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2022/09/13

西原未達「新御伽婢子」 始動 /序・「男自慢」

 

[やぶちゃん注:「新御伽婢子(しんおとぎぼうこ)」は浮世草子時代に入って間もない、天和三(一六八三)年に刊行された怪異小説集で、京の本屋で俳人で浮世草子作家の初代西村市郎右衛門(?~元禄九(一六九六)年?)著になる。彼は宝暦二(一六七四)・三年から天明年間(一七八一年~一七八九)年まで続いた、俳書・各種小説類・実用本を板行した書肆の初代であった。名は久重、号は未達(みたつ)、嘯松子(しょうしょうし)など。市郎右衛門は代々の称である。「誹家大系図」によれば、元は山岡元隣門と記される俳諧師でもあったが、特に書肆版元と作家を兼ねた人物として著名である。江戸の西村半兵衛(同姓であるが縁戚かどうかは不明)と共同で、蕉門初期から其角編を中心とする俳書を、多数、出版した。天和から貞享年間(一六八一年~一六八八年)には井原西鶴を意識した「宗祇諸国物語」(ブログの独立カテゴリで古くに全電子化注済み)や「諸国心中女」など、所謂、「西村本」と呼ばれる一連の浮世草子を書き、西鶴作品の人気に対抗しようとしたが、結果的には質的には及ばなかった。刊行書には、近松門左衛門の弟岡本一抱(いっぽう 承応三(一六五四)年~享保元(一七一六)年)の医学書や、立花(りっか)書・料理本などの実用書が多く、江戸町人層をも読者層として意識した活動を行った(事績部は「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

 本書は全六巻六冊(内題では標題を「新御伽」と略称)。挿絵は江戸の菱川師宣と並び称された京の絵師吉田半兵衛(生没年未詳:名は定吉。貞享から宝永(一六八四年~一七一一年)頃に上方で浮世草子などに挿絵を描いた。「好色訓蒙図彙」や西鶴の「好色五人女」などの挿絵が特に注目される)で、寛文六(一六六六)年に板行された浅井了意の名作「御伽婢子」(ブログの独立カテゴリで全電子化注済み)に倣ったものである。但し、以下に示す「西村本小説全集 上巻」の解題によれば、『御伽婢子」が中国小説の翻案であったのに対し、これは日本各地の民話を集めてい』る点で特徴があるとし、『この書は享保十二年(一七二七)「御伽大黒の槌」として解題再版されているので、「雨月物語」の上田秋成もこの作にヒントを得たのではないかと思われる節がある』とされ、『たとえば、「化女髻(けじよのもとどり)」(巻一)の妖怪の髻のみが残っていたというのは「吉備津の釜」に、「髑髏言(どくろものいふ)」(巻一)』「人喰老婆』(ひとくひうば)は『「青頭巾」に、「生恨(いきてのうらみ)」(巻二)「蛇身往生」(巻六)の蛇が男に取りつくのは「蛇性の淫」にというように、共通した部分が発見される』とされ、更に『井原西鶴の「西鶴諸国咄」に先立つこと二年前』で、『西鶴も』、『この作に刺戟を受けたのであろうか』と記されてある点でも、本書は後代の怪奇談集に与えた影響力は看過出来ないどころか、甚だ興味深いと言えるのである(なお、「青頭巾」は私の偏愛する作品で、サイト版で雨月物語 青頭巾(原文)、私の現代語訳及び私の高校教師時代のオリジナル授業ノートを公開している)。

 底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」をOCRで読み込み、加工データとした。挿絵もそこに挿入された写真画像をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。なお、画像は小さく、しかも薄いので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のリンクも附しておく。

 底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した(但し、以下の「序」はベタのママとした)。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」「〲」は正字化或いは「々」とした。漢文脈部分は白文で示した後に〔 〕で訓読文を示した。

 必要と思われる語句について、段落末に注を附した。]

 

