多滿寸太禮卷第六 堀江長七逢狐妖情
[やぶちゃん注:基礎底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこれ(PDF・第六巻一括版)。挿絵は国書刊行会「江戸文庫」版の木越治校訂になる「浮世草子怪談集」のそれをトリミング補正して、適切と思われる箇所に挿入した。標題は「堀江長七、狐(きつね)の妖情(ようせい[やぶちゃん注:漢字も読みもママ。])も逢ふ」と振る。今回は、特に敢えて語注を設ける対象を感じなかった。]
堀江長七逢二孤妖情一
中比(なかごろ)、尾張國金山(かなやま)のほとりに、堀江何某(なにがし)といふ者あり。家、とみ、ゆたかにして、けんぞく、數《す》十人を扶持して、近隣を領し、そこばくの林地(りんち)をひかへたり。
然(しか)るに、一人の息(そく)あり、名を長七(ちやうしち)と名づけて、いつきけり。器量、やさしく、情けふかく、手跡、つたなからず。家、ゆたか成りければ、をのづから[やぶちゃん注:ママ。]、ゆうに、そだちける。よはひ、すでに廿(はた)とせに及(および)しかば、
「いかなる妻(つま)をも迎へばや。」
と、父母(ちゝはゝ)、これを願ふといへども、明暮(あけくれ)、色(いろ)をこのみて、更に、心に、まかせず。
春の半ばより、らうらうと成りて、さらに、人にも逢はず、一間(ひとま)に、とぢ篭り、常は、筆(ふで)をとりて、詠吟し、艶書(えんしよ)を書き、たまたま、人の立ちいれば、これを、かくす。
[やぶちゃん注:「らうらう」「らうろう」で「牢籠」ではないか。この語には、まさに「引きこもること」の意があり、「衰えること」の意もある。]
又、おりおり[やぶちゃん注:ママ。]、おさなき[やぶちゃん注:ママ。]女(をんな)の聲して、語る事あり。
人、ひそかに、のぞきみるに、更に、形ち、なし。その物語りは、中立(なかだち)の使(つかひ)をなすの詩(ことば)也。
かやうにする事、廿日(はつか)計(ばか)り過ぎて、長七、忽ちに所在を失ふて、みへず。
父母、けんぞく、大きに嘆きて、住みし跡を見るに、ひたすら、艷書計りなり。反古《ほうご》に、
草の戶をひらきもあへず梅(むめ)が香のにほひもつらき獨(ひとり)ねのとこ
淚川逢瀨(あふせ)もしらぬ身をつくしたけなす程に成りにけるかな
とぞ、書きたりける。
家、こぞりて、ふしぎに思ひ、
「若(も)し、いかなる戀路に、まよひ、いづ方(かた)へか、行きけん。」
と、數(す)十人の者共を、八方へ走らかし、尋ね求むに、更に、行方(ゆきがた)、なし。
「せめては、なきがら成りとも、いかなる山野淵川(さんやふちかは)にもあらば、なからん姿なりとも、みばや。」
と、さまざまに尋ね、くまなく、さがせども、なし。
こゝに、ある貴(たうと)き聖(ひじり)の、常に、この家に出で入りしけるを、招きよせ、
「いかがせん。」
と語るに、此の僧、聞きて、
「人力(にんりよく)の及ばざる事は、佛神をたのみ奉るに、しくは、なし。年比(としごろ)、その人、信心あれば、觀世音の尊像をきざみ奉るべし。」
と誓ひて、栴檀(せんだん)の木、長七がたけに切りて、これを佛檀に建て置き、普門品(ふもんぼん)を讀誦し、禮拜祈誓(らいはいきせい)す。
さるほどに、十三日を經て、長七、其の家の藏(くら)の下より、忽然と、出で來たる。
顏色(がんしよく)、憔悴し、ひとへに、黃病(くわうびやう)をやめるものゝごとし。
