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2022/09/21

西原未達「新御伽婢子」 雨小坊主

 

[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻一・二・三のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」をOCRで読み込み、加工データとした。

 本篇には挿絵はない。

 底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」は正字化した。(*/*)のルビは右/左の読みを示す。

 注は文中や段落末に挟んだ。]

 

     雨小坊主(あめのこぼうず)

 都、八幡町(《はち》まん《ちやう》)といふ所に、新兵衞とかやいふ人、ある夜、雨しめやかに降(ぶり)て、風まぜなるに、小ぢやうちん、手づからして、夜半(よは)の比《ころ》、三条坊門(《さん》でうぼう《もん》)万里(まで)の小路(こう《ぢ》)を、西へ行《ゆく》に、六つか、七つ斗《ばかり》と覺しき小坊主、門の扉にそひて、雨だりに、そぼぬれ、すごすごと、たてるあり。

[やぶちゃん注:「都、八幡(まん)町」現在の京都府京都市中京区御所八幡町(ごしょはちまんちょう:グーグル・マップ・データ。以下同じ)或いはその東の東八幡町辺りか(グーグル・マップ・データ)。

「三條坊門万里の小路」下京区万里小路町。前の八幡町の南直下一キロメートルほどの位置にある。]

 火を寄(よせ)て見るに、其さま、乞食やうの、いやしきものには非ず、いろ㛐娟(あでやか)に、手足の爪(つま)はづれ、淸ら也。衣裳、みぐるしからず。

[やぶちゃん注:「爪はづれ」「爪外れ」本来は「着物の褄のさばき方」であるが、転じて、「身のこなし」の意。]

『いかさま、げしうはあらぬ人の子なめり。』

と思ひ、

「いづく。いかなる人の子ぞ。」

と問ふに、こたへず。

 又、愁(うれへ)る㒵(かほ)もみえず。

 是彼(これかれ)、問定(とひ《さだめ》)て、

「送りもし、さもなくば、今宵は、我《わが》かたに伴ひて、寐(ね)させなん。」

と、いへど、尙、いらへず、萬里小路を、南にあゆむ。

『扨は。親のもとに行《ゆく》にこそ、雨、晴間なく、降(ふる)に傘をだに、着ず、哀(あはれ)。』

に思ひ、慈愛の心、甚しく、かさ、さしかけ、跡に付《つき》て行《ゆく》ほどに、四、五町[やぶちゃん注:四百三十七~五百四十五メートル強。]斗《ばかり》と覺えし道の眞中(まんなか)比《ごろ》にて、此小坊主、ふり歸るを見れば、顏の大きなること、よの常の人に、五双倍(《ご》さうばい)せり。

 三眼にして、鼻も、耳も、なきが、新兵衞を見て

「莞(につ)」

と、わらひ立《たつ》たり。

 見るに、身の毛、よだち、ひざ、ふるひ、目くるめきて、大地に、たふれたり。

 暫(しばし)して、自然(しぜん)と心づき、あたりを探見(さぐり《み》)るに、雨具、其儘、有《あり》て、身は、泥土(でいど)にまみれ、濡(ぬれ)しほれて、取所《とりどころ》なし。

[やぶちゃん注:「取所なし」「取(り)所」は、本来は「取り立てて言うだけの価値のある点」であるが、ここは「如何にも惨めな有様で、何とも言いようのないていたらくであった」というのである。]

 漸々(やう《やう》)、起《おき》あがり、菟角(とかく)する内に、空、しらじらしく、明渡(あけ《わた》)る。

『萬里の小路を南へ行《ゆく》。』

と思ひしが、夜明《よあけ》て、所を見れば三条の西、西院(さいゐん)とて、人を葬(ほうふ)るみちのべに、奄忽(あんこつ)して居(ゐ)たり。

「思へば、遠く、たぼらかされける哉《かな》。」

と、そこら、求(もとめ)て、駕籠(かご)にて、家に歸りしが、此夜より、煩ひて、四十日斗《ばかり》、起《おき》ず。

 され共、後(のち)は、別事なく、本復(ほんぶく)しぬ。

[やぶちゃん注:「西院」この附近サイト「京都ブログガイド」の『西院 読み方の由来は「賽の河原」』によれば、この辺りは平安時代には、京の都の民俗社会にあって、事実上の西の果てに相当した場所であったとし、嘗ては佐井川という川が流れており、そこに「賽の河原」があったとされ、当時は、この佐井川の辺りに、幼くして亡くなった子供の亡骸が遺棄されてあったともある。辺縁は、とかく、異界との接点でもあったのである。されば、この「雨の小坊主」が新兵衛を最後の連れて行ったのが、「西院」というのは、地獄の賽の河原で救われない子らの魂が、ここに向けさせ、回向を望んだものかも知れぬ。こんな話を読んでしまうと、最早。妖怪「雨降り小僧」の話など、しようと思っていたのが、しんみりしてしまって、やる気が亡くなった。妖怪「雨降小僧」は当該ウィキを読まれたい。なお、本篇はネットでは妖怪好きの偏愛する話のようで、現代語訳であるが、多くヒットする。それにしても、この程度の話を原話ではなく、現代語訳しなくては、読んでくれない世界とは、如何にも淋しい世となったものだ。近代以降、妖怪が消えていったのは、大多数が、しみじみとした古典世界で読むことを面倒臭がるようになった末世、真の末法の世界となったからに他ならないという感を、私は、強く感ずるのである。]

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