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2022/08/23

多滿寸太禮卷第五 永好律師魔類降伏の事

 

[やぶちゃん注:基礎底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこれPDF・第四巻一括版)。挿絵は国書刊行会「江戸文庫」版の木越治校訂になる「浮世草子怪談集」のそれをトリミング補正して、適切と思われる箇所に挿入した。右左でセットの挿絵であるが、描かれた内容から、前後するため、特異的に分離して挿入した。

 

    永好律師《えいかうりつし》魔類《まるゐ》降伏(がうぶく)の事

 越前國金(かね)が御嶽(みたけ)の西面(にしをもて)に、一社の祠(ほこら)あり。

 此の所は、金が崎の城(しろ)とて、そのかみ、元弘より此方、數萬(すまん)の軍士、世々に戰亡《っせんばう》して、かばね累々として、郊原(こうげん)に朽ちぬ。

 かの社は「嶽(たけ)の明神」とて、靈驗あらたに、本社拜殿、玉をみがき、その傍らに寺院ありて、朝暮(てうぼ)の法施(ほつせ)、おこたらず。

[やぶちゃん注:「越前國金(かね)が御嶽(みたけ)の西面(にしをもて)に、一社の祠(ほこら)あり」現在の福井県敦賀市金ケ崎町にある金崎宮(かねがさきぐう)。当該ウィキによれば、『建武中興十五社の一社で』、『主祭神の一人である尊良』(たかよし:後醍醐天皇第一皇子)『親王と』、『その妻の恋愛伝説』で『知られている』。『当地にあった金ヶ崎城址の麓にある。恒良』(つねよし:尊良秦王の異母兄)『親王と尊良親王を祭神とする』。『恒良親王と尊良親王は、足利尊氏の入京により』、『北陸落ちした新田義貞、および氣比神宮の大宮司に奉じられて金ヶ崎城に入ったが、足利勢との戦いにより敗死した』とある。但し、「西面」とするが、位置的には「南面」である。

「金ヶ崎城」は別名「敦賀城」。当該ウィキによれば、『敦賀市北東部、敦賀湾に突き出した海抜』八十六メートルの『小高い丘(金ヶ崎山)に築かれた山城で』、その元は「治承・寿永の乱」(源平合戦)の『時、平通盛が木曾義仲との戦いのため』、『ここに城を築いたのが最初と伝えられる』とある。現在、この城の最も知られた攻防は、本篇より後の織田信長と徳川家康の「越前朝倉攻め」での信長軍の撤退敗北、「金ヶ崎崩れ」である。]

 去(さん)ぬる建武の兵亂(ひやうらん)に、寄手(よせて)の陣屋《ぢんをく》に破られ、其後(のち)、たれ、再興もなく、荒れ果てて、多くの年月(としつき)を送るに隨ひ、木の葉に道を埋み、ながく、人のかよひもたえ、雨露(うろ)に討たれ、をのづから、あらゆる鳥獸の栖(すみか)として、常は妖魁《えうくわい》のわざわひあれば、まれに徃きかふ樵夫(せうふ)も、あたりへ、近づかず。

 爰(こゝ)に、南都に永好律師とて、尊《たふと》き碩學の僧あり。戒法正しく、一寺の譽れ有りしが、深く世をいとひ、山林幽居の志(こゝろざし)ありて、此の山にまよひ入、かの芽屋(ばうをく)に休らひ、すみ給ふに、東北は、深山(みやま)、峨々と聳びへ、西南は、海上一片に、霞(かすみ)におほはれ、心も澄みて覺え給ひければ、朽ちて久しき房舍(ばうしや)を、かしこ爰の枯木(こぼく)をあつめ、かたのごとくに、しつらひて、晝は、里民に食を乞《こひ》て、よるは、木《こ》のみの油をとりて、窓前の燈(とほしび)となし、俗氣(ぞくき)、まれにして、靑山(せいざん)人(ひと)靜(しづか)也。鳥は春花(しゆん《くわ》)の枝に語り、猿は秋雲(しううん)の峯(みね)に叫(さけ)ぶ。蝉(せみ)の聲(こゑ)に夏(なつ)を送(をく)り、常は山草をあつものとし、諸木の皮を紙として、粉詞(ふんし)をのべ給へり。

