西原未達「新御伽婢子」 血滴成小蛇 / 「新御伽婢子」巻三~了
[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻一・二・三のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」を加工データとし、挿絵もそこに挿入された写真画像をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。なお、画像は小さく、しかも薄いので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のリンクも附しておく。
底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」は正字化した。
注は文中や段落末に挟んだ。]
血滴成二小蛇一(ち したたり しやうじやとなる)
奧州の或《ある》侍、主君の供して、都にのぼり、とある宿(やど)に着《つき》て、日をかさね、住居(すまひ)ける。
比《ころ》しも、秋の半《なかば》なるに、月は、くまなき影ながら、古鄕(ふるさと)は遠く隔りて、わするなよ、といひし思ひ妻も、雲のあなたにと、おもふにぞ、昔、安部の仲麿の、唐(もろこし)に渡りて、「三笠の山に出《いで》し月かも」と、詠(ながめ)てしなど、思ひめぐらして、枕さびしきひとりねに、古鄕の文とて、持來(もてき)ぬ。
黑過(くろみ《すぎ》)て、さまざま、書《かき》こしける中に、
わがせこを都にやりて塩竃(しほがま)の
笆(まがき)かしまの松ぞこひしき
とあるにぞ、猶、都には、住《すみ》わびける。
折しも、杉戶一重の(すぎと《ひとへ》)あなたに、爪音(つまおと)、しめやかに、しのびごまして、さうが、しほらしく聞えけるを、
『誰(た)そや。此ふすまのあなたに音するは。』
と、問はまほしく思ひながら、
「心ならで、行《ゆき》かよふ道もなく、問(とひ)よる便(よすが)もがな。」
と、耳をそばだてゝ、聞居(《きき》ゐ)たり。
さる折から、下つかへの女の、みえしを、うれしくて、招(まねき)よせ、
「此琴のあるじは、たそ。」
と、とふ。
「こざかしきものから、あれは、此家の独(ひとり)むすめにて侍る。年は二八《にはち》に、ひとつ、あまり給ふ。容色、うるはしく、心、又、情(なさけ)の深き事にて侍るを、聞《きき》知る人、多《おほく》いひかよはせ侍れど、親なん、はやく、ゆるしさぶらはねば、ひとり身にて、をはす。」
と、とはず語り迄、口《く》どくいひ、捨(すて)て立《たち》歸らんとするを、此東男(あづまをとこ)、かの女の袖を、ひかえ、
「なふ、その事よ。我ながら、恥かしけれど、此息女(むすめ)の事を、はや、疾(とく)聞《きい》て侍る故、遙(はるか)に遠きみちのくに、思ひは、ちかの鹽がまの煙の末の立《たち》まよひ、こがれて、爰に、のぼりし。哀《あはれ》を添(そへ)て、たび給へ。」
と、かきくどくに。下女は、よしなき物がたりに、
『むつかしき事の侍るかな。』
と思ひながら。一向(ひたすら)にせめければ、是非なく、事を請(うけ)あひぬ。
男、嬉しくおもひ、何とも、言葉の色は、なくて、
うちはへてくるしきものは人目のみ
しのぶの浦のあまのたくなは
と、うすやうのかうばしきに書《かき》て、下女に、わたす。
[やぶちゃん注:「しのびごま」「忍び駒」。三味線の駒の一種。脚の部分が長く、その両端を胴の縁(ふち)に掛けて用いる。弦の振動が胴皮に伝わらないので、弱音になる。
「さうが」よく判らぬ。「奏が」(弾きざまが)の意かとも思ったが、歴史的仮名遣は「そう」で一致を見ない(但し、本書の歴史的仮名遣は異様に誤りが多い)。「箏が」(この時代は既に琴と同義)とも読めるが、とすると、前の「忍び駒」と齟齬する。しかし、ここは三味線ではなく、琴(箏)がシークエンスとしては相応しいとは思う。しかし、私の妻は六十年に及ぶ琴の名手であるが(五歲から始め、一時は本邦初の邦楽研究所第一期生ともなった(修了直前に中退))、琴自体がもともと、音が小さいので、そのような装置は私は知らないとのことであった。識者の御教授を乞う。
「二八に、ひとつ、あまり給ふ」十七歳。]
女、是を懷(ふところ)にして、人めの隙(ひま)をうかゞひ。娘に渡(わ)たす[やぶちゃん注:ママ。]。
何心なく、ひらきみて、㒵(かほ)、打《うち》赤め、
