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2022/09/18

フライング単発 甲子夜話卷之五十九 5 加藤淸正の故邸

 

[やぶちゃん注:以下、現在、電子化注作業中の南方熊楠「人柱の話」の注に必要となったため、急遽、電子化する。非常に急いでいるので、注はごく一部にするために、特異的に《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを挿入し、一部に句読点も変更・追加し、鍵括弧記号も用いた。]

 

59―5

鳥羽侯【稻垣氏。】の邸《やしき》は麹町八丁目にありて、伯母光照《かうしやう》夫人、こゝに坐《おは》せしゆゑ、予、中年の頃までは、屢々、此邸に往《ゆ》けり。邸の裏道を隔《へだて》て、向《むかひ》は彥根侯【井伊氏。】の中莊《なかやしき》にして、高崖《たかきがけ》の上に、大《おほい》なる屋、見ゆ。「千疊鋪《せんじやうじき》」と、人、云ふ。又、云ふ。「この屋は、以前、加藤淸正の邸なりし時のものにて、屋瓦《やねがはら》の面には、その家紋、圓中《まるのなか》に桔梗花《ききやう》を出《いだ》せり。」と。又、この「千疊鋪」の天井に、乘物を【駕籠《かご》を云《いふ》】。釣下げてあり。人の開き見ることを禁ず。」。或は云。「淸正の妻の屍《しかばね》を容れてあり。」。或は云。「この中、妖怪、ゐて、時として、内より戶を開くを見るに、老婆の形なる者、見ゆ。」と。數人《すにん》の所ㇾ話《はなすところ》、この如し。然るに、その後、彼《かの》莊、火災の爲に、類燒して、「千疊鋪」も烏有《ういう》となれり。定めて、天井の乘物も焚亡《ふんばう》せしならん。妖も鬼も、倶に、三界、火宅なりき。

■やぶちゃんの呟き

「伯母光照夫人」調べたところ、志摩国鳥羽藩二代藩主(鳥羽藩稲垣家六代)稲垣昭央(てるなか 享保一六(一七三一)年~寛政二(一七九〇)年)の正室は松浦誠信(さねのぶ)の娘で、院号を光照院という。誠信は、長男の邦(くにし)の死後、後継者を三男政信と定めていたが、その政信は明和八(一七七一)年に、やはり、父に先立って死去したため、嫡孫である政信の子の清(静山)を後継者として定めたので、事実上は大伯母であるが、実質的な家督嗣子の関係からは「伯母」と称して問題ない。

「淸正の妻」当該ウィキを見ると、山崎片家娘を正室とし、他に継室の清浄院、側室に本覚院・浄光院・正応院の名が見える。

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