西原未達「新御伽婢子」 幽㚑討ㇾ敵
[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻四・五・六のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」を加工データとし、挿絵もそこに挿入された写真画像をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。なお、画像は小さく、しかも薄いので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のリンクも附しておく。
底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」「〲」は正字化或いは「々」とした。(*/*)のルビは右/左の読みを示す。漢文脈部分は返り点のみ附したものを示した後に〔 〕で訓読文を示した。
注は文中や段落末に挟んだ。]
新御伽 卷五
幽㚑討ㇾ敵(《いう》れい、かたきをうち)
西國の内、いづくとやらん、所は聞《きき》忘れ侍る。
飯尾何某といふ士、有《あり》。岡沢誰《たれ》とやらんと、途中におゐて[やぶちゃん注:ママ。]、不慮の口論を仕出(し《いだ》)し、互に惡口の上、既に討果(うちはた)さんとせしを、大勢、取扱(《とり》あつかひ)て押《おし》わけたり。
理非をいはゞ、飯尾は、智謀、兼備(かねそなへ)て、堪忍(かんにん)を宗(むね)とし、岡沢は血氣の勇者にて、しかも憶病也。早く刀を拔(ぬき)たれ共、人なき間(ま)に切付《きりつけ》ず、大勢を見かけて、
「募(つのり)たり。」
と、人口(じんこう)にかゝりければ、無念にや在(あり)けん、人をして、飯尾を闇討(やみうち)にしけり。
[やぶちゃん注:「募たり」ちょっと話の運びとしては圧縮し過ぎである。止めに入ることになる「大勢」の中の誰かが、臆病な岡沢の癖に、というニュアンスをもって、「あいつ、きちまってるな。」と呟いたのであろう。それで、やおら抜刀したものの、その大勢に、止めに入られた結果、それらを「無念」に思ってか、卑怯にも人に頼んで、飯尾を闇討ちにした、というのである。]
暫(しばし)は知れざりけれども、のちのち、それと沙汰しぬ。
飯尾が妻、夫の討れたる時、懷胎したるが、父が死後に生れて、男子なりければ、名を「鬼七郞」と呼(よぶ)。
襁褓(きやうばう/むつき)の内より、此母、子にかき口說(くどき)て云《いはく》、
「汝が父は岡沢が爲に討れて、世になし。早(はやく)生長(ひとゝなり)て、敵(かたき)をとり、尊㚑(そんれい)に手向(たむけ)よ。」
と。
過行《すぎゆく》月日、送り寄(よせ)て、鬼七、十四歲に成《なり》けり。
過《すぎ》こし年月も、只、其事斗《ばかり》を、いひ聞《きか》せ、竹馬に鞭打《うつ》比《ころ》より、只、兵術を稽古けるに、其年よりは、をそろしく[やぶちゃん注:ママ。]、敢(あへ)て討損(うちそんず)べくもなし。
「來年、十五にならば、必(かならず)、敵(てき)の屋敷へかけこみ、一太刀、恨(うらみ)よ。」
と、いひければ、武(たけ)き母が介抱に、いとゞ、すゝみ、勇むで、母にいふやう、
「來年を待《まつ》こそ、遠く侍れ。雷光朝露(でんくわうてうろ)のたのみなき命(いのち)に、ながゝらん月日を、むなしく待《まち》つけ侍らんは、おぼつかなし。我、わかくして、しか也《なり》、敵(かたき)の、さかり過《すぎ》たるを、あんあんとまもり居《をら》んに、若《もし》、病死をせしなどゝいはば、悔(くゆ)とも、益なからん。唯、思ひ立《たつ》時、速(すみやか)に屋敷にかけこみ、討(うち)申さん。」
と、いさむに、母、甚(はなはだ)喜び、
「いでや、敵(かたき)は、用心、きびしくて、容易(たやすく)いらん事、かたかるべし。方便(てだて)を以て討(うた)せん。」
と、是彼(これかれ)、思慮をめぐらす程に、其比《そのころ》、西國、疫癘(えきれい)はやりて、人數《にんず》を盡して、死す。鬼七も此病に臥(ふし)けるが、發病より九日といふに、空(むなしく)成《なり》ぬ。
母、もだへ、こがれて、喚(さけべ)ども、甲斐なし。
せめて、なきがらに、むかひ、なくなく、口說《くどく》やう、
