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2022/09/27

西原未達「新御伽婢子」 名劍退ㇾ蛇 / 巻四~了

 

[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻四・五・六のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」を加工データとした。

 なお、本篇には挿絵はない。

 底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。

 注は文中や段落末に挟んだ。]

 

     名劍退ㇾ蛇(めいけん、へびをしりぞく)

 都の外(ほか)、大原といふは、古(いにし)し[やぶちゃん注:ママ。]女院(にようゐん)、世を遁(のがれ)させ給ひし名のみして、其跡、たて[やぶちゃん注:「たえて」(絕えて)の脱字か。]、かすかに、あやしの賤(しづ)の女(め)の柴かづくわざなん、今、所がらとて、おかし[やぶちゃん注:ママ。]。

 其里に安左衞門とかやいふ、隱士(かくれたるさふらひ[やぶちゃん注:左の読み。右にはない。])あり。平生、釣を好(このん)で、夏(なつ)、川になれば[やぶちゃん注:ママ。「川」は誤記か誤刻、若しくは、「夏の川」であろう。]、或時は、鵜(う)の巢(す)前川(まへ《かは》)の浪にひたり、又、或時は賀茂・貴布祢(きふね)の流れにあそびて、いたらぬ渕瀨(ふちせ)もなく、わたらぬ水の氾(よどみ)もなし。

 或日、友をいざなひ、勢田の橋の下(しも)、南鄕(なんがう)といふ所に、適遥(せうやう)して、釣竿を下《おろ》す。

 爰に、ひとつの渕あり。

 昔より、此所に、

「をそろしき主あり[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、いひ傳(つたへ)て、更(さらに)、

「殺生禁斷(せつしやうきんだん《の》)所也。」

と、皆人、釣せず、䋄(あみ)する事、なし。

 浪、蒼々と樣流(うづまき)、岸にふりたる松、くらく、水中に陰をひたし、誠に物すごき絕景也。

 友の人は、皆、心々《おもひおもひ》に、別れちりて、漁(すなど)る。

 爰に、此人、ひとり、彼(かの)渕をのぞみ見るに、鮞(はや)・鯥(むつ)などやうの魚、群(むらがる)事、重ねたるごとし。

 見るに不ㇾ堪(たへず)して、針をおろすに、魚を得る事、うつすがことく、

〽間(ひま)なく魚をとる時は 罪も むくひも わざはひも

と、ざれ歌、諷(うた)ひつべう覺えて、面白く、魂(たましひ)、空(そら)に成りてゐる。

 暫(しばし)して、浪、さはがしく、風、一通りして、などやらん、心ちよからぬ所に、水中より、名のみ聞(きく)、※蛇(うはばみ)斗《ばかり》の長(ながき)もの。岸の松の木にのぼるを見れば、一身、鱗(うろこ)だちて、肌のするどなる事、何(いづれ)を松、何れを蛇(じやせい)勢と、見わかず、下枝に蟠(わだかまり)、首(くび)をさげて、のまんとす。

[やぶちゃん注:「※」は「虫」+「白」。]

 をそろしさ[やぶちゃん注:ママ。]、いはんかたなく、竿も、ゑふごも、投捨(なげすて)、刀(かたな)をぬいて、追い拂ひ[やぶちゃん注:ママ。]、尻しざりに、逃去(にげさり)、大路(《おほ》ぢ)に出《いで》て、息も、つきあへず、あやしの茶店(ちやてん)に、少《すこし》、休らひ、猶、大原の里に歸りぬ。

 おもふに、此刀、信国(のぶくに)とかやなれば、近付(ちかづき)得ずして、危(あやうき)命(いのち)、のがれけるとぞ。

[やぶちゃん注:以下は、底本では全体が三字下げで、字も小さい。]

 昔、小松の重《しげ》もり卿、池どのゝもとに、晝寢してゐられけるに、此池の大蛇、重もりを、のまんと、うかゞひよるに、枕もとなる刀、をのれと拔(ぬけ)て、大蛇を池に歸しける。太刀風《たちかぜ》に目ざめて、此刀のぬけたるを見て、

