西原未達「新御伽婢子」 鷄恠
[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻四・五・六のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」を加工データとし、挿絵もそこに挿入された写真画像をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。なお、画像は小さく、しかも薄いので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のリンクも附しておく。
底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」「〲」は正字化或いは「々」とした。
注を文中及び段落末に挟んだ。]
鷄恠(にはとりのあやしみ)
若刕(じやくしう)に龜田江右衞門(かめた《がううゑもん》)とかや、いふ人あり。元來、遠州の武臣にて兵術に苦(くるし)み、軍理(ぐんり)に眼(まなこ)をさらしけるほどに、和漢の書に、くはしく、人、敬(うやまひ)て師範とす。
近昔(さいつごろ)より、病氣、心に不ㇾ任(まかせず)、御暇《おいとま》を申《まをし》、此所《ここ》に住(ぢう)する事、年、久し。
僕をして野(の)に耕(たがやし)て、渡世とすれば、今は、ひとへに農民のごとし。
此妻、孕(はらみ)て子を產(うむ)毎《ごと》に、いづくともなく、失せ行《ゆき》、誰(たれ)とりて行《ゆく》とも不ㇾ知(しらず)、五日、三日、若(もし)は、七、八日、其行《ゆく》所を不ㇾ求(もとめず)。
この故に、一跡(《いつ》せき)を繼(つぐ)べき子もなく、歎(なげき)くらす。
此妻、又、孕て、十月(とつき)、
「今日や、生れん、あすやは。」
と相待(《あひ》まち)けるが、
「又、此たびも、妖怪《やうくわい》のために取《とら》れなん事よ。」
と、其謀(はかりごと)を、衆義(しゆぎ)評定(ひやうじやう)するに、其比、眞言の奧旨《あうし》にわたり、いと、たうとき法印、修行のため、此国におはしけるを、招(まねひ[やぶちゃん注:ママ。])て、事の樣子をかたるに、此法印、
「哀《あはれ》なる事。」
に覺《おぼ》して、此家(いへに)、滯留(たいるう[やぶちゃん注:ママ。])ましまして、事の恠(あやしみ)をうかゞひ給ふ。
其翌日、產(さん)の心《ここ》ち付《づき》て、平產(へいざん)す。
是より、夜毎に、人、五、六人、皆、弓箭(くぜん)を帶(たい)し、とのひ[やぶちゃん注:ママ。]す。
此上座に、法印、珠數、つまぐり、眞言、唱へ、います[やぶちゃん注:ママ。]。
既に一七夜(《いち》しちや)に滿(みつ)あかつき、滿座、眠(ねふり)きざじて、不ㇾ忍(しのびず)、まろび臥(ふす)。
此時、天井より、恠(あやしき)物、ふりて、人々のいたゞきに、とまる、と、寢入る事、まへのごとし。
法印は、心身堅固に不ㇾ眠(ねふらず)、猶、光明眞言、たからかに唱(となへ)、座し給ふに、年の比、二十斗《ばかり》の女《をんな》、軒の窓より、飛入(とびいる)。
一身、かろき事、嵐《あらし》にちる雪(ゆきの)ごとく、產所ちかく、うかゞひ、よる。
[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここ。左の布団を重ねたものに凭れて寝ているのは、出産視した江右衛門の妻である。かくして寝ているのは、出産で体力を消耗していて、横になって寝ると、逆に気道が圧迫されて呼吸が苦しくなるからであろう。私の古い教え子の女子生徒に生来の喘息のため、生れてからずっと、この状態で寝て、「一度も横になって寝たことはありません。」と語ってくれたのを忘れない。]
此時に、呪文を唱へ、珠數を以て、打拂(《うち》はら)ひ給ふに、忽(たちまち)、鷄(にはとり)のかたちを顯(あらは)し、逃去(にげさり)ぬ。
江右衞門、鷄、飼《かひ》けるに、年々、卵を取《とり》ける。其いきどをり[やぶちゃん注:ママ。]、時を得て、かゝるふしぎを、なしけり。
法印、加持護念(かぢごねん)し、牛王(ごわう)など、柱に押《おし》給ひてより、此妖恠、出《いで》ず。
此子、生長して名跡(めうせき)を繼(つぎ)て、今に有《あり》とぞ。
[やぶちゃん注:この、鶏が人に、毎度、卵を食われることを怨み、時に人型を呈する妖怪と化すという話であるが、これに酷似した話を所持する本で読んだことがあった。一九八一年社会思想社刊の今野園輔氏の「日本怪談集 妖怪篇」(氏の同「幽霊篇」(昭和四四(一八六九)年刊)は私の怪奇談蒐集のきっかけとなった名著である)の「付(一) 妖怪外伝」中の一節である(二八八ページ)。引用させて戴く。
《引用開始》
『遠野物語』には猿のフッタチの話が出ている。フッタチとは老いて霊力を身につけたモノである。雌鶏のフッタチが家人に祟(たた)ったというつぎのような話は国学院大学の説話研究会が採集した岩手県下閉伊郡安家村[やぶちゃん注:「あっかむら」と読む。現在は下閉伊郡岩泉町(いわいずみちょう)安家(グーグル・マップ・データ)。遠野の北約五十キロ。]の報告に紹介されている。年をとった鶏はフッタチになって化けるそうだ。[やぶちゃん注:以下の一行空けは原本のママ。]
昔ある家に相当な雌鶏のフッタチがあった。その家にはいくら子供が生まれても不思議と育たなかった。ところで三人の子供のいる家にある日、六部様が泊って夢を見た。山姥(やまんば)みたいなモノが子供に椎餅を食わせるところだったが、その晩に三人の子供は三人とも死んでしまった。家の人びとは驚いて六部様に八卦(はっけ)を頼んだ。その六部様のうらないにはフッタチになった雌鶏が出て、
「いくら卵を生んでも人間がとって喰ってしまうので子供が育たない。だから私もその恨みに人間の子供を殺してしまうのだ」といった。(国学院大学脱話研究会『芸能』三―七)
《引用終了》
恐らく、西村も、この「雌鶏の経立(ふったち)」の話を誰かから、聴いて、本篇の素材としたものと思われる。卵を産むのだから、怨むのは雌鶏である。しかし、挿絵にたまさか出現している実体の鶏は雄鶏であるのは、絵に勢いが欲しかったからであろう。「遠野物語」の「経立」(岩手県・青森県に伝承される妖怪・魔物。複数の生物(私は動物しか知らない)が想像を絶する年月を生きた結果として変化(へんげ)となった(年「経」(へ)て変じて「立」(た)つの意であろう。或いは「立」は「達」のニュアンスもあるかも知れない)もので、青森県では「ヘェサン」とも呼ぶ)は、私の『佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 三六~四二 狼』、及び、『佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 四四~四九 猿の怪』を読まれたい。前者には、所持する千葉幹夫氏の「全国妖怪語辞典」(一九八八年三一書房刊「日本民俗文化資料集成」第八巻所収)からの引用もあるので、是非、参照されたい。]