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2022/09/06

多滿寸太禮卷第七 萬石長者の事

 

[やぶちゃん注:基礎底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこれPDF・第七巻一括版)。挿絵は国書刊行会「江戸文庫」版の木越治校訂になる「浮世草子怪談集」のそれをトリミング補正して、適切と思われる箇所に挿入した。]

 

多滿寸太禮卷第七

        萬石長者(まんごくちやうじや)の事

 中比(なかごろ)、安藝の宮嶋のほとりに、一人の、さすらへのはて、あり。何某(なにがし)の入道とかやいひて、いと、やむ事なき人なりしに、父は朝家(てうか)に不孝(《ふ》かう)の事侍りて、かの國に移されて住み佗びしに、獨りの娘あり。容顏、ならびなく、美麗なりしかど、いかなる杲去(くわこ)の宿業《しゆくごふ》にや、言(ものい)ふ事なくて、瘖(おし)にてなむ有ける。

[やぶちゃん注:「中比」あまり遠くない昔。室町・戦国辺りの設定か。

「杲去(くわこ)」ママ。「杲」は音「カウ(コウ)」で、「明らか」・「高い」の意であり、「過」の意はない。思うに、この字、上下を反転させると、「杳」(音「エウ(ヨウ)」)の字となり、この字ならば、「影も見えないほど遠いさま」となり、「遠く過ぎ去った過去世」の意ととることは可能。但し、「杳去」で「過去」の意はなく、「杳(えう)として去りて」などの文脈などでしか使用例はない。

「瘖」で仮に表示したが、底本では(やまいだれ)の中に「亜」に似た字体である。これは恐らく「唖」を、かく造字したものと思われる。以下、この字で通した。]

 父の入道も、本意(ほい)なき事に思ひて、

「かゝる異樣(ことやう)なる者、人に見すべきにもあらず。」

と、とし月を送るに、父母さへ、うちつゞきて失せにしかば、たより、なぎさの捨小舟(すて《お》ぶね)、よるべもあらぬ身のさまを、めのとの女房、かひがひしく養育しける。

 朝(あした)には、孤舘(こくわん/はなれや[やぶちゃん注:右/左の読み。以下同じ。])にゐて淚をながし、暮れには、孫庇(そんひ/まごびさし)に、はらわたを、たつ。

[やぶちゃん注:「孫庇」寝殿造りなどで、母屋から出ている庇を付けても、なお、居住空間が足りない場合、さらにそれに継いで添えた庇を言う。「またびさし」とも。]

 かゝりしほどに、同じほとりに、滋野某(しげのゝなにがし)といへる武士あり。嫡子、十郞元方といひて、勇士の譽れありて、器量、勝れたる若者有《あり》しに、或る時、遊臘《いふれふ》のため、かの所に、さまよひありきけるに、蛾眉のよそほひを、物のひまより、かいまみて、ひそかに、かよひそめけるほどに、互ひに契り、あさからず。よろづ、はしなく語らひける程に、此女《をんな》、惣(そう)じて、物、いはず。初めのほどこそ、

『つゝましきにや。』

と思へども、

「何とて、さのみ口なしの、木幡(こはた)の里の與所(よそ)ならで、かばかり恥ぢらひ給ふぞ。」

と、かこたれて、心うちに、うごき、淚、外にあらはれければ、男、もはや、こゝろ得て、

「人はこたへぬむつごとを、いつまで、吾は、いわつゝじ[やぶちゃん注:ママ。]、いはねばこそあれ、戀しさの、かはる心は、なけれども、秌(あき)もはてなで、あだし野の、かれがれにこそ、成《なり》にけれ。」

[やぶちゃん注:「滋野」「元方」不詳。

「かこたれて」「託(かこ)たれて」「自然、心が満たされぬために、不平を言う。ぐちをこぼす。嘆く。」の意。

「秌」「秋」の異体字。言うまでもなく、「飽き」を掛ける。]

