多滿寸太禮卷第七 望海二女の情
[やぶちゃん注:基礎底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこれ(PDF・第七巻一括版)。挿絵は国書刊行会「江戸文庫」版の木越治校訂になる「浮世草子怪談集」のそれをトリミング補正して、適切と思われる箇所に挿入した。初めの方の和歌・漢詩(訓読文)は、本文入れ込みであるが、改行した。後に出る漢詩は白文をまず示し、訓点に従って( )で後に訓読文を示した。底本は二段組であるが、一段で示した。]
望海二女(ばうかいじぢよ)の情(なさけ)
建久の比(ころ)、伊豆の御崎(みさき)の海邊(かいへん)に、三木入道靜永(みきのにうだうじやう《えい》)といへる、冨貴(ふうき)うとくの者あり。常に賣米(うりまい)をもつて業(わざ)とす。
[やぶちゃん注:「建久」一一九〇年から一一九九年まで。鎌倉初期。
「伊豆の御崎の海邊」これだけでは、特定の比定地は難しいが、後で「伊豆の大しまもまの前に」とあることから、城ヶ崎海岸(グーグル・マップ・データ)が有力か。]
只、娘、二人有《あり》。姊(あね)を「蘭(らん)」といひ、妹(いもと)を「𢞨(けい)」と名づけ、いかなる故にか、おさなき比より、聽明(ちやうめい)秀麗にして、手跡、ならびなく、和歌・文章に妙を得て、一をきゝて、十をさとる。
[やぶちゃん注:「𢞨」は「惠」の異体字。]
其の屋(をく)の後ろの海岸に、かけづくりの大家(たいか)をかまへ、なづけて「望海樓(ばうかいろう)」と云ふ。誠に、眺望(ちやうまう)かぎりなく、南海、遙かに、天につらなれり。
[やぶちゃん注:「望海樓」これは中国の西湖湖畔の建物「望湖楼」の別名(現存しない)。後に出る蘇東坡(蘇軾)詩篇に、二篇、そこで詠んだ詩を見出せた。]
伊豆の大しまもまの前に、春は一片の霞、白浪をつゝみ、夏は納凉のたのしみ、秋は海月(かいげつ)の詠(なが)め、冬は一しほ、浦さびて、かの貫之の詠めにも、
霜だにもおかぬかたぞといふなれど波の中には雪ぞふりける
又、東坡が、
魂(たま)飛びて、雪州(せつしう)に咤(たく)す
といへるも、目前にうかび、心も詞(ことば)も及《およば》れず。出入の舟の有さま、あら磯の汀(みぎは)に、黑き鳥の、いくらともなく、むれ居(ゐ)るに、しら浪の、隙(ひま)なく打《うち》よするけしき、
「白濱(しらはま)に、すみの色なる、しまつとり、筆(ふで)の及(およ)ばゝ。」
と云ひしも、さる事ぞかし。
[やぶちゃん注:「霜だにもおかぬかたぞといふなれど波の中には雪ぞふりける」「土佐日記」の「正月十六日」の条に出る。この一首は「白氏文集」巻十六の「酬元員外三月三十日慈恩寺相憶見寄」の『誰云南國無二霜雪一 盡在二愁人鬢髪間一』によるとされる。
「東坡が、魂(たま)飛びて、雪州(せつしう)に咤(たく)す、といへる」蘇軾の五言古詩「鬱孤臺 再過虔州和前韻」の一節。「維基文庫」のこちらで、原詩が見られるが、ちょっと後半の意味が判らない。]
かの高樓の四壁に、當世、名を得し、何がしとかやが、書きし、松・櫻を、透きまもなく、かきつらねたり。適々(たまたま)入《いり》てみしもの、あたかも春風(しゆんぷう)の室(しつ)に入《いる》がごとし。
ふたりの娘、明暮(あけくれ)、こゝにありて、吟詠、やまず。四季の和歌、數百首(すひやくしゆ)をつゞりて、「望海集」と名づく。この道の數奇(すき)もの、往々に、これをつたへて、もてはやせり。