新御伽婢子序

『よき人は、あやしき事を、かたらず。』といへど、予がごときの愚(おろか)なるは、其たぐい[やぶちゃん注:ママ。]には、あらじ。近(ちかく)、宮古(みやこ)に見、遠(とほく)、鄙(ひな)に聞(きゝ)し世のふしぎの、哀《あはれ》にも、おそろしくも、すせうにも、あやにも、覺えしさまざまを、反古(ほうご)の端(はし)にしるして、わかくより、集(あつめ)侍る高麗(こま)、もろこしの、はるかなるさかひは、いたらざれば、しらず、此國の事にも、昔の物がたりあるは、ちかくても、草子(さうし)・物がたりなんどにあらはし、とゞめたるきはゝ、是を殘しぬ。心に品(しな)をわかたずといへども、自(おのづから)、神祇・釋敎・戀・述懷・無常・妖恠(ようくわい[やぶちゃん注:ママ、])・雜詞(ざつし)の、又なく、めづらなるなど、纂(あつめ)、記(き)す。部を立《たて》んも、其《その》要なければ、思ひ出《いづ》るにまかせて、つゞけたるのみ。且(かつ)、實名(じつめう[やぶちゃん注:ママ。])、假(け)名のたゞしきを聞知(きゝしり)侍るも、憚(はゞかり)あるかたは、是を、はぶきて、いはず。事は、たゞしくて、もとより、其名を知らざるは、しらずとして、さし置《おく》もあり。國所《くにどころ》は、其里に至りて、聞《きき》得たるもおほく、そこら、すみこし人の語るたぐひも、しげし。言葉、愚《おろか》に、筆、いやしければ、希有(けう)におかしきあらましも、思ふ斗《ばかり》得つゞけ侍らねば、興あるかたは、失(うせ)なむ。命(いのち)きゆるほどの、おどろおどろしきいきほひも、其《その》けぢめ、白地(あからさま)にわけ兼(かね)たれは[やぶちゃん注:ママ。]、耳おどろかすゆへ[やぶちゃん注:ママ。]よしもなけれど、我にひとしき癡人(ちにん)のために、わくらはに、邪(じや)を、いとひ、正(しやう)におもむかんよすがにも、成《なり》なんかし、と梓(し)にちりばめて、世に行(おこなふ)名をとなへて「新御伽」と、しかいふ。

 

  天和三年

   無射良辰日       洛下寓居書

 

[やぶちゃん注:「よき人は、あやしき事を、かたらず。」知られた「論語」の「述而」篇の孔子の言葉。「子、不語怪力亂神」(子、怪・力(りよく)・亂・神を語らず)。「力」は「腕力・暴力沙汰・武勇」、「亂」は「醜聞・乱倫・背徳」、「神」は「超自然の人智で説明出来ない霊的現象」。

「宮古(みやこ)」「都」。京都。

「すせうにも」意味不明。以下との対から形容動詞であろうが、ぴんとくるものがない。「すずろにも」(漫ろにも)で「度が過ぎていて」「思いがけず・不意に」「心が落ち着かず」などの意がこの文脈には合うとは思ったが、判らぬ。

「あやにも」「奇(あや)にも」。「なんとも不思議で、言い表わしようがない」。

「すみこし」「住み來し」。

「得つゞけ侍らねば」「得」は不可能の呼応の副詞「え」に当て字したものに過ぎない。

「わくらはに」「わくらは」は「邂逅(わくらば:後世には「わくらは」とも)で、形容動詞。「まれに・偶然に・たまたま」の意。

 以下、全巻目録が載るが、それは最後に電子化する。]

 

 

 

新御伽巻一

    男自慢《をことじまん》

 或《ある》公卿の御内《みうち》に侍りて、おさなきより、詩歌のもてあそびに馴《なれ》つかふまつりし若人(わかうど)、有り。額(ひたひの)、圓(まど)なるより、形、たぐひなくて、若上達部(わかかんだちめ)・宮女(きうぢよ)なんど、品(しな)かはりたる戀草(こひぐさ)の、目に見、音に聞《きく》限り、筆のすさみの、事しげく、筑波山・はやま・しげ山の奧を尋ねて、十重二十重《とへはたへ》の閨(ねや)に忍び、鐘(かね)を恨み、橫雲(よこぐも)をねたみ、かきくどき、独寢(ひとりね)の床(とこ)の浦風になびかぬ煙(けふり)の、胸をやく、とかこち來(く)る。なれど、色深き心にて、大かたの思ひには、露の情をも、ゆるさず、盛の花の春を送り、錦をかざす秋を暮して、徒(いたづら)に年月を重ねけり。

