ブログ・アクセス1,800,000アクセス突破記念 梅崎春生 ある青春
[やぶちゃん注:昭和二七(一九五二)年六月号『群像』に発表された。既刊本には収録されていない。
底本は「梅崎春生全集」第五巻(昭和五九(一九八四)年十二月沖積舎刊)に拠った。
太字は底本では傍点「﹅」。文中に注を添えた。
本篇の話柄内時制は冒頭部の「二十歳」という記載から、熊本五高時代の、数えなら、昭和九(一九三四)年、満年齢なら、その翌年に当たる。昭和九年ならば、怠け癖によって三年生を落第した年に当たる。この頃は、校友会雑誌『龍南』の編集委員を担当するとともに、同誌に詩を発表していた(ブログ・カテゴリ「梅崎春生」に各個に電子化注してあるほか、サイトで藪野直史編「梅崎春生全詩集」(ワード縦書一括版)を公開してある)。主人公も落第しているが、或いは、本作の「N」という落第生には、実は梅崎春生自身の影が込められているのかも知れない。先に言っておくと、本篇は途中で尻切れている感がある。
なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが本日午前中に1,800,000アクセスを突破した記念として公開する。【藪野直史】]
あ る 青 春
Nがある時、こんなことを言った。食事時だ。
「おれは子供のとき、おあずけをやらせられてたんだぜ」
「おあずけって、なんだね」と私は聞いた。
「おあずけって、おあずけさ。そら、犬なんかに命令するだろう。おあずけ。あれだよ」
よく判らなかった。きっとNはその言葉を、隠喩(いんゆ)のつもりで言っているのだろう、と私は思った。私は黙っていた。するとNは箸を止めて、顔を上げた。うすいあばたのある大きな顔だが、その時はいつもよりも、一廻り大きく見えた。
「親爺が晩酌をやっているだろう。そしておれが食卓につくんだ。箸をとろうとすると、親爺が大きな声で、おあずけ、と号令する。おれは箸を置いて、親爺の晩酌がすむまで、じっと待っている。二時間でも三時間でも、待っているんだ」
「それはたいへんだな」と私は同情した。しかしその時、そんなNの子供のときの顔を、私はうまく想像できなかった。Nは私より二つ年長で、歳の割にはたいそう大人びた顔をしていたし、眼つきにもどこか暗いところがあった。つまり子供時分を類推させない顔だったのだ。
「辛かったよ。いつからそんなしきたりになっていたのか、おれにも記憶がないんだ。たぶん、物心もつかない頃から、犬を訓練するように、親爺はおれにおあずけを仕込んだんだろうな。きっとそうだよ」
どういうことから、こんな話になったのか、私はよく覚えていない。しかしその時下宿の茶の間で、むかい合って食事をしていたことだけは覚えている。その古ぼげた素人下宿は、私たちが通っていた高等学校の裏手の、桑畑にかこまれた一郭にあった。賄(まかない)付きで月に十六円という、当時の田舎町にしても、破格に安い下宿屋だった。そのせいか待遇も安直で、三度々々油揚げが形をかえて出でくるような賄方だった。で、その時も、油揚げの煮付けか何かで、昼食をとっていたのだと思う。
「――食いたい食いたいと思って、一心に食卓をにらみつけている。おあずけは解けない。そのうちに眼の前の食べ物が、だんだん妙な具合に見えてくるんだな。腹はグウグウ鳴るしさ。まっ白い飯の色。味噌汁や煮付けの匂い。そいつらが内臓のどこかを、痛烈にぐいぐいとつき上げてくる。それと同時に、だな。眼の前の食べ物が、ただ膳の上に並べられているだけで、全然おれと関係のない物体のように、それも大昔からそうと決まっていたもののように、子供のおれには思われてくるんだ。そういうおれを、親爺は横目で見ながら、ゆっくりと盃をかたむけている」
「君の親爺さんは――」と私は訊(たず)ねた。「なにかね。ほんとの親爺さんだったかな?」
Nはそれには返事をしなかった。大きな顔をかすかに振り振り、御飯を口にはこびながら、やがてはき出すように言った。