又、同じほとりに、一竹堂(いつちくだう)といへる隱者、「虛海集」といへる、和歌・文章をあみて、かの二女(じぢよ)のあめる「望海集」を、なんぱす。
二女、これを、つたへみて、笑つて、かさねて、「橫竹集(おうちく《しふ》)」といへる草子をつくりて、返答す。
これより、いよいよ、近國に、その名、高く、まみえ、もとめん事を思へり。
爰に、おなじ國(くに)、下田といひし所に、入江喜藤五(《いりえ》きとうご)と云ふもの有《あり》。かれが次男に、長次といへる、やさもの有。かれらも同じ商人(あきうど)にて、數百石(すひやくこく)の米石(べいこく)を舟に積みて、日夜、運送しける。
或る時、長次、舟の支配して、御崎に舟泊(ふなどま)りしけるが、折ふし、風、あれて、數日(すじつ)、此の浦に、とゞまる。本(もと)より、靜永、父の喜藤五とは、したしき中《なか》なれば、日每に、入道、これを、もてなし、我が子のごとく、奔走す。
長次、とし、いまだ、廿(はたち)斗り、氣質、溫和にして、形ち、人に勝れ、情け、又、ふかし。
折から、夏の夕暮、舟にかへりて、湯あみするを、ふたりのむすめ、樓の上より遙かににこれをみて、堪へずや思ひけん、熟瓜(じゆくくわ)ふたつを、なげ送る。
長次、かねてより、心に忘れず、又、今の情け、かたがた、その心をかよはすといへども、あふのきみれば、書院、高く、身に羽を生(しやう)ぜざれば、飛行(ひぎやう)の手足も、なし。
已に夜(よ)もふけ、波、靜かに、月、海上に出でて、四方(よも)、晴れわたり、何となく、舟屋形(ふなやかた)の上にのぼり、吹きくる風に身をゆだね、茫然としていたるに[やぶちゃん注:ママ。]、帶紐(おびひぼ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。])を、むすびあはせて、大きなる篭(かご)につけ、さげたり。
長次、大きによろこび、これにのりて登る。
互ひに、かよふ心の、下紐(したひぼ)、とげて[やぶちゃん注:ママ。]、打ちかたらひ、
世〻かけて契る心はかたくとも命のうちにかはらずもがな
𢞨(けい)、すこし、うちかたむきて、
いつはりと思ひながらや契るらんかねてしらるゝまことならねば
と、よみて、かこちければ、長次、おさなき比(ころ)より、山寺にのぼりて、詩文のみ好みて、更に和歌の道は、うとかりけるに、此の返しゑ[やぶちゃん注:ママ。]せぬ事をふかく恥ぢて、一詩を題して曰《いはく》、
誤入蓬山頂上來
芙蓉芍藥兩邊開
此身得似偸香蝶
遊戯花叢日幾廽
(誤(あやま)つて 蓬山(ほうざん)頂上に入り來り
芙蓉 芍藥 兩邊 開く
此の身 得(う)香(か)を偸(ぬす)む蝶《てふ》に似たるを
遊戯(《いう》げ)して 花叢(くわさう) 日(ひゞ)に幾廽(いくばく)ぞ
すでに曉に致れば、また、篭にのりて、歸り下る。
これより、夜ごとに逢ひぬ。
二人の吟詠、多く、しるすに、いとまなし。
ある夜(よ)、長次がいわく[やぶちゃん注:ママ。]、
「我れ、はからずも、君が情けに引かれて、日かずを送る。此の事、入道殿に、もれ聞え、たがひに、へだてられなば、いと恥づかしき、うきめにあひ、君がため、身のため、かたがた、いかゞせん。明日(あす)は、とく、舟、出《いだ》すべし。さもあらば、又、いつとか、ごせん[やぶちゃん注:「互せん」であろう。]。再會、はかり難し。」
と、淚をながせば、ふたりの娘も茫然として、
