フライング単発 甲子夜話卷之二十六 15 大阪御城代寢所の化物
[やぶちゃん注:以下、現在、電子化注作業中の南方熊楠「人柱の話」の注に必要となったため、急遽、電子化する。非常に急いでいるので、注はごく一部にするために、特異的に《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを挿入し、一部に句読点も変更・追加し、鍵括弧記号も用いた。]
26―15
或人曰《いはく》、「大阪の御城代某侯【名は不ㇾ聞りし。】、初て彼地に赴かれしとき、御城中の寢處は、前職より、誰《たれ》も寢ざる所と云傳《いひつたへ》たるを、この侯は心剛《かう》なる人にて、入城の夜、その所にねられしが、夜更《よふけ》て便所にゆかん迚《とて》、手燭《てしよく》をともし、障子をあけたれば、大男の山伏、平伏して居《ゐ》たり。侯、驚きもせず、山伏に、『手燭を持《もち》て、便所の導《みちびき》せよ。』と云はれたれば、山伏、不性《ふしやう》げに立《たち》て、案内して便所に到る。侯、中に入《いり》て良《やや》久しく居て出《いで》たるに、山伏、猶、居たるゆゑ、侯、『手水《てうづ》をかけよ。』と云はれたれば、山伏、乃《すなはち》、水をかけたり。侯、又、手燭を持《もた》せて、寢處へ還られ、夫《それ》より、快《こころよ》く臥《ふさ》れし。然るに、後《のち》、三夜《みや》の程は、同じかりしかど、夫よりは出《いで》ずなりし。」と。總じて、世の怪物も、大抵、その由る所あるものなるが、この怪は何の變化せしにや、人、その由を知らず。又、此侯は、本多大和守忠堯と云はれしの奧方、相良《さがら》氏【舍侯の息女。】、後、榮壽院と稱せし夫人の從弟にてありける。此話も、この相良氏の物語られしを、正く傳聞す。
■やぶちゃんの呟き
「本多大和守忠堯」(ほんだただとう 元文二(一七三七)年~宝暦一一(一七六一)年)は江戸中期の大名。播磨国山崎藩第四代藩主。官位は従五位下・大和守。本多政信系本多家第五代。
「奧方、相良氏【舍侯の息女。】」忠堯の正室於鷹は肥後国人吉藩第六代藩主相良長在(ながあり/ながあきら 元禄一六(一七〇三)年~元文三(一七三八)年)の娘。
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