西原未達「新御伽婢子」 遊女猫分食 / 新御伽婢子卷之一~了
西原未達「新御伽婢子」 遊女猫分食
[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」をOCRで読み込み、加工データとした。挿絵もそこに挿入された写真画像をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。なお、画像は小さく、しかも薄いので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のリンクも附しておく。
底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」「〲」は正字化した。漢文脈部分は返り点のみ附したものを示した後に〔 〕で訓読文を示した。
必要と思われる語句について、段落末に注を附した。]
遊女猫分食(ゆふぢよ、ねこのわけ)
肥州の長崎は、唐舩(《たう》せん)着岸の津(つ)にて、綾羅錦繡(《りやう》らきんしう)の織物・糸類・藥種其外、種々の珍貨、來朝(らいてう)する事、年毎(としごと)に、やむ事を不ㇾ得依ㇾ之〔得ず之れに依つて〕、京・大坂・堺の商人(あきびと)、此所《ここ》に集(あつま)りて、賣買(ばいばい)をなせば、賑(にぎ)めける事、難波(なには)にもこえ、京都にも不ㇾ異〔ことならず〕。
所の丸山といふは古へ江口・神崎(かんざき)などいふにひとしき遊女町なり。
[やぶちゃん注:「丸山」現在の長崎県長崎市丸山町及び寄合町にあった(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。鎖国令によりオランダ商館と同様、寛永一八(一六四一)年に平戸の丸山から名称と一緒に移設されたもの。
「江口」現在の大阪府大阪市東淀川区南江口附近一帯。神崎川が淀川から分かれる分岐点に当たり、平安末期、当時盛んだった熊野三山・高野山・四天王寺・住吉社などの参詣には、淀川の水運に依ることが多く、江口はその行き来の要衝で、湊の宿場町として発展し、社寺参詣の貴族や往来の客をもてなす遊女が集まり、遊郭が形成されていた。江口の君と西行の問答歌でよく知られる。
「神崎」兵庫県尼崎市神崎町(かんざきちょう)附近。延暦四(七八五)年に神崎川と淀川が結ばれ、瀬戸内海方面から京に登る船舶が停泊する交通の要衝となった。次第に河口の港町として繁栄し、「天下第一の楽地」と呼ばれるようになった。遊女たちは今様など諸芸を泊り客に披露し、宴遊に興じる人々で賑わった。]
[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここ。]
或(ある)夕暮、年の比《ころ》十六、七の少人《しやうにん》、衣服、いやしからず、腰刀(こしがたな)金銀をちりばめ、菰(こも)あみ笠、ふかぶかと、引《ひき》こみ、顏(かほ)ばせ、たとへなくうつくしきが、僕は、つれず、唯、独(ひとり)、見物の躰(てい)にみえて行《ゆく》。
爰(こゝ)をたどる人、目をつけて、
「かゝるやさしき容色(ようしよく)も、世にある物にや。」
と、あやしむまでに、譽(ほめ)のゝしる折節(をりふし)、「左馬の介」とかやいへる女良(ぢよらう)、此人におもひ泥(なづみ)ければ、一筆、書(かき)て、「禿女(かふろ)」となんいへる女(め)の童(わらは)に、もたせ、つかはしける。
若衆《わかしゆ》も、流石(さすが)、其わたり、行見(ゆきみ)る心から、いな舟(ふね)のいなにはあらず、家に入《い》つて、機關(あひかたらふ)。
蜀錦(しよくきん)の褥(しとね)の上に、えならぬ香を、くゆるかし、櫻・海棠のふた木の花、色をならぶるさま、世にたぐふべき事、又、なし。
其程《そのほど》に、家のあるじより、種々(しゆしゆ)の饗應、有り。
然るに、此人、精進のあつものには目もふれず、魚鳥(ぎよてう)の、あざらけき食物(しよくもつ)を、程よりは過(すぎ)て、好みけり。
[やぶちゃん注:「あざらけき」「鮮らけき」。ここは生(なま)の魚鳥の肉を指す。刺身。]
「美童の、目ざましきふるまひかな。」
と、人、物陰より、つぶやきける。