「かく。」

と、しられしと、「平家」には書《かけ》り。

 是より、此刀を稱美して、「蛇(じや)かゑし[やぶちゃん注:ママ。]」と号(なづけ)られけるとぞ。

 古今(ここん)年數を隔だゝれども、名劍の德、つくる事なく、猶、後世(こうせい)までも、かゝるきどく、なん、在《あり》ける。

 

 

新御伽巻四

[やぶちゃん注:「女院」「平家物語」の「大原御幸」で知られる安徳天皇の母である平徳子。

「鵜(う)の巢(す)前川(まへ《かは》)」不詳。分離させても、京の川に該当するものがない。或いは、宇治川の鵜飼(うかい)を、かく言っているのかも知れないと感じはした。識者の御教授を乞うものである。

「南鄕」現在の滋賀県大津市南郷(グーグル・マップ・データ)。

「樣流(うづまき)」「西村本小説全集 上巻」では、ここは『□流』でルビに『うづまき』とあって、判読不能字となっている。私は脱字なのかと思ったのだが、底本には確かに漢字が書かれてある。私には、「樣」の崩ししか見えなかった。暫くこれを当てておく。

「鮞(はや)」淡水魚で食用とする複数の魚を指す「ハヤ」類(「ハエ」「ハヨ」とも呼ぶ)で、それが示す種は、本邦では概ね、

コイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Pseudaspius hakonensis

ウグイ亜科アブラハヤ属アムールミノー亜種アブラハヤ Rhynchocypris logowskii steindachneri

アブラハヤ属チャイニーズミノー亜種タカハヤ Rhynchocypris oxycephalus jouyi

コイ科Oxygastrinae 亜科ハス属オイカワ Opsariichthys platypus

Oxygastrinae 亜科カワムツ属ヌマムツ Nipponocypris sieboldii

Oxygastrinae 亜科カワムツ属カワムツ Nipponocypris temminckii

の六種を指すと考えてよい。

「鯥(むつ)」上記注の最後の二種。ヌマムツは二〇〇三年に同属別種とされるまで、カワムツの変異型とされていた。

「信国」初代信国(生没年不詳:応安二(一三六九)年没か)は南北朝時代の山城国の知られた刀工。

「小松の重もり」平清盛の長男重盛。但し、ここに出る話は、「平家物語」ではなく、「平治物語」の「待賢門軍(いくさ)の事」の一節で、重盛ではなく、清盛の父(義父とも)忠盛の話。そもそもこのシークエンス、重盛には全く似合わないおかしな話である。筆者は書きながら、そう思わなかったことが、甚だ不審である。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを底本として電子化する。

   *

賴盛は兜に熊手を切り懸けながら、取りも捨てず、見も返らず、三條を東へ、髙倉を下りに、五條を東へ、六波羅までからめかして落ちられけるは、中々に、優にぞ見えたりける。名譽の拔丸(ヌケマル)なれば、能く切れけるは理(コトワリ)なり。此の太刀を拔丸と言ふ故は、故刑部卿忠盛、池殿に晝寢(ヒルイネ)しておはしけるに、池より大蛇(ダイジヤ)あがりて、忠盛を呑まんとす。此の太刀枕の上に立てたりけるが、自らするりと拔けて、蛇(ジヤ)に懸りければ、蛇(ジヤ)恐れて池に沈む。太刀も鞘(サヤ)に返りしかば、蛇又出て呑まんとす。太刀又拔けて大蛇を追ひて、池の汀に立ちけり。忠盛之を見給ひてこそ、拔丸とは附けられけれ。當腹(タウフク)の愛子に依りて、賴盛之を相傳し給ふ故に、淸盛と不快なりけるとぞ聞えし。伯耆國大原の眞守(サネモリ)が作と云々(カヤ)。

   *

「池どの」平忠盛の正室で、清盛の継母に当たる池禅尼(いけのぜんに 長治元(一一〇四)年?~ 長寛二(一一六四)年?)。]

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