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2022/09/30

西原未達「新御伽婢子」 魂逥ㇾ家

 

[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻四・五・六のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」を加工データとした。

 本篇には挿絵はない。

 底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」「〲」は正字化或いは「々」とした。

 注を文中及び段落末に挟んだ。]

 

     魂逥ㇾ家(たましひ、いへを、めぐる)

 和刕郡山の邊(ほとり)に、或比丘(びく)の許(みもと)につかふまつる、淨人(じやうにん)あり。

[やぶちゃん注:「淨人」僧職の一つ。寺に住み、出家をしないで、僧たちに仕える者を指す。]

 久敷《ひさしく》給仕しけるほどに、金銀を、たくはへ、所持しければ、自身、

「庵室(あんじつ)をこしらへ、給仕を止(やめ)て居(きよ)を安(やすく)せん。」

と造作(ぞうさく)を始(はじめ)ける。

 其翌日より、心《ここ》ち、常ならず、次第々々に、よわる。

 棟(むね)をあぐる日、人に助け起されて、打見《うちみ》て、よろこびけるが、其日の暮《くれ》に、命(いのち)、終りぬ。

 彼《かの》家に移住(うつりすま)ざるを、本意なく、かなしび、其事のみに、息、絕《たえ》しが、其夜より、彼《かの》ものゝ姿、顯(あらは)れて、彼《かの》庵室に來(く)る事、止(やむ)時、なし。

 或夜、更(ふけて)、比丘の夢に、かの淨人に逢《あひ》て、宣(のたま)ひけるは、

「何とて、かく、淺ましく、かりの世に、心をとゞめて、迷ひ來《きた》る。早く、後世《ごぜ》善所(ぜんしよ)のおもひをなさゞる。」

 淨人の云《いはく》、

「貴僧の御傍(《お》そば)ちかく、久しく侍りて、敎訓を請《こひ》しかば、さほど迄の斷《ことわり》、辨(わきまへ)しり侍れども、多年の勞を積(つみ)、功なり、名とげて、身《み》、退(しりぞき)、心をも、安(やすく)し侍らんと思ひしに、一日さへ、住(すま)ずして、身まかりぬる。殘りおほさえ[やぶちゃん注:ママ。「おほきさへ」の誤刻か。]、こそ、おもひ、やむまじく侍れ。」

と、いふ、と、覺えて、夢、さめぬ。

 汗、雫(しづく)に成《なり》て、人にかたられ侍る。

 此後《こののち》、猶、此かたち、不ㇾ止(やまず)、或時は、もとの姿を顯し、又、或時は、口より、火熖(くわ《えん》)を吹(ふき)けるに、此家、一時(《いち》じ)に燃あがらんとす。

 各《おのおの》寄《より》て打消(《うち》け)しぬ。

 是より、此庵室を、結界せられければ、室内には、いらで、外面(そとも)を、めぐりありきけり。

「とかく、此庵室ある故也。」

とて、他所(たしよ)に、こぼち、移されければ、此後は、庵《いほり》の跡へ來りけるが、ある夕暮、淨人、もとの姿にて、其わたりの人に、見えて、

「此庵は、いづちへ、行《ゆき》しや。」

と、とふ。

「しかじかの所へ、移されし。」

と、いふに、此時、いかれる眼(まなこ)、すさまじく、火熖をふきて、其かたへ行《ゆく》事、風雲(ふううん)のごとく、又、今の庵の所へ行《ゆき》て、暮(くれ)に及(およぶ)より、彼(かの)者、庵を、めぐりけるとぞ。

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