[やぶちゃん注:「筑波山・はやま・しげ山の奧を尋ねて」「新古今和歌集」の巻第十一「戀歌一」の「題しらず」の源重之の一首(一〇一三番)、

 筑波山(つくばやま)

  端山(はやま)茂山(しげやま)

    しげけれど

   思ひ入るにはさはらざりけり

である。「端山」「はやま」は里に近い低くて奥深くない独立峰の小山。「しげけれど」これは繁茂する意に、人の目が「繁けれど」、多いの意を掛けたもの。「さはら」は「障ら」で、「私の恋する強い思いがあればこそ、何の障害にもなりはしないよ」の意。何のこれは男女の歌垣である風俗歌「筑波山」の、

 筑波山は山しげ山茂きをぞや

  誰(た)が子も通(かよ)ふな

 下(した)に通へ

       わがつまは下に

の本歌取り。この「下に」は「秘かに」の意。]

 二十歲(はたとせ)になれる年の、菖(あやめ)月初(はじめ)の日にや、「賀茂のくらべ馬の足揃(あしぞろへ)」とて、人、上(かみ)ざまにのヽしり行《ゆく》。

[やぶちゃん注:「菖(あやめ)月」五月の異称。

「賀茂のくらべ馬の足揃(あしぞろへ)」は京の賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ=上賀茂神社)の年中行事の一つである陰暦五月五日(現在は六月五日)に行なわれる馬術競技「賀茂競馬(かものくらべうま)」(左右十人ずつに分かれて勝負を競うもので、寛治七(一〇九三)年に始まり、天下太平・五穀成就を祈るためとされる。「賀茂の神事」「賀茂のけいば」とも呼ぶ)に先だって(現行では五月一日)、実際に参加する馬を走らせ、その組み合わせを決める儀式を言う。

「上(かみ)ざま」ここは都の北方の意であろう。]

 此《この》若人も、供の童(わらは)、独(ひとり)にて忍びの物見(ものみ)に出《いづ》るに、安閑小路(あんなんこうぢ)といふ所にて、恠の小家の後(うしろ)に新(あらたに)造りたる茅(かや)が軒の、ひろくはあらぬが、異(こと)やうに住(すみ)なしたる家あり、作庭、奧深く見ゆ。

[やぶちゃん注:「安閑小路」不詳。]

 其(そこ)にかよふ、竹のあみ戶(ど)、軒につゞきて、たてり。斯(かく)おもしろき家ざまなれど、心なき人は、目もとめぬにや、たゞ、大路を北にのみ行《ゆき》て、此所《ここ》を見やりたるけしきもなきに、彼(かの)男、独(ひとり)、そこに心とまりて、やおら、立《たち》よりて、家居(《いへ》ゐ)を、つやつや、見めぐり、あみ戶によりて庭を覗(のぞき)たるに、小(ちいさ)き山を、西のかたに筑(きづき)、瑪瑙(めなう)・瑠璃(るり)の彩(いろどり)、うつくしき石の間(ひま)より、蘇鐵、伊吹のたくましきを植へ、おもとしの薄の靑葉、細く生《おひ》たち、高根より、瀧、しかけ、遣水(やりみづ)、𥻘々(りんりん)として、淸く淙々(そうそう)として聲をかよはせ、「沅湘曰夜東流去」〔沅湘(げんしやう) 曰夜 東(ひんがし)に流れ去れ〕ば、たまり江に、しほらしき魚の物、おもはで、水に遊(あそぶ)など、誠に一目に見る時、數(かず)ならぬ小地(しやうち)なれど、其品(そのしな)、其品に、心を付《つけ》んに、旦(あした)の日の、西の岑(みね)に入《いり》なん時を、忘るべし。

