毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 相思螺・郎君子・酢貝(スガイ)・ガンガラ / スガイ及びその蓋
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。引用文字列に多数の不審があったので、本文内に注を挟んだ。]
相思螺 相思子【「海槎餘録」。】
郎君子【「五雜爼」。俗に「酢貝(スガイ)」、又、「ガンガラ」。】
○「海槎餘録(かいさよろく)」に曰はく、『相思子は海中に生(しやう)じ、螺(にな)の狀(かたち)のごとくして、中實(ちゆうじつ)にして、石に類す。大いさ、至粒に比するに、好事(かうず)の者、篋笥(けふし)に置(ち)するに、積歲(せきさい)壞せず、亦、轉動(てんどう)せず。若(も)し、醋(す)の一盂(いちう)を置き、試みに其の中へ投ずれば、遂に移動し、盤旋(ばんせん)して已(や)まず。』と。
[やぶちゃん注:「海槎餘録」は明の顧玠(こかい)撰になる一五四〇年成立の南方の地誌と思われる。「中國哲學書電子化計劃」のこちらと、「維基文庫」のこちらを見るに、本文は、『想思子生於海中、如螺之狀、而中實若石焉。大比豆粒、好事者藏置篋笥、積歲不壞、亦不轉動。若置醋一盂、試投其中、遂移動盤旋不已、亦一奇物也。』が正しい。傍線太字部が梅園のものと異なる。この内、梅園の「至」は明らかに「豆」の誤字であり、「豆粒(まめつぶ)に比(ひと)し」と訓ずるべきところである。「好事の者」の後は、「篋笥(けふし)」(長方形の竹製の文箱)「に蔵(をさ)め置くに」と訓ずるのが正しい。実は、これ、「毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 朗君子(スガイ) / スガイの石灰質の蓋とそれを酢に投入した際の二個体の発泡図!!!」の私の注で既に電子化しているので見られたい。但し、そこで使用したソースは上記二つとは別の、早稲田大学図書館「古典総合データベース」にある明の陶珽(とうてい)の纂になる「説郛」の中に抄出されたもので、多少の異同がある。而して梅園の「中實(ちゆうじつ)にして、石に類す」の部分で躓く読者は、これで、軟体部の前に付属する石灰質の蓋(蒂(へた))のことであることも判るであろう。]
○「閩部疏(びんぶそ)」に曰はく、『甫田の青山の海濵、小さき白石を産す。狀、杏仁に似て、兩辨に剪(さ)けり。腹に、文(もん)有り、蟲のごとく、向(むか)ふに、其の異なるを知る者、無し。兵人(へいじん)、青山を守るもの、沙石の中に於いて之れを拾ひ、歸る。試みに、之れを醯(す)の碟(さら)の中に貯(たくは)ふに、两(ふたつ)の石、離れて立ち、相ひ對せしむ。須臾(しゆゆ)にして、能く自(おのづか)ら動き、両(ふたつ)を相ひ迎合(げいがふ)す。之れを名づけて、「雌雄石」と曰ふ。亦、「相思子」と曰ふ。惟(た)だ、醯あれば、則ち、行(ゆ)くこと、易く、他(ほか)の物は、則ち、否(あら)ず。竟(つひ)に所以(ゆえん)を解せず、志(おも)を載(の)せられざるなり。』と。
[やぶちゃん注:「閩」は現在の福建省の広域旧称で、「閩部疏」は同地の地誌。原文は「中國哲學書電子化計劃」の影印本で起こすと、『莆田靑山海濱、産小白石。狀似杏仁、而擘兩瓣、腹有文如虫、向無知其異者。兵人守靑山、於沙石中拾之歸。試貯之醯碟中、兩石離立相對、須臾能自動、兩相迎合、名之曰雌雄石、亦曰相思。曾得四瓣、試之果爾。惟醯則行、易它物則否。竟不解所以、志所不載也。』であり、字の一部に異同があり(但し異体字で問題はない)、途中を略している(孰れも下線太字を附した)。カット部分は「曾つて、四瓣(よひら)を得、之れを試むるに、果(はた)して爾(しか)り。」であろう。]
予、曰はく、『「相思子」の厴(ふた)を「酢貝(すがひ)」と云ふ。其の螺(にな)を言はず。酢皿(すざら)に入れ、自(おのづか)ら動くこと竒なり。酢は物をよせる者にして、此の貝の厴、能く酢を好む故に、收斂(しめよせ)て、動かすなり。前條両書に載せ説(と)くがごとし。』と。
乙未臘月初七日、眞寫す。
[やぶちゃん注:これは、上に注した「毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 朗君子(スガイ) / スガイの石灰質の蓋とそれを酢に投入した際の二個体の発泡図!!!」で既に示した、
腹足綱古腹足目ニシキウズ上科リュウテン科オオベソスガイ属スガイ Lunella coreensis の蓋三個(右下方)
で、三つの内の左の二個体は酢に反応して発泡している状態を描いたものと思われ、さらに、貝自体の蓋附きのもの一個体と、螺層面を描いた、都合三個体
の図である。
「郎君子」命名の意味不詳。但し、中国で、成人した優れた仁徳を持った君子は漫りに争わないというから、この蒂が相寄り添うように運動することから、そうした徳性による命名のように私には思われる。
「五雜爼」「五雜組」とも表記する。明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で遼東の女真が、後日、明の災いになるであろうという見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。但し、同書では「郎君子」の名は見出せなかった。不審。
「乙未臘月初七日」天保六年十二月七日。グレゴリオ暦一八三六年一月二十四日。]
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