[やぶちゃん注:「永好律師」不詳。

「幽居」底本では『いうこく』と振るが、歴史的仮名遣としても、読みとしても話にならない。或いは彫師が「幽谷」と取り違えてかく振ったものかも知れぬ。「幽居」の歴史的仮名遣は「いうきよ」である。

「一片」ここは「辺り一面」の意。

「あつもの」暖かい汁物。

「粉詞」ささやかな思いを綴った詩文。]

 

Eikou1

[やぶちゃん注:挿絵が全体に潰れ気味で、細部が判らぬので、底本の早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像をリンクさせておく。] 

 

 或る夜(よ)、窓下に燭をそむけ、几下(きか)に肱(ひぢ)をまげて、蕭然(せうぜん)として座(ざ)し給ふに、庵(いほり)の外面(そとも)に、人のおとなひ、あまた聞えて、數十人の來たる。

 みれば、僅かに、其たけ、三尺斗《ばかり》、黑き帽子を一面にかぶり、うす墨(ずみ)の衣(ころも)を、ゆたかに着なし、そのさま、から人に似たり。

 眼(まなこ)、ちいさく丸く光り、貌(かほ)の色、甚だ黑し。

 五、六十人、庵の外(ほか)まで入こみ、弓矢・鉾、あるひは太刀を帶(は)き、僧に向ひて、何(いづれ)も座したり。

 その主人とおぼしき者も、面(おもて)の色、おなじさまにて、黑白(こくびやく)の衣を着たり。僧にむかひて云ふ樣、

「われは『白蝙侯(はくへんこう)』と云ふ者也。此の社(やしろ)の中に住むで、此山を領する事、年、久し。御房(ごばう)の庵室(あんじつ)に近く住むといへども、心ざし有《あり》て、對顏(たいがん)せず。しかるに、今、こゝに、汝、庵をかまへて、吾が有《いう》となす。さるによつて、わがけんぞくを始め、他方の賓客(ひんかく)、汝をいとひて、道を失ふ。速かに此の地を去るべし。しからずんば、必ず、命を失ふべし。とくとく出で去るべし。」

と、大《おほい》に怒りて、みゆ。

 永好、更に恐れ給はず、

「夫(そ)れ、神(かみ)は、大乘(だいじやう)、順聖(じゆんせい)にして、異道(いだう)といへども、皆、佛法に奉(ほう)ず。祖神(そしん)、なを、しかなり。況や、小神(せうじん)をや。我、こゝに住して、常に佛經の祕要《ひえう》を誦(じゆ)す。神(しん)、なんぞ悅むで我を守護せざらんや。邪神、なを[やぶちゃん注:ママ。]、佛力(ぶつりき)にたえず。察するに、奇畜化鳥(きちくけてう)の類(たぐひ)、空社(くうしや)にすんで、妖恠《えうけ》をなすと、みえたり。速かに退散せずんば、護法に罸(ばつ)せられて、命を失ふべし。」

と宣ひければ、此者共、大に怒る色、みえて、聲々に、のゝめきをし入《いれ》ば、律師、暫く密呪(みつじゆ)を唱へ給へば、傍らに有ける圍爐(ゐろ)の内より、一つの火の玉飛び出で、おしあひ、ならびゐたる化者共(ばけものども)の中を飛びめぐれば、數百(すひやく)の者共、おめき叫び立ち、ちいさき鳥(とり)の形(かた)ちとなり、八方へにげまどひて、ちりぢりに成りぬ。

[やぶちゃん注:「大乘(だいじやう)、順聖(じゆんせい)にして」「大乘」は大乗仏典で特に「法華経」のこと指すから、「順聖」は、その教えの神聖性に対し、心から文句なく帰順することを言うのであろう。]

  夜《よ》も明(あけ)ければ、

「さるにても、かの妖物(ばけもの)、社中に住むといへば、何ものならむ。」

と、社(やしろ)の御戶(みと)をひらきて見給ふに、數百(すひやく)の蝙蝠(かふむり)、いくらともなく逃げ出けるが、霄《よひ》に燒かれたるとみへて、多く、得(ゑ)たゝぬもあり。其の中に、白きまだらのかふむり、一つ、片羽(かたは)、こがれて死(しゝ)て有《あり》。