[やぶちゃん注:「つやつや」つくづくと。じっくりと。

「伊吹」裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱ヒノキ目ヒノキ科ビャクシン属 Juniperus の常緑小高木。東北地方南部から南の山地に自生する。樹皮は赤褐色で縦に裂け、枝の下部の葉は針状であるが、先の方は鱗状を成す。雌雄異株で、四月頃、楕円形の雄花、紫緑色で球状の雌花をつける。生け垣や盆栽に用い、ビャクシン属イブキ Juniperus chinensis の他、カイヅカイブキ・タマイブキなど多くの変種・品種がある。「かまくらいぶき」「いぶきびゃくしん」「びゃくしん」。自身の身を裂いて生長するところから、禅宗寺院に好んで植えられる。

「おもとし」「表年(おもてどし)」か。「果実などがよく出来る年・生(な)り年」の意であるが、「よく成長していること」の意で採る。

「𥻘々」水の流れが澄みきっているさま。

「淙々」水が音を立てて、よどみなく流れるさま。

「沅湘曰夜東流去」中唐の詩人戴叔倫(七三二年~七八九年)の七言絶句「湘南卽事」の転句。

   *

  湘南卽事

盧橘花開楓葉衰

出門何處望京師

沅湘日夜東流去

不爲愁人住少時

  湘南卽事

 盧橘(ろきつ) 花 開きて 楓葉(ふうえふ) 衰へ

 門を出でて 何れの處にか 京師を望まん

 沅湘 日夜 東に流れ去り

 愁人の爲めに 住(とど)まることを 少時(しばらく)もせず

   *

「盧橘」は柑橘類の一種であるが、金柑や枇杷など、諸説ある。「沅湘」沅江(沅水)と湘江(湘水)。孰れも洞庭湖に注ぐ河川名。この転・結句は「徒然草」第二十一段に引用されており、本邦でも古来、著名な句であり、著者もそこを念頭においていよう。当該部のみ示す。

   *

月・花はさらなり、風のみこそ、人に心は、つくめれ。岩に砕けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をもわかず、めでたけれ。「沅湘 日夜 東(ひんがし)に流れ去る 愁人の爲めに とどまること しばらくもせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。

   *

「しほらしき」「上品で優美な様子の」、或いは、「かわいらしく可憐である」の意。

「おもはで」無心に。]

 

左方(ひだりのかた)は、主(あるじ)の侍る一間成(な)りと覚えて、やゝ舊(ふり)たる簾下(すだれした)、すこし卷(まか)せて、人音(《ひと》おと)は聞えず。

 

Otokojiman1

 

[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここ。]

 

 若人、思ふ、

『此ありさまを見るに、人め、物深く、隱れて、翠簾(みす)なんど、高くあげぬは、まさしく、女主(《めの》あるじ)なめり。さぞな、もてる調度、かざす袂(たもと)迄、物好(《もの》ごの)み、一きは、心ありて、珍しからん。

など、見ぬくま迄、思ひめぐらして、立歸らんとするに、内より、十二、三と見えし女(め)の童(わらは)、男の袖をひかへて、何とはしらず、物、ひとつ、男の懷(ふところ)に押(おし)入《いれ》て歸る。

『うつゝなや、何事ぞ。』

と、取《とり》て見るに、からの紙の、かうばしく燒(たき)しめたるに、うつくしき手して、

   なかれては妹背(いもせ)の山の中に落(おうつ)る

    よし埜の川のよしや世の中

といふ古歌あり。

 男、歌を味ふに、更に解(とけ)ず。

 歌の端に、細(こまか)に、書(かけ)る事、あり。

「唐(もろこし)の よし埜にはあらぬ 大和のそこそこにて 何がしと申者の妻なるもの 此後(うしろ)めたき心有《あり》て かくなん はからひまいらする そこの御爲《おほんため》さへ恥かしく侍へ共 思ふ事 いはで たゞにや 止(やみ)なまし 繾綣(やるかたな)さの まゝに候ぞ 哀を覺しなば ちかく よしの川を渡らせ給へ 夏は旅寢のすみかにして 主(あるじ)の男《をとこ》を友(とも)なひ侍れば 我が闇路(やみぢ)のはるけぬへき便(よすが)も侍らず 今なん 晝寢(ひるいね)に休(やすみ)侍るを せめての神の助(たすけ)と覺えて申すには侍り 返々《かへすがへす》」

