西原未達「新御伽婢子」 一念闇夜行
[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻四・五・六のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」を加工データとし、挿絵もそこに挿入された写真画像をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。なお、画像は小さく、しかも薄いので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のリンクも附しておく。
底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」「〲」は正字化或いは「々」とした。(*/*)のルビは右/左の読みを示す。
注を適宜、入れた。]
一念闇夜行(《いち》ねん、あんやをゆく)
周防の國、或町に安次郞といふ者、隣里(りんり)に、相《あひ》かたらふ女ありて、山埜(さんや)を越《こえ》て、夜毎(よごと)にかよふ。
ある夜、雨、そぼふりて、いと闇(くらき)に、いつもより、比(ころ)更(ふけ)て、彼(かの)かたに、たどり行《ゆく》。
坂、ひとつ、あるを、たどりて、あなたにむかふ。
[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここ。]
行《ゆく》べきかたを見れば、鞠のせいなる、火、ひとつ、こなたにむかひ、いそがす。
[やぶちゃん注:「せい」本来は背たけを表わす「背・脊」を大きさの意味で用いたものととる。]
靜(しづか)ならず。
地を去(さる)事、一尺余(よ)、足ある物のごとく、のぼり行《ゆく》。
其光、尋常(よのつね)に易《かはり》、靑々(せいせい)として、もゆるげ也。
[やぶちゃん注:「靑々(せいせい)として」青白い陰火。]
男、物すごく思へ共、其初(はじめ)、女にいひし事、有《あり》。
「命(いのち)かけて、戀渡《こひわた》し申《まをす》は、千世(ちよ)、ふとも、かわらじ[やぶちゃん注:ママ。]。夜ごとに通ひ來(く)る事を、怠(おこたら)ば、身も朽(くち)、爛(たゞれ)、手足もなく成《なり》なん。」
など、万(よろづ)の神かけて、誓ひたる、かね言(ごと)あれば、
『たとひ、此物に、わざをなされて、とにもかくにも成《なる》とても、此ちか言を、たがへし物を。』
と、おそろしさを、ねんじて、下り坂(ざか)を靜《しづか》にあゆむに、此火、男のちかく、一間斗《ばかり》に成《なり》て、引《ひき》かへし、先に立《たつ》て、もとのかたへ下《お》るゝ。
猶、氣《け》うとくて、心よからねど、此火のひかりに、ちまたの、明(あか)く、月の夜のごとく行安(ゆきやすき)ぞ、とりへなる。
男、やすらへば、火も、とまる。
步は、おなじく、先にすゝむ。
とかくして行《ゆく》ほどに、此火、外(ほか)へも、ちり失(うせ)ずして、我《わが》行《ゆく》かたの、女の家の、いつも忍ぶ藪の垣ねを、くゞりて、娘の隔室(へや[やぶちゃん注:二字への読み。])に入《いる》と思へば、かい消(きえ)て、なく成《なり》ぬ。
猶、いぶかしく思ひながら、内に入《いり》て見るに、燈心、ほそくかゝげて、女はいたう寢入(ねいり)たり。
やおら、ゆすりをこしければ、汗、雫(しづく)に成《なり》て、目を覺(さま)し、
「扨《さて》も。たゞ今、まざまざしき、夢、見し。」
といふ。
「いかに。」
と問《とへ》ば、
「こよひ、待宵(《まつ》よひ)過《すぎ》て、君の遲《おそく》をはする、いかにや。若(もし)、御心《おんここ》ちなど、例ならで、かゝるにや。」
と、覺束(おぼつか)なさの余り、道迄、立出《たちいで》、戀の山路(《やま》ぢ)に分(わけ)のぼり、坂の半(なかば)、行《ゆく》と思へば、其かたざまに、逢參《あひまゐ》らせ、打《うち》つれて歸る、と、思へば、御音(《おん》おと)なひに、夢、さめたり。あら、足、たゆや、あつや。」
と、いひて、語る。
男、是に驚《おどろき》、
『扨は。』
と、おもひあはすれども、さらぬていに、もてなし、おそろしき心、身にそみければ、此後、虛病(そら《わづらひ》)に、かごとして、かよはず成《なり》ぬとかや。
[やぶちゃん注:「命(いのち)かけて、戀渡《こひわた》し申《まをす》は、千世(ちよ)、ふとも、かわらじ」の「申」は、実は「西村本小説全集 上巻」では、『中』となっている。しかし、同書の当該箇所を再現すると、「命(いのち)かけて恋渡(わた)し中は。千世(ちよ)ふともかわらじ」となるのだが、私にはこれでは上手く読めなかった。無理に読むなら、「恋渡し中」(うち)「は」で、「山を越えて恋路を渡ってくる内は、千年経ったって、変えるまい」の意だろうが、その場合、口上全体には「お前さんのことを飽きることがなかったならね」的なニュアンスを感じ、どうも厭な感じなのである。底本では、ここ(挿絵と同じ画像)の左丁の五行目の上から二字目なのだが、この崩し字は、橫の三画目と縦の最終四画目との接点部分に、明かに上へ跳ね上げた捻りが入っていることが判る。「中」を崩した場合、こうしたものは起こり難い。寧ろ「申」の崩しで時に見られる形であると断じた。意味も、その方がすんなりと躓かないように思われるのである。
因みに、本篇の怪異は所謂、文字通りの「離魂病」という奴である。それも所謂、ドッペルゲンガー(Doppelgänger)のようなものではなく、本邦のセオリーに則った、シンプルに判り易いところの霊魂のみの離脱としての「火の玉」である。これは、江戸時代の怪談には、枚挙に遑がない。面倒なので引かないが、私の「怪奇談集」の中にも、複数、認める。しかも、少なくとも、江戸の怪奇談では、火の玉になるのは、男よりも断然、生きている就寝中の女の方が多いように思うのである。私は思うのだが、明治以降、「火の玉」が非科学的であるとして、人気が急速に落ちると(これは隅から隅まで露わにしてしてしまう電燈の伝来による、陰翳の徹底した凋落に基づく)、俄然、ドッペルゲンガーが流行り出しているように感ずる。なお、死に瀕した男ならば、ドッペルゲンガーとなって出現する例は、結構、多い。南方熊楠の「臨死の病人の魂寺に行く話」(「南方隨筆」底本正規表現版・オリジナル注附・縦書PDF版)を参照されたい。昨年、電子化注した『芥川龍之介が自身のドッペルゲンガーを見たと発言した原拠の座談会記録「芥川龍之介氏の座談」(葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」版)』も参考になろう。]