「大將と見へつるは、かのものならん。」

と、是れを、ことごとく取り集めて、捨て給ひける。

[やぶちゃん注:「蝙蝠」底本では『かふむり』と振り、後文本文でもそうなっているので、特異的にママとした。歴史的仮名遣は「「かうもり」が正しく、しかも、見かけぬ読みではある。

「得(ゑ)たゝぬ」不可能を表わす呼応の副詞「え」に当て字した上に読みを誤ったもの。]

  又、ある夕暮に、廿(はたち)あまりのようがん美麗の女《をんな》、いづくともなく來り、律師にちかづき、

「我は、此の山のふもとに、何がしと申《まをす》者の娘にて候が、近きほどに、人に嫁(か)してまかりさふらふ。夫《をつと》、さる曲者(くせもの)にて、夜ごとに人を惱(なや)し、或は殺し候へば、あまりに不便(ふびん)に存じ、いろいろと敎訓いたし侍れど、更に承引なく、あまつさへ、わが身を殺害(せつがい)せんとす。一たん、のがれて出《いで》たり。師の慈悲を以つて、しばらく隱し置き給へ。」

と、淚をながしけるに、律師、

「此の所は、人倫、はなれ、我だに、しのぎかねたる草の庵に、あたふべき食物(しよくもつ)さへ、なし。然れども、けふは、日、すでに暮れければ、犬・狼のおそれもあり。こよひ一夜(いちや)は、庵にあかし給へ。明(あけ)なば、里へ出《いで》、いかなる方へも、おもむき給へ。」

とあれば、女性(によしやう)、大きに悅んで、すなはち、内に、いりぬ。

 その體(てい)、すべて只人(たゞうど)とも覺えず、雪の肌へ、淸らかに、奇香(きかう)あたりに薰(くん)じ、しらず、

『天人の爰(こゝ)に來りけるか。』

と、あやしまれ、色(いろ)をふくめるまなじりには、いかなる人も、まよひぬべし。

 されども、律師、戒行(かいぎやう)まつたき聖(ひじり)にておはしければ、いさゝか一念も起らず、只、觀法《くわんはふ》に心を亂さず。

 此の女(をんな)、せんかたなく、しきりに、おめき、息まきたり。

 聖、

「何事やらむ。いかに、かくは、くるしみ給へるぞ。」

と、問《とひ》給へば、

「心《ここ》ち、あしくて、腹を、なやみさふらふ。暫く、むねをおさへて給り候はゞや。」

と申せば、聖、爲方(せんかた)なく、錫杖に絹をまき、女の胸より、なでおろし給へば、少し、おだやかに成りぬ。

 かゝるほどに、夜(よ)も漸々(やうやう)明方のちかきに、をのづから、いねふり給ふに、庵のうへに聲ありて、

「何とて、かく隙(ひま)をとるぞ。とくとく、骸(かばね)をとり來れ。」

と呼べば、女のいはく、

「此の聖、行法、つよく、更に障碍(しやうげ)を、いれず。」

とぞ、いひける。

 律師、夢、さめ、

「さるにても、汝、何ものなれば、かくのごときぞ。」

と問ひ給へば、女、淚(なんだ)をながして、

「我は、此山に年(とし)經(へ)てすむ大蛇にて侍り。我、かゝる畜身(ちくしん)に生(しやう)を受けて、多くの年月を送る事を歎き、そのかみ、此院主、兼光(けんくわう)上人の示(しめし)を受けて、永く生類(しやうるい)を、ころさず。すぐに身を惠日(ゑにち)の光(ひかり)にやはらげ、佛果の緣によるべきに、建武の亂に、此の山、鬪爭(とうじやう)のちまたと成《なり》、堂社、荒廢して、人の死骸に、山を、かさぬ。これによつて、諸方の邪獸(じやじう)・變化(へんげ)の者、此山に集まり、しゝむらをくらひ、又、魔界の地となりぬ。自(みづか)らも、宿執《しゆくしふ》、つたなく、昔に歸り、人を惱まし、取り、くらふ。此の上(うへ)の山の岩洞(がんどう)に住むで、生類を食(しよく)とす。又、山上の城跡(しろあと)に、一人の邪神あり。通力(つうりき)、無辺にして、人の爲めに惡をなす。是によりて、他方の魔類、けんぞくとして住(ぢう)す。君、こゝにゐまして、おこなひ給ふにより、悉く、結界の地とならむ事をかなしみ、