と書《かき》たり。

 手は、うつくしながら、いたう、心せきたるとみえて、筆のかよひぢ、そゞろに、とびちりてみゆる。

「扨は。此主(あるじ)の人は、和州の者なめり。爰(こゝ)なん、京に、遊所(あそび《どころ》)にかまへ置《おき》て、今も妹背と共に登りたるが、近日に下る、と覺えたり。我が美(び/うつくしき[やぶちゃん注:右/左の読み。以下同じ])なる容貌(ようぼう/かたち)になづみて、多(おゝく)、女の艷書《ゑんじよ》、つもれども、かく迄思ひ寄る事、なし。是なん、賀茂の神の結び給ひし、えにしにこそ。珍(めづら[やぶちゃん注:ママ。])にも、ふしぎの物思ひこそ出來(いでき)たれ。賀茂の物見も、心そまず。」

とて、家に歸り、此人の下るを待つ。

 其翌日、闇(くらき)より起(おき)て、昨日(きのふ)つれし童を密(ひそか)に見せにやりけるに、童、走(はしり)歸りて、

「けさ、早(はや)、縣(あがた)に下ると見えて、馬なんど、門につなぎ、駕(のりものゝ)仕丁(じてう[やぶちゃん注:ママ。])、多く庭に侍り。」

と。

 男、よろこび、其又の日、是も隱密(ひそか)に京を出《いで》て、和州に行(ゆく)。

 態(わざと)、日暮(《ひ》ぐれ)とまり兼(かね)たる躰(てい)にもてなし、夜に入《いり》て、彼(かの)女の敎《をしへ》し所に至れば、松栢、高く茂りて、星をだに見せず、葛かづら、這《はひ》ひろごりて、入《いる》べき道も覺束なきを、とかくして十町斗《ばかり》[やぶちゃん注:約一キロ九十一メートル。]行《ゆく》に、燈(ともしび)、またゝきて見ゆ。

「爰なん、敎へし家よ。」

と、嬉しく、僕(ぼく)をつかはし、

「上(かみ)がたの者にて侍り。當國の名所を尋ねにまかるとて、しらぬ山路に行暮(ゆきくれ)、此所《ここ》に迷ひ侍る。一夜を明させて給へ。」

と、いはするに、内より答《こたへ》て、

「爰は、驛路(えきろ)ならず。旅人(りよじん)をとむる事なけれど、案内(あない)しらぬ人の、ふみ迷ひたるが痛はしければ、入《いり》給へ。」

といふに、男、傾悅(よろこび[やぶちゃん注:二字への読み。])、入てみるに、住なしたる躰(てい)、侍(さふらひ)めきて、手鑓(てやり)・長刀(なぎなた)、美をつくしかけ双(なら)べ、弓・寀(うつぼ)[やぶちゃん注:矢を携帯する「靫」(うつぼ)に同じ。]、尋常(よのつね)に立《たて》かけ、若黨・中間などやうの者、遠く居(ゐ)たり。

 實(げに)も、昨日、今日、都より下りしさま、しるくて、旅の具、取ちらして下部ども、草臥(くたびれ)たる氣色に、睡(ねふり)がちなり。

 亭主と覺しきが出《いで》て、一間(ひとま)成《なる》所に入れて、念比(ねんごろ)にいたはりて、いふ。

「某(それかし)も、折々、遠國(おんごく)にまかる事の侍るが、しらぬ里に行暮たるは、苦しき物也。何事も、心を不ㇾ置(おか《ず》)申さ給へ[やぶちゃん注:ママ。「まをさせたまへ」の脱字か。]。此一重《ひとへ》、あなたが我々の閨(ねや)にて侍る。疾(とく)休み給へ。」

