西原未達「新御伽婢子」 古蛛怪異
[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻一・二・三のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」をOCRで読み込み、加工データとした。本話には挿絵はない。
底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」「〲」は正字化した。漢文脈部分は返り点のみ附したものを示した後に〔 〕で訓読文を示した。
必要と思われる語句について、段落末に注を附した。
読みの(*/*)は右/左の読み(左は意訳)を示す。標題の「恠異」の左にはなにもない。]
古蛛恠異(こちうけ《い》/ふるきくも)
美濃國本巢(もとず)と云《いふ》所の近邊(きんぺん)に、道の左右に、高木(かうぼく/たかきき)、生茂りたる所、あり。
「爰を夜中に通るもの、必(かならず)、死する。」
とて、暮(くれて)の後(のち)、人、敢(あへて)通路(つうろ)せず。
[やぶちゃん注:現在の岐阜県本巣(もとす)市(グーグル・マップ・データ)。]
本巢に、牢人(らうにん)、有り、去(さる)子細あつて、武門を出《いで》、暫(しばらく)、彼(かの)在所に居(きよ)す。
下部(しもべ)にいひ付《つけ》て、
「今宵、急用あつて、そこそこに遣(つかは)す。早く行(ゆき)て來(こ)よ。」
といふ。
主命なれば、いなといふべきにあらず、彼地(かのち)に行(ゆく)。
此下人、すぐれて憶病にさへ生(むま)れつきたれば、彼(かの)松原を通らん事、戰慄(みぶるひ)して、おそろし。
[やぶちゃん注:「戰慄」は「西村本小説全集 上巻」では『戦慓』と起こしてあるが、底本をよく見るに、これは「慄」であり、それでこそ、躓かないと判断した。]
『さりとて、𢌞り行(ゆけ)ば、大きなる嶮岨(けんそ/さかしきそば)を越(こえ)て、しかも二里余(よ)の費(ついへ)ありと云《いひ》、殊に、「急用あり」といふに、遲くなるべし。一期゛《いちご》[やぶちゃん注:濁点附きはママ。]の大事、爰(こゝ)にあり。』
と、思ひ思ひ、力(ちから)なく、松原にさしかゝり、足を空に、まどふ。
[やぶちゃん注:「さかしきそば」という読みは「けわしい切り立った崖」の意。]
爰に、大きなる榎(え)の木、松に爭ひて、生出(おひ《いで》)たる、あり。
此下を通る時、何とは不ㇾ知(しらず)、黑く、丸くて、一尺余りなる物、鑵子(くわんす)など、ひらめくやうに、榎の木より、
「つるつる」
と、おるゝ。
星さへ出《いで》ぬ、くらき夜《よ》に、雨さへ、そぼちて、物すごく、此男、進退(しんたい/すゝみしりぞく)、爰にきはまり、彼(かの)木のかたを詠(ながむ)るに、七尺余(あまり)の女、色白きが、みどりの髮を、さばきて、眼(まなこ)もなき顏の、忽然として出來(いでき)たる。
男、一目見るより、
「あつ。」
と、いふて、うつぶしにたふれて、死《しに》けり。
[やぶちゃん注:「死けり」言わずもがなだが、古典では広く気絶することを言う。]
主人、下部の遲(おそく)歸るを、不思義に思ひ、外(ほか)につかふ僕(ぼく)もなければ、炬(たいまつ)取《とり》て、自(てづから)、彼(かの)道に行《ゆき》て見るに、彼男、木(こ)の下(もと)に、死《しし》てあり。
主人、驚(おどろき)、水、そゝぎなどし、呼生(よびいけ)ければ、漸々、人心ちつきて、ありし次㐧を語る。
召連(めしつれ)、歸らんとするに、彼(かれ)が臥(ふし)たる下に、恠(あやしき)もの、あり。
火を、ふりたてゝ見れば、すさまじく大(おゝ[やぶちゃん注:ママ。])きにして、針のごとき毛の生(お)ひたる、蛛(くも)の死せるにて在《あり》けり。
思ふに、是は、下部の、息を切《きつ》てはしる所を、取《とつ》て喰はんと、木よりさがる時、あやまつて、蛛に行《ゆき》あたり、其上へ打《うち》たふれたるに依(よつ)て、怪我の高名をしてんと、見ゆ。
誠に、年來(ねんらい/としごろ)、此原(はら)に、化生(けしやう)、住(すみ)て、人を取《とる》といひし、是なるべし。
『「天晴(あつぱれ)、此蛛を、我(わが)平(たいらげ[やぶちゃん注:ママ。])たる。」と披露し、猛(たけ)き名を取《とり》、今一度(ど)、知行(ちぎやう)にも望姓(もとづ[やぶちゃん注:二字への読み。])かばや。』
と、おもひ、
『下部を生《いけ》ておかんに、此奸曲(かんきよく)、顯(あらは)るべし、所詮、切《きつ》て捨てん。』
と、心もとを、さしとをし[やぶちゃん注:ママ。]、死骸(しがい)を、深く、原上(げんじやう)に埋(うづ)み、彼《かの》蛛を引提(《ひつ》さげ)、里に歸り、所の者を寄(よせ)て、手柄を語る。
人皆(《ひと》みな)、肝(きも)を消して、
「强力(がうりき)の人。」
と稱す。
然るに、死《しに》ける下部、里中(さと《ちゆう》)の者の夢に、見えて、いふ。
「我、ケ樣(かやう)の事によりて、非業(ひ《ごふ》)の命を、とられぬ。不審あらば、其所(《その》ところ)の松が根を、穿(うがち)て見給へ。」
といふ。
人々、よりて、夢を語るに、皆、ひとつことにして、露(つゆ)たがはず。
ふしぎの思ひをなし、かの松原に行《ゆき》、見るに、實(げに)も、新(あらた)に埋(うづみ)たる、土、あり。
ほりて見れば、下部が死骸なり。
此故に、牢人は殺害(せつがい)せられけるとぞ。
[やぶちゃん注:作者は後半の人の心の鬼にこそ主眼をおいているように思われる。]