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2022/09/21

西原未達「新御伽婢子」 死後嫉妬

 

[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻一・二・三のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」をOCRで読み込み、加工データとし、挿絵もそこに挿入された写真画像をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。なお、画像は小さく、しかも薄いので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のリンクも附しておく。

 底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。(*/*)のルビは右/左の読みを示す。

 注は文中や段落末に挟んだ。]

 

      死後嫉妬(しごのしつと)

 河刕に或人の妻、久しく、いたはりて、身まかりぬ。

 本願寺の門徒成《なり》ければ、時の御堂衆(《みだうしゆ》の一老、法敎坊を始(はじめ)、其外、あまたの僧衆を、都より請待(しやうだい)し、明晝《あくるひる》、野邊(のべ)に送らんと、元來、冨祐(ふ《いう》)の人なれば、葬礼の義式、他に異(こと)に、美をつくして經營す。

 其宵(よひ)、各《おのおの》、此家に泊り明かしぬ。

[やぶちゃん注:「法敎坊」不詳。]

 佛前に亡者をなをし[やぶちゃん注:ママ。「正しくおき直す」で「なほし」が正しい。]、其一間に、僧衆《そうしゆ》、各、寢(いね)たり。

 夜、いたう更入(ふけ《いり》)、閑(しづまつ)て、小雨(こさめ)、一《ひと》とをり[やぶちゃん注:ママ。]、風、そよめきて、物すごき比《ころ》、此棺郭(くわん《くわく》)、動(うごく)事、暫(しばし)して、亡者、忽(たちまち)、あらはれ出《いで》て、佛前の御(み)あかし、其外、其間(ま)の燈(ともしび)どもを、皆、吹(ふき)けちて、くらくなしぬ。

[やぶちゃん注:「棺郭」「棺」桶と、それをさらに外側から囲む「郭」、構造物や外側の容器部分を指す。ここは、棺桶そのままではなく、外側に別に設えた外装容器があったことを指す。言われてみると、以下の挿絵の棺桶は、内側に円状に組んだ棺桶板が見えるが、外側は、あくまで、つるんと、している。則ち、棺桶を、より大きな樽状の入れ物の中に入れて、蓋がしてあることが判然とする。]

 衆僧(しゆそう)、旅に疲(つかれ)、能(よく)寢入(ね《いり》)て、知らざりしを、同宿(どうじゆく)の僧、ひとり、始終を見居(ゐ)たれども、餘りの怖しさに、息をも、たてず、まして、聲をあぐる事、なし。

 かくて、晨明(あけがた)になる時、亭主、用の事ありて、箱の鎰(かぎ)を尋《たづね》ければ、從者共のいふ、

「其鎰は、召つかひの『りん』が帶に付《つけ》て、居(ゐ)侍り。」

とて、名を呼(よぶ)に、出《いで》ず。

[やぶちゃん注:「箱の鎰」金箱の鍵であろう。それを侍女が帯につけて持っているという設定自体が、既にして主人と、この女の関係が、家内に於いて、ただならぬものであったことが、臭ってくる仕掛けである。]

 ねやに入《いり》て、尋《たづね》ければ、頸(くび)は失せて、體(むくろ)斗(ばかり)殘る。

「こは、いかに。」

と驚き、騷ぎ、

「何ものゝ所爲(しよゐ)ぞ。」

と、取紛(とりまぎれ)たる中に、又、此事を、騷動す。

[やぶちゃん注:ここも主人自らが、侍女の部屋に入ること自体が、普通でない。番頭なりに起こしに行かせればよい。それをなにごともないかのように入るところ自体が、二人ができていることに他ならない。なお、図で、居間の脇に「りん」が寝ていることになっているが、これは挿絵上の節約のためで、ただ一幅の上下で鴨居で切って描いたに過ぎない。若い僧らの隣りに、襖一つ隔てただけで侍女が寝ること自体が、あり得ない。なお、さらに言えば、この挿絵は、本文に語られない、闇の中で行われた「りん」の首の引き抜いた後と、その生首を摑んで、してやったりと喜悦する亡き妻の凄まじいシーンをカップリングしたものだが、やはり、変則的な上下合成が、逆に、違和感を感じさせる。上部の雲形を半分に減らし、中央の鴨居を横水平ではなく、極少し斜めに渡せばよかったと私は思う]

 

Sigonosituto

 

[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここ。]

 

 爰に其宵、能(よく)したゝめたる棺郭の、繩、ちぎれ、蓋の、高くあきたるに、各《おのおの》、よりて、是を見れば、彼(かの)亡者、りんがくびを、引《ひき》ぬき、たぶさを、つかみ、指(さし)上《あげ》、嗔(いか)れる眼(まなこ)を、見ひらき、生(いけ)るがごとくして、死居《しにゐ》たりけるこそ、淺ましけれ。

 後々(のちのち)、此子細を聞(きく)に、亭主、此召つかひの「りん」に目をかけける、とて、日比《ひごろ》、恨(うらみ)、いきどをり[やぶちゃん注:ママ。]、おそろしき迄に、嫉妬が其思ひに煩(わづら)ひて、むなしく成りし。

 罪障、なを[やぶちゃん注:ママ。]殘(のこり)て、死後に恨《うらみ》を報(むくひ)けむ。怖しき事どもなり。

 此事、法敎坊、直(ぢき)の物がたりとて、京の檀主(だんしゆ)の、かたられ侍る。

[やぶちゃん注:これもつい先頃、当事者の一人に等しい偉い僧から、直談として聴いた出来立ての「噂話」という体裁をとっている。本書の著者西原一郎右衛門未達(みたつ)は京の書肆にして作家なわけであるから、所謂、「都市伝説」(urban legend)の際たる設定と言えるのである。]

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