『行法をさまたげ、命を取るべし。』

とて、我を、せむ。止事(やむごと)なくて、爰に來り、色(いろ)を以つて、さまたげ侍らんとしけるに、佛日(ぶつにち)の光(ひかり)におされて、今は出《いで》侍る。我、又、師をとらざる事を怒りて、彼(かれ)、我を取りくらい[やぶちゃん注:ママ。]、命を失ふべし。哀れ、師の大慈の法力を以《もつて》、わが一命を助けさせおはしませ。さもあらば、水を汲み、薪(たきゞ)をとりて、師にさゝげ、此の功力(くりき)を以、畜身を、まぬかるべし。」

とて、淚をながせば、聖、あはれに覺えて、則ち、符(ふ)をかきて、あたへ給ひ、

「これを身にふれてあらんには、更に、恐れ、有《ある》べからず。とくとく、歸るべし。」

と、示し給へば、女、大きによろこび、禮拜供敬(らいはい《くぎやう》)して、

「今より、永く、師につかへ侍り、佛法を守り奉らん。」

とて、出《いづ》ると見へしが、かきけすごとくに、失せにけり。

[やぶちゃん注:「兼光上人」不詳。]

 此の後(のち)、夜每に、異類・異形(いぎやう)の、姿を顯はし、聖を犯《をか》さむとしけれども、聖、物の數(かず)ともせず、いよいよ、觀念、おこたらざれば、をのづから[やぶちゃん注:ママ。]、護法童子、姿を顯はし、日夜、守り給へば、あたりにちかづくべき樣なく、年月(ねんげつ)を送り給ふ。

[やぶちゃん注:「護法童子」護法善神(ごほうぜんじん)の後世の呼び名。仏法及び仏教徒を守護する、主に天部の神々の童子姿をした者のこと。]

 此の山の麓の在所、數家(すけ)、たちならびて、繁昌の地なり。然(しか)るに、いつのほどよりか、人、あまた、うせ、あるひは、ゑやみ[やぶちゃん注:ママ。「疫」は「えやみ」でよい。]ければ、

「こはいかなる事ぞ。」

と、諸人(しよにん)、肝(きも)をけし、家々に、歎きの聲、やまず、ねぎ・山伏、あらゆるわざをなして、ふせぎ留(と)むるに、更に事ともせず、いよいよ、人、失せければ、老若男女(らうにやくなんによ)、おめき叫ぶ事、限りなし。

 此の里の長(おさ)、何がしの兵衞(ひやうゑ)とかや云ひしもの、諸人を、あつめ、

「いかゞせん。」

と評定しけり。

 爰に、或る者、申やうは、

「金ケ崎の山上(さんじやう)に、いつのほどよりか、化生(けしやう)のもの、栖んで、數年(すねん)、人のかよひなかりしに、去りぬる比《ころ》より、いづちともなく、僧とも、俗ともみへぬ人の、嶽(たけ)の御寺(みてら)の跡に、かたのごとくの庵を結びて住み給ふ。かゝる人倫絕《たえ》たる魔所に、をそれもなく住給《すみたまふ》は、いかさま、凡人(ぼんにん)にあらず、神仙のたぐひならめ。此《この》所にまふで行き、ひたすらに歎きなば、此事、靜まりなん。」

と申せば、里人、此の義(ぎ)に同じ數十人、深山(みやま)を分けて、かの庵室に尋ねまふでみるに、草のわら屋に草むしろ、誠に人の住むべくもなきに、髮も眉毛も生ひさがり、木(こ)の葉衣《はごろも》を身につゞり、御經(おんきやう)を尊《たふと》くよみ給ふ。そのこゑ、山にひびきて、聞《きく》もの、身の毛よだち、あたりをみれば、廿《はたち》あまりの、ようがんびれいの女性(によしやう)、錦の衣をきて、閼伽(あか)の水を汲みてあり。