 女は又、

『忍車(しのびぐるま)のうき思ひ、片輪(かたわ)なりとて、こざりけむ。』

と、心のうちの身のうさを、やるかたなさのあまりに、めのとを具足(ぐそく)し、いつく嶋の明神にぞ參りける。

「わがこの病ひを轉じて、ものいわせて[やぶちゃん注:ママ。]、たび給へ。」

と、一心に祈誓して、朝(あした)には、三十三度(ど)、禮(らい)をなし、五體を地になげ、夕(ゆふべ)には、卅三度の花をそなへ、丹精をそなへて、歎きける。

 

Sigenomotokata

 

 六日に當つて、錦帳(きんちやう)の内より、童子、一人、出給ひ、蓮花を一葉(《いち》よう)、口の内へ入《いれ》給ふ、と、夢を、みたり。驚きて、

『所願、成就すべし。』

と、貴(たつと)く思ひける所に、宮中山(みやなかやま)に、圓成坊(ゑんじやうばう)阿闍梨とて、大驗(たいけん)の聖(ひじり)有《あり》けるが、同じく參籠し給ひ、彼女《かのをんな》の苦行せしを見給ひ、

「おことは、何事をか、祈り申させ給ひ候や。」

と、問ひ給へば、めのと、ことのよしを、こまごまと語りければ、阿闍梨、宣ひけるは、

「我、ひとへに、衆生利益(りやく)の爲に行者となる。何ぞ、人の愁へを助けざらんや。大聖(だいしやう)の御前《おんまへ》にて、速やかに加持し奉らん。法花《ほつけ》の妙用、聾(りう/つんぼ)・盲(もう/めくら)・瘟(おん/おし)・瘖(あ)、諸根(しよこん)不具は、此經を謗(そし)れる逆罪(ぎやくざい)なり。いかに況んや、其趣きを說き、きかせんをや。」

と、念珠、おしもむで、祈られける。

[やぶちゃん注:「圓成坊阿闍梨」不詳。]

 此女、忽ち、口より淡(あは)を吐く事、一時斗《いつときばかり》ありてのち、ものをいふ事を、得たり。

 女、なくなく、阿闍梨を拜し、

「心斗《こころばかり》のしるしに。」

とて、馬惱(めなう)のじゆず、奉る。

 阿闍梨、これをとりて、本山(ほんざん)に歸り給ひけり。

 女は、猶、明神に仕へ奉りけり。

 さるほどに、彼(か)の男は、

「女の失せにし。」

と聞きて、今は、中々、哀れに、かなしく、

『したふ淚も唐(もろこし)や、芳野の山のおくなりとも尋ねむ。』

とのみぞ思ひける。思ひのあまりに、

『此上は、遁世修行の身となりて。尋ねばや。』

と思ひたち、年比、敎化(けうけ)を受くる圓成坊に詣でけるに、彼(か)の馬惱の念珠を、檀のうへに置れたり。

 ふしぎに思ひ、よくよくみれば、年比、馴れし人の、玉の緖(を)なれば、淚の露も、くり返し、事の謂《いは》れを聞ば、主(あるじ)の僧、

「此の念珠は、さりし比、いつく嶋の神前にて、瘖(おし)の女ありしを、祈(いの)りなをして、ものいはせ侍しを、よろこむで、其女性(によしやう)の布施したり。」

とぞ、答へ給へば、

「扨、その女性は。何方(いづかた)へ行《ゆき》侍りぬらん。」

と、いへば、

「明神に、こもれり。」

と、語り給ふ。

 此おとこ、さあらぬ體(てい)にて、いとま乞ひ、嚴嶋に尋ねいり、彼《かの》女に行き逢ひて、わが身の科(とが)を、かなしみければ、女も又、過ぎにし恨みを語りて、互ひに袖をしぼり、各《おのおの》、明神を恭敬(くげう)して歸りける。