「親爺は大酒飲みで、しかも酒乱なんだ。いずれ中風でヨイヨイになるだろう。前の夏休みに帰ったとき、おれが勧(すす)めて、血圧を計らせたんだ。二百にちかかった」
私たちは勤勉な学生ではなかった。私は二十歳。Nは二十二歳。ことにNは前年度に落第して、それで私と同級になったわけだ。今度つづけて落第すると、規定にしたがって、学校を出なくてはならない。それだのに、一学期も二学期も、彼は成績が悪かった。学期々々の成績は、校舎の一隅におおっぴらに貼り出される仕組みなので、貼り出された自分の成績に、大きな顔を悲廣にゆがめて眺め入っているNの顔を、私は思い出すことができる。それは反撥と嫌悪で腹の中がまっくろになったような顔だった。
しかしそれもその時だけで、あとは彼は忘れてしまう。三学期になっても、身を入れて勉強するそぶりは全然なかった。しょっちゅう課業を怠けて、下宿に寝ころんで小説類を耽読したり、下手な謡曲をうなったり、夜は夜でマントをかぶって、街に酒を飲みに行ったりしていた。Nは年齢の割には酒はつよかった。どんな酒でも飲んだ。銘柄や味を吟味する方の口ではなかった。
そしてNは金使いも荒かった。彼の実家は田舎の小地主で、それで私などにくらべて、潤沢な学資を送られていたんだと思う。しかしその金をNは、私から見るとほとんど無目的な浪費の仕方で、使い果たしてしまう。ふだんはゴールデンバットしか喫わないのに高価なパイプを買い求めたり、近くの温泉地にぜいたくな小旅行を試みたりするのだ。それは年若の私にも、すこし感傷的なやり方にさえ思われた。そしてしょっちゅうあちこちに借金をつくって、ピイピイしていた。
その下宿は、拘橘(からたち)の垣根にかこまれたうす暗い家で、その離れの二部屋を借りて、私とNとはそれぞれ棲(す)んでいた。朽ちかけた竹の濡れ縁のついた、古ぼけたつくりの部屋だ。その主は年寄りの能楽師で、時折母屋の方から、鼓をうつ音や、歯の抜けたような謡い声が聞えてきたりする。そこらあたりに湿った土の匂いや、漠方薬を煎(せん)じる匂いが、いつもうすうすとただよっている。廂(ひさし)のひくい、だだっぴろい構えの家だった。下宿人は私とNの二人だけであった。こんな下宿をとくに好んだのではなく、下宿料が安いという取柄だけで、私はここに入っていたのだが、Nも同じ気持であったかどうかは判らない。おそらく同じではなかっただろう。学資の点からしても、経費を節減する必要は彼にはなかったのだから。そんなことは彼にはどうでもよかったのかも知れない。部屋は棲むに足ればよかったし、食事は油揚げであろうとなかろうと、腹を充たせばそれでいい。彼の日常からして、そう考えているようにも、私には見えた。それは育ちの違いというものを、私にときどき感じさせた。私は貧しい官吏の伜であったし、したがって貧しさということに対して、極めて敏感に気を使っていたし、自分の生活をストイックなものに思いなす意識が、常々私を離れたことがなかったから。そういう点で、私は彼の生態を、実感としては理解できなかった。ただ規則立った学業が嫌いだという点において、私は彼と共通していた。私も学校をさぼって絵を描いたり、母屋の老人について仕舞の型をならったり、Nにくっついて酒を飲みに行ったり、毎日そんなことばかりをしていた。その日その日がのんびりと過ぎればいい。そんな気持だった。だから私も極めて成績は悪かった。学年末が迫ってくるにつれて、しだいに私は憂鬱になっていた。試験の前の莫大な努力をかんがえるだけでも、私の気持は重くなった。努力とか力行とかいうことを、私は昔から好きな方ではなかったのだ。
