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2022/08/26

曲亭馬琴「兎園小説余禄」 僞男子 / 「兎園小説余禄」巻一~了

 

[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。

 底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちらから載る正字正仮名版を用いる。

 本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。句読点は現在の読者に判り易いように、底本には従わず、自由に打った。鍵括弧や「・」も私が挿入して読みやすくした。踊り字「〱」「〲」は正字化した。一部を読み易くするために《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附し、改行を施した。標題は「にせなんし」と読んでおく。

 

   ○僞男子

麹町十三丁目なる蕎麥屋の下男に【「かつぎ男」といふものなり。】吉五郞といふものあり。

此もの實は女子也。人、久しく、これを知らず。

年、廿七、八許《ばかり》、月代《さかやき》を剃り、常に、腹掛を、かたくかけて、乳を顯さず。

背中に、大きなる、ほり物あり。俗に「金太郞小僧」といふものゝかたちを刺《ほ》りたり。この餘《ほか》、手足の甲までも、ほり物をせぬところ、なし。そのほり物に、ところどころ、朱をさしたれば、靑・紅、まじはりて、すさまじ。

丸顏、ふとり肉《じし》にて、大がら也。

そのはたらき、男に異なること、なし。

はじめは、四谷新宿なる引手茶屋にあり。そのゝち、件の蕎麥屋に來て、つとめたりとぞ。

[やぶちゃん注:「引手茶屋」遊廓で遊女屋へ客を案内する茶屋。江戸中期に揚屋(あげや)が衰滅した江戸吉原で、特に発達した。引手茶屋では、遊女屋へ案内する前に、芸者らを招いて酒食を供するなど、揚屋遊興の一部を代行した形であった。そこへ、指名の遊女が迎えにきて、遊女屋へ同道した。引手茶屋の利用は上級の妓女の場合に限られたから、遊廓文化の中心的意義を持った(小学館「日本大百科全書」に拠った)。]

誰いふとなく、

「渠《かれ》は、『僞男子』也。」

といふ風聞ありければや、四谷大宗寺橫町なる博突うち、これと通じて、男子を、うませけり。是により、里の評判、甚しかりしかば、蕎麥屋の主人、吉五郞には、身のいとまをとらせ、出生の男子は、主人、引とりて、養育す。

[やぶちゃん注:「四谷大宗寺橫町」(よつやだいそうじよこちやう)は現在の新宿区新宿一・二丁目相当。]

かくて、吉五郞は、木挽町のほとりに赴きてありし程、今茲、天保三年壬辰秋九月、町奉行所へ召捕られて入牢したり。これが吟味の爲、奉行所へ召呼るゝとて、牢屋敷より引出さるゝ折は、小傳馬町邊、群集して、觀るもの、堵《かき》の如くなりしとぞ【こは、十一月の事なり。】。

[やぶちゃん注:「天保三年壬辰」一八三二年。]

或は、いふ。

「此ものは、他鄕にて、良人を殺害《せつがい》して、迯《にげ》て、江戶に來つ。よりて、『僞男子』になりぬ。世をしのぶ爲也。」

など聞えしかども、虛實、定かならず。

四谷の里人に、此事をたづねしに、何の故に男子になりたるか、その故は詳《つまびらか》ならず。

四谷には、渠に似たる異形《いぎやう》の人、あり。

四谷大番町なる大番與力某甲の弟子《おとうとご》に、「おかつ」といふものあり。幼少のときより、その身の好みにやありけん、よろづ、女子《によし》のごとくにてありしが、成長しても、その形貌を更めず、髮も髱《たぼ》を出し、丸髷にして櫛・笄《こうがい》をさしたり。

[やぶちゃん注:女性の結髪の後部に張り出した髪を、撓めて作った、襟首に下がる部分の名称。日本髪の美しさのポイントとなる部分である。]

衣裳は勿論、女のごとくに廣き帶をしたれば、うち見る所、誰も男ならんとは思はねど、心をつけて見れば、あるきざま、女子のごとくならず。

今茲は【天保三年。】四十許歲《しじゆうばかりのとし》なるべし。妻もあり、子供も幾人かあり。

針醫を業とす。四谷にては、是を「をんな男」と唱へて、しらざるもの、なし。年來《としごろ》、かゝる異形の人なれども、惡事は聞えず、且、與力の弟なればや、頭より、咎《とがめ》もあらであるなれば、彼《かの》「僞男」吉五郞は、此「おかつ男」をうらやましく思ひて、男の姿になりたるか。いまだ知るべからず、といへり。

とまれかくまれ。珍說なれば、後の話柄になりもやせん、遺忘に備《そなへ》ん爲にして、そゞろに記しおくもの也。

 

兎園小說餘錄第一 

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