「恥かしや。自(みづから)が、年のはたちに近き迄、ひとり起居《おきゐ》のつれづれを、物うき事に思はんとの、心引《こころひき》みるつま琴(こと)の音《おと》に立(たつ)名(な)をなげゝとや。」
と。つれなく、下女に返しければ、侍に、
「かく。」
といふに、猶、絕(たゆ)べくもあらず、さまざまに、いひかよはす。
女も、今は、心、よはく、
みちのくのしのぶのあまのたく縄の
たえずも人のいひわたる哉
と、讀《よみ》て、返しにせしかば、人しれぬ中《なか》となり、逢迄(あふまで)の命もがなと、思ひしも、悔(くやし)き迄に打《うち》とけて、かはらぬいろを、たのみあひけり。
然るに、限りある鴻臚(かうろ)のならひ、主君、都をたち給ふに、男も同じ東路(あづまぢ)のみちのくにまかるに、女、別れを悲しみて、
「ともに、東に下らん。」
といふに、男、爲方(せんかた)なくて、いふ、
「されば、我もくるしきに、主命(しうめい[やぶちゃん注:ママ。])、重きとがめにて、女をつるゝ事、かたし。我國に下らば、近く、迎(むかひ)にのぼすべし。相《あひ》かまへて、待《まち》給ヘ。」
と、いたう、諫(いさめ)て、下りぬ。
[やぶちゃん注:「鴻臚」本来は中国の官職名で、外国からの来賓の応接を担当した職を指す。後に日本古代の官立の迎賓館「鴻臚館」の名称となったことから、ここは上洛した主君の付添役の意に転じたものだが、私にはあまりピンとこない。]
男、此事を忘るゝにては、なけれど、本妻なるものゝ、たけく嫉妬する事を恐怖《おそれ》て、迎(むかひ)の事を捨置(すて《おき》)ぬ。
都の女、戀佗(こひわび)て、まつとしきかばと僞(いつはり)し、昔の世まで思ひ出の、恨(うらみ)の數(かず)の事しげく、文《ふみ》、認(したゝめ)て下《くだ》しける。
男、是におどろき、
「さりとも、今は、怖(おそろし)や。若《もし》、國の妻(つま)なんど、露(つゆ)斗《ばかり》知るならば、いかなる恥をか、かさねん。さりとて、人をのぼさずば、自(みづから)爰に來(く)る事もあり。所詮、むかひをのぼし、道にて討(うつ)て捨(すて)ん。」
と、下部(しもべ)弐人《ふたり》に、
「しかじか。」
と、いひ含(ふくめ)、都に、のぼす。
[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここ。]
使(つかひ)、かしこにつけば、女、よろこび、取あへず、下りぬ。
或《ある》舟渡しの川中《かはなか》にて、女、船ばたにのぞみ、手、あらふ、と見えし。
中間《ちゆうげん》弐人、うしろより、あへなく、首を討(うち)をとせば[やぶちゃん注:ママ。]、むくろは、船に有《あり》ながら、首(くび)は波間に浮沈(うきしづ)む。
件(くだん)の刀(かたな)を拭(のご)はんとするを、今、壱人《ひとり》の中間、押《おし》とめて、
「汝、国に歸り、何を證據に、『討《うつ》たる。』といふや。」
と、いへば、
「尤《もつとも》。」
とて、血刀(ちがたな)を、鞘《さや》におさめ、国に下る。
主人に、事のよしを申《まをし》、件(くだん)の刀を渡す。
「何と、最後は、いかゞ有《あり》し、いしくも、能(よく)仕(し)まひし。」
などいひて、刀を拔(ぬき)みるに、頸きつて、十余日《じふよにち》になる刀、鞘より、やすやすとぬけ、きつさきより、鍔(つば)もとへ、血の滴(したゞ)ると、みえし。
忽(たちまち)、ひとつの小蛇(しやうじや)と成《なり》て、男の頸(くび)にまとひつく。
取《とつ》て捨(すて)んとするに、不ㇾ叶(かなはず)。
痛(いた)め、くるしむる事、間《ひま》なし。
本妻、此由を聞《きき》て、蛇にむかひ、さまざま、恥(はぢ)しめ、訇(のゝしる)に、おもはゆくや、在《あり》けん、皮一重(かはひとへ)下《した》に入《いる》とみえしが、口より、火烟《くわえん》を吹出(ふき《いだ》)し、晝夜、隙《ひま》なく、くるしめ、終《つひ》に、男を、取《とり》ころしぬ。
ことはりながら、おそろしき怨念には、ありける。
新御伽卷三
[やぶちゃん注:この妖蛇、身体の皮膚の一皮下に潜り込んだのである。あたかも恐ろしいヒトに日和見感染をしたある種の寄生虫の幼体(鉤虫の一種であるアンシロストーマ属Ancylostoma)が、皮膚の下を蠢くのが確認出来る「エイリアン」レベルの気味の悪さだ(これは医学的には「皮膚幼虫移行症」と呼ぶ。私の「生物學講話 丘淺次郎 一 個體の起り」の「微細な幼蟲が人間の皮膚を穿つて體内に入込んで來るものもある」の私の注を参照されたい)。しかし、前振りがやや退屈に長い分、このエンディングはなかなかに、キョワいぞ!!!]