私たちがよく酒を飲みに行ったのは、田島屋といううどん屋兼居酒屋の店だった。学校は町からすこし離れたところにあって、私たちは下宿を出ると、学校の横手のさびしい畠道をぬけ、馬糞のにおいのする街道に出る。街道をしばらく歩くと、町の屋並みがやがて見えてくる。田島屋はその屋並みのいちばん入口のところにあった。なぜこの店に行くかといえば、ここが多分下宿からもっとも近い居酒屋だったからだ。(他にもひとつ理由がある。)もちろんこんな店には、私たちをのぞけば、高等学校の生徒などは出入りをしやしない。皆あかるい街に出て、ビヤホールや契茶店に入ったりするのである。田島屋の客は、おおむね近所の百姓や馬方や、そんな種類の人々が多かった。土間があって卓が四つ五つおいてある。奥には畳敷きの部屋がひとつある。土間の隅を格子(こうし)で仕切って、そこが調理場になり、何時もそこに一人の小娘がいて、うどんを茹(ゆ)でたり、徳利をあたためたりしていた。十六、七の色の白い、影の淡い感じの小女(こおんな)だった。その女をいつからNが好きになるようになったのか、私はよく知らない。学年末がそろそろ迫ってくる頃ではなかったかとも思う。
「あのギンコという女を、お前どう思うね?」
Nは私にそんなことを聞いた。ギンコという名前であることを、私はその時初めて知った。
「どう思うって――」と私は口ごもった。どんな意味の質問なのか、よく判らなかったからだ。「あれはどこか身体が、弱いんじゃないかな。眉毛が妙にうすいじゃないか。病気なのかも知れないな」
その病気の名を私は不謹慎に口にした。Nはやや暗い眼をまっすぐ私にむけ、考え考えしながら口を開いた。
「あのこは孤児なんだぜ。生れつきのひとりっ児なんだ。身寄りがないもんだから、あそこに引取られているんだ」
「だから影がうすい感じなんだな。しかし君はそんなことを、よく知っているんだね」
「おれはギンコが、好きなんだ」
Nははっきりした口調で、そう言った。私は気押されたように口をつぐんでしまった。めらめらと燃え上るようなものが、Nのその言葉に感じられたからだ。それは同時にある理由から、いちまつの危惧みたいなものを、するどく私に感じさせた。一年近く隣同士に生活していて、Nの性格や日常をかなり知っていたので、いまNが女を好きになったことは、それだけである破局を私に漠然と予想させた。少し経って、私はさり気なく言った。
「好きになるのもいいけれど、今度は及第する算段をした方がいいと思うな。僕もそうするつもりだし――」
「そうすりゃいいだろう」
そっけない口調でそうさえぎると、Nは盃(さかずき)を口に持って行った。その時私たちは、田島屋の奥座敷で、向い合って飲んでいたのだ。ここではよく芋焼酎をのませたが、その夜も確かそうだと思う。隙間風が肌にひりひりするような寒い夜だった。底冷えがして、酒でも飲まなければやり切れないような気侯だった。
「おれは近頃何だか、ばかばかしくなっているんだ」しばらくして袖口で唇を拭きながら、Nが言った。「ここで踏んばって勉強して、どうにか進級したとしてもさ、また同じような生活がえんえんと続くだけだろう。そりゃあまあ、続いてもいいけれどもさ、それを続けるために、寒い中をこつこつと勉強するなんて、とにかく何だか、やり切れない感じがしないかい」
「しないね」と私は答えた。「落第する方がよっぽどやり切れないよ。君だって、実際学校を追い出されるのは、困るんだろう」
「うん。それはすこしは、困るんだ」
言葉ではそう言ったけれども、そのNの顔には、なんだか自分の内部のものを持ち扱いかねているような、奇妙な焦噪の色があらわれていた。私はまぶしくそれを見た。
「学校を追い出されたら、家に帰らなくてはいけないしな。家での生活は、おれはあまり面白くないんだ。酒もろくには飲めないし」
「それでギンコを好きになったとは、どういうことだね」
と私は声をひそめて訊ねてみた。座敷の障子の破れから調理場が見え、ただよう湯気のあわいにギンコの姿がちらちらと動いていたからだ。Nのうす赤く血走った眼が、なにかいどむような光をたたえて、私を見詰めた。私はたじろいだ。
「好きということは、好きということさ。他に言い方があるかい」
