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2022/08/30

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 磬―鰐口―荼吉尼天 (その4)

 

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから(左後ろから三行目末から。底本では、実は前の回の最後が、「風有りしより、」で以下と繋がっているが、「選集」は『風ありしなり。』と切れて、改行されている。それが正しい(断然、読み易い)と断じた)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。注は各段落末に配した。彼の読点欠や読点連続には、流石にそろそろ生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、句読点を私が勝手に変更したり、入れたりする。今回は分割する。]

 

 荼吉尼の事は、余、其曼陀羅如き者を舊藏し、在英の間だ、種々調べたる書類有れど、只今、座右に存せず、又悉く忘却したれば、手近き典籍に採て管見を述んに、鹽尻帝國書院板、卷四六卷七四九頁に「陀祇尼天(乃ち荼吉尼天)は琰麼羅の屬にして、その種類一ならず云々、人の肝膽精氣を噉食す。然るに、地藏大士、慈悲を以て其相を鬼類に等しくし、之を招じて、人の爲に惱害を成さゞらしめ給ふを本主の陀祇尼天とす。正流の密家に祀る、是なり。其鬼類の實者外相を現ずるに、悉伽羅野干となる。季世、大方、此野干を祀りて陀祇尼と稱し、福を求め、幸を祈り、或は稻荷と呼んで、幣帛を捧ぐる族、多し」と有り。「大和本草」抔に言ふ如く、野干は狐と別物にて、英語ジャッカル、梵名スリガーラ(すなわち悉伽羅)、又、ジャムブカ、亜剌伯[やぶちゃん注:「アラビア」。]名シャガール、希伯ゞ拉[やぶちゃん注:「ヘブリウ」。ヘブライ語。]名シュアル、是等より射干、又、野干と轉譯せしなるべく、博物新編等には豪狗と作り、モレンドルフ說に、漢名豺は此獸を指すと云ふ。此物、狡譎甚しき由、多く印度、亜剌伯等の書に見え、聖書に狐の奸智深きを言るも、實は野干を指すならんといふ。隨つて支那、日本に行はるゝ狐の諸譚中、野干の傳說を混入せる事、多し(昨年、大正三年「太陽」、拙文「虎に關する史話と傳說、民俗」第五節一六〇――一六一頁を見よ)。

[やぶちゃん注:最後の丸括弧内は底本と「選集」の記載をカップリングした。

「鹽尻」江戸中期の国学者で尾張藩士天野信景(さだかげ)による十八世紀初頭に成立した大冊(一千冊とも言われる)膨大な考証随筆。当該活字本の当該箇所が国立国会図書館デジタルコレクションのここで視認できる。左下段中央にある。

「陀祇尼天」同じく「だきにてん」と読む。

「琰麼羅」「えんもら」と読んでおくが、ネット検索でも、「大蔵経データベース」でもこの文字列を見出せない。似たような発音では、「陰魔羅鬼(おんもらき)」がいるが、これは食人鬼ではないので違う。「太平百物語卷五 四十二 西の京陰魔羅鬼の事」の本文と私の注を参照されたい。食人鬼ということであれば、私の「小泉八雲 “JIKININKI” 原文 及び やぶちゃんによる原注の訳及びそれへの補注」(サイト版)で八雲の注の拙訳で示した、「羅叉娑(ラシャシャ)」、所謂、バラモン教やヒンズー教で、専ら「人を惑わし食らう魔物」として描かれることが多い羅刹(らせつ)の族を指すか。