 里人共、あまりの尊さに、御經を聽聞(ちやうもん)し、余念なく、とうとく、感淚をながしける。

 かくて、御經も終れば、兵衞、御前《ごぜん》にかしこまりて、ありし事ども、具(つぶさ)に語り、

「大慈大悲の御方便を、たれさせおはしまし、諸人の鬼難を、救はせ給へ。」

と、各《おのおの》、首(かうべ)を地に付《つけ》、禮拜(らいはい)す。

 聖、申させ給ひけるは、

「我、斗(はか)らずに此の山に來り、已に三とせを送る。魔障(ましやう)、山に充滿して、無量のわざはひをなすといへども、露斗(つゆばか)りもいとふ事なく、終《つひ》に護法にかられて、退散す。我、法力を以、諸人の歎きを休(や)むべし。此の符(ふ)を、里の四面(めん)に立て置くべし。殃《わざはひ》、忽ちに、なかるべし。」

とて、則ち、符をあたへ給へば、里人共、ひとへに、

「如來の御助(おんたすけ)。」

と悅び、禮拜恭敬(らいはい《くぎやう》)して、急ぎ、里に持歸り、四面(しめん)にあたら敷(しき)かり屋を立て、是れを勸請しけり。

 

Eikou2

[やぶちゃん注:同前で、底本の早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像をリンクさせておく。]  

 

 其の夜(よ)、里人共の夢に、髮、空(そら)ざまに赤く生ひのぼり、眼(まなこ)かゝやき、身には金(こがね)のよろひをかけ、手に手に、利劍を引《ひつ》さげたる人、四人、四方に立ちて、聲をあげてよび給ふに、色、白く、眼(まなこ)あかく、口は耳の根まで切れ、ふたつ牙(きば)は、劍(つるぎ)のごとく、長(たけ)なる髮を亂し、手には、赤き繩をもちて、人をからめ、めて[やぶちゃん注:「馬手」。右手。]に鐵のしもと[やぶちゃん注:「楚」。鞭。]をもつて、かうべを、打《うち》わり、朱(あけ)のちしほに身をそめなして、顯はれ出《いで》たり。

 四方へ逃げ出でむとせしを、四人の神人(しんにん)、中《なか》に取り込めて、をのをの[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、劍をふるに、惣ち、通力(つうりき)うせて、大地におつるを、これをからめて空中(くうちう)に上(あが)り、海底(かいてい)にけおとし給ふ、と、みへて、夢、さめたり。

 夜明(よあけ)て、をのをの、語るに、すべて、夢中の事ども、おなじ。

 かのとられたるものは、その里の、うとくの者の子にてぞ有《あり》ける。大路(おほぢ)の木のえだにかゝりて有しを、急ぎ、引きおろしみるに、繩かけて、かうべを打わり、血に、そみたり。

 怖しなんども、あまりあり。

 數(す)百人とられしうちに、かの子の死骸ならでは、一人も、なし。

 是よりして、ながく、此の里のわざはひは、うせて、諸人、安堵しけり。

 四方(しはう)の假屋(かり《や》)をあらたに修造(しゆざう)して、「四天の宮(みや)」とかや申《まをし》て、あがめ敬(うやま)ひけるに、靈驗不雙(《ぶ》さう)なり。

「これ、ひとへに、かの神仙の冥慮(みやうりよ)にあり。」

とて、近里遠村(きんりゑんそん)より、聞《きき》つたへて、山上(さんじやう)しければ、聖も六ケ敷(むつかしく)やありけむ、いづちともなく失せ給ふ。

 その庵室の跡に、かの女性(によしやう)、おりおり[やぶちゃん注:ママ。]あらはれ、「法花經(ほけきやう)」を讀誦(どくじゆ)しければ、里人ども、爰に社(やしろ)を立て、「姬の宮」と申けるとかや。

 きどくの靈現(れいげん)、あらたなりけるとかや。

[やぶちゃん注:「かのとられたるものは、その里の、うとくの者の子にてぞ有ける。大路(おほぢ)の木のえだにかゝりて有しを、急ぎ、引きおろしみるに、繩かけて、かうべを打わり、血に、そみたり」「數(す)百人とられしうちに、かの子の死骸ならでは、一人も、なし」という意外な展開は、結果して、その最大の魔性の者と眷属が、その里の有徳の者(豪家)の子の命を奪って憑依していたということであろう。挿絵では四方の天部に成敗される複数の鬼が描かれているが、本文の当該シークエンスでは、ただ「人」とあるだけで、その異形に魔性どもが語られていないのは、ちょっと作者の力不足か。或いは、以上に示した意外性を出すための確信犯の仕儀であったものかも知れない。]

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