と、いひて、入ぬ。

 男、思ふ、

『今宵は、外に出る氣色(けしき)もなく、女房にそひぶしとみゆれば、いかゞはからん。』

と、案じ、わづらふ。

 たつきもしらぬ山中に、遠寺(ゑんじ)の鐘、ほのかに響(ひゞき)、物すごき宿に、その事をのみ、思ひそふれば、いとゞ、目さへ、あはで、よろづ、覺束なく更(ふく)るほどに、夜半の頃にや、門(かど)を、あららかに、たゝく。

 主が聲にて、

「おつ。」

と、答(こたへ)て出《いづ》る。

「是は、いかに。」

と、肝、消《きえ》て、物の透(すき)より見るに、浴衣一重を、輕(かろ)く着(き)、髮を亂し、鉢卷し、太刀・刀、橫(よこた)へ、長刀、打振(《うちふつ》て表(おもて)へ出る。

 外(そと)より、

「早く、いざ、給へ。」

「足場、よき所なり。」

など、いひつれ行《ゆき》ぬ。

『いかなる事。』

と不ㇾ知(しらず)、胸(むねうち)、周章(さはぎ)、なを[やぶちゃん注:ママ。]、いねがてに、世のなりをとを聞く。

[やぶちゃん注:「世のなりをとを聞く」歴史的仮名遣がおかしいが、屋形の外の様子を音をもって注意深く探っているのである。]

 暫(しばし)して、かの主が敎へし閨の内に、いと、けだかき爪音(つまおと)して、「想夫戀(そうふれん)」を彈じける。

『是こそ、我(わが)愛着(あいぢやく)の源(みなもと)には有《あり》けれ。正しく我を招く、ばち成《なり》。』

と聞《きき》て、妻戶に立《たち》より、

  みぬ花の都にきゝしよしのやま

   なをこかくれは待わひにけり

[やぶちゃん注:「なを」はママ。]

と、聲ぶるひして、よみ入れければ、内より、戶をしめやかにあけ、白く、うつくしき手して、しとねの上に友(とも)なひ行《ゆく》。

 君やこし、我や行けん、おもほえず、かたへに、燈(ともしび)、覺束なく挑(かゝげ)たるに、生衣(すゞし)の蚊帳(かちやう)の外(と)の方(かた)に、えならぬ香の、

「さつ」

と聞え、蚊遣(かやり)くゆらせたるも、いぶせきたぐひかは。

 蛍、みつ、ふたつ、帳(ちやう)に放ちいれたる、よろづ、はつか成《なる》心にや、めづらかならぬ事、なし。

 ねぬに、あけぬ、といひ置《おき》し枕とる間(ま)も、夏の夜の、いづれ、夢、いづれ、うつゝと、あらそふに、晨明(しのゝめ)、白く、橫(よこ)をれ、山郭公(やまほとゝぎす)音(おと)づれ行(ゆく)。

 女のいふ、

「漸々(やうやう)、主(あるじ)の歸る時に成り侍り。若(もし)、見とかめば、御爲、恥がましき目にや逢(あひ)給はん。其かたに、歸り給へ。猶、此儘に別れ參らせんも、名殘(なごり)悲しく侍れば、ひとひ、二日は、虛病(そらやまひ)にかごとして、逗留し給へ。」

など、念比にもてなしける。

 男のいふ、

「去(さる)にても、此主の人の、夜更(よふけ)、出《いで》給へる事の遽(あはたゞし)さは、何事にや。」

と、問(とふ)。

 女、一入(ひとしほ)、聲をひそめて、

「猛き敵(かたき)を持《もて》る身に侍り。夜每に、その事を、心にこめて出《いで》侍る也。あひかまヘて、人に物し給ふな。」

ど[やぶちゃん注:ママ。]、いふ程に、時、移(うつり)ければ、いたくも問答せず、問殘(とひのこ)して、我かたに歸れば、程をへず、主、外より歸りぬ。

 此後《こののち》、二日斗、僞(いつは)り病(やみ)て、そこにやどるほど、夜每に契る事、前のごとし。

 かくても、流石(さすが)、在《ある》べきに非ねば、主に、暇乞(いとまこひ)て、

「又の便(たより)に音信(おとづれ)侍らん。」

と、式臺(しきだい)、こまごまとして、出《いで》ぬ。

[やぶちゃん注:「式臺」「別れの挨拶」の意か。]