「噉食す」「くらひしよくす」。

「正流の密家」正統な密教系寺院。

「實者外相」「じつしやげさう」。実際に人間の目に見える外観。

「悉伽羅野干」「しつがらやかん」。ウィキの「野干」に、『野干(やかん)とは漢訳仏典に登場する野獣。射干(じゃかん、しゃかん、やかん)豻(がん、かん)、野犴(やかん:犴は野生の犬のような類の動物、キツネやジャッカルなども宛てられる)とも。狡猾な獣として描かれる。中国では狐に似た正体不明の獣とされるが、日本では狐の異名として用いられることが多い』とし、唐の「本草拾遺」に『よると、「仏経に野干あり。これは悪獣にして、青黄色で狗(いぬ)に似て、人を食らい、よく木に登る。」といわれ、宋の』「翻訳名義集」では、『「狐に似て、より形は小さく、群行・夜鳴すること狼の如し。」とされ』、「正字通』には『「豻、胡犬なり。狐に似て』、『黒く、よく』、『虎豹を食らい、猟人これを恐れる。」とある』。『元は梵語の「シュリガーラ」』『を語源とし、インド仏典を漢訳する際に「野干」と音訳されたものである。他に、悉伽羅、射干、夜干とも音訳された。この動物は元々』は『インドにおいてジャッカル(この名称も元は梵語に由来する。特にユーラシアに分布しているのはキンイロジャッカル)』(食肉目イヌ型亜目イヌ下目イヌ科イヌ属キンイロジャッカルCanis aureus 『を指していたが、中国にはそれが生息していなかったため、狐や貂(てん)、豺(ドール)との混同がみられ、日本においては主に狐そのものを指すようにな』ったとし、『なお、インド在来の狐についてはベンガルギツネ』(イヌ科キツネ属ベンガルギツネ Vulpes bengalensis )『が存在し』、『食性や生息環境が競合する』。『インドでジャッカルは尸林』(注『遺体を火葬したり、遺棄した林。放置されたり、焼け残った遺体は鳥獣の餌となった』とある)『を徘徊して供物を盗んだり、屍肉を喰う不吉な獣として知られていたため、カーリーやチャームンダー』『など、尸林に居住する女神の象徴となった。また、インド仏教においても』、『野干は閻魔七母天の眷属とされた』とある。明治四三(一九一〇)年には、『南方熊楠が、漢訳仏典の野干は梵語「スルガーラ」(英語「ジャッカル」・アラビア語「シャガール」)の音写である旨を、『東京人類学雑誌』に発表した』と記し、挿絵に南方熊楠の「十二支考」の虎パートにある「ジャッカル(野干)」の画が示されてある。『日本では当初、主に仏教や陰陽道など知識階級の間で狐の異名として使われた。平安初期の』「日本霊異記」の上巻第二の「狐爲妻令生子緣」には、『狐が人間の女に化けて男の妻となり、子供もできたが、正体がばれた』際、『男から「来つ寝よ」(きつねよ)と言われ』、『「キツネ」という名が出来たとする説話が収録されているが、そこでも』、『狐のことを文中で「野干」と記す例が確認出来る』とし、さらに「拾芥抄」には『「野干鳴吉凶」』『として』、『狐の鳴き声によって吉凶を占うことがらについても記されている。鎌倉時代の』「吾妻鏡」には、野干(狐)によって名刀の行方が知れなくなったこと」(建仁元(一二〇一)年五月十四日の条)が記されて『いたりするほか、江戸時代以後には』、『一般的にも書籍などを通じて「狐の異名」として野干という語は使用されて来た。その他、各地の民話でも狐の別名として野干が登場する』。「大和本草」などの『本草学の書物などでは』、『漢籍の説を引いて、「形小さく、尾は大なり。よく木に登る。狐は形大なり。」と、狐と野干は大きさが違うとされているので別の生物であるという説を載せている』。『また、日本の密教においては、閻魔天の眷属の女鬼・荼枳尼(だきに)が野干の化身であると解釈され』(☜/☞)、『平安時代以後、野干=狐にまたがる姿の荼枳尼天となる。この日本独特の荼枳尼天の解釈は』、『やがて豊饒や福徳をもたらすという利益の面や狐(野干)に乗っているという点から』(☜/☞)、『稲荷神と習合したり、天狗信仰と結び付いて飯綱権現や秋葉権現、狗賓』(くひん:天狗の一種とされ、狼の姿で、犬の口を持つとされる。当該ウィキによれば、この異類は『山岳信仰の土俗的な神に近』く、『天狗としての地位は最下位だが、それだけに人間の生活にとって身近な存在であり、特に山仕事をする人々は、山で木を切ったりするために狗賓と密接に交流し、狗賓の信頼を受けることが最も重要とされていた』とある)『などが誕生した』。『能では狐の精をあらわした能面を「野干」と呼んでおり』、「殺生石」・「小鍛冶」など、『狐が登場する曲で使用されている』。「殺生石」に『登場する狐の役名も「野干の精」などと表記される』とある。

