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2022/09/22

西原未達「新御伽婢子」 兩妻夫割

 

[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻一・二・三のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」を加工データとし、挿絵もそこに挿入された写真画像をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。なお、画像は小さく、しかも薄いので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のリンクも附しておく。

 底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」は正字化した。(*/*)のルビは右/左の読みを示す。

 注は文中や段落末に挟んだ。]

 

     兩妻夫割(《りやう》さいをつとをさく)

 五条通むろ町のほとりに、古へ、俊成卿(しゆんぜいきやう)の「玉つしま」を勸請し給ひし地あり。今は、其かたち斗《ばかり》殘りて、人家の後(うしろ)にあり。号(なづけ)て新玉津島町といふ。

[やぶちゃん注:「五条通むろ町」現在のこの附近(グーグル・マップ・データ)。藤原野俊成の屋敷はここから、北の烏丸(からすま)の間にあったとされる。

「玉つしま」文治二(一一八六)年、後鳥羽天皇の勅命によって俊成が自邸内に和歌山県和歌浦の玉津島神社に祀られている歌道の神「衣通郎姫(そとおしのいらつめ)」を勧請したのが濫觴。勧請された旧地は明らかでないが、現在は旧地の近いと推定される京都府京都市下京区玉津島町に「新玉津島神社」がある。]

 此所に武右衞門とかやいふ男、江戶に通(かよふ)事、一年を八分にして、二分ならでは、京に住(すま)ず。子、ひとり、持てり。

 此婦(ふ)、夫(をつと)にいふやう、

「常の人の契りには、夫となり、妻と成りては、一時片時(《いつ》ときへんし)の程だにも、はなるゝ隙を悲しみ、待わび、ゆきがてに、思ひなげくならひなるを、いかなりし中《なか》なれば、十とせ契りても、三とせにだに、及ばず。君、東へおもむき給へば、半分、道を送りて、又、半分、道に出向ふと、夢にうつゝに思ふぞや。古鄕(こきやう)を思ひ出《いで》給はゞ、必(かならず)、早く歸京し給へ。」

など、打恨(《うち》うらみ)たるさまに、しみじみとかたるに、男、いと能(よく)事請(《こと》うけ)して、亦、東に下りぬ。

 かくて、江戶に着(つく)に、爰にも馴染(なじむ)女房、在《あり》て、子、ひとり、持てり。

 此女に洵(くどき)し昔、京に定(さだ)まる妻ありといふ事を、深く密(かく)し、

「寡住(やもめずみ)なる我なれば、終《つひ》には、江戶に引越(ひきこし)て、必、二人、住(すむ)べき。」

と戲(たはぶ)れそめし中《なか》なりし。

 然るに、此女、武右衞門に託(かこち)て、

「我殿(わどの)は、都にて、我が身ごとき女をすえて、都は花と愛し、東の我は、えびすなどゝ呼(よぶ)とかや。去(さる)人の知(しら)せしぞや。昔、かはせし誓ひも、あり。殊更に、ひとり過《すぐ》しほどこそ、かやうに幼なきものさへ侍れば、最早、登(のぼり)を止(やめ)給へ。放(はなち)は、やらじ。」

と攜(すがりし)し氣色(けしき)、前々(まへまへ)見しに、事かはり、偏(ひとへ)に、鬼面のごとくなれば、男、甚(はなはだ)怖《おそろし》く、日比《ひごろ》の思ひも絕果(たえはて)けれど、何となく打諾(《うち》うなづき)、

「我も左(さ)こそ思へど、浮世の中の、事繁(ことしげ)く、要用(よう《よう》)盡る期(ご)もなければ、今迄、爰にとゞまらず、『京に思ふものあり。』とは、若(もし)は、そのかたの疑(うたがひ)か、若は、世の人のいひなしなるべし。さほどに恨(うらみ)思ひ給はゞ、今一《いまひと》のぼりを限りにて、万(よろづ)繕(つくろひ)て下るべし。必(かならず)。」

と、いひ捨(すて)、とかくに、袖を引《ひき》はなし、逸足(いしあし)はやく、逃(にげ)のぼる。

[やぶちゃん注:「託(かこち)て」「託つ」は「嘆いて言う・愚痴を言う・怨んで言う」の意。ここは最早、最大最悪の最後の意。

「そのかたの疑か」「その方(ほう)」(対峙している江戸妻)「が疑心暗鬼の妄想を致したものか」。

「いひなし」「言ひ做し」。事実でないことを事実のように言うこと。]

