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2022/08/08

只野真葛 むかしばなし (56)

 

一、深井半左衞門といふ鑓(やり)つかい、澁川と引(ひき)はりて、代々、浪人にて、師範して世をへし人なり。同じ築地に住居せし故、稽古の音など聞(きき)たりし。ワ、おぼゑし半左衞門が父なるべし。鑓、つかふ事のみ、心入(こころいれ)て、芝居といふもの、見ざりしとぞ。

 さるを、ふと、外にて、昔の名人海老藏と同座せし事、有しとぞ。其時、半左衞門、云(いはく)、

「さて、私事(わたくしこと)は、家業にかまけて、四拾に及ぶまで、芝居、見し事、なし。今夜、幸ひ、音に聞えし其元(そこもと)に逢(あひ)しかば、狂言見しにも增(まさ)りたり。」

と、いひしを、海老藏、深く感じ、

「其業(わざ)を專(もつぱら)につとめて、芝居見られぬは、潔し。いで、左樣ならば、「矢の根」、五郞の『せりだし』、上障子(うへしやうじ)の内の『にらみ』を、見せ申(まをす)べし。」

とて、其形(かた)をして見せしに、半左衞門、橫手を打(うつ)て感じ、

「實(まこと)、名人と呼(よば)るゝも、うべなり。其身内、少しも、すきなし。」

と、ほめしとぞ。

「今一ツ、何ぞ。」

と、このみしかば、

「然(しから)ば、『俱梨伽羅不動(くりからふどう)のにらみ』。」

とて、仕(しまはし)て見せしに、

「是は。すきだらけなり。」

と、いはれ、

「こふか、こふか。」

と、樣々、工夫して身振せしが、其座にては、出來ざりしとぞ。

 それより、每夜、狂言しまひては、半左衞門が方へ來り、『不動のにら見』して、直(なほ)しもらひしとぞ。【おもふに、「くりから不動」は、首ばかりだしてにらむ故、からだは拔(ぬけ)ても、よさそうなものなり。[やぶちゃん注:底本に「原頭註」とある。]】

「一昔の人は、きこん、別なり。」

と、父樣、御はなしなり。

 半左衞門は海老藏と懇意に成(なり)てより、

「外の役者、みるに及ばず。」

とて、一生、芝居は見ざりしとぞ。

[やぶちゃん注:「深井半左衞門」ある古本屋のデータで、文政一一(一八二八)年刊の「初目録業理教口授秘書 寶蔵院流槍術礒野派」という文書に、「深井半左衛門正光」の名を見つけた。

「澁川」渋川伴五郎義方。前回分を参照されたい。

「海老藏」いろいろ調べたが、何代目かは不詳。本時制が、渋川は承応三(一六五四)年生まれで、宝永元(一七〇四)年に没しており、この深井はそれと張り合ったというのだから、時代が相応に絞れるのであるが、「海老藏」を名乗った時期がしっくりくる人物がいない。さらに、次注した「矢の根」は以下の通り、享保一四(一七二九)年よりも前には存在しないわけで、或いは、真葛の記憶の錯誤があるか。

「矢の根」歌舞伎狂言。時代物。一幕。「歌舞伎十八番」の一つ。二世市川団十郎の創演で、享保一四(一七二九)年に「扇恵方曾我 (すえひろえほうそが)」の一番目として上演され、大当りをとった。原拠は、幸若舞曲及び土佐浄瑠璃の「和田酒盛」。その後、中絶したが、九世団十郎によって復活され、今日の形式となった。矢の根を磨いていた曾我五郎が、夢で兄十郎の危難を告げられ、工藤祐経の館へはせ向うという筋で、荒事の様式美と、伴奏の豪快な三味線の「大薩摩(おおざつま)節」が、よく調和し、大らかで夢幻的な一幕となっている(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。私は歌舞伎嫌いなので、これ以上のシーンの説明は出来ない。Mimosanoki氏のYouTubeの「矢の根」の冒頭であろう。

「俱梨伽羅不動(くりからふどう)のにらみ」不詳。]

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