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« 西原未達「新御伽婢子」 樹神罸 /「新御伽婢子」巻二~了 | トップページ | 西原未達「新御伽婢子」 夢害妻 »

2022/09/21

西原未達「新御伽婢子」  / 則身毒蛇

 

[やぶちゃん注: 底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻一・二・三のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」をOCRで読み込み、加工データとし、挿絵もそこに挿入された写真画像をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。なお、画像は小さく、しかも薄いので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のリンクも附しておく。

 底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」は正字化した。(*/*)のルビは右/左の読みを示す。

 必要と思われる語句について、段落末に注を附した。]

 

新御伽卷三

     則身毒蛇(そくしんのどくじや)

 無下に近き比《ころ》、肥前の辛津(からつ)邊に、或人の女房、五十にちかき有り。

[やぶちゃん注:「無下に近き比」ごく直近の出来事。あり得たような「噂話」の時制の必要条件である。

「肥前の辛津」現在の佐賀県唐津市(グーグル・マップ・データ)。]

 家(いへ)、時めきて、田園多く、子共、五人、持てり。

 女《むすめ》は外に嫁し、男、別に屋《や》作りて住(すめ)り。

 天和二年の冬、或夜、女《をんな》の夢に、若く、うつくしき女の、此わたりに見馴ぬが、枕もとにかしこまりて、此家《いへ》あるじの、前生(ぜんじやう)より始(はじめ)て、身の終(をはり)迄を、つらつら、語る事、ひとへに書(かき)たる物を、よむごとく、すみやかにして、

「必(かならず)、其月日、來り給へ。」

と言捨(いひすて)、歸ると思へば、正(まさ)しく、聲、耳に殘り、姿、幻術士(まぼろし[やぶちゃん注:三字への読み。])に見ゆ時、夢、覺(さめ)たり。

 甚(はなはだ)醜《おそろし》くて、一身、汗にひたる事、浴(よく/ゆあび)するがごとし。

 されども、夫にも、子にも、かたらず。

『夢は、五臟の虛(きよ)よりなすなれば、はかなく、跡なき事のみにて、誠、すくなし。何の異(こと)なる事、あらん。』

と、日數(《ひ》かず)をふるほどに、其後、家内に、人なく、女房、独(ひとり)、茶なんど、たうびて居(ゐ)る晝の最中(もなか)、紛《まぎらふべくもなき幻(うつゝ)の女、來りて、いふ、

「有《あり》し夜《よ》、枕によりて、こまごま、語り聞《きか》せし事を、大かたの僞(いつはり)と思ひたどり給ふこそ、淺ましけれ。必、其日、其身ながら、生(しやう)をかへんなんぞ。早く、夫(をつと)にもかたり、子共にも名殘(なごり)を惜(をし)み給はぬ、愚(おろか)なる人の、心かな。」

といふにぞ、あるじの女、

「はつ」

と思ひ、

「扨は。正夢といふ物なめり。去(さる)にても、御身、いかなる人なれば、かく念比(ねんごろ)に、我が過去・未來をしめし給ふ。過(すぎ)し夜の夢も、粗(ほゞ)覺え侍れど、なを[やぶちゃん注:ママ。]、此うつゝの時、きかさせ給へ。」

と。

「其事よ。我は溫泉(うんぜん)の麓の池に、數千歲(すせんさい)を經(ふ)る、大蛇なり。來(きた)る何日(いくか)に、三毒の惡苦(あくく)を請終(うけをは)りて雲上(うんじやう)にうかむ。此跡の池に、主(ぬし)を見定めて、其器(き)にあたりたるを、我が世繼(よつぎ)とする也。そこの果報を考(かんがう[やぶちゃん注:ママ。])るに、毒蛇の種姓(すじやう)、のがるゝ事、なし。よつて、爰(こゝ)をゆづる也。知せずとも、あらば、有《あり》なん事ながら、流石(さすが)、自(みづから)が一跡(《いつ》せき)を參らする往昔(わうじやく)の因(ちなみ)あるによつて、情(なさけ)に、かくは、告(つげ)侍る。相《あひ》かまへて、疑(うたがひ)を殘し給ふな。又、世の人に習ひ迷ひて、巫女(ぶによ)・祝(はふり)の祈念なんどに轉(てん)じかふる事も、更に、あたはず。」

