西原未達「新御伽婢子」 亡者廽向誂
[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」をOCRで読み込み、加工データとした。
本篇には挿絵はない。
底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した(但し、以下の「序」はベタのママとした)。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」「〲」は正字化或いは「々」とした。
必要と思われる語句について、段落末に注を附した。]
亡者廽向誂(まうじや、ゑかうをあつらふ)
城刕山科の花山(くはざん)といふ所に、隱遁の僧あり。堅固の念佛者にて、六時不斷(《ろく》じふだん)の勤行、若きより、年高く成《なる》まで、怠る事、なし。其名を西月(さいげつ)といふ。
[やぶちゃん注:「山科の花山」この附近(グーグル・マップ・データ)。
「六時不斷」仏語。「六時」は昼夜を六分した念仏読経の時刻を指す。晨朝(じんじょう)・日中・日没(にちもつ)・初夜・中夜・後夜(ごや)の称。その六時、則ち、一日中、絶え間なく勤行をすることを言う。
「西月」不詳。]
或夜、晨朝(じんでう)の念佛して、首(かうべ)を傾(かたむけ)、廽向し給ふ所へ、窓の間(ひま)より、女の聲にて、
「『勸修寺(くはんじゆじ)村の妙理《めうり》』と、ゑかうして給へ。」
と明(あきらか)にいひ、去りぬ。
ふしぎの思ひをなし、戶を開きて、其わたり、見給ふに、あへて、人の行衞(ゆくゑ[やぶちゃん注:ママ。] )、なし。
菟(と)もあれ、
「あつらふるまゝに、𢌞向せん。」
と、臨時の念佛、一《ひと》せめ申《まをし》て、いひしごとく、となへ終りけり。
其朝(あした)、鉢(はち)に出《いで》て、勸修寺村に至り、知る人に尋ねて、
「此里に、かやうの戒名のある人を、しれるや。」
と問(とふ)。
此者、聞《きき》て、
「いかにも。遠く侍らず、此向(むかひの)家、そこそこの、誰の女房、一昨日(をとゝひ)、身まかり侍るを、『妙理』と申侍る。何の爲にか、尋給ふぞ。」
といふに、西月、有《あり》しやうを語りて、僧も、俗も、奇異の思ひをなしけり。
それより、此里、一向(ひたすら)、念佛をたうとび、野(や)に耕す男、里に柴(しば)かづく女迄、修行の志(こゝろざし)をはげましけるとぞ。
[やぶちゃん注:「勸修寺(くはんじゆじ)村」山城国山科勧修寺村(現在の京都市山科区勧修寺東北出町(かんしゅうじひがしきたでちょう:グーグル・マップ・データ)。「勧修寺」は「かじゅうじ」「かんじゅじ」とも呼ばれる。なお、ここの西念寺の開基は「勧修寺村の道徳」(生没年未詳)で、彼は蓮如上人の門弟である。]
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