「君を爰にいざなふ事、わが身のつみ、いはん方なし。然(しか)れども、互ひの情けに、おやの結(むす)ばぬゑにし[やぶちゃん注:ママ。]をなす。たとへ、いかなるうきめを見、いかなる責めにあふとも、いかでか、情けを忘れん。ながく君が妻となりて、諸共(もろ《とも》)にゆく末を契らん。今更、いかに、かくはへだて給ふ。親のいさめ、世のそしりをうくるとも、外(ほか)の情けは思ひたえ侍る。若(も)し、ふかく罪をうけば、身を、なきものにして、ながき後(のち)の世をこそ、ちぎり參らすべけれ。」
と、なくなく、すがれば、さすが、見すてがたくて、ひとひ、二日と、暮すほどに、喜藤五、文《ふみ》、をこして[やぶちゃん注:ママ。]、長次を、ふかく、いましめ、家に歸らしむ。
其後《そののち》、蘭、これを、ふかく嘆き、終《つひ》に病ひの床(ゆか)に、ふしければ、いもと、さまざま、これをいさめ、
「御(おん)命だにながらへば、又の逢瀨(あふせ)のなかるべきかは。」
と、ひたすらに力をそへぬれども、しだひに、おとろへ、今はのきわになれば、父母(ちゝ《はゝ》)、大きにおどろき、跡枕(あとまくら)[やぶちゃん注:枕元。]にたちそひ、泣きかなしむ事、限りなし。蘭、やうやう、くるしき息をつぎ、
「わが身、不幸にして、此世を、はやふす。いまは、妄執の障りともなれば、つゝみ候はず。去りし夏の比(ころ)、かうかうのこと、侍れども、そこたちの御心、又は、身を歎きて、二たび、音信(おとづれ)もなく、いかに成り給ひしぞと、首尾の間《ま》もなく、わするゝ時なく、かやうに成《なり》侍る。妹(いもうと)を、必(かならず)しも、かの人にあはせて、わがなき跡をも、とはせ給へ。」
と、なくなく、語り、いきの下より、かく、よみける、
思ひきや逢ふはむかしのうつゝにてそのかねごとを夢になすとは
けふのみとかぎるいまわの身なれども思ひ馴れにし夕暮の空
[やぶちゃん注:「かねごと」「予言・兼ね言」で「前もって言いおいた言葉・約束の言葉」のこと。]
兩手をあはせて、ねふるがごとくに、なりぬ。
父母、けんぞくに至る迄、泣きさけべども、かひなし。
「いかにふかくつゝみて、いまゝでしらざりしことの悔しさよ。わが子の思はん人、いかに、つらく、思ふべし。」
とて、うちふし、うちふし、なげゝども、叶(かな)はぬ無常のみち。
さまざまの佛事をなして、七日、七日と、ねんごろに弔(とぶ)らひぬ。
入道、心に思ふやう[やぶちゃん注:以下、ジョイントが悪い。]、長次が心ざし、やさしく、身上(しん《しやう》)、又、あい[やぶちゃん注:ママ。]ひとしければ、此あらましを、念比(ねん《ごろ》)に書きて、長次が父に送る。
喜藤五も哀れにひかれて、云《いふ》にまかせて、長次を送る。
入道、多(おほ)きによろこび、二たび、娘の歸り來《きた》る心地して、急ぎ、吉日をえらび、婚姻を、とゝのふ。
姊は、年、廿《はたち》にしてうせ、長次は二十二、妹(いもうと)は十八にして、ながく、いもせを語らひけるが、第三年に當りければ、長次、一紙(《いつ》し)の祭文(さいもん)をかきて、其端(はし)に、一連の詩を詠ず。
名花兩朶色偏嬌
愁傷落一花去遥
絕似章臺楊柳樹
獨殘手裏舞長條
(名花兩朶(りやうだ) 色(いろ) 偏へに嬌(こ)びたり
愁傷に落ちて 一花 去ること 遥かなり
絕(はなは)だ似たり 章臺(しやうだい)楊柳(やうりう)の樹(き)に
獨りは殘つて 手裏(しゆり)に舞(ぶ)す 長條(ちやうでう)を
此後《こののち》、ながく家をおさめて[やぶちゃん注:ママ。]、榮へける。
其比《そのころ》、都鄙(とひ)に聞えて、「望海樓(ばうかいろう)の女文(《をんあ》ぶん)」とて、貴賤となく、もてはやしける。
近きほどまで、人のしりける事とぞ。