁有毛或作螊」』とある(「䗯」も同じことが記されてある)。これでは、タイラギには、到底、限定出来ぬ。例えば、寺島良安の「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「あこやがひ」の項には、この「𧍧䗯」が標題漢字として堂々と掲げられちゃっているんである(同リンク先はユニコード以前の古い電子化であるので、「𧍧䗯」の漢字が表示されていない。検索は「あこやがひ」でお願いする)。

「水土記」早稲田大学図書館「古典総合データベース」の元末明初の学者陶宗儀の纂になる佚文集成「説郛」の巻第六十二に載る宋の趙朴撰の「臨海水土記」を見たが、載らず、検索でもそれらしいものがない。一つ、「中國哲學書電子化計劃」で、明の方以智撰の語学書「通雅」の中に(影印本で起こした)、

   *

「海物異名記」、密丁魁蛤之子也。「興化志」、有空豸朗晃形厚脣黑智、在閩中、見有圓蛤號曰銅丁者、正是。其類、今俗呼異名耳蝏䗒馬刀、細長蛤也。𧍧䗯、扁蛤也。陳藏器曰、扁而多毛如淡菜類、擔羅新羅之蛤也。

   *

という記載を見つけた(句読点は私があてずっぽで附した)。或いは、この記載を梅園は目にし、「海物異名記」を「臨海水土記」と誤ったのではないかとも思った。しかし、この陳蔵器の「多毛如淡菜類」というのは、タイラギではなく、イガイ類にこそふさわしい解説に見える。

「嘉祐」「嘉祐本草」。北宋の嘉祐二(一五七)年に「開宝重定本草」に基づいて、編纂された本草書。

「𧌊」漢語。確かに本字を本邦では「たいらぎ」と訓じているが、中国でこれをタイラギに当てているかどうかは、「康熙字典」の「虫部」第八に『𧌊。「集韻」、『四夜切、音䣃。與蝑同。「類篇」、蟹醢。或作蛤𧌋』とあって、タイラギかどうかは甚だ怪しい。

『「江瑤玉珧」を以つて、「たいらぎ」と訓ず』「江」を「海の静かな入り江」でとり、「瑤」は「玉」とともに「美しい宝石」であり、「玉珧」或いは「珧」で、辞書類がタイラギと訓じ、「刀や弓の装飾に用いる貝の殻」とする。なお、現代中国語では、大陸では「櫛江珧」、台湾では「牛角江珧蛤」と呼ぶ。

「海月(かいげつ)」本邦の辞書類にタイラギの別名とする。タイラギの殻の内面には、微かな真珠光沢がある。「海鏡」もそれを指すと思われる。貝殻の面が黒く、それを「月」に、内側のそれを「日」とするものか。

『此の者、則ち、「日月貝(じつげつがひ)」なり。皆、別種なり』これはやや、意味が読み取り難いが、『「日月貝」或いは「月日貝(つきひがい)」に類した呼称の貝の名が複数の貝種の名として与えられているが、これらは、皆、全く、異なった別種にその名を勝手に与えているのである』という謂いと私はとる。例えば、非常に美しい、左殻は赤褐色、右殻は黄色みを帯びた白というハイブリッドで「日」と「月」を持つところの、斧足綱翼形亜綱カキ目イタヤガイ亜目イタヤガイ科ツキヒガイ亜科ツキヒガイ属ツキヒガイ Ylistrum japonicum がそれである。ご存知ない方は「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページの画像を見られたい。なお、そこで、ぼうずコンニャク氏は、『個人的には、左殻と右殻の外面でついた呼び名だというが、内側を重ねて』、『月の月齢を表して遊んだのではないかと思う事がある』とされ、そうした写真も載せておられる。私ははなはだ感動したし、その語原説を指示したいと強く感じた

『一種、別に「いたら貝」と云ふ者、之れ、有り。肉の柱(はしら)、同じくして、異(い)なり』当初は、さんざん梅園が描いてきた、

斧足綱翼形亜綱イタヤガイ目イタヤガイ上科イタヤガイ科イタヤガイ属イタヤガイ Pecten albicans

の訛りだろうとのみ思っていたが、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」で「イタラガイ」で検索すると、他に、現行異名として、ここの、

イタヤガイ科カミオニシキ亜科エゾギンチャク属エゾギンチャク Swiftopecten swiftii

及び、ここの、

カミオニシキ亜科カミオニシキ属カミオニシキ

の異名として挙がっていた。

「甲午十二月十三日」天保五年。グレゴリオ暦では一八三五年一月十一日。

「納眞寫(をさめしんしや)」その年の最後の写生という意味で、似たような言い方は前で複数出現している。但し、この三字の語では初めてで、「をさめの」と呼んだ方がいいかも知れない。それにしても、この年は、年末に何か仕事があったものか(梅園は幕臣旗本で書院番・御小姓組を勤めた)、やけに早い(この年の当月は大の月(三十日まで)だから、大晦日まで十七日もある。

「宛委餘編」明の官僚王世貞の撰になる論考。

『本邦、「瑊璡」或いは「𧌊」を以つて「たいらぎ」とす。誤りなるべし』以上の検証から私もそう思う。

『「大和本草」に『たいらぎ、四肉柱、なし。』と。是れ、審らかに察せざるなり』私の「大和本草附錄巻之二 介類 玉珧 (タイラギ或いはカガミガイ)」にある、『タイラギハ只肉牙一柱耳』を勝手に書き変えたんだな、と思ったら、これ、実は梅園、「大和本草」に直に当たったのではなく、以下の『松岡翁「介品」』にある松岡の考証部をそのまま抜き書きしていることが判明。ちょっとどころか、大いに鼻白んだ。なお、リンク先の最後で注したが、そもそもが二枚貝には四つも貝柱のある種は、無論、ない。要は、貝を片方の殻に添ってすっぱり開いた結果の見た目として、四つと言っている初歩的な非科学的な誤認である。タイラギには勿論、二基の「貝柱」=閉殻筋がちゃんとあるのである。ただ、前閉殻筋の方は殻頂近くにあって、ごく小さいのに対し、後閉殻筋は殻の中央部にデン! とあり、大型個体では直径五センチメートル以上に達する。片殻の内側に包丁を綺麗に入れて削ぎ切れば、閉殻筋は殆んど跡を残すこともなく、一本に見えるというわけである。さすれば、以下の『松岡翁「介品」』の謂いも、納得されるものと存ずる。

『松岡翁「介品」』梅園よりも前代の儒学者で本草学者の松岡恕庵(じょあん 寛文八(一六六八)年~延享三(一七四六)年:京生まれ。恕庵は通称で、名は玄達、号は怡顔斎(いがんさい)など。門弟に、かの小野蘭山がいる)が動植物・鉱物を九種の品目(桜品・梅品・蘭品・竹品・菓品・菜品・菌品・介品・石品)に分けて叙述した本草書「怡顔斎何品」の一つ。彼の遺稿を子息と門人が編集したもの。早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらの上巻の一括PDF版の「25」コマ目から。当該部は「26」コマ目の六行目以下。梅園の剽窃、またしても、見破れたり!

「其の膓、兒(こ)を生ずるとき、色、赤し」これは♀の場合である。因みに、内臓は新鮮なものを蒸し焼きにすると、実は非常に美味いことを知っている人は少ない。]

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