「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 女性に於る猥褻の文身
[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。
以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。注は各段落末に配した。彼の読点欠や読点連続には、流石にそろそろ生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え、句読点を私が勝手に変更したり、入れたりする。標題の「文身」は「いれずみ」。なお、底本では「陰戶」が『○○』と伏字にされてあるが、引用元を参考に漢字を当てた。読みは私の推定である。]
女性に於る猥褻の文身 (大正十四年六月變態心理第十五卷第六號)
『變態性慾』六卷四號に、田中君が、此の題の中《うち》に書かれた中《なか》に洩れたことを、聊か記《しる》さう。三十五年前、米國に在つた時、故鈴木倚象男に聞いたのであるが、其數年前、警視廳で婦女の文身を調べたら、最も奇拔なのは、東京のどこかの女博徒で、吉舌に蛞蝓《なめくぢ》を入れ墨した、其の形がよく似たのみか、巧技絕妙でナメクジの背の細點具さに備はり、眞に逼つた物の由。又、廿八年前、龍動(ロンドン)で故中井芳楠氏に聞いた話は、維新前、泉州貝塚に名題の美女兼賭博女お芳は、祕部近く、蟹をほりつけ、走り込《こま》んとする狀、頗るよく出來て居《をつ》た、と。甲子夜話にも同例を二ケ所に記してあるから、賭博女は每度したことらしい。其の一を擧げると、卷十八に、「或る人の話に、湯島に鳶の者の妻よし、寡婦と成つて任俠を以つて聞こえたり。湯島の劇場に、狂者、刀を振り廻し、人皆、手に合はずと聞いて、我れ、之を取るべしとて、衣をぬぎ、丸裸に成つて、ズカズカと、其の傍らにより、何をなさると云へば、狂人、呆れて立ちたるに、其の手を取つて、刀を取り上げ、事穩《ことおだや》かに濟《すま》せし、となり。この婦、陰戶《ほと》の傍らに蟹の橫行《わうぎやう》して入《いら》んとする形を入れ墨したり、と。凡そ、豪氣、此の類《たぐひ》なり。卅年ばかり前のことにて、その婦を目擊せし人の言に、膚、白く、容顏、ことに美艶なりしとぞ。かの亡夫の配下なりし鳶ども、强情者、多かりしが、皆な、隨從し、差圖をうけ、一言いう者も、なかりし、と云へり。」。
[やぶちゃん注:「鈴木倚象男」軍医大佐の鈴木(片倉)倚象(文久二(一八六二)年~大正九(一九二〇)年)か? 個人サイト「The Naval Data Base」のこちらに拠った。「男」は名の一部か、男爵の意かは、不明。
「吉舌」「きちぜつ・きつぜつ」で、女性生殖器の陰核(クリトリス:Clitoris)を指す隠語であるが、古語では「ひなさき」と呼び、早く、平安中期の辞書である源順(したごう)の「和名類聚抄」の巻第三「形体部第八」の「茎垂類第三十九」に(国立国会図書館デジタルコレクションの板本でここ)、
*
吉舌(ヒナサキ) 「楊氏漢語抄」云はく、『𠮷舌【和名、「比奈佐岐(ひなさき)」。】』と。
*
と載っている。小学館「日本国語大辞典」にも載る。
「中井芳楠」(よしくす/ほうなん 嘉永六(一八五三)年~明治三六(一九〇三)年)は銀行家・教育者。「南方熊楠 履歴書(その4) 父のこと」の私の注を参照されたい。
「泉州貝塚」現在の大阪府貝塚市(グーグル・マップ・データ)。
「甲子夜話にも……」事前に後者の方を確認、「フライング単発 甲子夜話卷之十八 11 鳶の妻於よしの事」で電子化した。
「お芳」引用の「甲子夜話」の女丈夫と同音であるが、「甲子夜話」の人物を伝え聴いた女が、同名を称し、蟹の文身まで真似たと考える方が無理があるまい。]
« フライング単発 甲子夜話卷之十八 11 鳶の妻於よしの事 | トップページ | 曲亭馬琴「兎園小説余禄」 八木八郞墓石 »