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2022/09/18

フライング単発 甲子夜話卷之三十 20 姬路城中ヲサカベの事

 

[やぶちゃん注:以下、現在、電子化注作業中の南方熊楠「人柱の話」の注に必要となったため、急遽、電子化する。非常に急いでいるので、注はごく一部にするために、特異的に《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを挿入し、一部に句読点も変更・追加し、鍵括弧記号も用いた。]

 

30―20

世に云ふ。姬路の城中に「ヲサカベ」と云《いふ》妖魅《えうみ》あり。城中に年久《としひさし》く住《すめ》りと云ふ。或云《あるいは、いふ》。天守櫓《てんしゆやぐら》の上層に居《ゐ》て、常に、人の入ることを、嫌ふ。年《とし》に一度《ひとたび》、其城主のみ、これに、対面す。其餘《そのよ》は、人、怯《おそ》れて不ㇾ登《のぼらず》。城主、対面する時、妖、其形を現《あらは》すに、老婆なり、と傳ふ。予、過《すぎ》し年、雅樂頭忠以朝臣《うたのかみただざね》に此事を問《とひ》たれば、「成程、世には然云《しかいふ》なれど、天守の上、別に替《かは》ること、なし。常に上る者も有り。然れども、器物を置《おく》に、不便《ふべん》なれば、何も入れず。しかる間、常に行く人も稀なり。上層に、昔より、日丸の付《つき》たる胴丸、壱つ、あり。是のみなり。」と語られき。其後、己酉《つちのととり/きいう》の東覲《とうきん》、姫路に一宿せし時、宿主《やどぬし》に、又、このこと問《とは》せければ、「城中に左樣のことも侍り。此處にては『ヲサカベ』とは不ㇾ言《いはず》、『ハッテンドウ』と申す。天守櫓の脇に此祠《やしろ》有り。社僧ありて、其神に事《つか》ふ。城主も尊仰《そんぎやう》せらるゝ。」とぞ【寛政「東行筆記」。是予所嘗錄下倣ㇾ此。】。

■やぶちゃんの呟き

「ヲサカベ」通常は漢字では「刑部姬」と表記される。「朝日日本歴史人物事典」の宮田登先生の解説によれば(コンマを読点に代えた)、『兵庫県の姫路城の天守閣に祭られている城の地主神といわれる。伝説では、天守閣に棲む妖怪とみなされる老女であり、築城の際に人柱となった女の変化とみられている。各地の人柱伝説では、築城や架橋の際に女性が埋められ、のちに神に祭られたと説明されている。刑部姫がいるという天守閣には、人は近づいてはならないとされ、ただ年に』一『回だけ、城主が対面を許されたという。築城以前に、この地域が聖地であり、土地の神が、そのまま地主神として、城の守護神に昇化したが、その霊異が強調されて禁忌が成立したと推察される。おさかべは、このあたりでは青大将(蛇)をさしており、原型は大蛇が地主神として崇拝されたものである』とある。

「雅樂頭忠以朝臣」播磨姫路藩第二代藩主酒井忠以(宝暦五(一七五六)年~寛政二(一七九〇)年)。

「己酉」天明九・寛政元(一七八九)年。「甲子夜話」で清(静山)自身の記録で、正確なクレジットが示されるのは、それほど多くはない。これは特異点の一つである。数え三十歳の時で、彼は安永四(一七七五)年二月、祖父誠信(さねのぶ)の隠居により、家督を相続している。

「ハッテンドウ」「ドウ」の表記にはちょっと問題があるが(会話だから仕方がない)、これは伝承に従えば、「八天堂(はつてんだう)」である。「兵庫県立歴史博物館」公式サイト内の「姫山の地主神」に、姫路城築城を、実務上、指揮したのは池田輝政(永禄七(一五六五)年~慶長一八(一六一三)年)であるが、その『池田家では、鬼門』『にあたる城内北東部に、「八天堂(はってんどう)」という仏堂を建てた、とされて』おり、これに『関しては』、『史料がある』として、『小野市歓喜院(おのしかんぎいん)と多可町円満寺(たかちょうえんまんじ)には、「播磨のあるじ」を名乗る天狗が輝政にあてた書状と言われるものや、それにまつわる記録類が残されているのである』とあり、『この書状は』、『城内に寺院を建てよ』、『と輝政に要請するもので、慶長』一四(一六〇九)年十二『月と、現在の天守閣が完成したばかりのころの年代がついている。この書状は』、一旦は、『城内で発見され、直ちに輝政にも見せられたが、その時は黙殺された、という』。『しかし、その』二『年後、輝政が病』い『に倒れた。池田家では、円満寺の明覚(みょうかく)を招いて祈祷を行わせたが、その最中に、先の天狗の書状が』、『あらためて藩士から提出された。明覚は、この書状が要求するとおりに寺院を建立することを勧めたので、池田家では、鬼門(きもん)にあたる城内北東部に、「八天堂(はってんどう)」という仏堂を建てた、とされている』。『さらにこの』頃、『輝政の病』いは、『城が建っている姫山(ひめやま)の地主神(じぬしがみ)である長壁神(おさかべがみ)のたたりだ、との噂も流れていたという。長壁神は、もともとは姫山の上にまつられていたが、羽柴秀吉』『の姫路築城にともなって、城下の播磨総社(そうしゃ)に移されていた。そこで池田家では、長壁神社をも城内にまつり直した、とされている』とある。なお、引用元では、「諸国百物語」の中の関連怪談の二話を名指しのみしているが、それは私の「諸國百物語卷之三 十一はりまの國池田三左衞門殿わづらひの事」と、「諸國百物語卷之五 四 播州姫路の城ばけ物の事」で既に電子化注してあるので、読まれたい。

「東覲」参勤交代のこと。それ自体を「參覲交代」とも書いた。「覲」は「御目見えする」ことを指す。

『寛政「東行筆記」。是予所嘗錄下倣ㇾ此。』清(静山)は若き日より、筆記魔で、多くの記録を残している。これは寛政期の参勤交代の行き来に記したもの。後の部分は、「是れ、予が嘗つて錄せる所の下(か)」(条下)「に此れを倣(なら)ふ。」である。

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