毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 海馬・タツノヲトシゴ / タツノオトシゴ
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングし、一部をマスキングした。]
「多識扁」
海馬【「かいば」。】 水馬(すいば)
「りうぐうのこま」
「たつのをとしご」
「海馬」、海中の小魚の内に交りて、市に賣ること、あり。乾して貯め置きて、婦人の産する時、是れを手裏(てのうち)に把(にぎ)れば、子を、産(うむこと)、やすし。「本草」に『魚蝦の類』と云ふ。雌雄有り。
乙未八月廿九日、眞寫す。
「䑓湾府志」に曰はく、『海龍。澎湖(ほうこ)の澳(おき)にあり。冬の日、海の灘(なだ)に雙(なら)び躍る。漁人、之れを獲る。號して、珍物と為(な)す。首尾、龍に似、牙爪(がさう)、無し。長さ、徑(さしわたし)、尺にたらず。之れを以つて、薬に入るれば、功、倍す。「海馬」は、孫元衡に、詩、有りて、云はく、「澎島の漁人 我が歌を乞ふ / 海龍 雙躍して盤渦(うずまき)を出で / 爪牙 未だ空しくして 鱗鬣(りんれふ)を具(そな)へず / 直ちに似たり 枯魚(こぎよ) 河(かは)を過(わた)れと泣くに。」と。』と。
[やぶちゃん注:これは、無論、「蛤蚌類」ではない魚類の、
トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヨウジウオ科タツノオトシゴ亜科タツノオトシゴ属 Hippocampus
で、本邦産では七種が確認されている(詳しくは『神田玄泉「日東魚譜」 海馬 (タツノオトシゴ)』の私の注を参照。そちらの絵はショボい)。標準和名のそれは、
タツノオトシゴ Hippocampus coronatus
で、北海道南部以南の日本近海・朝鮮半島南部に分布する代表種。全長八センチメートル内外。形態・色彩とも個体変異に富むが、胴の部分は側扁し、尾は長く物に巻きつけるようになっている。頭部は胴部にほぼ直角に曲り、馬の頭部を思わせる形状を成す。後頭部にある頂冠は高い。♂の腹部に育児嚢があり、♀はこの中に産卵し、卵は育児嚢の中で孵化し、親と同じような形にまで成長して後、外へ出る。この時の♂の出産の様子はすこぶる苦痛を思わせる様態を成すことが知られる。海藻の多い沿岸や内湾に棲息する。私も富山の雨晴海岸で銛突き中に見かけことがある。本図も乾燥標本と思われ、頭頂部にあるべき突起がないが、変にその部分が凹んでいることから、欠損したものと考えてよく、一応、同種に比定してよかろう。
「多識扁」林羅山道春が書いた辞書「多識編」。慶安二(一六四九)年の刊本があり、それが早稲田大学図書館「古典総合データベース」の「卷四」のこちらに「海馬【志也久那岐。】異名水馬(スイバ)」(太字は底本では二重の四角の中の黒地白抜き)とある。「志也久那岐」「しやくなぎ」で、「しやくなげ」とともに古いタツノオトシゴの異名の一つであるが、貝原益軒は「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 海馬」で『世人コレヲシヤクナゲト云ハアヤマレリシヤクナケハ蝦蛄ナリ』と否定している。「蝦蛄」甲殻亜門軟甲綱トゲエビ亜綱口脚(シャコ)目シャコ上科シャコ科シャコ Oratosquilla oratoria 及び口脚目 Stomatopoda に属するシャコ類の総称である。さて、以下の解説は、梅園お得意の、徹頭徹尾、孫引きである。まず、その「大和本草」の『海中の小魚の内に交りて、市に賣ること、あり。乾して貯め置きて、婦人の産する時、是れを手裏(てのうち)に把(にぎ)れば、子を、産(うむこと)、やすし。「本草」に『魚蝦の類』と云ふ。雌雄有り』の箇所が、本篇に最初の解説部分でほぼ丸写ししてある。なお、この「本草」は時珍に「本草綱目」で、その巻四十四の「鱗之三」の「海馬」の以下を指す。「漢籍リポジトリ」のこちらの[104-52b]を参照。
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釋名 「水馬」。弘景曰、『是、魚鰕類也。狀、如馬、形故名。』。
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「魚鰕」は魚類とエビ類を指すが、同項の「集解」では、例えば、蘇頌が『「異魚圖」云、漁人布網罟此魚多罣網上收取』などと記し、その後で時珍も『「徐表南方異物志」云、海馬有魚、狀如馬頭』とあるので、時珍は魚とするそれを否定してはいない。但し、前項は「海蝦」であり、魚と断定しているとは言い難い。
「りうぐうのこま」「龍宮の駒」。「駒」は「馬」で、属学名に偶然に酷似する。“ Hippocampus ”(ヒポカンパス)の語源はギリシャ語のラテン文字転写で“Hippos”(「馬」の意)、“Campos”(海の生物・怪物)の意である。
「たつのをとしご」「龍の落とし子」。
「乙未八月廿九日」天保六年。一八三五年七月二十四日。
『「䑓湾府志」に曰はく、……』これは全部が栗本丹洲「栗氏千蟲譜」巻八冒頭を飾る「海馬」からの孫引き。私のサイト版画像入り「蛙変魚 海馬 草鞋蟲 海老蟲 ワレカラ 蠲 丸薬ムシ 水蚤」を見られたい。
「䑓湾府志」「䑓」は「臺」の異体字。清代に書かれた官製の台湾地誌。複数あるが、その原書で一七六一年に台灣府知府(長官)になった余文儀(一七〇五年~一七八二年)が、任期中に編集したものである。「中國哲學書電子化計劃」のこちらの影印本で確認できる。
「澎湖」澎湖(ほうこ/ポンフー)諸島。台湾島の西方約五十キロメートルに位置する台湾海峡上の島嶼群。台湾領。ここ。
「澳」「沖」に同じ。
「海の灘」普通は、海流・潮流が速い所、又は、風浪が激しく航行が困難な海域を指すが、単に沿岸水域を指す場合もあり、ここは後者であろう。
「號して、珍物と為す」それを「珍物」と称してとり囃している。
「尺にたらず」清代の「一尺」は三十二センチメートル。
「孫元衡」(一六六一年~?)は清朝の官人で、一七〇三年に台湾府海防補盜同知(補佐官)となり、一七〇七年には台湾府台湾県知県(県知事)となっている。
「直ちに似たり 枯魚(こぎよ) 河(かは)を過(わた)れと泣くに」最後のこの句の意味はよく判らない。識者の御教授を乞う。]
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