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2022/09/23

西原未達「新御伽婢子」 禿狐

 

[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻四・五・六のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」を加工データとし、挿絵もそこに挿入された写真画像をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。なお、画像は小さく、しかも薄いので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のリンクも附しておく。

 底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」「〲」は正字化或いは「々」とした。(*/*)のルビは右/左の読みを示す。漢文部は後に〔 〕で訓読文を附した。

 注を段落末に挟んだ。]

 

     禿狐(かぶろきつね)

 都、西洞院(にしのとうゐん)柳(やなぎ)の水(みづ)の町といへる有り。此所に名水ありて、淸々冷々(せいせいれいれい)たる事、他(た)に異(こと)にして、いかなる旱魃にも、水、かはく色なく、洶々《きようきよう》として溢流(あふれなが)る。俗、呼(よん)で「柳の水」といふ。

[やぶちゃん注:京都府京都市中京区柳水町(りゅうすいちょう:グーグル・マップ・データ)。「京都市歴史資料館」の『情報提供システム 「フィールドミュージアム京都」』の「柳の水」によれば(コンマを読点に代えた)、『この地は、平安時代末期には崇徳院』『の御所があった所で,清泉があり』、『柳水として有名で千利休』『も茶の湯に用い,側に柳樹を植え』、『直接』、『陽が射すのを避けたと伝える。近世初期には、織田信長の息信雄』『がこの地に住し、寛永初年に北野五辻に移った後,肥後加藤家京邸となった。貞享年間』(一六八四年~一六八七年)『以降』、『明治』三(一八七〇)年『まで』、『この地に徳川御三家の一つ、紀州和歌山藩の京邸があった。この石標は、名水柳の水を示すものである。なお、この地を柳水町というのは,この柳の水に因むものである』とある。

「洶々」水音が騒がしいさま。]

 此町の何某(なにがし)とかやいふ人、南の橫小路聖(よここうぢひじり)町といふ處、友達のもとへがり、行《ゆき》て、夜半(よは)過《すぎ》て、我がかたに、歸る。

[やぶちゃん注:「南の橫小路聖町」現在の京都市中京(なかぎょう)区西ノ京南聖町(にしのきょうなんせいちょう)か。距離にして西に一キロほどの直近である。]

 西のとうゐんの辻にて、門のくゞりに、さしかゝりたるに、何者哉(や)らん、後(うしろ)より、ほそ腰に、いだきつきて、引《ひき》とゞむる、其重さ、磐石(ばんじやく)のごとし。

[やぶちゃん注:「西のとうゐんの辻」現行、西洞院通(にしのとういんどうり)は柳水町を南北に貫通しており、殆んど自分の家に近い。或いは、彼は独り者で、助力する者が周囲にもいなかったため、彼は帰って来た道を、再び、友人宅で戻ったのであろう。

「門」各町内に設置されてあった背戸であろう。]

 此男、あくまで不敵の人なりければ、

「心得たり。」

と、先(まづ)、兩の手を妻手(めて)にてとらへ、弓手(ゆんで)にて、後(うしろ)をつかむに、着物のやうにもあり、毛の生(おい)たるやうにも覺えて、

「むくむく」

と、したるを、とらへながら、出《いで》こし友のもとへ、引《ひき》づり行《ゆき》て、足をもつて、戶を嗃(たゝく)に、人々、驚(おどろき)、

「何事ぞ。」

といふ。

「否(いや)、曲者(くせもの)ひとつ、生捕(いけどり)たり。火を見せよ。」

と、いへば、周章(あはて)て、ともし火を出《いだ》し、後(うしろ)を見るに、長く、大きなる顏の、眞黑なる、人に似て、人にも非ず、髮を、中より、かり揃(そろ)ヘて、禿(かぶろ)といふものゝかたちなるが、

「何樣(なにさま)、恠(あやしき)ものぞ。」

といふ程こそあれ。

 

Kaburokitune

 

[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここ。この一枚のみ、禿狐の振袖の模様部分と、友人の掲げた手燭(てしょく)の炎の部分に赤い色が着色されている。かなり丁寧な色付けがなされており、はみだしなどは、殆んど見られず、恰も色刷りしたかのようである。少なくとも、子ども手すさびのレベルではない。手間はかかるが、この一枚だけを二色刷りとしたものがあったのだろうか? 但し、以上に掲げた勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」東京大学教養学部図書館蔵の挿絵では、拡大鏡で調べたが、彩色した形跡は認められない。

 

 縄・細引(ほそびき)などを掛(かけ)て、縛り搦(からめ)、

「さらば、手を放せ。」

と、いふに、持《もつ》たる所を、放ち、ねぢ歸り、後(うしろ)を見れば、十重二十重《とへはたへ》にからめたる、繩ばかり殘りて、何も、なし。

 いかなる所爲(しよゐ)と不ㇾ知(しらず)。

[やぶちゃん注:以下は、底本では全体が三字下げで、字も小さい。]

 或人の云《いはく》、「前々、此辻に、十四、五なる禿、出《いで》て、人をおびやかす。雨風(あめかぜ)、或は、あやなく、くらき夜、必(かならず)有りて、「かぶろ狐」といふなり。」とぞ。是も此類(たぐひ)なるべし。此人の强力(がうりき)に、をそれてや、此のち、天和の今に至つて、五とせがほど、絕《たえ》て此妖恠《やうかい》出《いで》ずと。

[やぶちゃん注:「天和」一六八一年から一六八四年まで。徳川綱吉の治世。本書は事実、天和三(一六八三)年に刊行されている。まさに直近の都市伝説というわけである。本書のように、作中に頻繁に現在時制或いはそれに近き近過去の怪奇談を載せるものは、あまりない。これは本書の特徴と言ってよいと思われる。]

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