其の土藏石垣の敷板(しきいた)の間、わづかに、三、四寸、中々、人の身を入《いる》べきやうもなきに、其の中(なか)より、這ひ出《いで》たり。
父母(ちゝはゝ)をはじめ、みなみな、驚き、あやしめり。
歸るやいなや、打ち臥しぬ。
漸々(やうやう)、四、五日過ぎて、人心ちつきて、語りけるは、
「吾、日比、ひとり居(ゐ)をうれへ、あはれ、心に叶(かな)ふ妻もがなと、常に心に思へり。或る日、一人(ひとり)のうつくしき女(め)の童(わらは)、文(ふみ)を菊の花につけて、持ち來り、
『我等がたのみ奉る姬君の、殿を戀ひわびて、「文(ふみ)を忍びて、わたし奉れ。」と仰せ有《あり》し。』
と、一通の玉章(たまづさ)を、わたす。我、ひらきてみれば、心、詞(ことば)、みやびやかにして、心ち、まどひ、歌をよみ、文をかきて、書通往來(しよつうわうらい)、數(かず)をしらず。一日《いちじつ》、あじろのぬりかごを、かきて來り、我れを、むかふ。前後の侍、四人、ゆく事、數(す)十里、野山をこえて、大なる屋形(やかた)に入《いり》、老《おい》たる女性(によしやう)ありて、
『よくこそ、わたらせ給ひつる。姬君、待ちわびさせおはします。こなたへ、いらせ給へ。』
と、我れをみちびき、殿中に、いざなふ。其體(てい)、國主、郡司(ぐんじ[やぶちゃん注:ママ。])のごとし。多くのまを、こへ、奧の一間に入《いり》たり。綾(あや)の帳(ちやう)をかゝげ、四方(《し》はう)、みな、色々(いろいろ)の花鳥(くわてう)を繪書き、かざれり。暫くありて、珍膳をすゝむ。かの姬、ゆうゆうと出《いで》給ふをみれば、容貌、衣服、中々、詞(ことば)にも、のべがたし。蘭麝(らんじや)あたりを薰(くん)じ、天上界に至るかと、心も空(そら)に成りたり。中夜(ちうや)、燭(しよく)を背(そむ)けて、帳中に入《いり》て、交はる。肌(はだへ)、雪のごとく、そのおもしろ事[やぶちゃん注:「き」の脱字。]、死するとも悔まず。ひるは、則ち、酒宴をなし、夜(よる)は、同じく、ぬる。ひよく連理のかたらひ、淺からず。
年月を經て、遂に一男(いちなん)を產む。
利根發明にして、かたち、うつくしく、明暮、いだきかゝへ、膝をおろさず。
居《を》る事、三年にして、忽ち、一人(ひとり)の異俗(いぞく)、あり。
頭(かしら)に金甲(きんかう/こがねのかぶと[やぶちゃん注:右/左の読み。])を着(ちやく)し、そのさま、四天のごとく也。
一つの杖(つえ)を持ち、殿中に至る。
姬をはじめ、局、女房、ことごとく、逃げ行きたり。
又、杖を以《もつて》、わが背中を突く。
我、せばき所よりして、出《いで》て、跡をみれば、まさしく家の藏の下なり。」
と語る。
人々、不思義の思ひをなして、則ち、かの藏を、こぼち、ほりてみるに、狐、數(す)十疋、おどろき、走り、逃げさりぬ。
藏の下土(したつち)の上に、長七が、いねたる跡、あり。
わづかに、十三日の間を、『みとせを過ごす』と思へり。
藏の板敷の下、三、四寸の高さを、大家高殿(たいかかうでん)と見せつるも、みな、これ、妖狐《やうこ》の、たぶらかしたる也。
誠に、大悲菩薩の靈威、いまに始めぬ事ながら、既に、狐の穴に死せむとしけるを、救はせ給ふ。
有り難かりし、ためし也。
« 曲亭馬琴「兎園小説余禄」 農民文次郞復讐略記 | トップページ | 多滿寸太禮卷第六 行脚僧治亡霊事 / 多滿寸太禮卷第六~了 »