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2022/09/20

西原未達「新御伽婢子」 雁塚昔

 

[やぶちゃん注:底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらに拠った。本巻一括(巻一・二・三のカップリング)PDF版はここ。但し、所持する昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊「西村本小説全集 上巻」をOCRで読み込み、加工データとし、挿絵もそこに挿入された写真画像をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。なお、画像は小さく、しかも薄いので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のリンクも附しておく。

 底本は崩し字であるが、字体に迷った場合は、正字を採用した。読みは、振れる一部に留め、読点や記号は底本には全くないので(ごく一部に句点はあるが、用法が単なる区切りでしかないので、それに必ずしも従ってはいない)、独自に打った。一部で《 》で推定歴史的仮名遣で読みを入れ(歴史的仮名遣を誤っているものもこれで正しい仮名遣で示した)、読み易さを考え、段落を成形した。濁点・半濁点落ちの本文が多いが、ママ注記をすると五月蠅いだけなので、私の判断でそれらを附した。(*/*)のルビは右/左の読みを示す。]

 

     雁塚昔(がんづかのむかし)

 河内國或里に地下侍(ぢげ《ざむらひ》有《あり》て、常に朋友を集め、圍碁・双六(すごろく)に好(すき)、狩(かり)・漁(すなどり)を業(わざ)となん、しけり。

 或時、又、碁を始(はじめ)て、千手百手(ちてもゝて)にいどみ、戰(あらそふ)折節《をりふし》、窓のむかふ、半町斗《ばかり》[やぶちゃん注:五十四・五四メートル。]の田の畔(くろ)に、水底(すいてい)に書(しよ)をうつして、白雁(はくがん)、ふたつ、おりたつ。

[やぶちゃん注:「地下侍」ある土地に土着し、平常は農耕に従事している下級武士。

「書(しよ)をうつして」白い双体の影を書(しょ)さながらに浅い水底に写して。]

 

Ganduka

 

[やぶちゃん注:早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はここ。]

 

 侍、早く見付《みつけ》、頓而(やがて)、床(とこ)なる弓、おつ取《とり》、雁僕(かりまた)[やぶちゃん注:「僕」はママ。「俣」の誤字であろう。]の矢をつがひ、引《ひき》しぼりて、放つ。

 あやまたず、雄のほそくびに、射つけたり。

 雌は、是に驚きて、跡なく飛去(とびさり)ぬ。

 走行(はしり《ゆき》)て見るに、首は射切(い《きり》)て、なく成《なり》しを、さのみも尋(たづね)ず、引提(ひつさげ)て歸り、まさしく料理(りやうり)て饗應(もてな)し、己(おのれも)食(しよく)しつくしけり。

 角(かく)て、その年、暮ゆきて、春、新(あらた)に來り、一花(け)ひらくる朝(あした)より、永日(ゑいじつ)の三十日(みそか)を、三たび、數ふるほどを思へば、こよなふのどけしや。

 更衣《ころもがへ》の夏にうつりて、時鳥(ほとゝぎす)の初聲(はつこゑ)をきくより、一夏(げ)の過(すぐ)る隙(ひま)、又、久し。

 漸(やうやく)にして、文月(ふづき)にかはり、八月になる。

 去年(こぞ)の此比《このころ》を思へば、

「誠に、向(むかひ)の田の畔(くろ)に、雁(かり)の渡りし事、あり。」

と、其かたを見やりければ。又、鳥、ひとつ、おり立《たち》ぬ。

「嗄(すは)、願(ねがふ)所よ。」

と、弓、取り、矢、つがひ、心せきて、切《きつ》て、はなつ。

 思ふ圖(づ)に射付(い《つい》て)、是をも、得たり。

 みれば、白雁の雌なるが、羽がひの下に、雄《をんどり》の首《くび》を懷(いだき)たり。

 侍、驚(おどろき)、淚をながし、日を指折(ゆび《をり》)て思へば、

「去年(こぞ)の今日、雄の首を射切(《い》きり)たるが、其雌(めとり)、雄《をんどり》)の別れを悲しみ、此首を、身に添(そへ)、永き月日の、けふ迄、猶、其事に浮岩(あこがれ)、此所《ここ》には落(おり)たるなるべし。是を惟(おもふ)に、人斗《ばかり》情(なさけ)しらぬものは非じ。或時は鹿笛(しゝ《ぶゑ》)にあやつりて、偕老(かいらう)の契りをさけ、子に身を替(かふ)る猿を害し、鴛鴛《をし》のふすまを、おどろかし、鳩(はと)の比翼を射とる事、罪障(ざいしやう)いかゞ、おそろしや。かばかり、目下(まのあたり)、哀(あはれ)を見て、身の罪、しらぬ、はかなさよ。」

と、慚愧の心、切(せつ)なれば、

「是なん、菩提の知識なるべし。」

と一所(《いつ》しよ)の所帶(しよたい)を沽却(こきやく)し、髮、切《きり》て、ながく、佛道修行の道人《だうにん》となりしが、かの田の畔(くろ)を買求(《かひ》もとめ)て、ひとつの塚を筑(きづ)き、卒都婆(そとば)を建(たて)、二鳥《にてう》の跡(あと)、ねん比《ごろ》に吊(とひ)けり。

 俗、呼(よん)で「雁塚(がんつか)」といふ。今に古跡をのこしぬ。

[やぶちゃん注:以下は、底本では全体が三字下げで、字も小さい。]

 昔、ある人、鴛鴦《をし》の雄《をんどり》をころしけるに、其夜の夢に、いとうつくしき女、枕に來つて、うらめしげに、此おとこ[やぶちゃん注:ママ。]を打見《うちみ》て、

 日くるればさそひし物をあそ沼のまこもがくれの独(ひとり)ねぞうき

といふ歌をよみて、さめざめと、なく、と、みて、夢、さめ、おどろき、ぼだいしんをおこし、出家せしとかや。かほどまで、まざまざしき事こそなからめ、つまを殺され、子をとられ、恨惑《うらみまど》ふ所の畜類、人よりも、猶、まさるなれば、いとひても、なすまじきは殺生にこそ。

[やぶちゃん注:「嗄(すは)」「嘎」(音「カツ」。擬音語。但し、鳥の声などに用いる)の誤記か。

「偕老(かいらう)の契りをさけ」この「さけ」は「さき」(「裂き」)の誤用であろう。

「ふすま」「衾」。閨(ねや)のそれ。睦み合うことの隠喩。

「是なん、菩提の知識なるべし。」の「知識」は「契機」の意。「この出来事こそが、己(おのれ)が正しく菩提心を発する機会であったのだ!」の意。

「沽却」売却すること。

「昔、ある人、鴛鴦《をし》の雄《をんどり》をころしけるに、……」ここに示された話(言うまでもなく、本篇の種元)は、少なくとも、私は小学校三年生の時、角川文庫の小泉八雲の「怪談・奇談」でしみじみと読んだものだ。私の「小泉八雲 をしどり (田部隆次訳) 附・原拠及び類話二種」を見られたい。そこで、原話・類話なども十全に総て示してある。因みに、私は、来日後の小泉八雲の全作品の翻訳(初版「小泉八雲全集」底本)を、既にブログ・カテゴリ「小泉八雲」で、二〇二一年一月に全電子化注を終えている。

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