Nは女色には潔癖であったし、その頃彼はまだ、童貞であっただろう。潔癖というよりは、一部の高校生に特有な、無関心という感じに近かったと思う。だからNの言い方は、おそらく本音であったに違いない。しかしそのNの言葉を聞いた時、私はなにか当惑に似たものが、ひしひしと胸にのぼってくるのを感じていた。それは顔色に出さず、私はも一度探るように、Nに確かめていた。
「あのこがみなし児だから、なんだか不幸な感じがするから、君はあれを好きになったんじゃないだろうな」
Nは不興気(げ)にだまった。その話はそこでとぎれた。だからよくは判らないけれども、私の質間はある程度、的(まと)を射ていたのではないかと思う。Nの日常から見て、不幸への傾倒とでも言ったようなものを、いつか私は彼の内部にうすうすと嗅ぎ当てていたから。つまり、この世の約束をはみ出て揺れ動くようなもの、尖鋭な光を放ち、かぐろい翳(かげ)を隈(くま)どるようなもの、そんなものを彼は無意識裡に切に求めているらしかった。そしてそれはその底に、平板な現実にたいする不信を、根強くひそめているようだった。おあずけをくった犬みたいな眼で、彼は自分の毎日を眺めている、それが彼の性格に、あるイリタブルな調子と狷介な傾向を、しだいにつけ加えてきている。これはもちろん私の観察にすぎないし、彼自身にもはっきりした自覚はなかったのだろう。彼のギンコヘの関心の仕方も、そういう焦点のむけ方なのだろうと、その時の私には思えたのだが。そしてそれ以上、ギンコについて言及するのを、私ははばかった。[やぶちゃん注:「イリタブル」irritable。「怒りっぽい・腹を立てやすい・激しやすい・短気な」の意。]
その時まで私は、その女がギンコという名前であることも、みなし児であるということも、ほとんど知らなかった。しかし実は私は、ギンコの身体をすでに知っていた。ギンコは田島屋の雇い女でもあったけれども、同時に半分は春婦でもあったらしいからだ。田島屋の主人がギンコに、そんなことを強制していたのかどうかも、私は未だ知らない。ある夜偶然に、私は彼女の一夜の客となったに過ぎない。それもずいぶん前のことだった。まだ夏服を着ていた頃だったから、初夏か秋口のことだったに違いない。
ある夜遅く私はひとりで街から帰ってきた。ずいぶん夜も更(ふ)けていて、街道にも人影はなかった。そして田島屋の店の表の提燈(ちょうちん)のかげから、突然そのギンコは私を呼び止めたのだ。
「ねえ。学生さん」
私は立ち止った。私はすこしは酔っていた。提燈の乏しい光の中に、ギンコの顔が白い花のように、ぽっかり浮んでいた。それは妙に非現実的な感じだった。その顔が言った。
「ねえ。遊んでゆかない?」
どんな気持であったかよく覚えていない。しかしその声にすぐ応じる気持になったのは、私の酔いの気紛れだったのだろうとも思う。私は平常身を持するに臆病であったし、冒険(?)は私の性には全然合わなかった。あるいは、提燈の光に照らされたギンコの、眉のうすい混血児めいた印象に、ふと強くひかされたのかも知れない。ごくありふれた顔でも、これが春婦だと意識した瞬間に、はげしくひきつけられたりすることが、時たま男にはあるものだ。私はまだ二十歳ではあったけれども、男であることは一応男だったのだから。
「そうだな。遊んでもいいな」
私はいっぱしの男のような口を利(き)いた。女身にたいする畏怖や警戒を、私は出来るだけかくそうと努めていた。また一面には、こんなにスムーズに機会がやって来たことを、ひそかに喜ぶ気持もあったのだ。そのことは私に既知の経験ではなかった。しかしそれを眼の前の女身に知られるのは、私の自尊心が許さなかった。今思うと、あの頃の私は現在の私より、ずっとひねくれていたようだ。