 かくて、領家(れうけ)の何がし、此女房の翠黛紅顏(すいたいこうがん)を傳へきゝ、

『いかにもして、これを得む。』

とぞ思はれける。

 これによりて、彼(か)の元方にしたしみ、遊宴に事よせて、弓の勝負を決しける。

 國司、のたまひけるは、

「我方《わがかた》、負けたらば、百兩の金(こがね)をあたふべし。汝、負《まけ》たらば、妻女を、あたへよ。」

と、やくそくしてけるに、本(もと)より、元方、名を得たる達者なりければ、かけ鳥草鹿(《どり》くさじゝ)、ともに領家の者ども、雙(なら)ぶもの、なかりけり。

[やぶちゃん注:「かけ鳥草鹿」「かけ鳥」は「翔け鳥」は飛んでいる鳥を弓で射る競技で、「草鹿」は鹿の形に作った弓の的(檜の板で鹿が首を上げている姿に作りなし、牛皮や布を張って、中に綿を入れ、横木に吊るしたもの)を射る競技。作法を伴った競技として、鎌倉時代に始まり、室町時代には「大的」・「円物(まるもの)」(檜で作った直径五~八寸(約十五~二十四センチ)の小型の半球状の的を枠の中央にぶら下げたものを射る)とともに「歩立(かちだち)の三物(みつもの)」として盛んに行われたが、近世には衰退した。]

 則《すなはち》、勝負に勝ちければ、百兩の金をぞ、取《とり》たりける。

  國司、本意(ほい)なき事に思ひ、重ねて、

「我、最上の、すまふ、持《もち》たり。汝と合はせん。若し、わが方(かた)、負けたらば、當國の海貢(かいぐ)を、永代(ゑいたい)、參らすべし。我方、勝ちたらば、汝が妻を、とるべし。」

と約束して、相撲(すまふ)をとつたりける。

 元方は、ひとへに明神の應護《わうご》を念じ、一心に祈誓をしける。

 國司のすまふには、近國に名を得たる、「あらかねの仁王」といへる上手(じやうず)なり。

 扨、庭におりたち、取りあふたりけるに、手にも、ためず、三番まで、投げ打ちたり。

 國司、大《おほき》に色(いろ)を損じ、

「誰(たれ)かある、今、一番。」

と、怒りけるに、「泊(とまり)七郞」とて、おしゆく船(ふね)のへさきを、つかむで擧ぐるほどの大力(たいりき)、

「主(しう)の大事、こゝなり。」

と、ひたゝれの袖、引きちぎるや、

「をそき[やぶちゃん注:ママ。]。」

と飛んで出(で)たり。元方、兩の肩先をとらへて、犬居《いぬゐ》に、どうと押し付けたりければ、忽ち、すくみて、はたらかず、とらへし手のあと、二、三寸に、元《もと》入《いつ》たり。

[やぶちゃん注:「犬居《いぬゐ》に」尻餅ちをついた姿、また、這い蹲った姿の形容。多く、このように助詞「に」を伴って副詞的に用いられる。犬が前足を立てて座る姿勢に喩えたもの。]

 此の勢ひに怖れて、誰(たれ)、出で逢ふ者、なし。

 終《つひ》に、すまふにかちけれは、ぜひなく、海貢の「ゆるし文(ぶみ)」を書きてあたへ給ふ。

 此の後(のち)は、いよいよ、冨貴(ふうき)の身となり、數百(すひやく)のけんぞくを召しつかひけり。

 國司も、口惜しき事に思ひ、

「忍びて、かれを、うつべき用意あり。」

と聞きて、元方、

『一期(いちご)の大事。』

と思ひ、ひそかに都(みやこ)へ忍びのぼり、件(くだん)のあらましを奏聞(そうもん)しければ、國司の非道、顯はれ、やがて、流されたまひし。

 さるほどに、元方は、いよいよ、冨み、さかえ、男女(なんによ)十人の子をまふけ、をのをの、千石づゝの地をあたへて、「萬石長者」と謂れしは、此の元方が事なりけるとかや。

  是れも、ひとへに嚴嶋の御利生・方便あさからずとぞ、感じける。

 

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