漸々(やうやく)、旦(あした)に及(および)、歸りなんとする時、金子、五兩を留置(とめ《おく》)に、亭主、悅び、道送りし女も、遠くしたひ、又の日を、かねごとし、あかで、別るゝ橫雲の空など、名殘(なごり)惜み、行衞《ゆくへ》しらず成《なり》けり。
[やぶちゃん注:「かねごとし」「豫言し」「兼言し」で、「かねごと」は再来・再会の約束の言葉を指す。]
其後《そののち》、爰にかよふ事、二十度(はたゝび)斗《ばかり》、手跡、つたなからず、歌、よくうたふさま、何わに、よしありげなる人がらなれば、時々(よりより)、住家(すみか)をとふに、
「いたう、しのぶ身に侍れば、白地(あからさま)に、しらせ參らすべきにも非ず。」
など、いひて、㒵(かほ)、打《うち》あかめければ、『問ふも、うるさし。』と思《おぼ》すにこそ、
「いかに、やごとなきかたの御子《みこ》ならん。若(もし)は、御城主などの小扈從(こごしやう)といふ人なるべけん。」
と、いひあへり。
[やぶちゃん注:「何わ」「難波(なには)」。言葉に関西方言があったか、或いは、語る話がしばしばそちらの方に係わったものであったからであろう。
「小扈從」小姓に同じ。美少年を選び、しばしば同性愛の相手とされた。]
或時、ひそかに、人を付《つけ》て、宿を見せければ、長崎の町の、ある家に入《いり》ぬ。
其屋のあるじに逢《あひ》て、
「此家に、かうかうの御子息(《ご》しそく)や、をはする。若(もし)、又、上《かみ》がたの客人や、ある。」
と、とふ。
「思ひよらず、何事に、かく尋(たづね)給ふ。」
といふ。
「しかじかの事、侍り。」
と。
此時、亭主、嘿然(もくぜん)として、打《うち》諾(うなづき)、
「思ひ合《あは》する事、有《あり》。此家に、年久しき猫あり。世の人、是を、『能(よく)、化(ばけ)る。』と、いへど、我、いまだ、見とがむる事、なし。必定(ひつじやう)、此猫の所爲(しよ《ゐ》)なるべし。」
と。
聲を和《やはらげ》て、呼(よびけるに、早(はや)、此音に、風《かぜ》くふて、いづち行《ゆき》けん、不ㇾ知〔知らず〕。
[やぶちゃん注:「風くふ」「風を食(く/くら)ふ」で、「事を察知したり、感づいたりする」、多くは「悪事が露見して逃げ去る」場合などに言う近世語。]
其あたり、狩(かり)たてゝ尋ねければ、三町[やぶちゃん注:三百二十七メートル強。]斗《ばかり》隔たる人の家の、板敷(いたじき)の下に隱居(かくれゐ)て、すさまじく猛(たけ)りけるを、大勢、よつて、突殺(つきころ)しぬ。
此事、國内(こくない)に、かくれなく、「左馬の介」は「猫のわけ」と異名(《い》みやう)し、一分(《いち》ぶん)、すたりけるとぞ。
[やぶちゃん注:「猫のわけ」「猫の分(別)(わけ)」或いは「猫の化(ば)け」か。
「一分」あれほどの人気。
以下は、底本では全体が二字下げで、字も小さい。]
やしなひ、かふ物には、牛馬(ぎうば)つなぎくるしむるこそ、いたましけれど、なくてかなはぬ物なれば、いかゞはせん。犬は、まもりふせぐつとめ、人にもまさりたれば、必(かならず)、あるべし。されど、家ごとにある物なれば、ことさらに求(もともめ)飼(かは)ずとも有《あり》なん。其外の鳥獸、すべて用なき物也と、かけるげにさることに侍る。ある人、猫鼠(ねうそ/ねこねづみ[やぶちゃん注:右/左の読み。ママ。]を評して云《いはく》、
「凡(およそ)、猫といふ物、先《まづ》、家の貧賤をねがふこと、備はれり。器財・調度の多くては、鼠をとるに、足場、わろし。人しげゝれば、物音、かしがましと、くるしむ。鼠は、異(こと)にして、家財・雜具、多くて、くまぐまのあるを、よろこび、米穀、つみならべて、食物のこぼれちるを、たのしむ、と。是、おのづから、冨貴をねがふ德、備はれり。」
と、いはれしは、欲、ふかく、さもしきやうなれど、さもあらんかしと、覺え侍る。飯(いゝ)をあたへ、魚肉(ぎよにく)をむさぼらせて、おそろしき物を飼(かは)んより、しかじ。鼠を安樂にすませんには、慈悲のかたなん、まさり侍らんものか。
[やぶちゃん注:「かけるげ」不詳。「缺ける氣」で「欠けていても(居なくても)問題ないと感じるような雰囲気・認識」の意か。]
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