と語(かたり)、かきけちて、失(うせ)ぬ。

[やぶちゃん注:「溫泉の麓の池」底本の「溫泉」の読みは「うんせん」。しかし、「うんせん」という特異な読みと、「麓」と言っていること、後で唐津から、その麓の池までの距離を「南十六里」(六十二・八三キロメートル)とすることを総合すると、これは現在の雲仙岳と断定出来る。そもそも雲仙岳の峰の一つである普賢岳一帯は近代に至るまで、「溫泉岳」と呼んでいた事実があるからである。「今昔マップ」の戦前の地図を見られたいが、更に、その地図を少し南西に移動させると、「温泉(うんぜん)」の地名が確認され、その東直近に「矢岳」というピークがあるが、そこから北西に降った標高八百三十一メートル位置に国土地理院図で「温泉(うんぜん)岳」とあるのである。その東の麓に「空池」という池があり、ここが、ここでいう「池」なのではないかと推定する。現在、大きな「鴛鴦ノ池」があるが、これは明治期には形成されていないからである。

 猶、此事につけて、問(と)はましき事ども、多かりしを、いひ出《いで》んとするに、失(うせ)ければ、惘然(ばうぜん)と、我が身を打《うち》まもり、

「情(なさけ)なき過世(すぐせ)かな。」

と、胸、打《うち》さはぎ、おそろしく、恥かしながら、亭主の歸りければ、

「かく。」

と語りて、淚をながし、子どもも呼寄(よびよせ)、生(いき)ながら別れん事を語り、泣(なく)。

 かくて、二日斗《ばかり》の後、座敷に、ひとり、晝寢し、襲(おそ)はれて、喚(うめく)事、すさまじ。

 人々、次の間に聞《きき》て、行《ゆき》て見るに、姿は、もとの姿ながら、大きなる事、ふしだけ、壱丈もやあらん、長き黑髮の、くねり動(うごく)事、浮藻(うきも)の波にさはぐがごとく、其一間(《ひと》ま)の熱さ、恰(あたか)も、燒(たき)たてたる浴室にひとし。

[やぶちゃん注:「ふしだけ」「臥し長(だけ)」で蹲ったその体高のことか。大蛇に化す以上はそれくらいのことは如何にも腑に落ちる。]

 皆、傍(かたはら)による事を恐怖《おそれ》て、敷居のこなたより、呼起(よびおこ)しければ、漸(やうやく)に起《おき》けるが、汗の滴るさま、空(そら)にしられぬ白雨(ゆふだち)なり。

 面色(めんしよく)、赤く、ため息、苦しげに、淚の下より、人々に向つて、いふ、

「今、將(はた)、有《あり》し日の女、枕に來り、むつましげに、万(よろづ)の物がたりし侍るほどに、則《すなはち》、我が身、蛇體(じやたい)と成《なり》て、是《これ》にむかひ、行さき、行末の、有《ある》べきうき身の、住所(すみどころ)の事など、問ひ習ふに、日每(《ひ》ごと)に、三度(ど)づゝ、熱湯を吞(のむ)といふ事を聞(きく)に及(およん)で、一身(《いつ》しん)、猛火(みやう《くわ》)の中にあるがごとし。」