「季世」末期。著者の時制から中世末から近世初期。

「大和本草」貝原益軒の同書の巻之十六の「獸類」の「射干」。「狐」とは別立てで、間にヒト型異類「猩々」を中に挟んでいる。国立国会図書館デジタルコレクションの原本から訓読(読みは推定で歴史的仮名遣で附した。一部で送り仮名を仮に入れた)して起こす。なお、「㩆」の字は(へん)が「彳」であるが、「漢籍リポジトリ」のこちらの原本の、[048-36b]の影印画像で修正した。

   *

射干 陳藏器曰はく、『佛經に曰はく、「射干・貂㩆(てんしう)、此れは是れ、惡獸にて、靑黃犬(せいわうけん)に似て、人を食ふ。能くに緣る。」。』と。「詩經大全」、安成劉氏が曰はく、『犴、一つ、「豻」と作(な)す。胡地の犬なり。』と。「字彙」、『豻は野犬に同じ。狐に似て小く、胡地に出づ。』と。今、按ずるに、國俗、「狐」を「野干」とす。「本艸」に、狐の別名、此證無し。然れば、射干と、狐と、異なり。

   *

この冒頭の陳藏器の言は無効である。何故なら、李時珍の「本草綱目」のこの部分は、巻十七下の「草之六【毒草類三十種】」の一項である「射干」の集解中に紛れ込んであるものであるが、この「射干」は総標題の通り、毒草であって、動物ではないからである。序でに言っておくと、寺島良安の「和漢三才図会」の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 狐(きつね) (キツネ)」でも「野干」を別獣としている。そこで良安は和名に注して、

   *

「和名抄」に、『狐は木豆禰、射干なり。關中に呼ぶに、野干と爲すは語の訛りなり。』と。蓋し、「野干」は別獸なり。

   *

とはっきり断じている。

「博物新編」清代にイギリス人宣教師で医師のベンジャミン・ホブソン(Benjamin Hobson:中国名「合信」 一八一六年~一八七三年)が漢文で著した博物学書。本邦では明治時代に翻刻本や訳解本が出版されている。彼はロンドン大学で学んだ後、宣教師となり一八三九年にマカオの澳門教会医院で働き、広州西郊に恵愛医館を開設し、宣教医として働きながら、医学書を執筆した。中国に初めて西洋解剖学を伝えた「全体新論」が有名。一八五六年十月に「第二次アヘン戦争」が起こると、上海に避難し、仁済医館で働いた。二十年間、中国で働いた後、帰国し、ロンドンで没した。彼の著作は、幕末から明治初期にかけて日本に伝わり、日本の近代医学に影響を与えた(当該ウィキに拠った)。

「モレンドルフ」ドイツの言語学者で外交官であったパウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ(Paul Georg von Möllendorff 一八四七年~一九〇一年)のことであろう。十九世紀後半に朝鮮の国王高宗の顧問を務め、また、中国学への貢献でも知られ、満州語のローマ字表記を考案したことでも知られる。朝鮮政府での任を去った後、嘗ての上海で就いていた中国海関(税関)の仕事に復し、南の条約港寧波の関税局長官となり、そこで没した。

「豺」音「はサイ」。漢語では広く「野良犬・野犬」を指す。狼は含まない。

「狡譎」ずる賢いこと。

「虎に關する史話と傳說、民俗」第五節一六〇――一六一頁を見よ)」所謂、「十二支考」シリーズの「虎」の一部で、大正三(一九一四)年五月発行の『太陽』の「(五)佛敎譚」の第二部「二〇ノ五」がそれ。新字新仮名であるが、「青空文庫」のこちらで読める。]

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