 みつけの宿(しゆく)迄、來《きた》るに、跡より、彼(かの)女子《をんなご》を、前にいだきながら、大聲たてゝ、追懸(《おつ》かけ)、

「さるにても、御身、きよくもなや、心に、我を疎(うとみ)はて、口(くち)によろづの僞(ひとだのめ)、いづち、放(はな)してやるべきぞ。」

と、飛鳥(ひてう)のごとく、早(はや)かりけり。

[やぶちゃん注:「みつけの宿」見附宿。東海道五十三次第二十八番目の宿場で(東海道のほぼ中間点)、現在の天竜川左岸。静岡県磐田市見付の中心部に相当する。

「僞(ひとだのめ)」「人賴め」。形容動詞「人頼めなり」(「人に頼もしく思わせる」の意)の名詞形。この「ひとだのめなり」は、和歌などでは、「実際は期待に反して頼りにならない」ことに言うのに用いられることが多く、ここはそれを究極化して「偽り」の意に転じたもの。

「いづち、放(はな)してやるべきぞ。」反語。「いづち」は「何方・何處」で、「どこだろうが、逃がしてやるものかッツ!」の意。この辺りは、「道成寺」の娘の変容辺りが作者の念頭にあるように感ぜられる(私はサイト内に「――道 成 寺 鐘 中――Doujyou-ji Chronicl」の独立ページを作っている程度には「道成寺」フリークである。]

 男、悶絕《もだえ》て逃(にぐ)れども、いつしか、女、追《おつ》つきて、右の腕《かひな》に攫(つかみ)つく。

 かゝる所に、今迄ありとも覺えぬ、都の妻、忽然と出來《いできた》り、左の腕に取《とり》つき、嗔(いか)れる眼(まなこ)に、東の女を、

「はた」

と白眼(にらみ)、

「二世《にせ》を兼たる我妻(《わが》つま)を、年來(ねんらい)、犯しける妬(ねたま)しさよ。恨(うらみ)、近きに報(むくふ)べし。」

と、聲の、地にひゞく。

[やぶちゃん注:「二世」民俗社会では古く平安時代より、愛し合っている者は、三世(さんぜ:輪廻に於いて生まれ変わりを三度繰り返すこと)に亙って結ばれるともされた。或いは現世の夫婦を数えずに、前世の二つを数えたものかも知れぬ。

「我妻」この「妻」は「夫」の意。

「近きに」ここは「今すぐに」の意でとっておく。]

 東(あづま)の女、いきまきて、

「己、いづちの何者にて、其虛言をかまふるぞ。いやいや、早く心得たり。夫が我をうとみ果て、此女に、いはするよな。よしよし、一たび、取付(とりつき)て、爭(いかで)か、爰を放さん。」

と、腕を持《もつ》て引《ひつ》たつる。

 男、引《ひき》はなさんと、悶絕《もだえ》ども、金剛力士のごとくにて、不ㇾ叶(かなはず)。

 京の女も、こらへず、

「都のかたへ。」

と諍(あらそ)ひ引《ひく》。

 其足音、大山《おほやま》も崩れて地に入《いる》かと、あやしく、互(たがひ)に、嗔(いかり)、罵(のゝしる)聲、譊々《どうどう》として喧(かまびすし)し。

[やぶちゃん注:「譊々」底本は上の一字に「しやう」と振るが、採らない。「譊」は漢音「ドウ」、呉音「ニヨウ」で、「争そう」の意。]

 

Ryousaiottowosaku

 

[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここだが、絵草紙は子どもが悪戯をすることが多く、そちらでは、両婦の鬼面が擦り消されてしまっている。]

 

 次第に、つよく引《ひき》けるほどに、男、ふたつに引割(《ひき》さ)けるにぞ、おんな、東西へ別れ行《ゆく》と見えしが、かきけちて、失(うせ)ぬ。

 京の女の、

「夢うつゝに、半分(はんぶん)、道を行(ゆく)。」

と、いひしが、はたして、爰に、まのあたり來りけるこそ、つみ、深けれ。

[やぶちゃん注:以下は、底本では全体が三字下げで、字も小さい。]

 昔、ある男、妻に、心ざし、うすくなり行《ゆき》ければ、妾《めかけ》といふものを置《おき》て、わりなく、かたらひけるに、此妻、さらにうらみたるけしきもなく、日かずふるまゝ、秋の夜のながきに、いとゞねられもせず、ともしび、かゝげがちにゐる、折しも、しかの音《こゑ》の聞えければ、

