西原未達「新御伽婢子」 後世美童
[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻一・二・三のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」をOCRで読み込み、加工データとし、挿絵もそこに挿入された写真画像をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。なお、画像は小さく、しかも薄いので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のリンクも附しておく。
底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」「〲」は正字化した。漢文脈部分は返り点のみ附したものを示した後に〔 〕で訓読文を示した。
必要と思われる語句について、段落末に注を附した。なお、標題の「後世」は「こうせい」と読んでいるものの、これは「ごぜ」で、遂に添うことの出来なかった、この二人を、せめても後世(ごぜ)で生まれ変わって結ばれるようにと、作者が添えたものででもあろうか。]
後世美童(こうせいのびどう)
或國主の小扈從(こごしやう)に「何某(なにがし)の菅(すげ)の丞《じやう》」といふあり。
御城下に吉四郞とかやいふ、賣人《ばひにん》の子、彼《かの》扈從に訓初(なれそめ)て、人しれぬ兄弟(きやうだい)の約(やく)をなし、比翼、なを、あかず、連理、古しと、相機關(あひかたらふ)。
[やぶちゃん注:「小扈從(こごしやう)」「子小姓」に同じ。しばしば主君の若衆道の相手とされた。
「賣人」商人(あきんど)。]
[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここ。左の用人と奴二人を引き連れている二本差しは若き国主で、彼らの後にいるのが、「菅の丞」、その後ろの城の御壕の傍に彳んでいるのが、吉四郎であろう。]
去共《されども》、家中法度(はつと)の衆道(しゆ《だう》)なれば、白地(あからさま)には、あひ見る事なく、只、蜜々(みつみつ)[やぶちゃん注:ママ。]の戯(たはふれ)なり。增而(まして)、城中に行(ゆき)て、こととふ事、かたし。
然るに、此菅の丞、衣更着(きさらぎ)の始《はじめ》より、心神(こゝち)、煩(わづらは)しく、絕《たえ》て吉四《きちし》に疎(うと)かりけり。
[やぶちゃん注:「衣更着(きさらぎ)」如月。二月。]
吉四、斯(かく)と忍聞(ほのぎゝ)て、あるにもあらず、悶(もだゆれ)ども、爲方(せんかた)なくて、臥沈(ふししづみ)、思ひやりたる悲しさは、見る歎きより、つらかりけり。
去程《さるほど》に、菅の丞、嵐の前の花鬘(はなかづら)、末の心のむすぼゝれ、ひとひ、ひとひに言甲斐(いふかひ)なく、ながらふべくも見えざりしが、終《つひ》に、其月の後の二日に、息絕(いきたえ)けり。
吉四、此事を聞しより、罔然(ばうぜん)として、あきれ居る。
照りもせず、曇もはてぬ。といひし朧(おぼろ)の月、庭の種(くさ)にやどりて、氣色(けしき)、物あはれなるに、吉四、ありし昔を思へば、親の諫(いさめ)、世訕(よのそしり)をつゝむにも、且(かつ)は、
「嬉しき君が爲と思ひしも、それさへ仇(あだ)に成《なり》ける。」
と、或は歎き、或は詢(くどひ)て、寢(いね)もやらず、やるかたなきまゝ、壁にむかひて、去《いに》し每(いつ)、逢見《あひみ》し數《かず》を、爪折(つま《をり》)て、夢とも幻(うつゝ)ともなく、眠居(ねふり《ゐ》)る。
さる折しも、菅の丞、もとの質(すがた)を其まゝに、卒然として、座(ざ)したり。
吉四、うれしく、
「是、抑(そも)、いかに、懷敷(なつかし)や、いつはりのなき世なりせば。」
と、いひし。
「今、我が身には入間川(いるまがは)、あはれに消しと聞えしは、人の言葉のあだなりし。こなたへ。」
とて、袂(たもと)を取《とり》て引《ひき》ければ、まさしく、ありし俤(おもかげ)の、雲となり、雨となり、いづくともなく絕果(たえはつ)る。
されども、ひかえし袂は、ちぎれて、手にぞ、殘りける。
不思義にも、悲しくて、其行方《ゆくへ》を求(もとむ)るに、二度(ふたゝび)、歸る姿、なし。
「よしや、惡(にく)きは命(いのち)也《なり》。おくれて每(いつ)を期(ごす)べき。惟(おもふ)に、生者必滅(しやうじやひつめつ)の粧(ならひ)、『論ㇾ命江頭不ㇾ繋船』〔命(めい)を論ずれば 江(え)の頭(ほとり)に繋がらざる〕と作りし風前の燈(ともしび)、猶、危《あやふ》し。今、ありとても、つゐに行《ゆく》、獨(ひとりの)黃泉(よみぢ)、覺束(おぼつか)なし、罪障(ざいしやう)の山、足をそばだて、生死(しやうじ)の海(うみ)、手を引《ひき》て越(こえ)なん。」
と獨言(ひとりごとし)て、ありし袂を、引よせ、
身にあまるなみだの雨をおぼへとや
戀しき人の袖を添ふらん
と書《かき》て、終《つひ》に自害し終りぬ。
哀(あはれ)成《なり》し事共也。
[やぶちゃん注:以下は、底本では全体が三字下げで、字も小さい。]
此事は、井崎新右衞門といふ人、此歌、書《かき》たる袂を見たるよし、かたられ侍る。
[やぶちゃん注:「入間川」ルビは「西村本小説全集 上巻」では、『いりまがは』となっている。しかしどうも、落ち着かない感じがして、底本の当該丁を拡大して見たところ、「入」の第二画の末に読みの二字目が掛かっているのだが、それは、その末部分で左に一回転していると私は判読した。とすれば、これは「利」の崩しの「り」ではなく、「留」の崩しであると断じ、「いるまがは」とした。]
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