西原未達「新御伽婢子」 火車櫻
[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」をOCRで読み込み、加工データとした。挿絵もそこに挿入された写真画像をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。なお、画像は小さく、しかも薄いので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のリンクも附しておく。
底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。踊り字「〱」「〲」は正字化した。
必要と思われる語句について、段落末に注を附した。]
火車櫻(くはしやのさくら)
攝刕大坂にちかき平埜(ひらの)といふ所に、或老人夫婦あり。娘二人、持てり。皆、外(ほか)に嫁(か)しけり。
或時、此老母、いたく煩《いたはり》けるに、二人の娘、晝夜(ちうや)、つき添(そふ)て、看病する。
日數(ひかず)經て、漸々(やうやう)、快氣の色、みえける時、娘ども、自《おの》が家に歸る。
[やぶちゃん注:「火車」「狗張子卷之六 杉田彥左衞門天狗に殺さる」の私の最後の注及びその中の私の記事リンクを参照されたい。
「平埜」現在の大阪府大阪市平野区(グーグル・マップ・データ)。]
[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここ。]
其夜、ふたりの娘の夢に、牛頭・馬頭(ぎうとう ばとう/うしのかしら むまのかしら[やぶちゃん注:右/左の読み。])の獄卒、火車を引來《ひきいた》つて、母を取《とり》のせ、呵責(かしやく)して、つれ行(ゆく)。娘兄弟(《むすめ》はらから)、もだへ、此車を引《ひき》とゞめ、庭前の櫻の木に結(ゆひ)つければ、綱も、櫻も、燃(もえ)きれて、火車は虛空(こくう)を引歸ると見しが、忽(たちまち)、夢、覺(さめ)て、額《ひたひ》に汗し、手の内、あつく覺えける。
兄弟ともに、おなじ夢也。
驚(おどろき)、急(いそぎ)、親の方に行(ゆく)に、早(はや)、道迄、使(つかひ)、來たつて、
「たゞ今、老母、御果(《おん》はて)なされたる。」
といふに、肝(きも)、きえ、心、狂(きやう)ずる斗《ばかり》也。
扨、なき骸(がら)にむかひ、面色(めんしよく)を見るに、よのつねの人にかはりて、目をいらゝけ、齒を喰しばりたる惡相、淺ましといふも余り有《あり》。
夢に見し事、身にしみて、庭前の櫻を見るに、炎《ほのほ》に燃(もえ)て、枯凋(かれしぼみ)、つなぎたる縄目《なはめ》のあと、明らかに、くい[やぶちゃん注:ママ。]入《いり》て、殘りけるこそ、ふしぎなれ。
今に此櫻、庭にありとぞ。
業障懺悔(《ごふ》しやうさんげ)のため、ほりも捨(すて)ぬなるべし。
[やぶちゃん注:「業障懺悔(《ごふ》しやうさんげ)」「懺悔」は近世以前は「さんげ」と濁らない。「ざんげ」は近代以降、キリスト教が一般化して以降の読みである。
「ほりも捨(すて)ぬなるべし」「なる」は伝聞推定の助動詞。上記の理由のために、枯れてしまっているが、そのままにして、「掘り起こして捨てることも、しておらぬとのことであるらしい。」の意。]