 其内に、たすけ起されたれども、猶、苦しさの增りて、

「あら、あつや、たえがたや、」

と腦亂(なうらん)[やぶちゃん注:「腦」はママ。]する事、目もあてられず。

 漸(やうやう)、本心を失ひて、譫語(そぞろごと)、口《く》どく、手足を、たゆとふ事、水中を漂泊(へうはく/たゞよふ)するごとし。

 おもひなすに、誠に猛蛇(まうじや)のうごくに、似たり。

 水を好(このみ)て吞(のみ)けるが、後には、水の味(あぢは)ひをえらびて、

「是も、氣に入《いら》ず、かれも、あつさを消(け)さず。」

と嗔(いかる)。

 人々、もてあつかひ兼(かね)るに、自(みづから)敎へて、

「是より、南、溫泉(うんぜん)のふもとに、池、有(あり)。爰(こゝ)の水を汲(くま)せて、くれよ。」

と。

「それ也《なり》。」

と號(なづけ)て、近き池水(ちすい)を求(もとめ)、吞(のま)するに、用ひず。

「惡(にく)きものどもの、ふるまひや。我が久しく住(すめ)らん宿(やど)りなれば、兼て、風味(ふうみ)、克(よく)覺えぬ。疾(とく)、汲(くみ)よせて、我に、あたへよ。」

と、

「はた」

と邪睨(にらま[やぶちゃん注:弐字への読み。])へたる氣色(けしき)、白眼(はくがん/しろきまなこ)に、血をそゝぎ、見るより、毒氣(どくき)、備(そなは)れり。

 人、怖《おそれ》て、辛津より南拾六里をへたる溫泉《うんぜん》のふもと迄、人をして、汲《くみ》よせ、是をあたふるに、心よげに打笑《うちゑみ》、寒風に、肩、やせて、一荷(か)求《もとめ》し水を、只、四、五度(ど)に吞(のみ)ほして、猶、跡より、好みけるに、行程(《かう》てい)、遙(はるか)にして、良(やゝ)、隙《ひま》、多くかゝりければ、やるせなく、悶(もだへ)て、

「所詮、我、そこに至り、吞《のま》んには。」

と、

「むく」

と起《おき》て出《いで》て、行《ゆく》。

 辛津、溫泉(うんぜん)、同國ながら、程《ほど》隔たれば、每(いつ)、此女の行《ゆき》見《み》し習ひもなきに、案内もたのまず、其かたに走行(はしりゆく)。

 早卒(いちはやき)事、逸散(いつさん)の馬(むまの)ごとく、一門、打起《うちおこ》りて、跡をしたふに、追付《おひつく》べき力も、なし。

 

Sokusindokujya

 

[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここ。]

 

 彼(かの)池の汀(みぎは)に行着(《ゆき》つく)とみえしが、蒼々(さうさう)たる一天に、黑雲(こくうん)、俄(にはか)に重(かさな)つて、冥々(めいめい)たり。

 玉《たま》か礫(つぶて)かと怪しむ雨、うつすがごとく、魔風(まふう)、岑(みね)より動謠[やぶちゃん注:ママ。]し、蒼波(さう《は》)、岸を洗ふ。

 愧(おそろし)なんども、いふ限なし。

 此紛(まぎれ)に、女は、池に入《いり》けり。

 くらければ、みる人、なし。

 蓑笠(みのかさ)の助(たすけ)もなく、歸るに、びんなければ、木の下(もと)、岩の陰に、風雨を凌(しのぎ)て、二時《ふたとき》斗《ばかり》、過《すぐ》るほど、漸々(やうやう)、空、はれ、風、治(をさま)り、各《おのおの》、池にのぞみて、波の上を見渡たすに、二度(ふたゝび)、形、みえずなりぬ。

 日を經て、

「若(もし)、死骸(しがい)斗《ばかり》や、浮(うかぶ)。」

と、人を置《おき》て、守らせけれども、衣服だにみえずなりけるとぞ。

「かゝる事は、傳へても、きかず、正(まさ)しく見しにぞ、一身、縮(しゞまり)て、おそろしく、淺ましき事に覺え侍る。」

と、みし人、かたられ侍り。

[やぶちゃん注:「玉《たま》か礫(つぶて)かと怪しむ雨、うつすがごとく」「うつす」は「バケツから移すかのようにドバっと降る」の意ともとれなくはないが、思うに「す」は衍字で「打つがごとく」の方が躓かないと思う。]

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