「常に、汝にいひ聞せたる事、草の陰にても、忘るゝ事なくば、一念をはげみて、敵(かたき)の命をとれ。相《あひ》かまへて、忘失(ぼうしつ)せば、ふけうするぞ。此太刀は、汝が父の重寶(でうほう[やぶちゃん注:ママ。])にて、汝、存命の時、常に持《もた》せ侍り。今、此棺に、納(をさむ)るぞ。」
と、齒をかみて、淚にむせぶさま、
「理《ことわり》ながら、女にては、余(あまり)なれば。」
と、人、舌をまきて、をのゝく。
其後、或夜、更(ふけ)て、大崎何がしといふ人、所用ありて、彼《かの》岡沢が表を通りしに、十四、五なると見えし少人(しやうじん)、大崎に向(むかひ)て、いふ、
「某(それがし)は、去(さる)屋敷に仕(つかふ)る者にて侍る。主人なる奧方、物恠(ものゝけ)にいたはり侍る。巫(かんなぎ)の申《まをし》侍るは、『此寢所(しんじよ)より、艮(うしとら)にあたりたる家の、屋札(やふだ)を取《とり》て、病人に載(いたゞかせ)よ。』と申すに、折節、傍(そば)に有合(ありあひ)、此使(つかひ)に當(あた)るに、夜陰(やいん)にて、物の色、あひ安定(さだか)ならず、幸《さひはひ》、そのかたに、一僕(《いち》ぼく)を召《めし》、灯燈《ちやうちん》を持《もた》せ給へば、借(かり)參らせ度(たく)侍る。病(やまひ)、癒《いえ》ば、君《くん》の御厚恩にこそ。」
と、詞(ことば)をたれていふに、大崎、
「容易(いとやすき)事なめり。火を借(かす)迄もなし。それ、札、まくりて得させよ。」
と、いへば、僕、ふりたてゝ、
「めりめり」
と、とると見えし。
「忝(かたじけない)。」
と一禮したるが、いづち行《ゆき》けん、不ㇾ知(しらず)。
「何樣、狐のたぼらかしけん。」
など、主從、笑ひゐるに、彼(かの)屋敷の内、物騷(《ものさはがしく》、聲高(こゑだか)に、
「只今、夜討(ようち)入《いり》て、主人を害せし。出《いで》あへ。」
と、よばわる。
[やぶちゃん注:「屋札」この場合は、神仏の守札を指す。]
[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここ。]
大崎、驚き、
「かゝる所に長居し、罪をふわざも有《あり》なん、『瓜田不ㇾ納ㇾ履、李下不ㇾ正ㇾ冠。〔瓜田(くわでん)に履(くつ)を納(い)れず、李下に冠《かんむり》を正さず。〕』とこそいへ。」
と、足ばやに、のきぬ。
三丁[やぶちゃん注:約三百二十七メートル。]斗《ばかり》行《ゆき》て、ほそく流れたる河あり。
彼(かの)少人、又、爰《ここ》に在《あり》て、血、つきたる太刀を、水に洗ふ。
大崎を見て、いふやう、
「只今の報恩、申すも、中々、言語(ごんご)に絕《たえ》たり。我は、當庄(しやう)飯尾何がしが悴、鬼七郞。能(よく)覺え給《たまふ》べし。此岡沢は、年來(ねんらい)の親の敵(かたき)なる事、擧ㇾ世(よ、こぞつて)知る所也。我、不幸にして、早世す。一身の妄執のみか、母にも、いたく諫(いさめ)られて、魂、爰に立歸《たちかへ》り、思ひの儘に討(うち)をほせぬ[やぶちゃん注:ママ。]。願(ねがはく)は、君、迚(とても)の情(なさけ)に、母に、此事、語りて給《た》べ。自(みづから)參侍らんが、司錄神(しろくじん)に申せし暇(いとま)の限(かぎり)、近ければ、又、黃泉(よみぢ)に歸る也。」と、頸(くび)と刀を、大崎に渡し、跡かたなく消(きえ)ぬ。
[やぶちゃん注:「司錄神」」地獄の裁判に於いては「司命(しみょう)」と「司録」という書記官が必要な実務処理を担当する。現世での堕獄した者の行いを漏れなく記し、閻魔王を始めとする十王の各冥官の判決文を録する。]
大崎、奇異の思ひをなし、母に是(これを)授(さづく)るに、母、嬉しき顏ばせにて、語る。
「此太刀は、父が死して後に、此子、身を放さず持《もち》しを、罪ふかき事ながら、『一魂、歸りて、敵(かたき)を取れ。』と、せみやうし、棺の内に入(いれ)たりしが、扨《さて》は。終《つひ》に、此太刀にて、討けるよ。」
と、且は、喜び、且は、歎(なげき)て、淚を流しけるが、是より、妄執はるけければ、則(すなはち)、尼に成《なり》て、妻子の菩提を弔(とひ)けるとぞ。
[やぶちゃん注:「せみやう」訝しいが、「宣命(せみやう(せみょう))」か。しかし、これは、天皇の命令を伝える文書の一形式であって、おかしい。
「妻子」この「妻」は「夫」の意。]