  我もしかなきてぞ人にこひられし今こそよそに聲はきけども

と、すさみけるを、男、はづかしくて、妾を、をい[やぶちゃん注:ママ。]出し、昔に、いや、まさりて、契りける、とぞ。かゝる貞なる心こそ、なからめ。女のはかなき心から、かく、おそろしく、あやしきわざをなしけり。「詩經」には「螽蟖(《しゆう》し/いなご)」の篇を作りて、物ねたみを、いましめられし女たらんもの、つたえても、つゝしみ、おそるべき事にぞ。

[やぶちゃん注:評言の頭に引かれてある話は、「今昔物語集」の巻第三十の「住丹波國者妻讀和歌語第十二(丹波國に住む者、妻(め)の和歌を讀む語(こと)第十二)」である。以下に示す。

   *

 今は昔、丹波の國□□の郡(こほり)に住む者あり。田舍人(ゐなかびと)なれども、心に情(なさけ)有る者也けり。

 其れが、妻(め)を、二人、持ちて、家を並べてなむ、住みける。

 本(もと)の妻は、其の國の人にてなむ有りける。

 其れをば、靜かに思ひ[やぶちゃん注:まことに我慢出来ないように感じ。]、今の妻は、京より迎へたる者にてなむ有ける。其れをば、思ひ增(ま)したる樣也ければ、本の妻、

『心踈(こころう)し。』

ろ思ひてぞ過(す)ぐしける。

 而(しか)る間、秋、北方(きたのかた)に、山鄕(やまざと)にて有りければ、後(うしろ)の山の方(かた)に、糸(いと)哀れ氣(げ)なる音(こゑ)にて、鹿(しか)の鳴きければ、男(をとこ)、今の妻の家に居(ゐ)たりける時にて、妻に、

「此(こ)は何(いか)が聞き給ふか。」

と云ひければ、今の妻、

「煎物(いりもの)にても甘し、燒物にても美(うま)き奴(やつ)ぞかし。」

と云ひければ、男、心に違(たが)ひて、

『京の者なれば、此樣(かやう)の事をば、興ずらむ。』

とこそ思けるに、

『少し、心月無(こころづきな)し。』[やぶちゃん注:「ちょっと、興ざめしたな。」。]

と思ひて、只(ただ)[やぶちゃん注:「直ちに」の意か。]、本の妻の家に行きて、男、

「此の鳴きつる鹿の音(こゑ)は聞き給ひつや。」

と云ひければ、本の妻、此(かく)なむ云ひける、

  われもしかなきてぞきみにこひられしいまこそこゑをよそにのみきけ

と。

 男、此れを聞きて、

『極(いみ)じく、哀れ。』

と思ひて、今の妻の云ひつる事、思ひ合はされて、今の妻の志(こころざし)、失せにければ、京に送りてけり。然(さ)て、本の妻となむ、棲みける。

 思ふに、田舍人なれども、男も女の心を思ひ知て、此(かく)なむ、有りける。亦、女も、心ばへ、可咲(をかし)かりければ、此(かく)なむ、和歌をも讀ける、となむ語り傳へたるとや。

   *

「詩經」『「螽蟖(《しゆう》し/いなご)」の篇』「周南」の中の一篇「螽斯(しゆうし)」。キリギリスの声(ね)の賑やかなさまと、同種の繁殖力に、子孫の繁栄を喩えて言祝いだ歌。以下に示す。

   *

螽斯羽  詵詵兮

宜爾子孫 振振兮

螽斯羽  薨薨兮

宜爾子孫 繩繩兮

螽斯羽  揖揖兮

宜爾子孫 蟄蟄兮

 螽斯(しゆうし)の羽は 詵詵(しんしん)たり

 宜(うべ)なり 爾(なんぢ)の子孫は 振振たり

 螽斯の羽は 薨薨(こうこう)たり

 宜なり 爾の子孫は 繩繩(じやうじやう)たり

 螽斯の羽は  揖揖(しふしふ)たり

 宜なり 爾の子孫は 蟄蟄(しふしふ)たり

   *

訓読は恩師の故乾一夫先生の訓読に従った。「薨薨」は古注は「群衆するキリギリスの声」とするが、どうも納得は出来ない。現代語訳は『崔浩先生の「元ネタとしての『詩経』」講座』のこちらを参照されたい。]

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