 去(され)ど、外山(とやま)の朝日、影さして、いづこに行べき、かたもなく、心ならず、三輪・滝田(たつた)・南都(なら)・泊瀨(はつせ)など、さまよひ、十余日(《じふ》よ《にち》)を經にけり。

 此日數(ひかず)にも、猶、其情(なさけ)のみ、捨(すて)がたく、露《つゆ》忘られ侍らねば、又、もとのよしのに、分入(わけ《いり》)て、在《あり》し家居(《いへ》ゐ)を尋《たづね》に見しにも、非《あら》ず。

 木深(こぶか)く、草、茂り、靑々(せいせい)たる巖(いはほ)而已(のみ)、そばだちて、凌兢(すさまじき)幽谷(《いう》こく/かすかなたに)の、人抔(など)、住(すむ)べき所に非ず、鳥獸(てうじう/とりけだもの)も里にめなれたるは、なし。

「不思義や。爰に門の建(たち)しが。爰に閣(かく)の有しが。」

と、見めぐる内に、今迄、有《あり》とも見えぬ。

 雲、冪々(べきべき)として、東西に覆ひ、偏(ひとへ)に暗夜(あんや/やみ)のごとく、雨、頻々(ひんぴん)として、車軸をなす。

[やぶちゃん注:「羃々」雲が物を覆うさま。]

 是に恐怖(おそれ)て、僕(ぼく)、木(こ)の下(した)に踞居(うづくまりゐ)る。

 

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[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここ。]

 暫(しば)して[やぶちゃん注:ママ。]、雲、晴(はれ)、雨、止(やみ)て、又。蒼々たる空となる。

 僕、人心(ひとごゝ)ち付《つき》て、彼(かの)若人を尋《たづぬ》るに、行方(ゆきかた)なし。

 遙(はるか)なる山の、杉の茂りたるに、二つにさかれ、全身、赤(あけ)に成《なり》て居《をり》けり。

 僕、此事を見て、魂(たましひ)、空中(くう《ちゆう》/そら)に脱(ものくる)斗《ばかり》、われかの氣色に逃(にげ)まどふ程に、漸々(やうやう)、里に出《いで》、直すぐ)に都へ上り、若人の父母(たらちね[やぶちゃん注:二字への読み。])に、

「かく。」

と、かたるにぞ、初而《はじめて》、驚(おどろき)ける。

 彼《かの》見初《みそめ》たる安閑小路(あんなんこうぢ)ヘ行《ゆき》て見るに、爰も、もと見し跡かたなく、恠(あやし)のくずやのみ、たちゞきけり。

[やぶちゃん注:「くずや」屑屋。所謂、廃品を売買する賤民の住居。]

 よしのに、さまよひし日、纔(わづか)二十日(はつか)の比《ころ》とおもひしに、僕、歸りて、人にかたるに、一とせ過《すぐ》る、又の卯月の比にて在けるとかや。

 不思義なりし事共也。

[やぶちゃん注:以下は、底本では全体が二字下げで、字も小さい。]

 或人、評して云、

「是、ふしぎにして、ふしぎならず。もと、此男、美男の容貌を憍慢《けうまん》する事の甚しきによつて、まよひの前(まへに)、分身して、男女のかたちを化(け)し、我と我を、たばらかし、我《われ》、則《すなはち》、我を害する也。」

と、いはれしは、さもあらん事にや。

[やぶちゃん注:この最後の一種の驕慢が祟った離人症的怪異とする考証は、他に例のない解釈としての推理で興味深い。但し、そのせいか、登場人物らの個性が、今一つ、リアルには伝わってこない怪談としての瑕疵の憾みは感じる。]

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