西原未達「新御伽婢子」 蟇㚑
[やぶちゃん注: 底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」をOCRで読み込み、加工データとした。本篇には挿絵はない。
底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」「〲」は正字化或いは「々」とした。漢文脈部分がある場合は、白文で示した後に〔 〕で訓読文を示した。
必要と思われる語句について、段落末に注を附した。]
蟇㚑(ひきの《りやう》)
伊勢の桑名の町に有得なる人の子、六つになれる歲、前栽(せんざい)の花畠(はなばた)に出《いで》て、遊び居(ゐ)けるが、草の葉陰に、蟇の居けるを、捕(とらへ)て、石にのせて、同し石を持《も》て打ひしぐ。
傍(かたへ)に妻蟇(めかへる)あつて、是を見、苦しき聲を出《いだ》し、鳴悶(なきもだゆる)事、喧(かまびす)しく、其聲、方壱町(はう《いつちやう》)[やぶちゃん注:百九メートル九センチ四方。]に響(ひゞき)渡りし。去共(され《ども》)、此《この》児(こ)、斯(かゝる)哀(あはれ)を思ひもしらず、終に、たゝき殺し、捨(すて)けり。
是を見て、妻蟇も、忽(たちまち)、所を去らず、鳴死(なきしゝ)けり。
乳母も、そひ侍りしが、情(なさけ)しらぬ者にや在劔《ありけん》、助救(たすけすくふ)事もなかりし。
其後《そののち》、此兒、門(かど)の外に出て、友に交り、遊び居けるが、俄(にはか)に戰慄(わなわなとふるひ)て、驚(おどろき)、なき入《いり》けるを、かきいだき、内に入るゝに、喚叫(うめきさけび)、泡を吹《ふき》、汗を流し、さまざま、苦(くるしみ)けるを、父母(たらちね[やぶちゃん注:二字への読み。])、悲(かなしみ)、老醫(らうい)・鍼醫(しんい)を招(まねき)、療するに、效(かう/しるし)もなく、半時(はん斗《ばかり》して、悶絕(もだへしゝ)けり。其《その》病腦(びやうなう)の枕もとに、大き成《なる》蟇、二つ、幻(うつゝ)のごとく跪(つくばふ)て居けるを、そこに行《ゆき》し醫師の、正に見けるよし、物がたりせられし。
[やぶちゃん注:以下は、底本では全体が三字下げで、字も小さい。]
凡(およそ)、蟇は、ひとつの靈蟲にて、物の妖恠《えうくわい》をふせぐにも、蟇目(ひきめ)といふ物をならす時、おそれて、退去す。わきて、聲のすぐれたる事、宮(キウ)・商(シヤウ)・角(カク)・徵(チ)・羽(ウ)の五音《ごいん》にもこえ、十二調子(てうし)にもはづれ、音樂、糸竹(しちく)にも、のらぬ物とぞ。方一町に、ひゞきたる事、さも有べし。昔、少《わかき》沙彌(さみ)が蟻(あり)の河水(かすい)におぼれて死なんとせしを、すくひ助(たすけ)たるに、定業《ぢやうがふ》の命(いのち)のびたるは、此童子に、雲泥のちがひ、あり。助る迄こそ、なからめ。非業《ひごふ》の命をとらぬ迄の心、大人《おとな》は、自(みづから)も辨(わきま)へ、小児《こども》には、おしへしらしめん事也かし。
[やぶちゃん注:「西村本小説全集 上巻」では、評言の最後の一文中の「非業」を「兆業」と活字化しているが、先行する底本の本巻中の「非」の字は、ここの崩しと、全く同じである。
「蟇」博物誌は「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蟾蜍(ひきがへる)」の私の注を参照されたい。
「蟇目」朴(ほお)又は桐製の大形の鏑(かぶら)矢。犬追物(いぬおうもの)・笠懸けなどに於いて射る対象を傷つけないようにするために用いた矢の先が鈍体となったもの。矢先の本体には数個の穴が開けられてあって、射た際にこの穴から空気が入って音を発するところから、妖魔を退散させるとも考えられた。呼称は、射た際に音を響かせることに由来する「響目(ひびきめ)」の略とも、鏑の穴の形が蟇の目に似ているからともいう。
「宮(キウ)・商(シヤウ)・角(カク)・徵(チ)・羽(ウ)の五音」「ごおん」とも読み、「五聲」(ごせい)とも言う。中国由来の音楽理論用語。一オクターブ内の五つの音からなる音列(五音音階)のこと。下から順に宮(きゅう)・商(しょう)・角(かく)・徴(ち)・羽(う)と呼ぶ。徴の半音下の変徴(へんち)、宮の半音下の変宮(へんきゅう)を加えたものは「七声」と呼ぶ。各音の相対的な音程関係は、西洋音楽での「ド・レ・ミ・ソ・ラ」に等しい。日本の古代及び中世の音楽理論では、中国の理論で言うところの「五声」を「呂(ろ)の五声」とし、そのほかに「律の五声」を設け、その場合の音程関係は「ソ・ラ・ド・レ・ミ」に等しくなるとした。近世以降の音楽種目では、理論上の五声の各音の名称は、音程関係を示す階名としてよりも、音階中の順位を示す語として使用されるようになった(平凡社「百科事典マイペディア」に拠った)。
「少沙彌が蟻の河水におぼれて死なんとせしを、すくひ助たるに、定業の命のびたる」「比喩経」に記されている説話。未だ僅かに八歳の若き修行僧の寿命が七日しかないことを師は知っていた。少年僧は「両親が淋しがっているので、里帰りをして、八日後に戻ってきます。」と師に告げて暇乞いした。八日後に彼は戻ってきたが、至って元気であった。驚いた師が、それとなく話を聴くと、里からの途次、大雨が降り出し、そこあった蟻の巣に雨水が流れ込みそうになっていたのを見て、彼は急いで雨水を土で塞ぎ、一千匹以上の蟻の命を救ったことが、彼の寿命を八十歳まで伸ばしたというもの。]