そして女の手が私に触れた。ギンコは花模様のワンピースを着ていた。腕をからむようにして、私を田島屋の店のなかに引き入れた。その動作はやわらかで、ひどく手慣れたやり方のように感じられた。私はほとんど無抵抗にそれに応じた。燈が消され、女が服を脱ぐ衣(きぬ)ずれの音が、闇の底でかすかに鳴った。出来るだけ無恥に! なにかをいらいらと待ちながら、私は自分にそう命令したりしていた。やはり緊張に耐えられなかったからだ。時間が過ぎた。
やがて田島屋を出て下宿の方に戻りながら、私はいくらか虎脱した気持で、女身の記憶をしきりに反芻(はんすう)していた。ちりちりした髪の感触、肌の匂い、双の肩胛骨(けんこうこつ)のぐりぐりした動きなど。それらは断(き)れ断れな印象として、私の皮膚に残っていた。女なんて貧しいものじゃないかと、月を仰ぎながら、私はふと考えたりした。それが自分の生理の貧しさとは、私は考えなかったし、また気がつきもしなかった。自分を泥土につき落したつもりでいて、そのことで私はむしろ昂然(こうぜん)としていた。
その夜のことは、私は誰にもしゃべらなかったし、Nにも秘密にしていた。しゃべったって始まらないじゃないか。それが若い私の自分への言い訳だった。しかしやはり私はそのことを、恥じたりこだわったりしていたのだろう。
ギンコとの身体の交渉は、それまでにはそれ一度だけだった。その夜から一箇月ほどして、私はNをつれて田島屋ののれんをくぐった。酒を飲むためだ。しかしも一度あの女の顔を見たいという気持は、私には確かにあった。ギンコは格子(こうし)のなかで、せっせと注文のうどんを茄(ゆ)でていた。私の顔を見ても、空気を見るようで、べつだん表情を動かす風(ふう)もなかった。私はやや失望したし、また軽侮されたような気にもなった。Nは始めてのこの店を、なかなかいい店じゃないかと、大きな顔を左右にむけて、吟味するように眺め廻したりした。こんな店をNはそれまであまり知らなかったので、手軽で実質的なところがひどく気に入ったようだった。それから私たちは、しばしばこの店に通うようになった。ことに寒くなってくると、遠い街まで出かけるのは億劫(おっくう)なので、自然と田島屋に通う度数もふえてきていた。もうその頃はギンコの存在も、かすかな痛みの一点として胸に残るだけで、大体酒の運び手以上にはみ出た感じは、私からはすでに消え去っていた。強いて私は自分の心の一部分を、切り捨てていたのかも知れない。そんなことで心を労するのは無益だと、いつか私は心の底で計算していたのだろうから。
しかしNがギンコを好きだと宣言したあの時、そのギンコとのいきさつを私が告白するのをはばかったのも、たんに羞恥やこだわりのせいではなかった。私の内部にある核のようなものを、Nの言葉がなにかするどく刺戟してきたからだ。私はNの網膜を通して、ふいに新しく生き返ってきたようなギンコの姿を、その時ありありと感知していた。イリタブルな情緒が私の心をゆすぶった。はげしい当惑に似た感じも、同時に胸にきた。
『学校がうまく行きそうにないもんだから、それでヤケになって、女に惚れやがる』
毒々しく言えば、そんな気持にもなりながら、私はNに相対していたと言ってもいい。しかしヤケになっているのは、私の方かも知れなかった。試験のことも自信はなかったし、その準備の重さを考えるだけでも、少からずいらいらしていたのだから。
そして私は実のところ、Nを嫉妬していたのかも知れない。平板な現実への不信から、強烈な夢をよそに結び得る彼の性格、それを許す彼の育ちや境遇。それらを瞬間に私は羨望し嫉視していたと、言えば言えるだろう。つまり私はNにたいして、この一年間単なる観察者であったことに、突然やり切れなくなっていたのだ。私のような経歴や性格にとって、無感動ということが、この世に身を処するもっとも有利な方法であることを、当時の私はもううすうすと感じ始めていたが、それを裏切ったのは、やはり私の『若さ』であった。『若さ』が持つ盲目的な衝動であった。
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