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2022/09/06

多滿寸太禮卷第六 行脚僧治亡霊事 / 多滿寸太禮卷第六~了

 

[やぶちゃん注:基礎底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこれPDF・第六巻一括版)。挿絵はない。標題は「行脚僧(あんぎやそう)、亡霊(ばうれい)を治(をさ)むる事」(底本では「治」に「おさむる」と振る)。今回も、特に敢えて語注を設ける対象を感じなかった。一つ、話柄内時制は、「世のさはがしき事、出來て、をのをの、身まかり」という辺りから、戦国末から、「近きころ」と言うからには、或いは、江戸初期・前期の設定のようである。]

 

   行脚僧治亡霊

 近き比《ころ》、ひとりの遁世者(とんせいしや)あり。

 もとは、ひえい山そだちにて、天台の奧旨《あうし》を究め、學匠の聞え有《あり》けるが、連歌の道にも達しけるが、ふと、思ひ立つて、西國(さいこく)、行脚しけるに、肥後國の片里(かたさと)に、『さも』と覺しき寺の、軒(のき)も、まばらにあれ果てて、草は道を埋み、戶ざし、をのづから[やぶちゃん注:ママ。]、ひらきたるに、さし入《いり》てみれば、松のあらしに、塵を拂ひ、こぼれ落ちたる窓の内には、人、一人《ひとり》も、なし。

「いかなる所やらむ。」

と、里人(さと《びと》)にとへば、

「そのかみ、養興寺とかや云ひて、めでたき寺にて、僧衆(そうしゆ)も、あまた、にぎはひ、詩歌の翫(もてあそ)び、遠里遠村の數奇(すき)人、多く集まり、月次(つきなみ)の連歌などして、繁昌の地なりしが、いつの比よりか、ふしぎども、ありて、人、更にすまず、かく年々(とし《どし》)に荒れ侍る。いまも、たまたま望みて入來《いりきた》る人しもあれば、二夜(ふたよ)をかさねずして、逃げ歸る。御僧(おそう)も修業者とみえたり。心見(こゝろ《み》)に、行きて。やどりて見給へ。」

と語れば、

「それこそ、かゝる身に望み侍る事なれば、こよひは此の堂にあかすべし。」

と申せば、

「さもあらば、結緣(けちえん)し侍らん。」

とて、食(しよく)じなど、あたへて、かの寺に送り、

「明けなば、問ひ侍らん。」

とて歸りぬ。

 此僧は、中(なか)の間(ま)とおぼしき所に、いろりの侍るに、あたりの柴木(しばき)、こりあつめて、燒火(たきび)なんどして、何(なに)となく、心をすまし、

『さるにても、いかなるふしぎか、あるらん。』

と思《おもひ》て、物をまつ心ちにて、ゐたるが、漸々(やうやう)、夜半まで、さしたる事もなければ、臥しぬ。

[やぶちゃん注:「柴木、こりあつめて」「木こり」を「薪」の意で用いるのは、ありそうだが、実は一般的ではないので、容易に取り込める柴や枯れた木片などを「多く集めて」で、「凝り集めて」の意でとった。]

 夢まつほどのうたゝねに、枕をかたぶけて聞けば、客殿とおぼしき方(かた)に、あまた人音して、追々に戶を明《あけ》て來(く[やぶちゃん注:底本は「くる」と振る。])る音あり。

『是こそ。』

と思ひて、障子の透まより、さしのぞきみれば、座上には、四十余(よそぢあま)りの半俗、素絹(そけん)の衣(ころも)の、すそみじかなるを着(ちやく)し、二八斗(ばかり)[やぶちゃん注:十六歳。]の兒(ちご)、淸らかなるが、前に卓(たく)をひかへてあり。

 扨、或は上下(かみしも)、又は白衣(びやくゑ)の者共、七m八人も圓居(まどゐ)いたり[やぶちゃん注:ママ。]。猶、入り來たれる者も、おなじ體(かたち)なり。

『何事を、おこなふやらむ。』

と、守り居(ゐ)たるに、連歌の體(てい)と見へて、次第に、一順、廻りける程に、

舟のうちにて老ひにけるかな

と云ふ句に、何(なに)とか思けむ、とかく案じ入《いり》たる體(てい)にて、暫くありて、

「かなしや。」

と、一同に、おめきて、霜のきゆるごとくに、跡方、なし。

 又、暫く有りて、あらはれ出《いで》、まへの句に至り、同時に、きゆる事、すべて、隙(ひま)なし。

 此の僧、つくづく案じみるに、

『一定《いちぢやう》、この者ども、此の句を付《つけ》かねて、終りけるに、なを[やぶちゃん注:ママ。]、執心、此の地に留(とま)り、うかびも、やらで。まよひぬるよ。』

と思へば、不便(ふびん)の事に思ひて、

『何とぞ、能(よ)き句をつらねて、罪を、たすけばや。』

と思ひて、かさねて、顯はれ出《いで》て、前のごとくに句を打ち出だしける時、

    浮草の筧(かけひ)の水にながれきて

と大音(だいおん)にて、付出《つけいだ》しければ、各《おのおの》、大きに感じ、よろこびて、手を合はせ、拜して、

「我々は、むかしこの所にて、月次(つきなみ)の連歌しける者どもなりしが、此の句を付け煩らひて、月日を送るほどに、斗(はか)らざるに、世のさはがしき事、出來《いでき》て、をのをの[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]、身(み)まかり、一朝(いつてう)の煙(けぶり)となる。其の執心、此の地に殘りて、加樣(かやう)に、くるしみに、しづみけるほどに、しかるべき名師(めいし)にもあひて、罪をさんげして、苦海(くかい)をも離るべきと、姿をまみえて、顯はれ出《いで》しに、はかなくも、我等に恐れ、人すまぬ地と、あれはて、うかぶ世もなきくるしみを、忽ちに、一句の秀逸にて、をのをの、苦海を出《いで》し事の、うれしさよ。」

とて、千《ち》たび、禮拜(らいはい)して、

「この寺を、僧に送りまいらする。此の後(のち)、守りの神となりて、永く魔障のさまたげを、のぞき侍らむ。」

と、かきけすごとくに、うせにける。

 夜(よ)もすでに、明けければ、里人、をのをの、かけきたりて、

「いかなる事か、侍りけむ。」

と問へば、ありし事ども、委しく語りければ、里人、をのをの、肝(きも)をけし、

「その亡者どもは、皆、此の里の者どもの、先祖なりしが、連歌をこのみ、身まかりしが、扨は、その執心、のこりて、かゝるありさまを現(げん)じけるを、有り難くも、助《たすけ》させ給ふものかな。」

と、をのをの、よろこび、かつごうして、此の寺の中興として、近里の者ども、よりあひ、もとのごとくに建立して、ながく寺門を、かゝやかしけるとぞ。

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